第26話:五月雨、夏風邪、怖い夢
『ゆーくん、ごめん、風邪ひいちゃった(;>_<;)』
というラインが、朝起きたら届いていた。
季節の変わり目は体調を崩しやすいとよく言うが、銀千代も例外ではなかったらしい。
社交辞令的に『お大事に』と返事をし、シリアルコーンフレークを喉に流し込んだ。
朝御飯を終え、制服に着替えて、登校のためドアを開けたら、当たり前のように銀千代が立っていた。
「あれ、今日休むんじゃないの?」
「……」
マスクをしている。
あとなぜかわからないが、メガネまでしていた。
「メガネどうした?」
俺の質問に答えることなく、銀千代は、
『おはよーゆーくん!』
とワンテンポ遅れて朝の挨拶をしてきた。ガサガサと布擦れのような音がした。
『今日はメガネっ娘な気分なんだー』
「……それより体調悪いんじゃなかったのか?」
『うん。悪いよ』
「なら休めよ。つうかお前コロナじゃないだろうな」
『それはないから安心して。寝不足が原因みたい』
なんで寝不足なのか聞くのはやめておこう。
『ごほっ、ごほ』
棒立ちのままノーモーションで咳き込んだ。
「おい、大丈夫かよ。やっぱり家で休んどけって」
『うん、大丈夫だよ。おうちで休んでるから』
「なにわけのわから……っ!?」
と、言いかけたところで気がついた。
いつもより、胸が大きい。
「これは……」
日によってサイズ変わるとは聞いたことあるが、ここまで変わるもんなのか。
「おまえ、パッドいれたのか?」
と目線をあげると、めっちゃ顔赤くなっていた。
「熱も出てるのか?」
「あ、あまり、近づかないでください。はずかしいです」
照れてる。なんかかわいい反応だ。
はっ、違うぞ。銀千代がこんな初々しい反応するわけがない、まさか!
『だ、だめだよ。ゆーくん、ソーシャルディスタンス! 離れて離れて』
「金音か?」
「……!」
髪の隙間からワイヤレスイヤホンを装着しているのが見えた。
ぴくりと肩を震わせ、目の前の女性は小さく首肯した。
「流石。よくわかりま……」
『喋っちゃだめって言ったよね!』
デュアルサウンドで叫ばれた。どうやらマスクの下にスピーカーが仕込んであるらしい。
銀野金音は金守銀千代の従姉妹で、外見も似ていれば、性格の方も負けず劣らずヤバい奴だ。
「どういうこっちゃ?」
目の前の金音とイヤホンの先にいるであろう銀千代に訊ねる。
『金音に銀千代がいない間、ゆーくんが浮気しないよう、100ペリカで見張りを依頼したの』
マスクの下のスピーカーから返事があった。
「正気かよ。金音が俺になにしたか忘れたのか?」
若干トラウマ……というか、少し性癖が歪んでしまった。
『大丈夫。心臓に戒めの鎖を打ち込んでるから』
ちょっとなに言っているのかわからなかった。熱に浮かされているのかもしれない。
『金音のメガネにはカメラがついてて、リアルタイム映像を銀千代は確認出来るようになってるんだ。集音器とスピーカーはマスクの下、細かい指示はイヤホンで飛ばせるようにし、げほ、げほっ』
途中で咳き込んだ。不穏なギミックの説明を聞くより、咳きのほうが幾分マシである。
「金音はそれでいいのか……学校あるんじゃ」
制服姿の少女は笑顔で親指を立てた。銀千代の指示か本人の意思かわからなかった。
このまま家の前でグダグダやっていると遅刻してしまうので、学生の本分に従い、学校に向かうことにした。
金音は俺の一メートル後方を楚々としてついてきた。
メガネの映像は自宅療養中の銀千代がつけているVRゴーグルにリアルタイムに送信されているらしい。
背後から『はぁ、はぁ』と荒い息遣いが聞こえてくる。きっと熱のせいだろう。
「それじゃ、熱も下がらないぞ。映像切ってさっさと寝ろよ」
『大丈夫、冷えピタも貼ってあるから』
頭を冷やすのに何枚の冷えピタが必要になるのだろうか。
冷静になってみると、出席の替え玉に従姉妹を使うのもクレイジーだし、それに協力する従姉妹もクレイジーだし、止める気力すらわいてこない俺もどこかおかしくなっているのかもしれない。
慣れというのは最も恐ろしい変化なのだろう。
学校についた。
今日も一日めんどくさいなぁと生欠伸を噛み殺しながら、自身の席につく。
鞄をフックに引っかけていたら、入り口付近で立ち尽くす金音と目があった。助けを求める子猫のような瞳。どこが自分の席かわからないのだろう。
「お前の席、俺の横だよ」
人差し指で隣を指差して教えてあげる。ほっとした表情で俺の方に歩いてきた。
「おーはー、銀ちゃーん!」
