第23話:四月の春雷は花散らしの雨をよぶ
わかりきっていたことだが、
起きてから寝るまで銀千代と一緒というのは、心が休まらない。
一日だけで「好き」って言葉を一万回は聞いたし、風呂は一緒に入ろうとするし、挙げ句トイレまで入ってこようとしやがった。
「好きな人の健康状態を知りたいと思うのは普通でしょ?」
としれっというが、異常だと思う。
こいつと同居なんて絶対不可能と悟った俺は気晴らしにブックオフに立ち読みに行くことにした。
「出掛けるからついてくんなよ」
プレステの電源を落として立ち上がる。
ともかく一人になりたかった。
ベッドに腹這いになっていた銀千代は可愛らしく子首をかしげて「目的地は?」と聞いてきた。
「関係ないだろ。俺がどこ行こうと」
「夫婦なんだから関係あるよ。別な女のところとかに行かれるのは我慢できないし」
「夫婦じゃねぇし、付き合ってもないっつうの」
「このあいだ銀千代のプロポーズに「もういいよ」って言ってくれたじゃん!」
「ほっといてくれって意味の「もういいよ!」だ! 承諾の意味じゃない」
「ええっ、そうだったの? 婚姻届書いちゃったよ!」
「は!?」
流石に冗談、と思って睨み付けるが、無表情のまま動かなかった。
「う、嘘だよな、いや仮に本当だとしても役所とかに出してないよな!?」
そもそも勝手に出せるはずがない、と思うが……こいつならやりそうな気がしてこわい。
「証人を誰にしようか悩んでたところ。ゆーくんは誰にする?」
「いますぐ破り捨てろ!」
「資源の無駄遣いはよくないよ。高校の卒業式の後、いっしょに市役所いこうね」
「いい加減にしてくれ! 好きでもないやつと結婚なんてできるかよ!」
「大好きってこと?」
「ちがう」
「大大好きってこと?」
「好きじゃないってこと」
「大大大大大すきって」
「もういいよ!」
「ありがとう。ゆーくん、銀千代も、とってもとってもとってもとってもとってもとっても大す……」
「黙っとけ!」
銀千代はしばし無言になったが、数秒後、やおらに立ち上がった。
「ふぅ、やれやれ、今日はおうちでのんびりタイムだと思ってたんだけど、仕方ないなぁ」
「……留守番してろ」
「お出掛けの準備するから、少し待ってて」
「待つわけねーだろ」
ポケットにスマホと財布を突っ込んで自室の ドアノブに手をかける。
しかし、まわりこまれてしまった。
「女の子の外出はね。お化粧したり身なり整えたり色々と大変なんだよ。銀千代は基本ナチュラルメイクだけど、日焼け止めだけ塗らせてほしいな。この後、雨が降るらしいけど、UV対策はいつでも完璧にしておきたいし」
「ついてくるなって言ってるじゃん」
「なんで?」
「は?」
「銀千代にもプライベートあるんだよ、ゆーくん」
「……ん?」
「あんまりカノジョの行動を制限するのはよくないと思うなぁ。束縛したい気持ちはわかるけど」
「俺が、束縛……?」
無言で見つめあう。どこか遠くで犬が鳴いた。
おかしな発言をしていると気づいていないつぶらな瞳だ。自分が悪だと気づいていない、最もどす黒い悪である。
「頼むからまともになってくれ……」
こいつと会話してると、気が狂いそうになる。
俺の嘆きを受けて、銀千代は少しだけ頬を膨らませた。
「……「まとも」って一体なんなんだろうね」
ゆっくりと息を吐いて彼女は続けた。
銀千代の人生における永遠のテーマだろう。
「価値観というのは、時代とともに移り変わっていくものなんだよ。世代を経る毎に、新しい概念が生まれ、古い考えは淘汰されていくの。
だけど、誰かを愛するという気持ちは不変なの。
オールユーニードイズラブ。銀千代もゆーくんも、「愛」がなかったらここにはいないもの。だから、いつも思うんだ。ご先祖さま、グラッチェって」
「うるせぇー!」
怒鳴って走り出した。背後から「待って!」と叫ぶ声がするが、無視だ。
いまの俺は誰よりも早い。
一気に階段をかけ降り、廊下を走る。このままの速度で銀千代を置いてけぼりに、
玄関で靴を履き替え、ドアノブを捻ったところ、回らなかった。まるで凍りついたみたいにびくともしない。
「はっ、あれ?」
ガチャガチャ音がするだけだ。
「なんだ、これ。え?」
錆び付いた?
