第103話:一月の未来は引き出しの中に 後
さて、大寒波による想像絶する寒気に身を縮ませながら、曇天の空の下を三分ほど歩き、冬枯れた公園にやって来た。狭くはないが広くもない、どこにでもある公園だ。ブランコやシーソーなど、置いてある遊具のペンキはところどころ剥げているが、錆び付いて遊べないというわけではない。一時間くらいならてきとーに遊ばせて時間を潰せるだろう。
そう思っていたのだけど、俺の考えはまだ甘かった。
「あれ、トワさんじゃん! おっつー!」
思わず「げぇっ」と言いそうになったが、グッとこらえた。花ケ崎さんとその友達が数人、ベンチで駄弁っていたのだ。
公園に入ってきた俺を目ざとく見つけた花ケ崎さんは友人に断ってからわざわざ声をかけてきた。
「トワさん、いくら自由登校だからって高校三年生は最後の青春なんだから学校にきなよー……って、ん?」
どうやら早めの放課後を迎えて友人たちと遊びにいくところだったらしい。愛想笑いを浮かべながら、春千代を背中に隠すが、
「だれ、その子?」
すぐにばれた。
「親戚の……」
「宇田川春千代です。十歳です。なんでもします。好きな言葉は情熱です!」
「おぉー、これはこれはご丁寧に……。花ケ崎夏音です。十八歳です。好きな言葉は……んー、特に思い浮かばないけど、墾田永年私財法が語感よくて好きかなぁ」
謎の自己紹介を交わし合う無邪気なやつら。頼むから口を滑らせてくれるなよ、と願いながら春千代に「おい、あのターザンロープやってこいよ」と声をかけるが、無視された。
「あ、夏音おばさまだったんですね! お若いですね!」
「お、おば……?」
「いつもお世話になってます!」
「……はぁ」
花ケ崎さんはすこし困ったように俺をちらりと見た。
「なんか大人ぶるのが最近の趣味らしいんだ。親戚の子を一時的に預かってるだけなんだけどね」
「そ、そうなんだ。あれ、でも大丈夫なの?」
「なにが?」
「銀ちゃんはたとえ親戚だろうと、トワさんに近付く女の子に嫉妬するから」
よぉく、ご存じで。正確には老若男女動物親戚問わずだけど。
ちなみに俺に厳しい態度を取っていたいとこの瑞穂は音信不通だ。まあ、もともと連絡を密に取り合う仲ではないなら別にいいのだけど。
「それはねぇ、だいじょーぶだと思いますよ!」
ばぁん、と手を上げて春千代が話に入ってきた。
まずい。
「もう行くぞ」と肩をつかむが動かなかった。
「春千代はママから溺愛されてるならねっ! パパの次に好きなんだって!」
「……? ん、あれぇ、そういえば春千代って名前……」
なんで急に鋭くなるんだよ。
「もしかして、銀ちゃんの親戚の子供なの?」
「娘です!」
「へぇ。そうなんだ。銀ちゃんがお母さんっていいねぇ。なんか暖かい家庭を築いてく、え?」
花ケ崎さんの目が丸くなる。
くっ、フォローを入れなくては、
「と、いうおままごとの設」
「パパは宇田川太一です!」
「ええっ!」
花ケ崎さんは大袈裟に仰け反った。
「隠し子!?」
んなわけねーだろ。
「高校生だと子育て大変だよね……」
「違うからね」
思わず横から口を出す。このまま話が進むとよくない噂が流されかねないと判断したからだ。あと数ヵ月で卒業とはいえ晩節を濁したくはない。
「そういうごっこ遊びだから」
「さ、さすがにそうか。だって、この子が銀ちゃんの子供だとしたら何歳のときに産んだのさぁ、って感じだしねぇ……」
さすが花ケ崎さん。そこら辺の理解力はある。
「春千代はねぇ、タイムマシンできたんだよ!」
「ええっ、嘘でしょ!?」
子供の無邪気な嘘に乗ってあげる優しい大人とは思えないくらい目を丸くしていた。
「パパとママはねぇ、いっつも仲良しなんだよ。毎日チュチュしてるんだ。春千代のが恥ずかしくなるくらい」
ちらりと花ケ崎さんが俺を見てきた。
「嘘だからね」
念のために言っておこう。
「嘘じゃないもん。春千代は正直者なんだよ。証拠みしたげる。ほら、これ!」
疑われているのを敏感に察知した春千代はポケットからスマホを取り出した。随分と薄いがとてもじゃないが未来の機種とは思えなかった。
「ほら。これ」
春千代がスマホを操作して、動画を見せてきた。
スーツを着た俺がエプロン姿の銀千代に「おはようのチュー」を何回もする動画だった。べたべたの甘々だった。イチャイチャしすぎてて見てるこっちが照れてしまうレベルだ。純粋な心の持ち主の花ケ崎さんは顔を真っ赤にして両目を塞いでいた。汚れた俺にはAVの冒頭にしか見えなかった。そうか、これが噂に聞くディープフェイクというやつか。時代も進化したもんである。