こっちに来る前に、金音は背後から花ケ崎さんに声をかけられた。
びくりと肩を震わせて、振り返る金音。
『おはよう、雑司ヶ谷くん』
「え、あ、おはよう」
視線が別の方に向いていたらしい。机に座って、友達と駄弁っていた雑司ヶ谷くんがきょとんと返事を返した。
「ん、銀ちゃん?」
花ケ崎が軽く首を捻る。
『あ、花ケ崎さんか。おはよう』
金音はマネキンのように表情を変えることなく、花ケ崎の方に向きなおした。
「どったのー? なんか動きぎこちなくないー? 挙動不審というかー、調子悪いのー?」
「……」
「あっ、そうそう、今月のエイティーン買ったよー。特集のコーデなんだけど、最高に……」
『よくないんだ』
「え? う、うん、そうかな、うーん、でもまあ、たしかに派手かもねー。アタシ的には銀ちゃんは清楚系が似合うと思うんだよね。肌の露出多いとパパ活女子みたいになっちゃうし」
『お陰さまで売れ行き好調みたい。今月は男心を擽る初夏コーデがテーマなんだよ。夏は刺激的な季節だからね」
「え、そ、そうなんだ。そりゃあ、銀ちゃんはなに着ても似合うけど、アタシは心配だよー。ストーカーとか大変じゃん」
『そんなことしないよ。ゆーくんが悲しむからね』
「そ、そりゃあ、銀ちゃんはストーカーなんてしないだろうけどさ」
してる。
なんか変だな、って思って聞き耳たててたが、どうやら通信状況があまりよくないせいか、銀千代の返事がワンテンポ遅れているらしい。屋内だからだろうか。
「銀ちゃん……?」
花ケ崎さんはクエスチョンマークを浮かべながら、金音の目を真っ直ぐに見つめた。
「なんか、今日、変くない……? 会話が噛み合ってないよ?」
「……」
花ケ崎さんの瞳が細くなる。噛み合ってないのはいつものことだが、まあ、何も言うまい。
「ん? あれ、……おっぱい大きい?」
「……」
金音は顔を赤くしてうつむいた。
「成長期?」
「……」
「いや、なんか変。ねぇ、まさかとは思うけど、あなた、……銀ちゃん、じゃないの?」
さすが花ケ崎さんだ。双子のようにそっくりの金音と銀千代の違いを見抜くとは。
俺は大慌てで事情を説明しようと立ち上がったが、それよりも先に、
「勘のいいガキは嫌いです……!」
と金音は、
「ふげっ!」
ラリアットの要領で花ケ崎を廊下に引きずった。
「お、おい!」
『そんなことないよ。本物の銀千代だよ。おっぱいは毎日大きくなるようにマッサージしてるから』
数秒前の映像を見ている銀千代の返事が廊下から聞こえてきているが、とりあえず後回し。
やばいのは金音。
そうだった。あいつも暴力の申し子だ。慌てて二人のあとを追う。
「なぁんだ、そういうことだったんだ!」
杞憂だった。
金音は持ち前の外面の良さで、事情をうまく花ケ崎さんに説明したようだ。
「言ってくれれば協力するのに」
『ありがとう。早速だけど、一つお願いがあるんだ』
「なに銀ちゃん! アタシに出来ることがあるならなんでも言って!」
回線状況を解決させた銀千代は、どんと胸を叩く花ケ崎さんに、抑揚なく続けた。
『ゆーくんの半径二メートル入ってる。これは警告だからね。二秒あげるから、はやく離れて』
「えー」
『1(ウノ)、2(ドゥーエ)』
「はーぃ」
花ケ崎さんは寂しそうに教室に戻って行った。狂乱に巻き込まれることがない立ち位置の彼女が羨ましかった。
「お前も早く戻るぞ」
廊下に立ち尽くす金音に声をかける。
「……」
動かなかった。
「おい」
『ゆーくんの言うとおりにしよう』
銀千代の命令に従い、金音は教室に戻った。いちいちめんどくさい。
授業中はわりと平和だった。
常に視線を感じるのはいつものことなので今さら気にならないし、スキンシップが無くなっただけ、ありがたいことだった。
平穏という二文字を享受できて本当に幸せだった。
問題が起きたのは五時間目の古典の授業中だった。
「銀千代ちゃん、聞こえたら合図をしてください」
「……」
「銀千代ちゃん、聞こえたら合図をしてください」
「……」
「銀千代ちゃん、聞こえたら合図をしてください」
「……おい、うるせーよ。授業中だぞ。黙れよ」
「銀千代ちゃん」
さっきからこんな感じだ。
隣の金音がずっと銀千代の名前を呼ぶので、お陰で教科書の源氏物語に集中できないでいる。
「どうしたんだよ、さっきから」
泣き出しそうな顔で金音は呟いた。
「先程から返事がないんです。銀千代ちゃんの身になにか危険が迫っているのかもしれません」
「寝落ちしただけじゃないの?」
「銀千代ちゃんは不眠不休で行動することに長けています。寝落ちなんて考えられません。もしかしたら熱で意識を失っているのかもしれません。非常に心配です」