いや、そんなまさか。
「ゆーくん、今朝の占い見た?」
俺のあとを追って、ゆっくりと歩いてきた銀千代がにこにこと微笑みながら語りかけてきた。
「本日の魚座の運勢は最悪。外いかないほうがいいと思って、朝のうちにドアを溶接しておいたんだ。ゆーくんを起こさないように作業するの大変だったよ」
「はあ?」
ドアを見ると、所々鉄が溶けたような跡がある。
「おま、え、おま、は? まじか?」
自分でも驚くぐらいに混乱している。
「え、これ、なんで。出られないじゃん!」
押しても引いてもドアは動かない。
「どーすんだよぉ!」
「銀千代に任せて! アーク溶接持ってるから!」
「いや、お前が固定したんだろ! はやく直せよ!」
「外の世界は危ないから銀千代と一緒じゃなきゃ出ちゃダメだよ」
「うるせぇ。そもそもお前も魚座じゃねぇか!」
いかん、混乱しすぎてよくわからん反論してしまった。
「二人でいれば怖くないよね」
一番怖いのはお前だ。
「大体占い信じないタイプなんじゃなかったのか?」
「用心はした方がいいと思って。昨日の感染者数すごいし、ゆーくんが誰かと密になるのいやだし。それに……明日、家族帰ってきちゃうから、今日一日ぐらい、誰にも邪魔されたくなくて……」
「はやく外に出させてくれぇ!」
ドアノブをガチャガチャするが回ることはなかった。
「ゆーくん、今日用事ないでしょ。不要不急の外出は控えないとダメなんだよ。はやく戻って三時のおやつにしようよ。スコーンを焼いてあげる」
「は、はぁ。用事ぐらいあるし。ふざけんな」
「うそつき。ゆーくんの予定は全部把握してるから。友達と遊ぶ予定もいれてないし、いまは春休みだがら、やることないはずだよ。ブックオフに立ち読みに行こうとしてるのかもしれないけど、いまは感染症防止のために立ち読みは禁止されてるから、無理に外でる必要ないよ。それに夕方から天気崩れるらしいし、花粉も黄砂もすごいし、ゆーくんの体液が外に出ちゃうのは勿体ないよ。おうちですごそう?」
「ほっといてくれ。いいからはやくドア開けろよ!」
「ほっとけないよ。ゆーくんが傷つくとこ、みたくないの。無理に外にいく必要ないよ。焦らないで、ゆっくり自分のペースでいいから」
なんで俺が引きこもりみたいになってるんだよ。
「くそっ!」
「あ」
靴を脱いで、手で持って、ダッシュ。
銀千代を振りきって、リビングに行く。ベランダから外に出よう。庭から塀を乗り越えれば、とりあえずは外に出られる。近所の目は痛いが、通報されることはないだろう
ガラスの引き戸に手をかけ、引っ張る。
「ふごっ!」
びくともしなかった。
「は?」
鍵がロックされた状態で溶接されていた。
「ゆーくん、おうちで走り回ったら危ないよ」
ひょっこりと銀千代がリビングに入ってきた。狂気の笑みを浮かべている。どこかで見たことある笑い方だなって思ったら、シャイニングのジャック・ニコルソンだ。
「やりやがったな……」
「? なにが?」
「人んちを勝手に密室にしやがって……」
「銀千代はただゆーくんを守りたいだけだよ」
「そんなこと誰も頼んでないだろ!」
「無償の愛だよ」
にへら、と笑った。
「くそっ、なめやがって……」
いまだかつてないぐらい頭に血がのぼっている。サイヤ人の血が流れていたら金髪になっているところだろう。
「この程度のことで俺が屈すると思ってるのか? なめるんじゃねぇぞ。俺はな、お前の支配には従わないって決めてるんだ!」
「もちろん。夫婦関係は対等じゃないと。ちなみに、亭主関白でもかかあ天下でも、どっちでも銀千代は演じられるよ。エスもエムもいけるから!」
ペタペタと銀千代が近づいてくる。
「近寄るんじゃあない!」
怒鳴ったら立ち止まった。どんな状況でも俺の命令には律儀なのが辛うじての救いだ。
「いいか、銀千代。俺は、……俺は腹を括ったぞ。お前の支配は受け付けない、いいか、見せてやる。見せつけてやるッ! これが俺の覚悟の証だ!」
「あっ、ゆーくん!」
食卓の椅子の背もたれを持って、おもいっきりガラス戸に叩きつける。
ガシャンと音がして、クモの巣状のヒビが入った。
「あ、あぶないよ!!」
さしもの銀千代も目を丸くしている。
後で両親から怒られるのはわかってる、それでも男は黙っていられないときがあるのだ。
「オラァッ!」
二発目の大振りでついにガラス戸は破られた。手に持ったスニーカーで尖った破片を払い落とし、俺は庭に降り立った。
最高の気分だった。
解放された気分だった。
未だかつてない高揚、胸の高鳴り、充足感。
体にまとわりついていた鎖を引きちぎったようなスッキリとした気持ちになった。
両手を広げる。
分厚い黒い雲が広がっていた。
雨が降ってきている。
肌を打つ雨粒が心地よい。
俺は自由だ。
自由だが……。
「……」
雨がみるみる強くなる。
遥かの空に遠雷が轟いた。
一瞬にして景色は一変した。バケツをひっくり返したかのような、どしゃ降り。桜は全て散ってしまうだろう。
「ゆーくん」
いつの間にか背後に立った銀千代が傘を差し出してきた。
「この後ずっと雨だよ。風邪引いちゃうから、おうち戻ろう」
「……」
雨に濡れてびっしょりと濡れたシャツが肌に吸い付く。
銀千代も。
ブラが透けていた。
水色だった。
「うん……」
家に帰ることにした。
人はなにかを得るためにはなにかを犠牲にしなければならない。
割れたガラス戸は銀千代が手配して直してくれた。借りできてしまった。




