第3話:二月は黄昏のチョコレート
「ゆーくん、チョコレート何個もらった?」
二月十四日の放課後。
茜射す下駄箱の前で幼馴染に声をかけられた。
「……ゼロだよ」
自身の不甲斐なさを改めて認識させた金守銀千代は頬を膨らませた。
「嘘つき。銀千代知ってるんだよ。花ケ崎さんからもらってたでしょ。浮気者」
「あれカウントすんのかよ。どう考えても完璧義理だろ」
朝、女子一同を代表し、クラスのイケイケ女子の花ケ崎さんが、お徳用パックのチョコレートを男子全員に配給してくださったのだ。イケイケ男子は「ギブミーチョコレート!」とはしゃいでいた。はだしのゲンを思い出した。白けた目でそれを眺める最下層の男子にもキチンとチョコをくれるあたり花ヶ崎さんら一軍女子は天使である。ありがたい話ではあるが、虚しさがスパイスされたチョコはほんのり苦かった。
「銀千代がノーカウントにするのは和子さんからのだけだよ」
「俺の母親の名前なんで知ってんの? 言ったことないよね」
「お義母さんになる人の名前ぐらいちゃんと覚えてるよ」
照れたように言うので、なにから否定すればいいのかわからなくなった。
「それよりもゆーくん、銀千代という者がありながら他の人からチョコもらうなんて裏切りだよ」
「何度も言うけど俺べつにお前と付き合ってないからな。ただの幼馴染だろうが」
「告白って文化は欧米にはないんだよ」
「ここは日本だ」
「わざわざ口に出して言うことでもないしね」
照れたように頬を赤らめる。聞けよおい。
「まあいいや。銀千代は懐が深い女だから浮気も許すよ。なんでかわかる? ゆーくんが本当に愛してるのは銀千代だけって知ってるから。逆に憐れにおもっちゃうんだ。ゆーくんに遊ばれてるだけなのに花ケ崎さん、かわいそうって」
ふふん、と鼻を鳴らして言うが、
仮にそうだとしても、百パーセント遊ばれてるのは俺の方だよ。
「へぇ。なんか意外だな。俺がモテないのは、てっきりお前が邪魔してるもんだと思ってたけど」
「銀千代はゆーくんの邪魔は絶対しないよ。ちょっとぐらい移り気でも必ず最期は銀千代の元に戻ってくるってわかってるから不安はないんだ」
銀千代が自信満々に言うので、ふと小学生の頃の淡い初恋を思い出した。
「なんもしてないのに桜井さんに突然嫌われたからてっきりお前がなんか吹き込んだんだと思ってたけど」
「……」
「なんか言えよ、おい」
目をそらした。絶対なにかやってるな。
俺からの疑いの視線を誤魔化すように銀千代は続けた。
「ゆーくんの初恋の相手は銀千代で恋してる相手も銀千代で結婚相手も銀千代で一緒のお墓に入るのも銀千代だよ」
「ちなみに聞くけど断ったらどうなるの?」
「断るの?」
じっと上目遣いで見つめられる。くそ可愛い。
だめだ。この瞳のせいでいつも言いたいことが言えなくなってしまうのだ。
今日こそは、はっきりさせてやる!
「曖昧な対応してると、いつまでたっても決着がつかないと思うから、この際はっきり言ってやる。俺は束縛されたくないんだ」
「絶対しないよ。そういうの嫌いって知ってるもん。ゆーくんは自由度たかいピコピコ好きだもんね」
「ならわかるだろ。お前は俺のタイプとは真逆なんだよ」
「ええ。なんで!? Dカップでしょ。身長160センチだし。顔もかわいいし、体重も……体重はちょっと恥ずかしいなぁ」
「見た目の話じゃねぇよ! 性格の話だよ!」
「銀千代の性格はゆーくんの好きなむっつりスケベだよ。ゆーくんの為に最近は隠語の勉強してるがんばり屋さんだよ」
「そういうことじゃねぇって言ってるだろ! お前メンヘラだろ!」
「めん……へら?」
きょとんとされた。
「なにそれ?」
食べられるもの?
みたいな感じで首を捻られた。
「ちょっと病んでて依存癖がある人たちのことだよ」
「よくわからないけど、この間の健康診断Aランクだったよ」
「精神的にね!」
「そうなのかなぁ。確かにゆーくんがこの世から居なくなったら悲しくて死んじゃうかもしれないけど……」
突然銀千代はその場にしゃがみこんだ。
「どうした?」
「ゆーくんが死んじゃう想像したらすごく悲しくなっちゃった……」
「勝手に殺すなよ……」
鼻を啜ってから、銀千代は俺を見上げた。
「よかった生きてる!」
「……やっぱお前、ちょっと狂ってるよ」
「えー、普通だよ。誰だって好きな人が居なくなったら悲しくなっちゃうでしょ。人は一人では生きていけないんだよ。人という字は支え合って……」
「ともかく依存されたくないんだ。だからお前とは付き合えない。結婚も考えられない」
「もぉう、ゆーくんったら結婚なんて気が早いなぁ」
「おまえ、記憶障害か?」
お前が最初に例えで言ったんだろが。
「ともかく付き合えないから他の男とつきあってくれ」
よしっ、キッパリ言ってやったぞ。
「それはできないよ。銀千代はゆーくんが好きだから。好きな人がいるのに他の人と付き合うなんてそれは浮気だよ。浮気者は万死に値するんだよ。恥部を切断して犬に食べさせたあと、打ち首獄門にするんだよ。アイヌ社会だと不貞行為は男女ともに耳や鼻を削ぐらしいよ」
さっきと言ってること違くない?
