第28話:六月晴れの青嵐は 後
『プログラム十九番、二年生女子による創作ダンスです。赤チームの演技からスタートです』
場内アナウンスが響いた。戦いの火蓋が切られた。
場内にまばらな拍手がさざ波のように起きる。中央の広場には誰もいないのでどう反応したらいいのか、みんな困っているのだ。
拍手が収まった瞬間、ドンと大きな音がして、空気が震えた。
花火と共に歓声があがった。
メインゲートから赤色のドレスを着た二年生の女子たちがバレエダンサーのようにピョンとピョンと跳び跳ねながら、登場し、広場の中心で大きな円になった。
「赤チームのセンターは去年のミスコンで三位だった上郷さんみたいだな」
鈴木くんの解説を聞きながら、眺める。一人の女生徒がくるくると回転している。
遠くて俺にはよくわからないが、視力が良い鈴木くんは誰が誰だか判断がつくらしい。
「どれが沼袋?」
「いや、むー……」
「あれか?」
「いや、あれは三矢さん」
「じゃあ、その隣の」
「野々村さんだな」
「じゃあ、一番手前の」
「半田さん」
「なんで全員わかるんだよ。きも」
「まだシッチー出てないな」
沼袋が所属するチームの演技のはずだが、出番はあとの方なのだろうか。
「でも、こんな感じだと沼袋がでずっぱりって訳じゃなさそ」
安堵の息をついた瞬間だった。
演技していた女生徒達が、ドレスを脱ぎ捨て、空に放り投げた。地面にはらりはらりと落ちていく赤いドレス。柔らかい風が布を優しく広げる。緑の芝によく映えていた。
ポーズを決めて立つ女生徒たちは、全員が芋洗坂の衣装を着ていた。
曲調が変わり、歌声が響く。
「おいおいおいおいおいおい、まさかだろっ!」
鈴木くんが興奮したように叫ぶ。
「この曲は沼袋七味をセンターに据えた名曲『テルミーテルミーホワイ』! 音楽番組で生披露されたとき、感情が高ぶって泣き出してしまったシッチーに三期生のみんなが「シッチーは一人じゃないよ」とパート分けして歌ってくれた神曲!」
「なんか台本臭いエピソードだな」
「幼い頃は演歌歌手を目指していただけあって、こぶしの聞いた伸びのある歌声に」
鈴木くんのキモい解説が観客の歓声にかき消された。一様にみな一ヶ所を指差している。
壇上にいつの間にか一人の少女が立っていた。
マイクを持ち、笑顔で手をふりながら歌を歌っている。
遠くからでもよくわかる。沼袋七味だ。
「生歌だっ! まさかこんなところでシッチーの歌が聞けるなんて!」
鈴木くんのテンションに呼応するように競技場の熱気も高まっていく。
弾むようなリズミカルな歌声に合わせダンスする二年生の女子たちも、軍隊のように統率のとれた動きをしている。
「これほんとに生歌か?」
ふと疑問に思った。
「なに言ってんだよ。目の前で歌ってんだろ。ビブラートのかけ方とエコー、それからこの臨場感、すべてが生歌だと物語って……」
「いやコーラス入ってんじゃん」
「これだから素人は。コーラスの部分だけ音源があって……えっ、えっ、ちょっとまって、嘘でしょ!」
「どした」
鈴木くんが震える手で指を差す。バックヤードから二人の女の子が手をふりながら歩いている。
「誰あれ。部外者じゃん。いいのかよ」
二人の少女が沼袋の両隣に立った。
「サンズイ!」
「は?」
「沼袋、河辺、水田の三人の名字を総称して、サンズイと呼ぶんだ!」
「水田にサンズイ入ってないだろ」
「三期生のトップスリーが揃い踏みとかまじかよ。こんなチンケな学校の体育祭で披露していいやつじゃねぇよ!」
アイドル事情に詳しくないので、よくわからないがともかくすごいことらしい。沼袋はグループのメンバーをゲストとして招待し、あまつさえ生歌で場を圧倒したのだ。
会場のボルテージはマックスを迎え、曲が終わっても、拍手が止むまで相当な時間がかかった。
「ん、んぐ……ふごぉ……」
隣で鈴木くんは鼻水垂らしながら嗚咽していた。汚かった。
「コロナでぇー、暇なんでぇー、シッチーの応援と頑張る皆さんの応援に来ちゃいましたぁ!」
紹介を受けた水田が手を大きくふりながらバカっぽく笑う。野太い声援が上がった。
「大好きな銀千代先輩に会いに来るついでに歌わせてもらいました!」
河辺がピースサインを掲げる。
「先輩方のダンスに花を添えることができたのなら幸いです。貴重な経験をさせてもらいました。協力してくれたメンバー、そして何より聞いてくれた皆さんに感謝します。ありがとうございました」
沼袋が頭を下げると同時に割れんばかりの拍手が起こる。
高校の体育祭とは思えない盛り上がりだった。
「すんごいもん、見た……」
なかば放心状態の鈴木くんだが、場内全体がそんな感じだった。正直アイドルに興味がない俺にはそこまで響かなかったが、ざわめきが収まるまで相当な時間を要したし、完全アウェイな空気のなか演技をする二番目の緑チームは本当に気の毒でならなかった。
緑チームの花ケ崎さん率いるチアリーディングの面々が声をあげながら、演技しているが、雰囲気を変えるには至っていない。
ダンスのレベル的には相当なものだし、チームワークも抜群だったと思うが、いかんせん普通すぎるのだ。
順番が悪かったとしか言いようがない。
ダンスが終わり、拍手が起きるが、赤チームのそれとは比較にならない音量だった。
『次は青チームの演技です』
放送委員のアナウンスが場内にこだまする。銀千代が所属しているだけに注目度は高いらしい。
みんなが固唾を飲んで見守るなか、バックヤードからキックボードに乗って颯爽と一人の少女が現れた。
銀千代だった。
そのままキックボードで移動していたが、芝生のエリアはさすがに無理だったのか、乗り捨てて普通に歩きだす。
なんでキックボードで現れたんだ?
