第13話:十月はたそがれの君
銀千代が失踪した。
五時のミスコンも不参加で、現役アイドルでカリスマ読者モデルの金守銀千代は不戦敗になった。優勝した三年生は、すごく美人だったが、観客はどこかもの足りなさそうだった。
三年生が壇上で感謝のスピーチを述べる。それをぼんやり聞きながら、銀千代を探したが姿形が全くなかった。
あいつが約束を破るのは珍しい事だった。
校内放送で文化祭の終わりが告げられる。最優秀賞は一年二組のフリーマーケットだった。迷子を親に届けたらしい。
後夜祭のパーティーは片付けそっちのけで体育館で行われる。
参加するのは学年のクラスカースト上位の連中ばかりで一般生徒はそうそうに帰宅するのだけど、俺はなんとなく体育館に来ていた。
「おっすー。夕闇さん。楽しんでるぅ?」
花ケ崎さんがチアの格好のまま声をかけてきてくれた。知り合いは彼女くらいだった。手にはボンボンを持っていて、彼女のコスプレはチアガールらしい。……ただの部活の衣装じゃん。
「あ、花ケ崎さん。銀千代見なかった?」
「銀ちゃん? 見てないけど……あ、ミスコン残念だったね。出れば絶対優勝だったのに。なんで出なかったの?」
「いや、なんか次元の壁を乗り越えるとかなんとか言ってどっか行っちゃったんだ」
「どういうこと?」
「それがわからないから苦労してる。ともかくあいつが誰かに迷惑かける前に探し出さないと」
体育館はハロウィーンをコスプレ会場と勘違いした連中に溢れ、混沌としていた。狼の被り物や、フランケンシュタイン、なぜか段ボールで出来たガンダムなんかもいる。歪んだ変身願望の見本市みたいだ。
「……それってさ、銀ちゃんのこと心配してるってことでしょ?」
「銀千代に迷惑かけられる人の事を心配してるんだ」
「ちっちっち」
指を揺らして花ケ崎さんは続けた。
「好きじゃなきゃ、探そうなんて思わないじゃん」
「好きとか嫌いとかじゃなくて幼馴染としてしての責任なんだよ」
「それは自分に対する言い訳? それとも銀ちゃんに対しての?」
「言い訳じゃないって。友達が人殺ししようとしてたら止めるだろ。そんな感じだよ」
「どうでもいい人が人を殺そうとしてたってアタシは止めない。自分が殺されたくないから。ごめんだけど、なに言いたいのかわかんないや」
くっ、国語が苦手と公言していたな。
知った風な口で花ケ崎さんは続けた。
「だからさ、小難しいことは考えないでもっと素直になるべきだとアタシは思うよん」
「素直って……」
それは、
俺が昔、銀千代に言った言葉。
全く同じ言葉を吐いて、花ケ崎さんは無責任に笑った。
「誰かを愛するって感情は、誰かに遠慮するもんじゃないと、アタシは思うな」
すぐに恋愛感情を念頭において会話をしたがるからクラスカースト上位者は苦手なのだ。
「トワさんもさ、この世界に銀ちゃんと二人きりになったと思ったら、もっと素直になれるんじゃん?」
「共依存して終わりな気がする」
「ひねくれてるなぁ。金守銀千代に愛されるって実際のところ相当恵まれてるけどねぇ。女子高生のカリスマだよ」
「……」
他人なんかどうでもいいってさっき言ってたじゃん。
無言になった俺に花ケ崎さんは何かを言いかけたが、「夏音ー! 写真とろー!」というチア部の仲間の声に遮られた。
「……じゃあ、トワさん、銀ちゃんを幸せにね。ゴーファイットぉ!」
花ケ崎さんは手に持ったボンボンを掲げてから、仲間のもとに駆けていった。
