第104話:二月にたやすく行われるえげつない行為
二月十四日、沼袋に呼び出された。
意識するなと言われても無理な話だバレンタインデー。
人気のなくなる放課後、屋上に続く薄暗い階段の踊り場。少女は緊張した面持ちで小さな紙袋を差し出した。
「勘違いしないでください。これは日頃お世話になっているお礼ともうすぐ卒業してしまうので、その餞です」
ツンデレのテンプレートみたいなことを宣って、沼袋は顔を真っ赤にしながら頭を下げた。目尻には微かに涙が光っていた。
「別にお二人の仲を邪魔するつもりは毛頭ありません。先輩がもうすぐ卒業してしまうから……居なくなってしまうから……いままでみたいに話せなくなってしまうのが、寂し……、えと、ちがくて、その、調理実習で作りすぎちゃったんで、よかったら貰ってください」
なんて言われて受け取らないわけにはいかない。
下手くそな嘘に俺は吹き出しながら素直な気持ちで「ありがとう」と沼袋の手からチョコレートを受けとる。
不安げだった沼袋はパァと明るい表情になると嬉しそうに「銀千代さんには内緒で食べてくださいね」と、階段を駆け下りて行った。
廊下の窓から射し込む西日が階段をオレンジ色に染め上げている。はしゃいで降りる沼袋の頬が綻んでいるのをほほえましい気持ちで眺めていたが、
「あ」
悪魔のような影が長く伸びているに気がつき、最悪な気分になった。
「先輩、さよう……」
振り返って手を振ろうと右手を上げた沼袋の首に、突如として現れた銀千代の二の腕が死神の鎌のように襲いかかる。命を刈り取る形をしてる。
「ふぐえ」
ラリアットである。
ノーガードで沼袋が廊下に倒れる。銀千代は一瞥もくれずに、段差に足をかけて、俺の目の前に立った。
「おまたせ、ゆーくん」
なにも待ってねぇよ。
「それじゃ、行こうか」
何もかも無視して銀千代が俺の右手をとったので、振りほどいて、倒れたままの沼袋に駆け寄る。
「お、おい、大丈夫か!?」
「痛たた……。すみません、なんか、転んじゃったみたいで……お恥ずかしいところを……」
ラリアットされた記憶はいい感じで消去されているらしい。なにも思い出さず見なかったことにして早々に帰宅することをおすすめする。
「あれ、銀千代さん、いつの間に……」
沼袋がきょとんとした表情で呟いた。
背後をみると、銀千代が形容しがたい表情でこっちを見ていた。
「いつの間に……というのは、銀千代の台詞だよ……」
ふるふる震えながら銀千代が沼袋を指差した。
「【コンプラ】が……っ!」
銀千代の口から差別用語が飛び出した。
「【コンプラ】?」
古い言葉すぎて花ケ崎さんには通じていないようだった。
「あなたみたいな【コンプラ】は【コンプラ】で【コンプラ】が【コンプラ】ツツツツッ!!」
「どういう意味でしょう?」
「びびってんのかこの【コンプラ】。かかってこい【コンプラ】。なめてんじゃないこの【コンプラ】!!」
「銀千代さん?」
悪口は伝わらないと意味がないし、いきなりラップバトル仕掛けても相手が乗らなきゃ対戦には発展しない。
クラブですら出禁になりそうな悪口をマシンガンのように吐き出し、少し声がしゃがれさせた銀千代は、
「っ、ふぅふぅふぅ。クリティカルでいいかな? 勝者銀千代。帰ってママのおっぱいでもしゃっぶってなさい。さ、いこ、ゆーくん、向こうで銀千代のおっぱ」と再び俺の手を取った。思いの丈をぶちまけて少しは満足したらしいが、テンションの高低差がヤバイ。ヤクやってんのか、お前は。
「いや、沼袋をこのままにしておけないだろ。頭打ってたし」
「ゆーくんの優しさが五臓六腑に染み渡るぅ」
なにかあったらお前が犯罪者になりかねないからな。と思ったが立派な傷害事件だった。
「じゃあ、いいや。そこの【コンプラ】もついてきて」
「あの、さきほどから【コンプラ】ってどういう意味でしょう」
古今東西の蔑称を用いた銀千代は沼袋を挑発するように人差し指をくいくいさせて起こして歩き始めた。無視して帰りたかったが、沼袋が大人しく彼女のあとに続くのでついていかざるを得なかった。いまこいつらを二人きりにするのは非常に不味いと長年の勘が告げていた。
銀千代についていくと、科学準備室についた。またかよと呆れながら頭を抱えると、備え付けられていた冷蔵庫から無地のケーキを取り出して机においた。ワンホールである。
「今年のバレンタインデーはケーキを作ろうと思ってさ!」
「ほう」
「ゆーくんと一緒に楽しくお菓」
呼吸止めて一秒、
「子作りっ!」
「変なところで改行すんな」
なるほど実験室の冷蔵庫で冷やされていたという事実に目をつむればなかなかいいアイディアである。
一緒にクッキングなら量も味も自分の最良でコントロールできる。中学生の頃、顔を縁取りした銀千代の生首チョコを貰ったことがあるが、食べきるまで一週間かかった。
「でもこれもうほとんど出来てないですか?」
横からひょっこり顔を出した沼袋が小さく呟いた。
見れば確かにスポンジにはクリームが塗られ、あとはイチゴとかを乗せるだけだけで完成である。パズルの最後のワンピースみたいな感じだ。
「仕上げに砕いたチョコをふりかけます。本当はベルギーから輸入したカカオバター百パーセントのチョコレートを使用したいところだけど、ここはあえて安物のチョコを使います。コニャックには安物のキャンディが合うように、このケーキはそれで完成するんだ」
銀千代がにっこりと微笑んで俺の手にあった小さな紙袋を指差した。
「安物のチョコレート」
「……」
「去年は他人のチョコを破壊しようとして、ゆーくん怒られたから、今年は全部包み込んで渡そうと思って」
「……お前、えげつないな」
「これが包容力ってやつかな。どんなにフラフラしてても最後は銀千代の横にいればいいからね」
ラオウかな?