「……」
銀千代はただ一人だけで、淡々と歩き、芝生の中央で棒立ちした。
他のメンバーはおらず、銀千代はなにもしないで立っている。
場内がざわついた。
なんてことだ、ついに同級生から愛想をつかされボイコットされたのか、と思わず、目尻を拭いそうになった時、
「これは……マイケル・ジャクソンのやつ!」
鈴木くんが鼻息荒く呟いた。
「は?」
「1992年ブカレストで行われた「デンジャラス・ツアー」のオープニング、ステージに登場したマイケルは、1分39秒、立ったままなにもしなかったんだ」
「歌詞忘れてたの?」
「違う! マイケル・ジャクソンは間の取り方が天才的なんだ! 歌い出すまでのアクションで何人も失神者が続出したことはあまりにも有名!」
あいつがそこまで考えてるかな、と思いながら、芝生で棒立ちの銀千代を見る。
音もなにも流れていない謎の時間に場内は「え? 機材トラブル?」とか心配する声が上がっている。そりゃただの体育祭でそれをやったらそうなる。
観客の戸惑いを何のその、やおら銀千代が動いた。トラックを囲むように存在している観覧席の一ブロックをバッと指差したのだ。それが合図だったのか、音楽が流れ始めた。
「やっとか」
心臓に悪いパフォーマンスはやめてほしいと思いながら、銀千代を眺めるが、指差しポーズのまま動いていなかった。
「あれは!」
鈴木くんが叫ぶ。
彼の視線の先は銀千代に指差されたブロック、そこにはダンスを踊る青チームの女子がいた。歓声が上がる。
「なるほど! これなら組ごとの個別ダンス一つ一つを目立たせることが出来るし、銀千代ちゃんを主役に仕立てあげることで赤チームに対抗もできる!」
銀千代が方向を変えて、別のブロックを指差す。フラッシュモブのように女生徒たちが踊り始めている。その間、最初のブロックで踊っていた女子たちは銀千代のいる広場の中心に集まっていた。たしかに効率的な間の取り方をしている。
銀千代がこちらを指差した。
近くに座っていた女生徒が立ち上がり踊り始める。
「おおっすげえー!」
近くで見れるのは視力の悪い俺にはありがたかった。
目の前で踊っている女生徒が空中になにかを投げた。
放物線描いてはらはらと地面に落ちていくそれら。
ボンボンを分解したものだった。
いくつもあるのでまるで花吹雪のようで美しかった。
「あとでそれ振ってくださぁーい」
と女生徒たちは言うと、中心に向かって駆けていく。全員からいい匂いがした。なんだろう、柔軟剤の香りかな。
鈴木くんが喜色満面で俺のぶんのボンボンの欠片を拾ってきてくれた。
青チームの女子全員が銀千代の周りを囲むようにして円になり、曲がサビにさしかかった瞬間、銀千代はバク転を三回した。拍手が起こる。それから他のメンバーと息合わせて踊り出す。
俺たち観客はというと彼女たちのダンスに引っ張られるように、配られたボンボンの破片をタオルように振っている。
「この一体感……! まさにライヴ(下唇を噛みながら発音)! サイリウムの代わりにボンボン、そして選曲のセンス……!」
彼女たちが踊っている曲、どこかで聞いた覚えがあるな、と思ったら、ドン・キホーテの店内BGMだった。
「この曲は銀千代ちゃん初センターの記念シングル『上から下から横から銀千代』っ! 曲の合間に入れるファンからの合いの手でまさにライヴ向けの一曲といえる!」
「あー、あの歌詞がキモい曲ね」
メロディラインが完全ドン・キホーテの店内BGMだったけど、怒られないのかな。
「お前もコールいれろよ!」
冷めた目で見ていたら狂ったようにボンボンを振り回す鈴木くんに苦言を呈された。
「あ、あぁ」
サビの部分を一緒に歌うのがライヴでの定番らしい。
「ボリューム満点! 激安ジャングルぅぅ!」
「それじゃあ、ドン・キホーテだよ!」
曲が終わった瞬間、青チームのみんなはピタリと動きを止め、ポージングをした。
万雷の拍手が大歓声とともに起こる。
あまりのうるささに耳を塞ぎたくなった。
「俺たちの……東京ドーム公演はここにあったんだ……」
鈴木くんは涙を流して、千葉県東部で呟いていた。