「意味合い的には寝落ちとおんなじじゃね?」
素朴な疑問を投げ掛けた瞬間、
「そこっ」
古典教師の山口に目ざとく見つかってしまった。
ボリュームを落とした会話だったが、授業中の雑談が気に食わなかったらしい。山口先生は「金守さん」と声をかけ、
「三十六ページから読んで」
と黒板に書き写された源氏物語の本文を指差した。
金音は無言で立ち上がり先生を真っ直ぐ見つめた。
「どうしたの? はやく読みなさい。さっきまで沢山お喋りしてたじゃないの」
嫌味ったらしい奴だが、俺は難を逃れたので、口出しする権利はない。
金音は小さく「ふぅ」と息をついてから、
「先生」
と声をあげた。
「なに、どうしたの?」
「申し訳ありませんが、体調悪いんで早退します」
「はあ?」
教室がざわつく。
こいつ、銀千代が心配だから家に帰るつもりらしい。
「あなた、何言って……」
「さようなら」
そのままスタスタとドアに向かって歩き始める。
なんて凄まじい胆力をもったやつだ。今度、解らない問題を当てられたとき、真似しよう。
「ちょっ、ちょっと、待ちなさい」
山口先生は暴走する金音に駆け寄った。
その時だった。
廊下からパタパタと走る音が徐々に近づいてきて、教室のドアがガラっと明け放たれた。
「ゆーくんっ!」
上下ピンクのパジャマ姿の銀千代が立っていた。
顔は赤く、オデコに冷えピタを貼り、マスクをしているが、首からVRゴーグルをぶら下げていた。耳からはイヤホンマイクが垂れ下がり、右手にネギを持っていた。
そうか、そうか、それがお前の最終形態か。
「どう、どういうこと!?」
山口先生は、制服姿の金音と出口に立つ銀千代とを交互に見すぎて、赤べこみたいになっている。
先生の戸惑いが伝わったのか、クラスメートたちが一斉に混乱の声をあげた。
「え、金守さんが二人?」
「双子だったの? 事務所プロフィールで一人っ子って」
「ドッペルゲンガーってやつ?」
銀千代は肩で息をしながら、真っ直ぐ俺を見つめ、安堵したように大きく息をついた。
「通信にバグが生じて、なにも見えなくなっちゃったから、心配で来ちゃっ……」
最後まで彼女が言葉を紡ぐことはできなかった。その場でガタンと銀千代は前のめりで倒れ込んだからだ。
女生徒の小さな悲鳴が上がった。俺も悲鳴を上げたかった。
おそらく体調が悪いのにも関わらず、全力疾走してきたのだろう。金音がぶつぶつと呟き始めたのは、大体十分前くらいだ。そこから走り始めたのだとしたら、驚異的なスピードでここまで来たことになる。
通常時の体調ならまだしも風邪っぴきにそんなことすればぶっ倒れるのは必然だろう。
「銀千代ちゃん!」
金音が倒れた銀千代に駆け寄って、肩を貸して起き上がらせた。
少しだけ、ホッとした表情を浮かべてから、金音はきびすを返した。
「帰ります。さようなら」
そのまま視界から消えた。
「ちょ、ちょっと、待ちなさい! あなたたち! えっと、金守さん? 金守さーん!」
山口先生が慌てて追いかける。
教師が居なくなった教室は一気に無秩序に包まれた。飛び交う雑談は、隣のクラスで授業していた教師が怒鳴りこんで来るまで続いた。
「トワさん、いいの。追いかけなくて」
花ケ崎が俺の机の前に立った。
他の連中と違い、ある程度事情を知っている花ケ崎は、新学校の七不思議の一つ『増えた女子生徒』の謎解きに頭を捻る必要が無いのだ。
「俺がついていっても変わらないし」
花ケ崎さんは不服そうに頬を膨らませた。
「そんなことないでしょ。自分だってわかってるくせに。銀ちゃんを一番元気に出来るのは誰か」
なにも言えずにいると、いたずらっ子のように歯を見せて笑い、
「さてここで問題です。元気に出来るのはだれでしょー?」
「葛根湯とか?」
「素直じゃないなぁー。モテないよー」
しょうもない冗談にニヤニヤ笑いながら花ケ崎さんは自分の席に戻っていった。
鼻で息をはく。窓に目をやると灰色の雲が広がっていた。
あと数日もすれば、梅雨入りするだろう。
雨は嫌いだ。銀千代が毎回相合い傘しようとしてくるから。
チャイムが鳴ると同時に、教室に六時間目の日本史の教師が入ってきた。
日本史は好きで、得意科目だ。
だから、早退するほどのことじゃない。
隣の席に目をやると、鞄がそのまま残されていた。金音が忘れたらしい。
しょうがないから、届けてあげることにした。ちょうど小腹も空いたし、コンビニに寄って、ウィダーインゼリーでも買っててやろう。