「なんでもいいが、ともかく、俺はお前とは付き合えない」
「……」
ぐっ。涙目。
挫けるな、俺。
ここで折れたら今まで通りだ。
負けてはならぬ。
深呼吸してから、はっきりと言ってやる。
「そういうわけだから二度と俺に付きまとうなよ!」
「……わかった」
唇を震わせて、銀千代は悲しそうに呟いた。小さな涙の滴が床に落ちる。
「……」
銀千代はしょんぼりと肩を落として、悲しそうに、エントランスのガラス扉を押し開けて、出ていった。吹き込む初春の風は凍てついていた。
バタンと扉が閉まる。校舎に入った落ち葉が物悲しそうに舞っていた。
少しきつく言いすぎただろうか。
一抹の後悔を唾とともに飲み込んで俺はローファーを取り出すために下駄箱を開ける。
「ん?」
ラッピング用紙に包まれた箱が入っていた。今日はバレンタインデー。この形状は十中八九チョコレートだろう。
テンションが大気圏を突破する。
「おおっ」
取り出す。手紙がリボンで止めてある。送り主は。
「金守銀千代……」
ある意味予想通りだ。驚くようなことではない。
手紙を開けて中身を見てみる。
『ゆーくんへ
手紙を書くのは恥ずかしいけど今日は普段言えない気持ちを手紙にするね。好き』
「……」
いつも言ってるけど。
『好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き』
わーゲシュタルト崩壊してきたぁー。
『好き好き好き好き好き好き好き好き好き大好きだよ。愛しのゆーくんへ。
金守銀千代より』
「やっぱやべぇやつだわ」
手紙で再認識した。
俺はチョコをそのまま鞄にいれて、靴を取り出し、履き替える。
「開けて食べて」
ぼそりと囁き声がした。
声がしたほうに振り替える。広がるエントランスには誰もいない。
「……」
一回前を向いて、すぐに後ろを振り返る。
柱の影に銀千代がいた。慌てて隠れようとするが遅い。
「付きまとい行為はやめてくださーい」
「つ、つきまといじゃないよ。見守ってるだけ。優しくそっと見守ってるだけ」
それを世間一般じゃストーカーっていうんだよ。
「まあ、いいや。物には罪ないしな」
鞄を一旦床に置いて、チョコレートの包装紙を解く。ラッピング用紙の裏側にはびっしり俺の名前が書かれていたが見なかったことにした。
箱を開ける。一口サイズのハート型のチョコレートがいくつかあった。
「おお、うまそうじゃん」
「おいしいよ。自信作。食べてみて」
「ん」
一つつまんで食べてみる。口のなかで幸せがひろがった。
「うめぇ」
「でしょ! このチョコには秘密があるんだ!」
スキップしそうな勢いで俺に近づいてくる銀千代、
「え」
嫌な想像が巡る。
たとえば、異物混入とか。聞いたら吐き出したくなるような体液とか……普通の人間ならやらないようなことを銀千代なら平然とやってのけるだろう。
「カカオ豆から作ったんだ。ほんとは全部手でやりたかったんだけど、撹拌がどうしてもうまくいかなくて、仕方ないからこれ専用のプログラムを組んでミキシングしたんだ。砂糖とミルクと銀千代の愛情が配合されたスペシャルチョコレートだよ。森永とか明治には真似できないからね! あんなやつらには絶対負けないんだから」
おまえのライバル、企業かよ……。
「お、おう……」
愛の重さにドン引きながら頷いていたら、
「え、だめ? まずかった?」
不安そうに銀千代が聞いてきた。
「いや、おまえのことだからなんか血とかいれてるのかなって思って身構えてたから……案外普通でほっとしたわ」
冷静に考えたらカカオ豆から作るのは普通ではないが。
「血? どうしても欲しいっていうなら、全然あげるけど……。たぶん不味いし栄養ないよ」
「いやほしくはないけど。あ、このチョコ普通にうまいな」
「でしょ! 頑張ったんだよ!」
にこにこと心底嬉しそうにぴょんぴょんと跳び跳ねる少女は普通に可愛らしかった。
無邪気な姿を見ていると、先ほどまでの熱くなっていた自分がバカらしく思えてきた。
「なんか、悪かったな。べつにおまえのこと嫌いってわけではないからな。付きまといが嫌なだけで」
「うん、わかってるよ。銀千代も自重するね。距離を保つことで愛が育まれることだってあるもんね、ソーシャルディスタンスだよ。仲直りの濃厚接触する?」
「しねぇよ」
そういう下品なとこほんと嫌い。