第21話:四月に家出した這い寄る混沌 後
「それで、なんでお前家出なんてしたんだよ」
玄関から外に出て、すぐに隣の家に向かう。幸運なことに人通りは無かった。
「うん。お父様とお母様が離婚するって言うから」
「……」
「どうしたの、ゆーくん?」
「いや」
話がいきなり重い。
街路樹として植えられた桜の木は満開で、花びらがひらひらと舞い落ちていた。
「そうか、それは、えーと、……大変だな……」
なんて声をかけたらいいのかわからなかった。
「どっちについていくか選べっていわれたの」
「お、おう」
大抵の場合は母親に親権がいくと聞いたことがある。
「だから、銀千代はゆーくんを選ぶって言ったら怒鳴れた」
「当たり前だぁ……」
真剣な話し合いでなに言ってんだ。
「物凄く怒ってくるから、銀千代も頭来ちゃって、家飛び出したの」
「それが家出の原因か……」
「行くところなかったから、セカンドハウスに」
「俺のベッドはお前の所有物じゃない」
銀千代を連れて隣の家のインターホンを押す。
メイド服姿のままの銀千代だが、まあ、おばさんならこいつの性格を理解してるし、俺のことを誤解することは無いだろう。
「はい」
ドアが開く。
おじさんが立っていた。
なんてこった、と脳内で頭を抱える。
「君は……あぁ、隣の……」
おじさんは俺のすぐ隣の不審者を視認し、目を見開いた。
「銀千代! どこに行ってたんだ!」
「……」
銀千代は無言だ。
いつもあっけらかんとしている奴だが、父親に対してはわりと思春期の娘らしい対応である。
「なんだその格好は? こっちに来なさい! 」
「……」
銀千代は冷たい表情でおじさんを睨み付けているが、動くことはなかった。
「ほら、帰れよ、銀千代」
「……はぁい」
背中を押してやるとふてくされたようにとぼとぼとおじさんの方に向かっていった。
とりあえず一件落着だ。
シビアな問題に直面している金守家に対して、他人が口挟める状況ではないだろう。
「では、これで」
踵を返す。
暖かな陽光が降り注ぐ四月だったが、風はまだ冷たい。
早々に帰宅して、現実逃避でもしよう。
「ああ、君、えっと、ゆーくん? だっけか。ちょっと待ってくれないか」
「……はい?」
呼び止められて振り返ると、顔を赤くしたおじさんに睨み付けられた。
「わざわざ娘を送り届けてくれてありがとう。よかったらお茶でも飲んでいかないか?」
「……いえ、そんな悪いです。お気遣いなく……」
そんな気まずい空間に喜んで足を踏み入れるやつは、余程のバカだ。
「そんなこと言わないでくれ。礼がしたいんだ。それに、いつもお世話になってるみたいだからね」
「いや、別にそんなことないですし……」
「いいから!」
空気がピリッと震えた。
「いいから、上がってくれ。キミとは、前々から話がしたいと思っていたんだ」
「は、はぁ。わかりました……」
おじさんと銀千代のあとに続いて金守家に足を踏み入れる。
嫌で嫌でたまらなかったが、自分の心情を無遠慮に吐き出せるほど、俺は子供じゃなかった。
タタキで靴を脱いで、
「お邪魔します」
と小さく玄関で呟いたら、銀千代が「おかえりなさいませ! ご主人様!」とペコリと頭を下げた。
お前、親父の前でどんなメンタルしてるんだよ、と思ったが、突っ込める雰囲気ではなかった。
ピリついたままの空気で進んでいくと、リビングに着いた。
高そうなソファーにおばさんがうつむきがちに座っていた。
「銀千代!」
おばさんはメイド服姿の銀千代に一瞬ギョッと身を強ばらせたがすぐに笑顔を浮かべた。
「どこ行ってたの。心配してたのよ。まったく……」
「ちょっと、セカンドハウスに……」
おばさんは銀千代にソファーに座るように促すと、入口に立っていた俺に気づき、合点がいったような表情を浮かべながら、「いつもごめんね」と頭を下げた。
「い、いえ……」
なんで俺ここにいるんだろう。
はやく帰りたかった。
俺の気持ちを知ってか知らずか、
「ゆっくりしていって」
と、おばさんはいそいそとキッチンでお湯を沸かし、紅茶を人数分いれて戻ってきた。
あれよあれよという間に金守家の家族会議に巻き込まれた。
意味がわからん。
何で俺ここにいるんだろう。
「それで、キミ……えーと、ゆーくん」
俺の隣には銀千代がいて、正面には彼女の両親が座っている。
テーブルに置かれた四つのティーカップから湯気が揺蕩う。
「銀千代のことをどう思っているんだ」
「……」
なんだこれ。
ドラマとかでコントとかでよくある婚前の相手方への挨拶みたいじゃないか。
「えっと、仲のいい、……幼なじみ、だと」
「幼なじみ、ね……そうか」
「……」
おじさんはティーカップを持って、沈黙を誤魔化すように紅茶をすすった。
「子供は……気づかないうちに大人になっていくんだな。……不躾な子だが、よろしく頼む」
「あの、えーと……」
頭を下げられた。頭頂部が若干薄かった。苦労しているのだろう。
「すみません、話が見えないんですけど……」
「ああ、すまない。そうだな。どこから話したらいいか……」
おじさんが空気が抜けるようなため息をつき、隣に座っていたおばさんと目配せしてから続けた。
「許可、するよ」
「……」
なにを?
