第106話:二月をミステリというなかれ
無駄なことは極力やらない方がいい。
なぜなら人生は短く時間は有限だからだ。だからといって日々を無為に過ごすと、あっという間に年を取ってしまうので、とかくこの世は生きづらい。
やることないときはテレビゲームで時間を潰す俺だが、予定があるときはそうもいかない。春はまだ遠い二月の下旬。青すぎる空の下、寒さに身を縮ませながら登校するのは、しょうもない卒業式の予行練習があるからだ。
なければ自由登校なのに、と恨み言で寝ぼけ眼を押し開け、校歌と国歌を体育館で斉唱し、すべての予定が終わったのは昼前のことだった。午前中とか今の俺にとっては早朝に等しい。早く帰って二度寝と洒落こもう、と鞄を持ったら、
「ゆーくん、ちょっと空き教室来てくれないかな」
と銀千代に声かけられた。
いつも通りと言えばいつも通りの濁った瞳をしていた。なにか企みがあるときの目だ。
「いーや、やだやだ。帰る。俺、ゲームする」
こいつが神妙な顔でお願いをしてくるときは大抵ろくなことがない。大慌てで椅子から立ち上がり教室から出ようとしたら手首を強く掴まれた。
「そんな片言で断らなくてもわかってるよー。早く行こう!」
わかってないじゃん。
「やめろ! はなせ!」
「お手々繋げるのが嬉しいからって、そんなブンブン振ってみんなにアピールしなくても……まったくゆーくんったら」
振りほどこうとしているだけである。握力が化け物なのでうまくいかなかったが。そのまま銀千代を引きずって、雑談で盛り上がるクラスメートを尻目に廊下に出た。
窓の向こうは青空が晴れ渡っている。雲一つなく、実に過ごしやすい陽気だ。できればこのまま、遠くに行きたい。でもお金がないから家に帰る。さようなら。一、二年生には悪いが、三年生は半ドンなのだ。
「帰って、ゲームする!」
「いいからいいから、ねっ! 大丈夫。怖くない」
踏ん張ってなんとか昇降口に行こうとしたが、銀千代の力は強かった。
また、やってるよ、とクラスメートの冷たい視線を浴びながら、必死の抵抗を試みる。この細腕のどこにそんな馬力があるんだ?
だが、俺もやられっぱなしではない。
最近暇だから筋トレを始めたのだ。腕立て伏せと腹筋を毎日三十回。大学に入学する頃には細マッチョになって女子からモテモテになる予定なのだ。
「うぉぉおお!」
気付いたら空き教室にいた。銀千代の腕力に敵うはずかなかった。上履きのゴムが無駄にキュキュと音をたてただけだった。下半身は鍛えてなかったのを今思い出した。メニューにスクワットを加えよう。
「あ、来た来た。遅かったね。早く早く。はじめてだから、なんだかんだで、すごく楽しみなんだぁ」
カビ臭い部屋に四人の男女が立っていた。そのうちの一名が鷹揚に手を挙げ、気さくに声をかけてきた。薄暗くてよくわからないが、どうやら花ケ崎さんらしい。
「こんなところでなにしてんの? てか暗いからカーテン開けるか電気つけてよ」
「あれぇ、トワさん。話聞いてないの?」
キョトンとした風に質問を質問で返された。
教室内の空気は淀んでいる。
机は端に寄せられ、椅子が乗せられている。荷物が散乱し、倉庫のようだった。ホコリ臭く、病気になりそうだ。
「いや、なんも聞いてないけど、……これなんの集まり?」
暗闇に目が慣れてきた。
花ケ崎さんの他には、見知らぬマスクをつけた女生徒が二名となぜか鈴木くんがいた。
もしかして、もうすぐ卒業してしまうから、今のうちにクラスメートの親睦を深めようと、銀千代が画策して、
「じゃあ、メンバーが集まったんでゲームを始めたいと思います!」
銀千代がパンと手を叩いた。ゲーム?
なんだなんだ、闇の扉が開かれたのか?
「ここは雪山です」
空き教室だけど?
