第107話:三月と砂糖菓子の弾丸
「ゆーくん、今日はなんの日かわかるぅ?」
部屋でゲームしてたら銀千代が窓から入ってきた。この人にはドアが見えていないらしい。
「……」
少し考えるが、答えは浮かばなかった。ここ最近自由登校なので、一歩も家を出ず、部屋でゲームばかりしているので、時間感覚が狂ってしまったのだ。
サッシを乗り越えた銀千代は、ベッドの反発をトランポリンのように利用して、ピョンと勢いそのまま俺の背中に張り付いてきた。
「ヒントはねー、本日は三月三日だよん。んー」
すりすりと頬を背中に擦り付けてくる。邪魔の極み乙女だ。
「三日。……あ、両さんの誕生日か」
「違うよ!」
いやそうだよ。
がばりと顔をあげた銀千代は首を俺の肩に乗せて唇を尖らせた。
「今日は楽しいひな祭りだよぉ! 女の子の日ぃ! つまり銀千代が主役なんだよぉ!」
フェミニストもびっくりな理論に、思わず鼻で笑ってしまった。
本当は肩を揺さぶってゲームに集中したいところだったが、舌を噛まれても困るので、とりあえず言いたいことを言わせてテキトーにあしらうことにした。
「だから、ゆーくん、銀千代をおもてなしして!」
「なんで?」
「銀千代はね。尽くすタイプだけど、たまには尽くされたいなって思うことがあるんだ。それでねぇ、考えたんだけど、誕生日は運命的にゆーくんとおんなじだから、あんまり祝ってもらえないんで、じゃあ銀千代が主役になれる日はいつかなって考えたら、ひな祭りになったんだよ!」
「意味がわからないということだけは理解できた」
銀千代はぐいっと俺の背中に抱きついてきた。柔らかな感触が肩甲骨あたりに当たる。やめてください、胸があたっています。
「例えそうだとしたら、俺はなにすりゃいんだよ」
「尽くしてほしいの。銀千代にはゆーくんしかいないから、ゆーくんにも銀千代しかいないって気持ちで向き合ってほしいの。安心したいの。言葉にできない思いも言葉にするべきだと銀千代は思うのです」
「いやだから意味わかんないんだって。具体的に言え具体的に」
「してほしいことをここであげたらひな祭り終わっちゃうよ!」
「じゃあ、やりませーん。お帰りくださいー。いまゲームで忙しいんでー」
口に出して「しっしっ」と言ってやると、「むむむむむー」と耳元であざとく唸られた。
「わかったよ、じゃあ銀千代とお雛様ごっこして!」
「お前は幼稚園児か!」
「知り合いに呉服屋さんがいるからゆーくんが首を縦に振ってくれたらプロジェクトは動きだすよ。三人官女と五人囃子の手配もとれてるから安心して。あとは主役の銀千代とゆーくんが最上段に座るだけ」
「絶対やらん。いまゲームで忙しいから帰れ! 大体ちっさいときにそういうのやってただろ」
ずっと昔に、銀千代の家に遊びに行ったら雛人形が飾られていて、親に着物を着た銀千代と無理やりツーショット撮らされたような記憶がある。たぶん。
「あんまり笑顔で写れなかったからやり直したいんだ。あの頃は斜にかまえるのがかっこいいと思ってたから。いまのゆーくんみたいに」
「そんなこと微塵も思ってないから。俺はただただゲームがしたいだけだよ。大体あれはもっと小さい子のイベントだろ」
「雛祭りには年齢制限ないんだよね。わかったら、銀千代をおもてなしてね」
「もてなすってのはよくわからないけど、さっきのは絶対やらないからな」
「それじゃあ、第二案ね」
銀千代はポケットから謎の袋を取り出した。なかには雛あられが入っていた。
「雛あられをあーんで食べさせてほしいんだ。そしたら満足するから」
「……」まあ、それくらいなら、と一瞬流されそうになったが、以前、心理学の用語でドアインザフェイスというものがあると学んだことがある。始めにデカイ要求をし、断られたあとであえて小さい要求をすると、次に提案された緩い要求が通りやすいというのだ。なるほど、つまりこれがその使用例というわけね。となると答えは、
「やだ」
「なんでなんで減るもんじゃないし」
「雛あられは減るだろ。一人で食ってろ。つうかそんな馬鹿っぽいこと絶対やりたくないよ」
銀千代は無言で袋を開けて一粒つまんで俺の唇に押し当てた。
「ぐっう……」
「はい、あーん」
「ぐぅ……くそっ……つぅ」
