第19話:二月の蕾は凍りつく 前
バレンタインは酷い目にあった。
銀千代からチョコレートを受け取り、ショッピングモールでの悪夢のような一悶着を終えた俺は、残された休日を心身の療養に当てることにした。
お風呂で疲れを流し、居間でテレビを眺めていたらインターホンが鳴らされた。
家族は誰一人として出なかったので、仕方なしに立ち上がり玄関まで行く。どうせまた銀千代だろう、と思ったら、違った。
金音さんだった。
「あの、午前中は、ご迷惑をおかけして……ほんとうに……」
ドアを開けると同時に、申し訳なさそうに頭を下げられた。寒風が玄関に入ってくる。夕暮れ時の空はどんよりしていて、冷たい雨が降りそうな予感がした。
「そんなわざわざ……いや、いいですよ、別に。なれてるんで」
「えっ、それはそれですごい……」
「あ、いや、フラッシュモブになれてるわけじゃなくて、銀千代の奇行になれてるって意味です」
「ああ、そういう……」
親戚付き合いは良好なのか知らないが、金音さんはわりと常識的らしい。昼間に俺にとてつもないサプライズを仕掛けたことを悔いているらしい。普通の感性をしていたら、そうなる。
「あの、お詫びといってはなんですが、よかったら、コレ……」
恥ずかしそうに金音さんが四角い箱を差し出してきた。
「あ、チョコレートですか?」
「正確にはクッキーですね」
にっこりと微笑む。
「ハッピーバレンタインです!」
くそ可愛い。
「銀千代ちゃんにフラッシュモブに参加する条件で、取って置きのレシピを教わったんですよ。よかったら食べてください」
「おお、ありがたいです」
金音さんは柔和な笑みを浮かべた。目鼻立ちは銀千代にそっくりだが、性格は百八十度真逆だ。ありがたく頂戴し、暖かい気持ちになる。これで今年もらったバレンタインは三つ(母さん、銀千代、金音さん)で、松崎くんに圧勝だ。
「あの、味が不安なんで、いまちょっと食べてくれませんか?」
「いま、ですか? いいですけど」
箱を開ける。星やハートの綺麗な形のクッキーが並んでいた。散りばめられたチョコチップはカラフルでキラキラとしており、おもちゃ箱のようでもあった。そのうち一つを手にとって口に放り込む。
「んー、んうう。うまい!」
「ほんとうですか、よかったです」
俺の感想を素直に受け止め、金音さんは瞳を半月状にして微笑んだ。
「いやぁ、ほんとうに美味しい。天才ですね。コレを貰える男の子は幸せだ」
「男の子?」
「ん? だって、好きな人にプレゼントするために銀千代にレシピを教わりに来たんでしょ?」
「別に男の子が好きなわけではありませんよ」
「は?」
地面がぐらりと揺れた、気がした。
「ああでも言わなきゃ銀千代ちゃんが私に協力してくれなくて」
「え、どういう……?」
やばい。なんだこれ。
地面がグルグル回り始める。体温が上昇し、ふわふわと意識が飛び始める。
「私、銀千代ちゃんが好きなんです」
「ん?」
残響のような耳鳴りに混じり、金音さんの声がする。
「だから、銀千代ちゃんが好きなものが好きなんです」
「……えっとー……親戚、ですよね?」
「いとこって結婚できるんですよ」
「の前にぃ……」
性別が……。
思考が回らない。とてつもない酩酊感。前後不覚に陥った俺は、前のめりに倒れこんだ。
「おっとぉー……危ないですよ、えへへ」
顔に柔らかな感触を感じた。
これ、もしや、おっぱい?
意識が吹き飛んだ。