「ねっ!」
と春千代がにこにこと動画を閉じる。仮に本当だとしても子供の前で恥ずかしくないのかよ、未来の俺ら。
「ふ、二人ってここまで進んでたんだね……」
花ケ崎さんがパタパタと両手で自分の顔を仰ぎながらため息をついた。
「いや、銀千代が動画を編集しただけで……」
「パパは甘えん坊なんだよ。仕事で疲れるといつもママに頭撫でてもらってるの」
「春千代、少し黙れ」
このままにしておくと花ケ崎さんに要らぬ誤解を与えてしまう。噂好きではないとは思うがよくも悪くも影響力のある彼女のことだ。俺と銀千代がラブラブで子供まで拵えているというフェイクニュースが広がったら俺はもう町にはいられないだろう。
「夏音ー、はやくカラオケいこーよぉー」
遠くの花ケ崎さんの友達が声をかけてくる。
「ああ、ごめん、すぐいくー」
公園から立ち去ろうとする花ケ崎さんをなんとか引き留め誤解を解こうと必死になったが、話が通じたかどうから謎だった。
それから数十分、春千代と公園で遊んだ。ブランコを押してやったり、シーソーをギッタンバッタンやったり、鉄棒で逆上がりを見せてやったり、置いてある遊具を全て遊び尽くした。童心に帰れて、正直に言うなれば、楽しかった。吐き出す息は大寒波の影響で真っ白だったが、走り回ってまったく寒くなかった。
ふと、幸せを感じてしまう自分がいることに気がついた。家族っていいよなって一瞬思ってしまったが、無邪気に笑う春千代を見て、それはもはやロリコンに近い考えではないだろうかとゾッとした。さっさと家に帰ることにした。
春千代と手を繋いで自分の家に戻る。仕切りにねだられたのだ。相手は子供だし、もうすぐタイムマシン(笑)のエネルギーがたまって未来に帰るのだ。お別れだから、甘やかして構わないだろう。
自分の部屋に戻って扉を開けたら、銀千代がいた。当然が如く不法侵入だった。いつか絶対こいつの侵入経路を突きとめてやろうと静かに決意を固める。
銀千代は帰って来た俺を、遠くを見るような目で見つめると「おかえり」と抑揚なく出迎えた。
「……」
「おい、銀千代、この子」
「あっ、ママ!」
春千代が笑顔を浮かべると同時に銀千代は立て膝になった。
「ゆーくんと遊んでもらったの?」
「うん、パパとね、公園でいっーぱい遊」
パンっ!
と膨らませたビニールを叩き割ったような音が響いた。ビンタだった。銀千代が春千代を無言で叩いたのだ。
「あっ、おい!」
何が起こったのかわからないといった顔で呆然とする春千代を背中に庇う。
「ゆーくんから離れろぉっ! このメスブタがぁあああ!」
正気じゃない目をしていた。
「お、落ち着きたまえ!」
なぜそのように荒ぶるのかっ!
「落ち着いてなんていられないよ! 銀千代が補習でゆーくんのサポートできないスキをついて狙ってくるなんて狡猾な女だよ。データベースにアクセスしてもなんの情報も得られなかったけど、暫定危険度ランクは文句なしのAランクだよ。ゆーくん離れて。幼い容姿をしてるけど、某国のスパイの可能性が非常に高いぃ! なんなの、あなた!」
「は、春千代は、ママの娘……」
鬼のような剣幕に春千代は完全に竦み上がっている。
「むすめぇー? 訳のわからないことをベラベラと。ここまでの不審人物、大事をとって消えてもらうから、ゆーくんどいてね」
「そんなん聞いてどけるわけねぇだろ」
「少年法がまだ適応されるうちにやりたいことはやらなくちゃ!」
「落ち着けって銀千代!」
突進する牛の角を押さえるようになんとか銀千代の矛をおさめさせ、俺は双方が落ち着いて話をするように言った。
たしかに状況だけをみると春千代は不審人物だ。机の引き出しから現れた謎の少女。およそ現実的ではない。俺は常に銀千代の「ヤラセ」を疑っていたが、先程のやりとりを見る限り、その可能性は低そうだった。
だとしたら、春千代は本当に未来人になるのだが、……信じられないし、信じたくもないけど、もしそれが本当なら、こいつは俺たちの娘……。
落ち着いた銀千代はたまに見せる冷静 沈着なモードで春千代の頬に冷えピタを貼り「信じるよ」と言った。
「え……、ママ、ほんとう!?」
「どこの世界に自分の娘を信じない母親がいますか!」
「ふえええん」
銀千代が優しく春千代を抱き締める。慈愛に満ちた表情をしていた。数分前のやりとりを考えたら情緒不安定すぎて吐き気がしてくるレベルである。もうなんていうか、どこかうさんくさいんだよな。