「スキーを楽しんでいたら吹雪が激しくなってきたので、ゆーくんと恋人の銀千代はロッジに避難しました」
なんか突然妄想を垂れ流し始めた。大丈夫か? 先生呼ぼうか? 精神的なアレって保健の先生でいいのかな?
「あなたがゆーくん」
銀千代は俺を指差した。そうだな。
「えーと……」
折角の機会だから訂正しとこう。
「ぼくの名前は宇田川太一です」
「いいえ、あなたはゆーくんです」
「いい加減名前に一文字もかすってないあだ名、モヤモヤするからやめてくんないか?」
「あなたはゆーくんです」
「いや、だからぁ」
声を張り上げたら、
「まあまあトワさん」
と花ケ崎さんに諌められた。
「トワさんの言いたいこともわかるけど」
「ゆーくんです」
「ああ、失礼。ゆーくん。そう、ゆーくんね。ゆーくんもちゃんと役割演じてくれないと話が先に進まないから、ここは穏便、にね」
いままであんまり言ってこなかったけど、花ケ崎さんのトワさんってあだ名もあんま好きじゃない。
そもそものきっかけは、本名の太一を幼稚園の頃書けなくて、夕一って書いたら銀千代が「それじゃ夕方の夕に伸ばし棒でタ(ゆう)一じゃない」と茶化して、そんなこんなで中二のキャリアハイの時にそれ由来でネトゲのハンドルネームを【夕闇の翼】にしてたら、ゲーム内で知り合った花ケ崎さんがトワさんって言い始めたってわけだけど、ファングは牙でこっちも間違いだからずっと自分の無知っぷりを責められてるみたいで嫌なんだよな。
だからもう本名で呼んでくれ。
「宇田川太一」
「え?」
「宇田川太一。ぼくの名前は、ぼくの名前は宇田川太一です」
「てか、銀ちゃん、こういうのってランダムに役割決めるんじゃないの?」
花ケ崎さんにスルーされた。ちくしょう。
「おだまりください。GMの言うことは絶対です」
「えー、アタシもジーエムやりたかったんだけど」
「おだまりなさい。ジーエムは銀千代です。さがれ。早くさがれ。呼ばれるまで口を閉じてろ」
「はぁい」
渋々といった様子で花ケ崎さんは唇を尖らせて一歩引いた。なんか銀千代のやつ、いつもにまして偉そうだな。
つうか、今、エーアイみたいなしゃべり方で、ジーエムといったか?
GM?
ゲームマスター?
なんか、わかりかけてきたぞ。
「TRPGか!」
聞いたことがある。パソコンなどの電子機器を使わないで紙や鉛筆などを用いて役割を演じながら楽しむテーブルゲーム!
「正しくはマーダーミステリーだよ」
銀千代がぼそりと訂正をした。何が違うねん。
「参加型の推理ゲームでシナリオ通りに演じてもらって、殺人鬼とその他のプレーヤーで犯人が見抜けるかバトルしてもらうんだ。はいこれゆーくんの役割表」
「ほう」銀千代から差し出された二つ折りの紙を受けとる。
・ゆーくん。十七歳。恋人の銀千代が大好き。好き過ぎて二人の仲を邪魔する人が憎い。
と書かれていた。俺はなにを読まされてるんだ。
「ちゃんと演じ……あ、演じる必要はないか。素だもんね!」
ウィンクされる。
銀千代は鼻唄まじりにブレザーのポケットから二枚目の紙を取り出し、マスクの女子に差し出した。
「はいこれ。あなたが銀千代」
「光栄です。頂戴いたします」
マスク女子は頭を下げた。銀千代は銀千代を演じないらしい。なんでだろうとマスク女子を見ていたら、金音だった。銀千代の従姉妹でそっくりさんだ。他校のくせに、なぜかうちの制服着てる。
「なにしてんの、お前?」
「私の名前は女子高生アイドル金守銀千代。幼馴染で同級生のゆーくんとスキー場に行って、遊んでいたら、雪山遭難してしまった! 目が覚めたら……」
「いや、役への入り込みが早すぎるだろ。学校はどうした、なんでうちの制服着てるんだよ」
「ちょっと銀千代ちゃんを下ろしてるんで黙っててもらえますか?」
ダメだ、こいつ。話にならない。ぶつぶつと独り言を念仏のように唱える金音を無視して、ちらりともう一人の女子をみたら稲田さんだった。うちの制服を着ていた。部外者が二人いるぞ! 校則はどうなってんだよ、校則は!