そのまま意地でも閉じとこうと思ったが、無理だった。歯茎にあたって痛かった。
この女、人がコントローラーから手を離せないのをいいことに好き勝手やりやがって。
仕方なく咀嚼すると豊かな甘味が口に広がった。ボリボリ食べながら「甘ぇー」と思わず呟いてしまうほどだった。
「ね? 銀千代からゆーくんは当たり前でしょ? だから今日はゆーくんから銀千代にしてほしいの。お返ししてぇ」
「だからそんなアホみたいなことしたくないんだって」
「いましたじゃん」
「してねぇーよ。無理やり口に異物突っ込まれたんだよ。大体ゲームしてんの。手が離せないんだよ、見りゃわかんだろ」
「大学入学前にホグワーツ入学しちゃだめだよ、ゆーくん! さぁ! 銀千代のお口にアロホモーラ唱えて!」
「黙れ!」
「はい、あーん!」
銀千代が俺の横でこれ見よがしに口を開けた。視界の隅にそれをとらえながらモニターに集中していたら、徐々に視界の中心に移動してきやがった。野郎、座ったままの姿勢で移動してやがる。
「わかった、わかったから落ち着け、あと数秒待ってくれ」
口を大きく開けたままの間抜け面で銀千代はこくんと頷いた。
しばらくゲームを続け、ようやくキリがいいところまで来たので、コントローラーを一旦置いて銀千代から雛あられの袋を受けとる。
あぐらをかいた俺と、正座をした銀千代が向かい合う。なんだこの気まずさ。
「えっへへへ、ほんとはね、節分の日に、お豆を「あーん」って、銀千代のお口に撒いてもらおうと思ってたんだよ」
「……」
「あとね、ゆーくんの横で恵方巻きを口開けて頬張ろうと思ってたの!」
なんで?
「だけど、お受験で忙しそうだったから自重したんだ!」
「成長したな」
「えっへへへ」
誉めて誉めてと言わんばかりに体を左右に揺らす銀千代。誉める気持ちになれないのは、人として当たり前のことを言っているだけだからである。頑張っている人の邪魔をしてはいけない。そんなものは恐竜の時代から決まっている流儀だ。
まあ、いい。さっさと終わらせて、ご退場願おう。
「はい、あーん」
俺は袋からピンク色の雛あられを一粒取り出して人差し指と親指でつまんだ。
銀千代は「あーーーん」と大きく口を開けて、舌を出した。定期的にホワイトニングしているらしい銀千代の歯は雪のように白かった。芸能人は歯が命らしい。口内の奥の方には口蓋垂が見えた。恥じらいは見当たらなかった。
喉奥にベアリング弾のように指で弾いてやろうかと思ったが、詰まったら洒落にならないので大人しく舌の上にぽんと落としてやる。
銀千代は心底嬉しそうに「んーーー」と頬を綻ばせると、両手でほっぺた包み込んで、「しあわせぇー」とにやにやと呟いた。
「そうか、よかったな。じゃあ、さっさと……」
「二個目、二個目!」
「まだ食いたりないのかよ」
俺は悔いばっかりだよ。
「早く! 早く! あーん!」
「セッコか、お前は」
いやしんぼめ!
尻尾が生えていたらブンブン揺らしていることだろう。再び口を大きく開けてまとわりついてきた。相変わらずいかれてやがる。同年代の男子の前で、恥ずかしくないのか、こいつは。
仕方なく次弾を装填する。
「……」
やばい、なんか目覚めそう。
銀千代が鯉のように口をパクパクさせている。
なんだこの胸の高鳴り。身内の引け目を無くしても美人の銀千代が、間抜け面をさらして口の奥まで俺に見せてきているというシチュエーションに、不思議とドキドキしてしまう。
「……」
そんな趣味は俺にはない。
「おらぁ!」
ベアリング弾のように緑色の雛あられを飛ばす。
「あっ」
銀千代の舌にあたって床に転がった。
「危ない、危ない、三秒ルール」
と呟きながら銀千代は床に落ちた緑色の雛あられを拾いボリボリと噛み砕いた。
「ゆーくん、違うよ。オラァじゃなくてあーんだよ。やり直し!」
「……」
冷静に考えたら俺はなにやらされてるんだ。つうか、この感じだと、袋一杯の雛あられがなくなるまで終わらなそうだぞ。
ペースを上げよう。
袋から三、四粒取り出して、口を大きく拾いたままの銀千代に「あーん」といいながら、落とす。
「鬼は外」
小さく呟くが、幸せそうに身を捩らせる彼女にはきっと聞こえることはないだろう。




