第28話:六月晴れの青嵐は 前
校長先生の開会式の挨拶は、世界情勢や故事成語まで多岐に渡り、失神しそうなほど長い話を要約すると『みんな頑張ろう』の一言だった。
六月の土曜日に行われる体育祭。
その日は梅雨入り前の貴重な晴れ間だった。
うちの高校のチーム分けは誕生月ごとになっていて、
一月から四月生まれは青組、五月から八月は赤組、九月から十二月が緑組といった具合に分かれた。
優勝チームにはジュース無料券が配られるのでそれなりに士気は高いが、
俺と銀千代が所属する青チームは万年ドベらしく、絶対的エース不在で今年も優勝は期待薄だった。
体育祭は近所の市営競技場を丸一日貸し切って行われる。
毎年親族の野次や声援で大いに盛り上がるらしいのだが、ご時世的に今年の観覧は両親のみに限定されていた。
中止の去年よりは幾分かマシだが、高校生ともなると、気恥ずかしさが何より勝るので、大半の生徒が「体育祭、来なくていいから!」と頼み込んだ結果、観覧席は疎らとなっていた。
とはいえ、人が少なくてよかった点はいくつかある。
末席とはいえ、芸能界に名をつられる金守銀千代がいるのだ。
もしコロナがなかったら、学校側は観客の制限に苦慮しないといけなくなっていたことだろう。
そして、俺もついさっき知ったのだが、一つ下の学年に沼袋がいるらしいのだ。
沼袋七味。
芋洗坂39の三期生のリーダーを務める少女だ。
銀千代と人気を二分する主力メンバーで、なんでわざわざうちの高校に来たのか、いまいち理解できなかった。
「ほら、あそこ。あの先頭。まじもんのシッチーだよ。……うぉー、めっちゃかわいいー。顔ちいせぇえー!」
沼袋の存在を教えてくれた男友達の鈴木くんが、一年生女子のムカデ競争を指差してニヤニヤしている。
「正直他の子たちとの違いがわからん」
今年の一年生の顔面偏差値は高いので、沼袋が特別というほどでは無いような気がする。
「は? ちゃんと見ろ。めちゃんこかわいいじゃねぇかよ。はぁー付き合いてぇ」
競技場のベンチからトラックまではけっこう距離があり、いまいち顔がわからなかった。
「まあ、たしかーに、かわいいかもなぁー」
目を細めて、沼袋とおぼしき少女を眺める。「はっ」と隣の鈴木くんが小さく息を飲む音がした。
「誰が可愛いって?」
「……」振り返ればやつがいる。
「教えてゆーくん、誰が可愛いって思ったの?」
銀千代が無表情で立っていた。
もし教えたりしたら、沼袋がどうなるかわかったものではない。ついでに鈴木くんも削除されるだろう。
「……おまえ、次の競技の準備行くって言ってなかったっけ? これ終わったらすぐ二年生女子の玉入れ始まるぞ」
「ラスト五分で颯爽と登場するの。ヒーローは遅れて登場するものだから。それでゆーくん誰が可愛いと思ったの?」
誤魔化せなかった。助けを求めるためにちらりと横をみたら鈴木くんは地面に目線を落として、列を作る蟻を数えていた。こいつはダメだ。
「あー、えーと」
「教えてゆーくん。気になるだけだから、なんにもしないから」
ウソだな。もし正直に話したら、チーム分けで着ている銀千代の青色のTシャツは返り血で紫に染まるだろう。
「あの一年生、河合さんって名前らしいんだよ」
「……」
銀千代はゴールテープを切ったばかりの一年生女子を見下ろし、しばし無言になった。
「河合未来、十五歳、血液型はA型、一年三組、得意科目は数学、飼ってる文鳥の名前はピーちゃん。彼氏はいない。初めて男の子とキスをしたとき、舌を入れられている。……危険度はD」
「……」
ほんとうに河合さんがいたらしい。
「あんまり他の女の子のこと、気にしちゃダメだよ?」
少しだけ小首を傾げて銀千代は俺を見つめた。とりあえずはごまかせたらしい。
「もういいから、さっさと玉入れの準備してこいよ。青組の優勝がかかってるんだ、最初から参加してこい」
「はい!」
ビシッと敬礼してから、
「頑張ってくるから応援よろしくね!」
