第28話:六月晴れの青嵐は 中
沼袋七味はぷっくりとした唇を尖らせて、まっすぐ俺を見つめている。ビー玉みたいにキラキラしていた。
「銀千代ならクルーのところで午前中の映像チェックしてる」
「……言ってる意味が……」
「俺もわからない」
暫し無言で見つめ合う。やはり近くで見るとオーラが違う。
ふわふわの髪にきめ細かい白い肌、単純に可愛い。
「先輩」
沼袋がポツリと呟いた。一瞬誰のこと言っているのかわからなかったが、そうか、沼袋から見たら二年の俺は先輩なのかと思い出す。
「やはりマネージャーとかじゃなかったんですね。お花見の時からおかしいと思ってました。社会人にしては、若すぎるって」
「えと、何の話?」
「銀千代さんのお話です」
四月にアイドルの人たちとお花見したとき色々と面倒なことになりそうだから、銀千代のマネージャーってことにしてたんだった。すっかり忘れてた。
「あー、まー、あいつと俺はただの幼馴染で……」
「ただの?」言葉尻をつかまえて、沼袋は吐き捨てるように続けた。
「隠さないでも結構です。この学校に入って二ヶ月、私が何もしてなかったとお思いですか?」
親の敵を睨み付けるような険しい顔つきだ。
「朝は二人で登校し、お昼は二人で食べて、放課後は仲良く二人で下校する……。仲睦まじいカップルです」
「違う」
「誤魔化しは不要です。両思いのところ申し訳ないとは思いますが、銀千代さんは芋洗坂のセンターだということをご存じですか? 地下アイドル時代ならまだしも、色恋のスキャンダルは完全にマイナスなんですよ。芋洗坂、いや銀千代さんのことを、思うなら大人しく身を引いてください」
「いや、だからそもそも付き合ってない」
「……え?」
沼袋はきょとんと表情を変えたが一瞬で元の怒りの表情に戻った。
「ネタは上がってるんですよ! 去年の文化祭の時に公衆の面前で、……キ、キスされたそうじゃないですか!」
「無理矢理されたんだ」
「む、無理矢理!? さ、最低! 嫌がる女子の唇を無理矢理奪うだなんて!」
「ちがう、俺が奪われたんだ、銀千代に」
「……な、なにを訳のわからないことを……」
「それはこっちの台詞だ」
埒があかない。このままでは貴重なお昼休みを潰されてしまう。お弁当のエビフライに箸をつけ、咀嚼する。美味しい。ちらりと隣の鈴木くんに目線をやったら、スマホで沼袋を撮影するのに忙しそうだった。
「い、いえ、仮に付き合ってなかったとしても、そう周りに誤解されるような降るまいは良くないんです」
「俺もそう思う」
「……なら自重してください」
「そういうのは銀千代に言え。俺は被害者だ」
「……まさかとは思いますが、銀千代さんの方が先輩に熱烈なアプローチをしていると、そうおっしゃってるんですか?」
「そうだ。俺だって迷惑してるんだ」
「ふ、なにをバカなことを……」
鼻で笑われた。
「いいですか。銀千代さんは才色兼備で、全アイドルの憧れ! そんな非合理的な行動をとるはずがありません」
頑固なやつだ。ある意味銀千代に通じるところはあるのかもしれない。
「銀千代さんの弱味を握って脅しているのですか?」
どう思われてるんだよ、俺ぇ。
「白状してください。そんなことしても嫌われるだけですよ!」
「あいつに嫌われる方法があるなら知りたいわ!」
「はっきり言ってあげます。先輩の存在は銀千代さん、ひいては芋洗坂にとってマイナス要素でしかありません。お願いですから身を引いてください」
「だぁかぁらぁ、身を引いてもあいつがついてくるんだって! 何回言えば伝わんのかね!」
「おぞましい妄想はやめてください!」
と、沼袋が叫んだ瞬間だった。
ばさりと音がしたかと思うと、青いボンボンが彼女の顔を覆い隠していた。
「えっ?」
「……」
いつの間にか沼袋の背後に銀千代が立っていた。無表情だった。
テレビクルーとの相談は終わったのだろうか。
それにしても様子がおかしいので、声をかけようとしたところ、
「転蓮花……」
と銀千代は呟いて、ふわり、と浮き上がるように跳躍した。
「やめろっ!」
即死技を仕掛けようとしやがった。
何事もなく、すたり、と着地し、銀千代は小首をかしげた。
「どうして、止めるの?」
ナチュラルに沼袋の首の骨を折ろうとしやがった。
「お前がアホなことばっかするから、沼袋……さんが心配してんだろうが」
「……その女の肩をもつの?」
同じグループの仲間に向ける言葉とは思えない。
「そういうこと言ってんじゃねぇよ」
「……すごく、なんでだろう、イライラする……そうか……この感情が、嫉妬っていうんだね……」
「自我に目覚めたロボットみたいな発言はやめろ。なにもすんな。そこに座ってろ」
「……はぁい」
俺の言葉にきちんと従ってくれるところだけは好きだ。
バサリと沼袋の顔にかかっていたボンボンが床に落ちた。
「……」
沼袋は冷たい瞳でベンチに腰かける銀千代を見つめた。
「そういうこと、ですか」
「……沼袋さん、見逃すのは今回だけだよ。私の理性がちょっとでも残ってるうちにとっとと帰って」
悟空か。
「いいえ、見逃さないでくれて結構です。宣戦布告、しかと受け取りました」
沼袋はしゃがみ、床に落ちたままのボンボンを拾い上げた。
「これはいわば白手袋……というわけですね」
なに言ってんだ、こいつ。