クエスチョンマークを飛ばす俺に、おばさんが小さく頷いてから続けた。
「銀千代がいなくなってから二人で話し合ったの。しばらく、好きにさせようって」
おばさんの言葉を受けて、銀千代は瞳を輝かせた。
「いろんなカタチがあっていいと思うの。私もこの人も、愛がなくなったわけではないし。だからね、明日から一週間、二人きりで熱海に旅行しようって話になったの。新婚旅行ぶりなんだけど」
おばさんは頬を仄かに紅潮させてうつむいた。可愛らしかった。
「ああ。すまなかったな、心配をさせてしまって……、お父さんとお母さんも、ゆっくりもとの関係に戻れるように努力するから」
おじさんの言葉に銀千代は心底嬉しそうに「ありがとう!」と叫ぶようにこたえ、俺の腕を無理矢理つかんだ。
「よかったねぇ! ゆーくん!」
「えっと、まじで、話が見えないんですけど……」
振りほどく。
「うん。えっとね。昨日の夜、お父様が銀千代の部屋に貼ってあるたくさんのゆーくんを気持ち悪いから剥がせって言うからプッツン来ちゃって……お母様は銀千代の味方してくれたんだけど、お父様との喧嘩が激しくなっちゃって、離婚寸前になっちゃったんだ。銀千代は幸せな家庭が好きだから、ほんとうに嫌だって言ったんだけど、聞いてくれなくて、だからもう、ゆーくんと駆け落ちしようかなって思ってたんだけど、お父様もゆーくんとの仲をようやく認めてくれたから大団円なんだよ」
おじさんは銀千代の言葉に深く頷いて、
「そういうわけだ。恥ずかしいところを見せてしまったね」
ほんとにな。
「いや、仲を認めると言われましても、別に」
「いや、いいんだ。今回の件で、私がいかに娘と向き合ってこなかったかを学んだよ」
おじさんは紅茶に口をつけてからおばさんと頷きあって、胸ポケットから鍵を取り出して、俺に差し出してきた。
「えっと、これは……」
反射で受け取ってしまう。
「この家の鍵だ」
「は?」
「さすがに君たちは高校生、同棲を始めるのは、まだ早いからな。とりあえず、私たちが旅行で家を空ける一週間、同じ屋根の下で暮らしてみれば、お互いのいいところ、悪いところ、見えてくるだろ」
「……」
「まだ、子供だから、そういう行為はしないようにしてくれ」
突拍子のない展開で頭がついていかない。
「相変わらず頭固いわね。まったく」
おばさんが肩をすくめる。俺にたいして言ってるのかと思ったが、おじさんに対してらしい。
「若い二人なのよ? 我慢できるはずないじゃない。止めたってどうせするんだから、避妊さえしてくれれば構わないわよ。同棲っていうのは身体の相性をみる意味もあるんだから」
「お、お前はなにを……」
「一緒に暮らすって言うのはそういうことよ。性の不一致は離婚条件の上位の理由でもあるしね。私はきちんと認知してくれるなら、自由でもいいと思うけど、覚悟が無いなら自重はしなさい」
頭が痛くなるような会話だ。
顔を青くしていたおじさんはやや間を空けてから、ゆっくりと大きく息をついた。
「む。むぅ。そうだな。銀千代、避妊はちゃんとするんだぞ」
「ありがとう、……パパ!」
「ふ、ふふ、お前からパパと呼ばれるのは、いつぶりだろうかな」
ニコニコと団欒を楽しむ金守家。置いてけぼりの俺は自らの存在をアピールするために叫んだ。
「いや、同棲なんてしませんよっ!」
「ん?」
銀千代の両親はきょとんと俺を見た。
「もうそういう段階なんでしょ?」
おばさんが軽く首をひねる。
「付き合ってもないですって!」
「えっ、そうだったの!?」
「申し訳ないですけど、こんな鍵受け取れません!」
鍵を突き出したら、
「女の子に恥をかかせちゃダメよ」
と、おばさんに返された。
「いつまでうちの娘を待たせるんだ、ゆーくん」
おじさんは浅くため息をついて聞いてきた。
「付き合ってなくても同棲はできるよ、ゆーくん」
銀千代がやさしく太ももを撫でてくる。やめろ。
針のむしろ状態に限界を感じ、ついぞたまらず、ヘルプコールを母さんに入れた。
さすがに母さんは常識人で、未成年を二人きりで住まわせるのは反対してくれ、この話はお流れになった、が、
「まあ、一週間ぐらいなら……」
と銀千代がうちに泊まることになった。
つまりは、そう、地獄の始まりである。