残された俺は体育館の壁に背中を預けて、ぼんやりと盛り上がる後夜祭を眺めた。
みんな一様に笑顔だ。
世界を充分に楽しめる連中は決まってクラスの上位に存在する。
俺みたいな日陰者に青春は歩めない。
中三のころは高校にいったら何か変わるのかもしれないと思っていたが、実際のところ、なにも変わらなかった。
昨日みたいな今日がまた明日もやってくる。ただソレだけだ。
下から上から縦横無尽に世界を楽しむ、花ケ崎さんみたいな人にはわからないのだろう。
だから、きっと、銀千代にもわからない。
あいつに相応しい男なんて、俺を含めてこの世にはいない。
中三の夏休みにエアメールが届いたことがある。
カリフォルニアで、昔、銀千代が短期留学した際の、共同研究者からだった。所々おかしい日本語を要約すると、
「銀千代のような優れた頭脳を日本に縛らせておくのは勿体ない」というものだった。
なぜ俺宛に手紙が送られて来たのかというと、銀千代を束縛しているカレシと勘違いされているかららしかった。否定するほど英語力はなかったので、無視してビリビリに破いてゴミ箱に捨てたが、銀千代がどこの誰よりも賢いことぐらいバカの俺でも知っていた。
先週、居間でごろごろしていた時に、銀千代が所属している芸能事務所から電話がかかってきた。
俺指名の電話で、銀千代のマネージャーを名乗った女性は開口一番「銀千代と別れてほしいんです」と切り出してきた。なんでも先月の握手会騒動を経て、銀千代の人気はうなぎ登りらしく、ここに来てのスキャンダルは不味いと判断したたらしい。懇切丁寧に「銀千代とは付き合っていない」と説明したが、どうにも納得してくれていない様子だった。
たしかに銀千代は可愛い。
幼馴染の贔屓目を抜きにしても、アイドルをやれるだけの素養がある。
だからこそ、俺は彼女の邪魔をしたくないのだ。
彼女の唯一の短所は「俺が好き」ということだから。
「……」
なんかしょうもないことを考えてしまった。
銀千代と付き合えない言い訳だと花ケ崎さんは言っていたが、なんだかんだで一番の障害はあいつの性格だろう。
俺に執着する姿は狂気だ。
それは間違いないんだから、俺が気にする事なんて一つもないのだ。
「……」
後夜祭ってなにするんだろう、と思って来てみたが、なんもしないんだな。
文化祭実行委員会が似てもいない校長先生の物真似をして、壇上で笑いをとっている。心底下らないと思う。
教室の鞄を取って帰ろうと思い、踵をかえそうしたところ、視界のはしにオレンジのカボチャの被り物をした制服姿の女子生徒がこっちを見ていることに気がついた。
「あ」
誰もが壇上の滑り倒した物真似に心のこもっていない拍手を送るなか、そいつだけはジッと俺を見ていた。
「銀千代!」
存外大きな声が出た。
後夜祭を楽しむ連中の不快そうな視線が一斉に俺に集まる。
誰もが水を差されて憎々しげな表情をしている。視線の暴力だった。
「あ、すみません」
と小さく頭を下げ、その場をあとにしようとしたとき、ジャックオーランタンがこちらにテケテケと駆けて来ていた。
「ゆーくん」
カボチャは可愛らしい声で俺の名を読んだ。
「迷惑かけてごめんなさい」
俺と花ケ崎さんの会話を聞いていたのだろう。殊勝に頭を下げた。
別に俺は迷惑を被っていない。
「もういいよ。それより頭のソレなんだよ」
ハロウィーンだからって浮かれすぎだろ。
「合わせる顔がなくて」
