第25話:五月蝿い隣の席の君
ロングホームルームに席替えのくじ引きが行われた。
進級して一ヶ月。同級生と多く話をしてほしいという担任の思惑があるのかもしれない。
俺の新しい席は、窓側だった。
夏に向けて陽射しがどんどんきつくなる位置だ。小さくため息をつく。
黒板に書かれた番号を改めて確認し、引きずるようにして机を移動する。
ふと銀千代はどこになったのだろうと、顔をあげたら、斜め右前にいそいそと机を移動させている彼女と目があった。
以前は二つ後ろの席だった。常に見られている感じがして最悪だったが、前方なら、視線を感じることは無くなりそうだ。
「せんせー、視力悪いんでぇ、席を交換してもいいですかぁー?」
二年も同じクラスになった花ケ崎さんが手を挙げた。嘘であろう。この前の身体測定で両目とも1.5だったと自慢していたことを俺は知っている。
「しょうがないな。早めに眼科に行けよ」
許可を貰った花ケ崎さんは「はぁいー」と生返事をし、仲のいい子の隣に移動した。二人で目を合わせてにやにやと笑っている。花ケ崎さんと席を交代した男子は苦笑いだ。
「先生」
銀千代が大きく手を挙げた。
「ゆーくんの隣に行ってもいいですか? 好きなんで」
「……だめだ」
「なんでですか?」
「誰も彼も自由に場所選んだら、くじ引きの意味がないだろ」
「でも、二人の距離が遠すぎます」
「……金守……お前ももう子供じゃないんだから、駄々をこねればなんとかなるという考えはやめなさい」
丸出しのエゴに当然拒否を食らう。銀千代は残念そうに肩を落としたが、すぐに立ち上がり、こちらに向かって歩いてきた。
「武藤尚美さん」
俺の隣の席になった女子に声をかけた。
「な、なに?」
目立たないタイプの武藤さんは声をかけられて、びくついたように返事をした。
「席交換してほしい」
「え、でも、いま先生がダメだって」
「大丈夫。まだばれてないから」
ちらりと先生の方を見てから、銀千代は小さく頷き、続けた。
「いくら?」
「え?」
「いくらで譲ってくれる? 十万……、いや、十五万出すから、ゆーくんの隣を譲って」
突拍子のない提案に免疫がない武藤さんはアワアワと戸惑っている。
「おい」
不憫に思い、声をかける。
「なに? ゆーくんー」
「はやく自分の席に帰れ。先生に注意受けたばっかだろ」
「うん、ちょっと待ってて、いまゆーくんの隣に引っ越しするから」
「お前の席は12番だろ」
黒板を指差す。斜め右前だ。
「12番に着席!」
「……はぁい」
不服そうに銀千代は自分の席にかえって行った。
「ごめんね、武藤さん。あいつちょっとぶっ飛んだ冗談をかますときがあるから」
仕方なくフォローを入れる。
「す、すみません、わ、私、冗談とかあんまり分からなくて。ちょっとビックリしちゃって」
武藤さんに謝罪をしていたら、逆に謝られた。なんとも気まずい空気が流れる。弱ったなと後頭部をかいていたら、銀千代が大股歩きで戻ってきて、赤い下敷きを俺と武藤さんの間に挿し入れてきた。
「なにすんだ?」
「飛沫防止」
やばいくらいに意味がわからん。
「あとで感染症防止対策のためにゆーくんの四方に壁作るからそれまで下敷きの仕切りで勘弁して」
もう突っ込むのも疲れた。
「はやく自分の席に帰れよ」
「……わかった……けど、おしゃべり禁止だからね。時期が時期だから。一人一人の行動が感染を防止するんだよ。学校にいるあいだ、銀千代以外と会話しちゃ嫌だよ?」
こいつ俺に孤独死しろっていってんのかな。
「他の女の子とゆーくんが仲良く話してるところを想像しただけで、銀千代おかしくなっちゃいそう」
「もう既におかしいよ」
隣をみると武藤さんは、唇を真一文に引き結んで、口を両手で覆っていた。日光東照宮のイワザルみたいだ。
「自分でもどうなるかわからないの。ゆーくんが他の子と仲良くなったら、すごく悲しくなって、そのあと怒り狂っちゃうんだろうけど……。ともかくおしゃべり禁止だからね」
怒ってなくても狂ってるやつに、なんで俺の行動が制限されないといけないんだ、と少しカチンと来て、反論しようと口を開こうとしたら、
「金守ー、いい加減席もどれー。連絡事項伝えられないだろぉ!」
教壇に立つ先生に、おしゃべりを注意された。銀千代は渋々と席に戻っていった。
これでしばらく安心できるな、と安堵の息をつく。次の席替えの時まで、少なくとも授業中は銀千代という存在を気にせずにすむ。
椅子に深く腰かける。
ついに平穏が訪れたのだ。
頬杖ついて、窓を眺めると、青空に浮かぶ白い雲が眩しく輝いていた。校庭を囲む欅は青々とした葉を新緑の風に揺らしている。新一年生が体育の授業ではしゃいでいた。
窓側の席も悪くないな、と少しニヤてしまう。
教壇では来月行われる修学旅行について先生が説明しているが、あまり耳に入ってこなかった。
斜め前に座る銀千代の後頭部が少し揺れた。ボケーと眺めていたら、机の上に電子辞書が開いた状態で置かれていることに気がついた。画面に目をやると手鏡が置かれていて、反射で写る銀千代と目があった。
「おわっ」
あいつ、鏡で後ろの席の俺のこと見てやがる。
「どうしたぁ?」
「あ、いや、なんでもありません」
「またか……。何回も注意させるなよ。来年は受験生だぞ、しっかりしろ」
「すみません……」
小さく謝罪する。
先生は鼻をならしてから説明を続けた。
それを眺めていた銀千代は眉間にしわ寄せ、机からノートを取り出してなにやら書き付けた。
あれは……!