「たしかに銀千代はカリフォルニア大学のみんなとタイムマシンの研究をしてるしね」
にっこりと笑って銀千代は優しく春千代の髪を撫でた。
「なんでそんなもの……」
「ゆーくんと永遠の時を過ごすためだよ」
さいですか。
「それにね。この子が乗ってきたタイムマシン、さっき拝見させてもらったけど、本当によくできてたんだ。これならたしかにうまくいくんじゃないかな」
「え、引き出しの中のやつ?」
俺が見たときは穴が開いているだけだったが、エネルギーとやらがたまったのだろうか。
「うん。エネルギー充填120パーセントみたいだし、もういつでも未来に帰れるよ。多少の調整は必要だけど、これぐらいなら、いまの銀千代でもうまくやれると思う」
「なんでわかるんだよ」
「これから作ろうと思ってたのと同じデザインと仕様だからね」
銀千代は微笑むとつんと春千代の頬をつついた。
「でも、タイムトラベルはタイムパラドックスを引き起こす可能性があるし、どの程度未来に影響を及ぼすかわからないから、もう二度と使っちゃだめだよ。少なくともある程度の安全性が確保されるまでは」
「うん。わかったよ! ママ」
「じゃあ、春千代を未来に帰すね。十年後にまた会おうね」
銀千代は伸びをして立ち上がり、俺の机の引き出しを開けた。なに我が物顔で人ん家の引き出し勝手に開けてんだよ。無許可だぞ。
「それじゃあ、ゆーくんは部屋から出ていって」
「……なぜ?」
俺の部屋だぞ。
「現状タイムトラベルが行えるのは小柄の女性だけなんだ。タイムマシンを作動させた時に発せられる「もつれ」が男性にどんな影響を与えるかわからないから念のため離れてて」
「なんでそんな性区別あんだよ」
「女性は男性よりも脂肪分が多いからある程度もつれを抑える事ができるの。娘の門出は銀千代な見守るから安心してて。パパさん」
なんかうさんくさいな。一見筋が通っているように思えるが、その実意味がわからないし、単純に俺を部屋から追い出したいだけじゃないのか?
「わかった。下の階にいるから終わったら声をかけてくれ」
まあ、いい。あえて乗ってやろう。
俺はこっそりスマホの録画を開始して、その場に置き、部屋を出る。
一階のリビングで夕方のしょうもないニュースを眺めていたら、数分後に銀千代が「終わったよー。春千代未来に帰ったよー」といつも通りの笑顔で声をかけてきた。
「おう、おつかれ」
以下、録画を確認して判明した、俺が部屋からいなくなった後のやり取りである。
パタンとドアをしまると同時に、銀千代と春千代は深く「ふぅー」と息をついた。
「それじゃあ、プラン通りに」
銀千代が開けっぱなしにされていた引き出しを閉めて春千代に声をかける。
春千代は不機嫌そうに唇を尖らせていた。
「なんで頬をたたいたんですか?」
冷えピタのはられた右頬をさすりながら春千代が尋ねる。
「アドリブは要らないってあれほど言ったよね。なんで台本をまもってくれなかったの? 返答によっては、左の頬も差し出してもらうよ」
「え、えと、あの場面では手を繋ぐのが普通かなって思って、それに、ゆーくんが優しくて、思わず……その、すみませんでした」
「……まあ。優しいのもかっこいいのも事実だから今回は大目に見るけど、次回はないからね」
「す、すみませんでした」
銀千代は浅くため息をついて俺の机の引き出しを開けて中から茶封筒を取り出した。あんなものいれてなかったはずだし、さっき見たときは穴が開いていたのに、今は直されているようだった。
「これ、報酬」
「ありがとうございます! それで、その私の演技はいかがでしたか?」
「うん。見込んだ通り上手かったよ。またお願いするかもしれないから、いろんな現場で演技力を磨いてね」
「憧れの先輩から誉められると照れちゃいます!」
封筒を受け取った春千代は喜色満面に窓を開けて、向かいの銀千代の家に入っていった。
「またいつでも呼んでください。銀千代さんからのお願いだったら私にできることだったらなんでもします」
「うん、その時はよろしくね。えーと、名前、なんだっけ?」
以上がことの顛末である。
俺はソファーに腰かけて、ため息を深くつきながら、天井を仰ぎ見た。
今日も一日時間を無駄にした感じがある。現実的に考えたらあり得ないことでも銀千代とそれを主体とした謎の演劇集団のせいで、もしかしたらあり得るんじゃないだろうか、と思わされてしまうのが恐ろしいところである。
だがもう惑わされないぞ。
心を強く持とうと決心をした。十七歳の冬だった。




