第19話:二月の蕾は凍りつく 中
意識を取り戻した時、俺は椅子に座らされていた。目を開けても真っ暗でなにも見えない。
「……」
目隠しだろうか。肘掛けに置いてあるであろう右手で顔の異物を払い除けようと動かしたら、
がしゃん、と音がして腕をあげることが出来なかった。手錠がつけられている。立ち上がろうとしたが、足枷もあるらしく、身動きとれなかった。
なんだこれ、どういう状況だ?
頭痛がする。吐き気もだ。
まさか……。
一服もられたのか? 嘘だろおい。
銀千代のやつ、ついに行くとこまで行っちまったなぁ!
「目が覚めました?」
耳元で金音さんの優しい声がした。
「え……」
いや、まて、落ち着け俺。一服盛られたとしたら、直前に食べたものが怪しい。それを持ってきたのは、
「な、なんだ、これ。えっと、金音さん……?」
金音さんだ。
吐いた言葉は酷く嗄れていた。
「これから目隠しを解きますけど、けして騒がないと約束してくださいね」
「どういう、状況……?」
「……えっとー、いま私がしゃべってるんですよ? 人の話をちゃんと聞いてました? その耳は飾りですか? あなたの返事はハイかイエスだけですよ」
「……え?」
「わかったら返事してください」
「は、はい!」
「それでいいんです。それじゃあ、はずしますよ」
しゅるしゅると音がして、目隠しが解かれ、すぐに現況が眼球に飛び込んできた。
「お、っ、え?」
セーラー服姿の金音さんが目の前に立っていて、手には鞭を持っていた。
彼女の後ろにある台車には、歯医者さんで使うような色んな道具が丁寧に並んでいる。
天井の明り窓から外の光が射し込んでいるが、今日は曇りのため、部屋全体を薄ぼんやりと照らすだけだった。
「……あの……どういう……」
ピシン、と床に鞭を奮って金音さんが端正な顔を歪ませて「静かに聞いてください!」とヒステリックに叫んだ。うるさかった。
「質問は許可していません。いま、私が話しています。口をつぐんで大人しくして下さい」
とてつもない威圧感を感じ、「あ、あぁ」と無言でこくこくと頷く。
「いい子です、うふふ……」
頭を優しく撫でられた。新しい扉を開きそうで怖い。
金音さんは電池ランタンのスイッチをいれた。ぼんやりと室内が明るくなる。床には埃やネジなんかが転がり、生活感がない空間だった。
ここは一体どこなのだろう。
「まずはじめから説明すると、私は銀千代ちゃんが大好きなんです」
感傷に浸るように、ゆっくりと彼女は語り始めた。
「小さい頃から一緒にいて、クールで、頭の回転が早く、器量もよくて、性格もよくて、溌剌としてて、顔もよく、親しみやすくて、明るく、優しく、そんな彼女が大好きだったんです。だけど、銀千代ちゃんは変わってしまいました。もちろん魅力は一切衰えていませんが、世間の好奇の目にさらされるのは、あまりよろしくありません。私たちの世界に他者は不要なんです」
いつか銀千代も似たようなことを言っていたような気がする。やはり親戚筋、狂気は遺伝子レベルで刻まれているらしい。
「芸能活動をやめさせたいし、目立つようなことをしてほしくない。この一年で二回もヤバいファンに襲われてるんですよ。危ないです」
ヤバいやつ代表は物憂げなため息をついて続けた。
「芸能活動の休止を懇願する私に銀千代ちゃんは「ゆーくんの目に他のアイドルとか写るの嫌だから」と言ったんです。「ゆーくん」……ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん!!! こいつなんなの!」
誰か助けて。
「調べるほどに腹が立ちます。清廉潔白で無垢な銀千代ちゃんを誑かすなんて万死に値します。だけど、私は銀千代ちゃんの悲しむところを見たくない。ここまでは、理解できましたか?」
「はあ……」
「ちゃんと、返事してくださいっ!」
「は、はい!」
やばいよ、目の焦点が合ってないよ。銀千代見てきたから、はっきりわかる。この人電波系だ!
「そこで私は考えました。彼女を悲しませないようにするためにはどうしたらいいか。結論は思ったよりすんなり出ました。銀千代ちゃんが心酔するゆーくんを心酔させればいいんです」
「……」
「ゆーくんの言うことしか聞かないのなら、ゆーくんを私の奴隷にすればいい。私は天才かもしれません」
むふー、と可愛らしく鼻息を荒くする金音。短絡的すぎる。さすが銀千代のいとこだ。
「というわけで、ゆーくん。あなたにはこれから私の奴隷になってもらいます。ドゥー ユー アンダスタンンンンドゥ?」
「いや、ぜんぜ」
ぴしん、と鞭が振るわれる。床に黒ずみが残っている。当たったら絶対痛いやつだ。
「なるほど、なるほど」
痛いのはいやだ。そして、俺にプライドはなかった。
「怖がらないでください。大丈夫ですよ。安心してください。ちゃんといい子にしていれば、無駄に傷つくことはありませんし、ご褒美もあげます。まず手始めにあなたのご主人様の名前をきちんと教えて差し上げましょう。銀野金音。エディバティセイ!」
「銀野金音!」
「ご主人様でしょ!」
「いて!」
ぺしんとビンタされた。理不尽だ。
「ちゃんと目をみて言ってください」
ぱし、と頬を両手で押さえられる。俺の膝の上に馬乗りになった金音は紅茶色した瞳でまっすぐに俺を見つめた。くそ可愛い。
「私はあなたのなんですか?」
「ご主人様」
「いい子」
頭よしよしされる。ついでに豊満なお胸が眼前で揺れる。柔らかな感触と人肌。挟まれた太ももは桃源郷を感じさせるには十分すぎるものだった。
もうこれでもいいんじゃないかな、と俺の脳が錯覚しそうになったとき、
「ゆーくんぅぅぅぅぅぅヴぅヴぅヴぅん!」
ぱりん、と音がして、天井の明り窓が割れ、ガラス片と共に銀千代が降ってきた。