中学生のとき、黒い表紙のノートに銀千代がズラっとクラスメートの名前を書いていたので、「なにそれ?」と訪ねたら、
「これはね。ゆーくんのことをバカにしたり、傷付けたり、困らせたりした人のことを忘れないようにリストしてるんだ」と教えてくれた。
「なんのために?」
「ゆーくんに迷惑かけて、タダですませられるはずがないよね。必ず然るべき報いを与えてあげるから安心してね」と望んでもない復讐を代行してくれるというので、
「やめろよ」と禁じたはずだが、未だにこっそりつけてやがったのか。
とりあえずあとでノートの一番最後のページに『金守銀千代』と記入して、ビリビリに破くことにしよう。
ホームルームが終わった。
銀千代の「いっしょに帰ろー」攻撃が始まると身構えたが、こちらに駆け寄って来た銀千代は「はいこれ」と鞄から小さな兎のぬいぐるみを差し出してきた。
「銀千代、今日はちょっと用事あるからいっしょに帰れないの。その代わり、このウサちゃんを銀千代だと思って連れていって」
ぬいぐるみの頭部を強めに握ると、内部に金属らしき物体があることに気づいたので、ロッカーに放置して帰宅した。
翌日、「いっしょに行こうー」という銀千代を振り払いながら、いつものように登校し、鞄の荷物を机にしまっていると、隣に見知らぬ女子がやって来てガタガタと机を移動し始めた。
「ちょ、ちょっと、なにしてんの」
スッキリした目鼻立ちの美人だった。
新しいクラスになって一ヶ月ほど経ったが、こんな人、うちのクラスにいたかな。
「なにって、席替えするだけだしィ」
勝手に席移動させられたら、なにも知らない武藤さんがかわいそうだ。
「そこ武藤さんの席だよ。勝手に移動させるのは良くないと思うけど」
「は? いや、ウチ武藤だからね。なに言ってんの? まじ意味不ー」
「……は? いやいや、え?」
「最近、視力落ちたから席交代すんのー。先生の許可もらってっしー」
といって、止める間もなく、銀千代の机と場所を交代する自称武藤さん。
呆然とそれを眺めていたが、隣に着席した銀千代の「改めてよろしくね!」という声で我にかえる。
「いやいやいやいや!」
性格が違いすぎるし、見た目も変わりすぎだし、
そんな声まで違う!
「銀千代、何かしたのか!?」
「別になにもしてないよ。何かしたのは相手の方」
ため息を「ふぅ」とついてから、
「武藤さんには、光るものを感じたからね。メイクの仕方とか、コミュニケーション術とか、ちょっとモデル仲間に会わせてあげたりしただけ」
マインドクラッシュじゃねぇか。
俺は慌てて立ち上がり、
「ごめん、武藤さん! 無理しなくていいんだよ、こいつに無理矢理付き合う必要ないから!」と謝りにいくと、
「いや、銀ちゃんにはマジ感謝しかないから」
と昨日とはうってかわった反応をされた。文字通り怪しい薬をうってかわってしまったのではないかと疑ってしまうほどだ。じゃなきゃ一日でこんなに変わるはずがない。
「ウチめっちゃ感動してんの。女の子ってかわいいだけで、こんな世界変わるんだって。変わるきっかけくれた銀ちゃんにはマジ感謝しかない」
確かに昨日までの野暮ったさはないが、あれはあれで味があってよかったと思うよ!
「それより、ごめんだけど、ウチ、ゆーくんとあんま口きいちゃいけない誓約なんだよねぇ」
「ああ、そう……」
花ケ崎さんと同じように呪いがかけられてしまったようだ。
バカな男子が昨日まで見向きもしてなかったのに、ラインを聞き出そうと武藤さんに群がっている。新しい私デビューというわけか。さながら少女漫画の世界である。
できることがなくなったので、自分の席に戻ることした。
「これで、よしっと」
銀千代が机に落書きしていた。
「見て見て。ゆーくんの机と銀千代の机をピッタシくっついてると、ハートが出来上がるようにしたの」
ガンと机をずらす。
「あぁ!」
朝から銀千代がウザイ。
我慢だ、我慢。
チャイムが鳴って、担任がやって来た。特に連絡事項も無かったので、出席確認だけで、朝礼が終わる。
「先生!」
俺は立ち上がり、廊下で担任を呼び止めて、今朝の一連の出来事を報告した。不当な席替えは正さねばなるまい。
「そうか」
報告を受けた担任は、光無い瞳のまま静かに頷いた。
「席をもとに戻すべきだと思います」
至極真っ当な俺の意見を先生は「ダメだ」と首を横にふった。恐怖に怯える小動物に似た目をしていた。
「な、なんでですか。先生だって昨日……」
「……」
先生は少しうつむいて、
「……大人になればわかる」
と呟いて職員室に去っていった。
わかってたまるか。
わかってたまるか。
こうして隣の席になった銀千代は毎時間教科書を忘れるという暴挙をしでかし、全教科隣の俺と教科書をシェアするという茶番をやってのけた。