俺がクエスチョンマークを浮かべた瞬間、青色のボンボンは銀千代の顔面に向かって投げられた。完全にふいをつかれた銀千代の顔にボンボンがかかる。
「名誉の章典に従い、貴女に決闘を申し込みます」
「お、落ち着けよ……」
ビリビリとした空気にたまらず俺は声をかけた。
「私はいたって冷静です。午前の部、プログラム十九番、二年生女子による創作ダンス。僭越ながら私は一年生ながら赤チームの隠し玉として参加する予定です。銀千代さん、審査をするのは教師の皆さんですが、どちらのチームがより得票できるか、勝負しましょう」
「……」
ボンボンがかかっているせいで銀千代の表情はわからない。
「負けた方は勝った方の言うことを、何でも聞く。異論はありますか?」
「……」
「はからずも三月のリターンマッチというわけです。それではまた、あとで」
くる、と踵を返して、沼袋は去っていた。新緑の爽やかな香りだけが残される。
「こ、こえー」
女子がガチギレしてるところ初めて見た。ちらりと横を見ると鈴木くんは満足そうにスマホの録画を停めているところだった。
「いい表情が撮れた……」
「わかってると思うけどネットとかにあげんなよ」
「そんな勿体無いことするわけねぇだろ。シッチーのマジギレ顔は俺だけのもんだ」
変態で助かった。恍惚とした表情を浮かべる鈴木くんの隣に座っていた銀千代はやおらに立ち上がると浅く息をついた。ボンボンがバサリと地面に落ちる。
「おい、銀千代」
声をかけるといつもと同じトーンで「なぁに?」と返事が返ってきた。
「頭に来るのはわかるけど、落ち着けよ」
「銀千代は冷静だよ? 昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらない平穏なものだよ」
「それならいいけど」
「とりあえず沼袋さんの足の骨折ってくるね」
「やめろ」
冷静なやつの行動じゃない。
「暴力はなにも解決しないぞ」
「二人の愛の障害は取り除けるよ」
「ほっとけよ。なに言われてもシカトしとけばいいんだ」
お弁当のほうれん草のおひたしを口に運ぶ。正直美味しくなかった。
「ゆーくん、……沼袋さんと仲良いね……」
「……は?」
「さっきも、楽しそうに話してたし、沼袋さんのことどう思ってるの? なんでそんなに気にかけてるの?」
「……なに言ってんだ、お前」
「銀千代が沼袋さんの骨折ろうとするの止めるし」
「普通止めるだろ。沼袋は病院、お前ももれなく少年院に入院することになるからな」
「えっ、銀千代のことを心配してくれたの!? 嬉しい……」
「いや、まあ、ぶっちゃけると、お前も沼袋も俺にはわりとどうでもいい。アイドル興味ないし」
「……」
心からの感想を吐露したところ、鈴木くんが「じゃあ、なにに興味があるんだ?」と聞いてきた。
「そうだなぁ。今はドラクエ12かな」
面倒くさくなって、お弁当箱の惣菜に箸を伸ばす。銀千代は憎々しげに「ホリイユウジぃ……!」と呟いた。握りしめた拳には血がにじんでいた。
「創作ダンスって点が入る競技なんだな」
食べ終わった弁当箱を片付けながら、建物にかけられた体育祭のプログラム表を眺めながら呟く。二年の創作ダンスは閉会式の二つ前のプログラムだ。
「ああ、今年から変わったみたいだぜ。密避けるために、早く体育祭を終わらせたいみたいだな。競技の数もいつもより少ないし」
スマホをポケットにしまいながら、鈴木くんが教えてくれた。
「今の二年生にとってみたら新入生のときからやってたダンスの晴れ舞台が体育祭になるわけだし、配点ある競技にするのは悪くない案だと個人的には思うよ」
「一年の沼袋が参加できるもんなの?」
「二年のダンスに参加するってことは一ヶ月弱で踊れるようになったってことだから、さすが現役アイドルだよなぁ。参加を決めさせた赤チームの手腕もさることながら、まさに破格の待遇ってわけだ」
「なんかズリィな」
「銀千代ちゃんがいる青チームに対抗するための案なんだろ。なかなかやるぜ。しかしながら銀千代ちゃんとシッチーが同じ力量だとすると向こうの方が圧倒的優位になるな。通常女子の創作ダンスはクラスごとに担当してる部分と共通の部分とに分けられる。もしシッチーが全部の部分に出張ってくるとなると、一部分しか銀千代ちゃんがダンスに参加しない青チームは圧倒的に不利になるわけだ」
無駄に詳しくてキモい。
「差を埋めるにはどうしたもんか」
鈴木くんの呟きに、不適な笑みを浮かべた銀千代は、
「知恵と経験だよ」
と呟き、
「ちょっとみんなと相談してくる」
と立ち上がって、走りだした。
創作ダンスに参加する予定の二年生の女子に集合をかけて、走り幅跳び用の砂場の横でミーティングを始めた。
さすがに銀千代といえどいまからすべてのダンスを覚えることはできないだろう。
火のついた目をしていたが、足掻いたところで結果は変わらないだろう。
得点ボードを眺める。銀千代たちの対決よりもジュース券がもらえるかもしれない勝敗の方が気になった。
体育祭は滞りなく進み、二年生の創作ダンスの時間がやって来た。
陽射しは傾きかけているものの、会場はまだ明るい。雲に隠れてばかりの太陽だったが、紫外線は放出していたみたいで、俺の肌はなんとなく日焼けでヒリヒリしていた。