溌剌とした笑顔を振り撒いて去っていった。相も変わらず情緒不安定
なやつだ。
「はぁー、銀ちゃんもかわいいなぁー……」
鈴木くんが深くため息をついた。顔がよければ誰でもいいらしい。欲望に忠実で実に羨ましい。
「ところでさ、あれ見ろよ」
鈴木くんは玉入れの列に向かった銀千代の背中を見送ってから、観覧席を顎で示した。
「朝礼で取材はいるとか言ってたじゃん。ほら、あそこ」
本格的な機材を持った大人が数名、打ち合わせをしていた。
「コロナ禍でも開催される体育祭って名目らしいけどさ。実際は芋洗坂のトップ二人が通う高校を取材したいだけだと思うんだよね。俺」
「……」
おそらくそれは違う。
今朝、銀千代から紹介されたからだ。
「こちらカメラマンの稲荷山さんと信楽さんと天王寺さん」
「スッ」
「ちゃす」
「よろっす」
ズラリと大人に頭を下げられた。開会の挨拶の数分前、わざわざ謎の顔合わせが行われたのだ。
「はあ、どうも」
と頭を下げると、
「今日一日ゆーくんの活躍を撮影してくれるんだ。ついでにニュース映像も撮るらしいけど」
と朗らかな笑顔で言われた。
正気の沙汰とは思えなかった。どういう伝か知らないが、わざわざ体育祭にプロのカメラマンを雇ったのだ。
「そんであのー、ちゃんと撮影できたら、一子さんのサインお願いしますね」
「うん。大丈夫。ちゃんとセッティングするから」
「シャス! マジ感謝っす!」
こいつグループのメンバーを報酬にしやがった。わりと最低だ。
おそらく、取材という体にしなきゃ部外者をいれることができなかったのだろう。
事情を知らない鈴木くんは鼻息荒く的はずれな憶測を述べている。
「なんにせよ来週のニュース24は録画推奨だな。銀千代ちゃんとシッチーの共演を生で見られるんて、芋洗ファン冥利に尽きるってやつだぜ。俺たちの東京オリンピックはここにあったんだ」
千葉県東部で鈴木くんは叫んだ。
場内アナウンスが二年生女子による玉入れの終了をつげた。優勝は銀千代率いる青チームだった。圧倒的点差でぶっちぎりだ。
玉入れから戻ってきた銀千代は、当然のように俺の隣に座った。
「ゆーくん、見ててくれた?」
「まあ、目立ってたしな」
まさに百発百中。銀千代が玉を投げると面白いように入っていくので、実況の放送部員が「超エキサイティング!」と叫んだほどだった。
「うへへ、ありがと。狙った的ははずさないんだー」
片頬の口角を上げて、銀千代はにやりと笑った。
「あ、あの……」
鈴木くんが俺を挟んでたどたどしく銀千代に声かけた。一瞬で無表情になった銀千代は「なに?」と鈴木くんを睨み付けた。
「いや、えっと、俺、ずっと芋洗坂応援してて、隣のクラスだったけど、銀千代さんのこと知っててさ、二年で同じクラスなれてマジでうれしくね、あ、俺、鈴……」
「ごめんなさい。いま、銀千代オフモードだから、ちょっと話しかけないで欲しいかな」
「あ、そ、そうなんだ、ご、ごめんね、ははっ」
鈴木くんは悲しそうにしょげ返った。
一番寂しいのは俺の方だ。せっかく二年生でできた友人を失ってしまう。
「銀千代」
「うぇへへへ。体育祭のゆーくんもかっこいいよ」
「ちょっと、お前まじで誰彼構わず冷たく当たるのやめろ。友達いなくなるんだよ」
「友達なんていらないよゆーくんがいればそれでいいの」
「いや、俺の友達がいなくなるんだよ。ちょっと近づくな。鈴木くんと体育祭鑑賞するから」
「……鈴木ィ……」
いまだかつて見たことのない鬼のような形相を銀千代は浮かべた。握りしめた拳は怒りで震えている。
「い、いや、三人、三人でみよう! 体育祭!」
悪寒が走ったので折衷案をだしたら「えー、しょうがないなぁ」といつもの調子に戻ってくれた。
『プログラム十一番、二年生男子の百メートル走に参加する選手は西門に集合してください』
気まずい空気を洗い流すように、場内アナウンスが響いた。エコーがかって反響する案内に顔をあげると、鈴木くんが「俺らの出番だなっ!」と親指を立てた。
「おー、がんばろー」