「いや、そんなことできるわけが」
「ん」
銀千代がスリこぎ棒を俺に差し出してきた。
「砕ぁいて」
正直俺は胃に入れば全部おんなじ派の人間ではあるが、さすがに慕ってくれている後輩から貰ったチョコレートを本人の目の前で砕くのは気が引けるし、人間としてどうかと思う。
「ゆーくんができないなら銀千代が代わりにやろうか?」
「いや、そういうことではなく、ケーキはケーキでいいじゃん。これはこれで美味しく食べるから」
「あ、わかった。じゃあ、溶かしてケーキに塗ろうか! 銀千代はフランスの菓子職人さんからチョコレートのコーティング技術を直接学んだんだ! 任せてっ!」
なんもわかってない。
「気にしないで、チョコはチョコだから。沼袋七味の思いも銀千代が温かく昇華させるよ。それに沼袋さんも銀千代の料理の材料になれて喜んでるよ、ね!」
「ふつうに嫌です」
当然の反応をされて銀千代は目を丸くした。
「え、うそ」
「いや、だって、私、けっこう頑張って作ったんですもん。先輩に……食べてほしくて」
「でもゆーくんは銀千代のケーキの完成品が食べたいって言ってるよ」
言ってない。
「困ったなぁ」
全く困ってない表情で眼光鋭く銀千代は続けた。
「ごめんね。大人しく銀千代のケーキの礎となって」
「い、いやです」
銀千代は浅く息をついてから、俺の耳元で「なんかめんどくさいから沼袋さんもチョコにしちゃおうか」と囁いた。魔神ブウかお前は。
バチバチと二人の視線がぶつかり合い火花を散らしている。困ったことになった。沼袋は性格上、折れない。銀千代も同様だ。
「……」
仕方ない。俺は二人の間をなんとか取り持ちながら、沼袋から貰ったチョコ食べながら銀千代のケーキを食べるという案を出し、「それならまあ」と二人を納得させた。チョコとケーキの口内丼、甘味の暴力である。正直かなりきついが納得してくれるなら我慢するしかない。
今日は夕飯は入らなそうだ。
「あ、そうだこれネームプレート。花ケ崎さんのチョコが匠の手によって生まれ変わりました!」
ケーキにポンと薄く伸ばされたチョコの板が乗せられる。なんということでしょう。ホワイトチョコレートで「あいらぶゆーくん」と書かれています。
すまねぇ、花ケ崎さん、守れなかった。まあ、例年のごとくお徳用チョコレートだから愛情はもとより入ってないのだろうけど。
「先輩、どうですか?」
ちょっと照れたように正面の椅子に座る沼袋が聞いてきた。
「ああ、なかなか美味し……はっ」
横に座る銀千代が般若みたいな顔して、「銀千代のケーキとどっちが美味しい?」とドスのきいた声で聞いてきた。
「どっても美味し……」
「明治製菓の板チョコを溶かして形を変えただけの手作り(笑)チョコレートと素材からこだわって手間隙かけて作り上げた愛情たっぷりの銀千代のケーキ、どっちが美味しい?」
「……」
なにその目、怖っ。
銀千代は嫉妬すると目が鋭くなるんだ。この特徴から別名「目付き、わるっ!」と俺から呼ばれている。
「まあ、なんというか」
「……」
「沼袋のチョコが銀千代のケーキをいい感じで引き立ててくれてて、うん、美味しいよ」
「どっちが?」
「……どっちも」
そのあと望む答えが出るまで繰り返すNPCみたいなやり取りを三度ほど繰り返して、銀千代はようやくどっちもうまいという答えに納得してくれた。