「あなたはロッジのオーナー」
「わ、わわわ、わかりました。私がオーナーです。がんばります!」
おんとし23歳で銀千代の芸能事務所のマネージャーの稲田さんは制服姿で拳を握った。全然いける格好だけど、本人にプライドはないのだろか? その前になんで部外者がうちの学校に潜り込んでるの? そこが一番のミステリーだ。
銀千代は次に鈴木くんを指差した。
鈴木くんは与えられる役割がなにかワクワクした瞳で銀千代を見つめている。くそみたいなゲームになる予感しかないのに、よくそんな無垢な目ができるね。
「あなたは一番最初に殺されるモブ」
「え」
「名前は……名前はなんでもいいや。好きに名乗って。はい、紙」
「は、はぁ」
なんか読めてきたぞ。いわゆるクローズトサークルものの殺人事件ということか。シナリオ通りに物語と役割を進行して、推理して解決していく、ってやつか。
「銀ちゃーん。アタシはアタシー?」
「あなたは花ケ崎夏音」
「うん、なんの役ー?」
「花ケ崎夏音」
「……え、アタシはアタシ役ってこと?」
「そう。自分を演じるんだからできるでしょ?」
「それは、できるけどぉー、アタシにも紙ちょうだいよ。設定がかかれてるやつ。なんでもやっちゃるよー!」
「作るの途中でめんどくさくなって花ケ崎さんの分はないんだ。でも普段通りでいてくれればいいから。どうせ死ぬんだし」
「えー? 今日TRPGやるって言うからナオたちのボーリング断ってきたんだよぉー。どうせならさ、探偵ものじゃなくて、ちゃんとしたRPGやろよー。ドラクエやろドラクエ、アタシ魔法使いね! バギラマ!」
新呪文作んな。
銀千代は「ふぅー。やれやれ」と肩をすくめながら、駄々っ子を宥めるような優しい声音で続けた。
「花ケ崎さん、銀千代が三日三晩寝ずに考えた新本格ミステリーに参加できるってだけで、すごく栄誉なことなんだよ。しかるべきところに出したら、このミステリーがすごいに選出はもちろんとして松本清張賞、江戸川乱歩賞、芥川賞、直木賞、本屋大賞、ノーベル文学賞に選ばれてもおかしくない作品なんだよ?」
おかしいよ。
「なんかミステリーって難しいからつまんないー。大体ロッジとか泊まったことないならあんまり想像できないし」
「そんなに言うならシチュエーションをあげるよ」
「シチュエーション? あ、つまり演技する上での前提条件だね! どんなの?」
「花ケ崎夏音、二十歳。大学のスノボサークルに所属。男を見ると色目を使わざるを得ない、くされビッチ。もうすぐ死ぬ。はい、終わり、ちゃんと演じて」
「なんかよくわかんないけど頑張るね!」
俺、TRPGやったことないからよくわかんないけど、これでいいのか?
プレーヤーは納得してるのか?
こんなん、なにが楽しいんだ?
早く帰ってテレビゲームやる方が楽しくないか?
「はい! 設定は頭にいれた? ここから先はノンストップでいくよ! 雪山連続殺人事件、始めるよ!」
銀千代がパンパンと手を叩く。
「シーン1、ゆーくんが銀千代に愛の言葉を囁きながらロッジに入ってくるところ! よーい、アクションッ!」
ちらりと室内を見渡したら、稲田さんが緊張したようにガクガク震えていた。どうでもいいけど、鈴木くんと花ケ崎さんが殺されるなら、犯人はたぶんこの人だ。
ゆーくん役の俺に犯人の記載はなかったし、銀千代は俺との約束で不殺の誓いをたてているのだから。