浅く息をついて西門に移動しようと立ち上がる。
「がんばれがんばれゆーくん!」
ベンチの下から青いボンボンを取り出して、銀千代がエールを送ってきた。
「おい。目立つような応援は間違ってもするなよ」
「……」
ベンチの下に丸められた横断幕があった。
「使うなよ、それ」
何回も口酸っぱく言っているが、念のためもう一回言っとこう。
「うん、大丈夫。応援はしないよ。ゆーくんの勝利を」
とん、右手の親指で自分の心臓を示し、
「信じてるから」
歯を見せて笑った。
「いや、そういうことじゃなくて、……まあ、大人しくしてくれてれば、なんでもいいや」
移動する。競技場の中心の天然芝フィールドでは三年生男子の棒倒しが行われていた。すごい盛り上がりだ。
それを横目で見ながら西門前に移動し、体育教師の指示にしたがって列になる。
先日のリハーサルではよりにもよって俺と一緒に走る人たちは全員陸上部だったので、もともと見込みの無い勝負なのだ。
ビリにならないように頑張りたいが、正直期待薄である。ため息を飲み込んで、左右を見ると、俺と一緒に走るメンバーが前と変わっていた。
「あれ、違う面子で走るんですか?」
前の列の男子が責任者の先生に訊ねた。先生は「一昨日職員会議で、事前に測定したタイム順に組分けする事になったんだよ」と応えていた。
なるほど、フェアだ。足があまり早くない者としては恥をかかないで助かると、改めて両隣を見ると、明らかに俺より足が遅いであろうふくよかな四人が同じ組になっていた。
いやいやまてまておかしいだろ。
ラッキーと思うよりも先にとてつもない違和感にとらわれる。
「あの」
「ん、なに?」
「きみ、百メートルのタイム何秒?」
「三十二秒六三」
「そ、そうなんだ」
さては仕組んだな、と応援席の銀千代を探すがいなかった。ぐるっと周囲を見渡して、ようやく見つけたが、カメラクルー細かく指示を出しているところだったので、気づかなかったふりをした。
「位置について、よーい」
俺の番になった。
スタートラインに立つ。
何だかんだで緊張で心臓が高鳴っている。
「どん!」
空砲が響き、声援が遠くなる。足を動かすほどに景色が後ろに流れていくが、包み込むように広がる青空は変わらず澄み渡っている。
梅雨の晴れ間で気温も落ち着いている。
絶好の体育祭日和だ。しかしながら、俺の心が晴れることはないだろう。
なぜならほとんど出来レースだからだ。俺の前に誰かが現れることなく、コーラを飲んだらゲップが出ることぐらい当然に一位だった。
「ゆーくん!」
ゴールラインに銀千代が両手を広げて立っていたのでデビルバットゴーストでかわす。
「おつかれさま!」
捕まった。タオルを被せられる。
「さすがゆーくん、一位だね! ほら!」
ドダドダと像が走るような足音がして、振り向くと、他の四人がちょうどゴールするところだった。
「ぶっちぎり!」
「おま、おまえ、なに、した」
百メートルを走りきったばかりで息が切れる。
「うふふ、そんなに興奮しないで、みんな見てるから、ご褒美は夜の運動会までお預けだよ」
「黙れよぉ……!」
なんとか心からの感想を呟くことができた。
「さ、ゆーくん、次は優勝ライヴだよ。一位取った生徒はステージで踊るのが最近のブームなんだって」
「意味わかんねぇよ!」
銀千代にベンチに戻るように強く言い渡し、俺は一位の列の最後尾についた。俺以外みんな運動部だった。
お昼になった。総合順位の中間発表では、青チームは現在二位で一位の赤と二十点差と迫っていた。
「優勝したいよなぁ」
鈴木くんがおにぎりを食べながら呟く。正直どうでもいいが、ジュース券は欲しい。俺以外の誰かに頑張って青チームを一位に導いて欲しいものだ、とお弁当をつついていたら、目の前に誰かが立った。
「ん?」
「あ、あわわわわわわわわ!」
鈴木くんがバグったように叫んでいる。
「こんにちは。銀千代さんはどちらに行かれたんですか?」
沼袋七味だつた。