「なにわけわからないこといってんだ。さっさと取れ」
「あっ」
無理やりジャックオーランタンを取り上げると、ふわりとピンクの毛が散らばった。
「は?」
「ゆーくん、まだダメだよ……」
銀千代の長い黒髪がド派手なピンクに染まっていた、
「まだ2.8次元くらいしか行けてない。衣装揃えるまでは隠れてようと思ったんだけど」
周りの生徒から落胆の声が上がった。「俺、あの黒髪が好きだったのに」といかにもアイドルオタクっぽい男子生徒のため息が聞こえる。
こいつ、まさか、俺のためにフロレンタールのコスプレでもしようってのか。
「……」
ぶっちゃけ、嬉しい。
嬉しいが、
「バカかよ」
間違いなくバカだ。
別に俺は二次元キャラに恋していない。銀千代が嫉妬する必要なんて微塵もない。
「ほんとに、お前は……」
呆れて言葉もでない。
銀千代は焦ったように俺の手からカボチャを奪い返すと、頭からそれを被った。
パンプキンヘッドは少しだけ明るくなった声で、
「完璧になったらまた見せるね」
と言った。
「違うよ、銀千代」
「え?」
「俺はべつに変わってほしいんじゃない」
「ゆーくんに愛されるために銀千代は何だってするよ」
「俺だけを見るな」
「でも、銀千代の目線の先には常にゆーくんがいるから……」
視線をはずしてくれ。
「そういうことじゃなくて、周りももっとちゃんと見ろ、っていってんだ。視界を広く持って、みんなの意見に耳を傾けろ。それさえ守ってくれたら、お前はそのままで十分だから」
「周りって……」
「クラスメート、家族や友人、仕事やファンの人、お前には俺しかいないわけじゃないだろ」
「ゆーくん以外はいらないよ。それで全部だし、十分だから」
「お前が俺に執着してお前の人生が台無しになるのが、俺にとって一番辛いことなんだよ。わかるだろ」
「ゆーくん……」
「だから、もっと、俺以外とも向き合えよ。変わらないでいいから、お前を心配してる人たちの気持ちを考えろ。その中にはもちろん俺もいるから」
「……ありがとう」
静静と頭のカボチャを外して、銀千代は恥ずかしそうに俺を見つめた。
「そんなに銀千代のこと思ってくれて、すごく、うん、ほんとうに嬉しいよ。大好きだよ」
何百回目になるかわからない告白を銀千代がしたとき、津波のような拍手喝采が体育館に響き渡った。
しまった。
上位者はみんな色恋沙汰が大好きなのだ。
「感動した!」
「いいスピーチだった!」
「もう付き合っちゃいなよ!」
と無責任なヤジが飛んでくる。
くそ、だから、こいつら嫌いなんだ。
「おい、銀千代、帰ろうぜ」
所在無げに立ち尽くす少女は、ビックリしたように辺りをキョロキョロと見渡している。どうやら、体育館にこれだけの人がいることに今頃気づいたらしい。やっぱり彼女の視野は狭い。
これ以上、ここにいると不味いと判断した俺は銀千代に声をかける。早く帰りたかった。
「キース! キース! キース!」
周りの無責任なヤジはヒートアップしている。
たまったもんじゃない。がらにもないことをやってしまった。明日が文化祭の振替休日で助かった。一日休みが入ればこのばか騒ぎも収まってくれるだろう。
体育館の出口の方を向いた俺の手を強く握られた。
カボチャの頭が床に弾む。
無理やり振り向かされた俺の唇は、なにか柔らかいものに塞がれた。湿っぽくて、気持ちがいい。
「!?」
勢いがつきすぎて、歯が当たってしまった。歯?
え、誰の?
「えへへ……」
銀千代が照れたように唇を袖口でぬぐう。
「おおおおおお!!!!」
歓声があがる。ピューイという指笛も。いい舞台でも観たかのようにギャラリーはスタンディングオベーションだ。
「先月の思い出を上書き保存しました」
「おまえ、なにしてんだよ……」
「キスだよ?」
くっそ、やっぱりそうか。公然の面前でなんてことを。気のせいであってほしかった。一瞬すぎてなにも感じなかった。
よりにもよって、俺のファーストキスが奪われるなんて。
……不穏な予感はしてたんだけど。
「なんで、いきなりキスしてんだよ……」
しかも人前で。
体育館に沸き上がる熱気は一日ぐらいの休みじゃ冷めなそうである。いまから、学校生活が憂鬱で仕方ない。
心的外傷だ。俺が出るとこ出たら、お前また留置場のなかだからな。
「?」
銀千代はこてんと小首を傾げた。
「だって、周りの意見に従えってゆーくんが言うから……」
「流されてんじゃねぇよ……」
拡大解釈が過ぎるだろ。
従えとは一言も言っていない。
「もう、いいから、帰るぞ……」
「もう少し、ここにいようよ」
「なんで」
「みんなが祝福してくれてるから」
歓声と拍手は鳴りやむ気配はない。
「銀千代は幸せだなぁ」
薄く微笑んで銀千代は頷いた。
ファーストキスはちょっと血の味がした。
俺は無視して、体育館から外に出た。
「あっ、待って、ゆーくん」
銀千代が追いかけてきた。
閉めた扉の向こうから歓声が響いていた。ゴムの匂いから解放された俺は鼻からいっぱい空気を吸い込んで、口から吐き出す。
夜の帳が降りた渡り廊下は、秋の虫の鳴き声に包まれている。空気はツンと冷たく、裏庭に植えられた金木犀の香りが漂っていた。
「ゆーくん」
背後に立つ銀千代が俺の名前を呼ぶ。
「キスは早かった?」
反省する気持ちがあるだけ、まだましか。
ため息をついて振り返る。
薄暗闇の中で銀千代は薄く微笑んだ。
もうすっかり、夜である。
彼女の頭上には満月が浮かんでいた。
「ゆーくん、好きだよ。大好きだよ」
銀千代は少しだけ前屈みになって、自分の左胸をおさえた。
「この気持ちを止められないの。胸のうちから沸き上がる感情を抑えられないの。ゆーくんを困らせてることはわかってるし、どうにかしなくちゃってずっと思ってるんだけど、理性が感情に追い付かないんだ」
一歩をゆっくり、恐る恐るといった風に彼女は踏み込んだ。
そういえば、いつか銀千代が一月に二回満月があることをブルームーンと呼ぶ、と教えてくれたことがある。
今日がそうだったのか、となんとなく思い返した。
さりげない奇跡の下に俺たちは立っている。
「人を好きになるって、ほんとうに不思議なことだと思う。銀千代はね、ゆーくん。ただ銀千代がいなくても、ゆーくんが幸せならそれでいいって思ってるの、だけど、ずっと隣にいたいとも思ってるんだ。矛盾してるよね。自分で自分の気持ちがわからないの。だから、興味がつきないのかもしれない」
諦めというよりも、
面倒くさくなったのかもしれない。
なんだが、おかしくなって、思わず吹き出してしまった。
「銀千代」
「……なに、ゆーくん?」
ポケットから、スマホを取り出して、アプリを起動し、松崎くんにフロレンタール(水着)を送信する。
さようなら、俺の数時間。
キョトンとしたままの彼女に画面を見せるように向けると、バックライトの明るさに一瞬顔をしかめた。
「なに? ゆーくん……?」
なにをしたのか、わからなかったのだろう。クエスチョンマークをだしたまま彼女は首をかしげた。
しかたがない、言葉に出していってほしいと夕方に言われたばかりじゃないか。
だから、俺は、思い付いた言葉を、なにも考えずに、条件反射的に、ぼんやりと、ただ口を滑らせた。
「今度デートしようか」
普通の青春とか、どうでもいいから、ただ楽しみたいだけなのだ。
それにハゲたくなかったし。
俺の誘いに銀千代は満面の笑みを浮かべて「うん!」と大きく頷いた。
終わります。
読了ありがとうございました!!




