第102話:一月、朝の風と木漏れ日
どんなに駄々を捏ねたって時間は前に進み、いつもの通り朝がやって来る。
運命の日。俺はこれから先の人生で今日という日を何度思い出す事になるのだろうか。
昨日は早い時間に床についたのに、結局あんまり眠れなかった。欠伸のあとに、大きなため息をつく。連日の無理がたたったらしい。絶好調を100としたら、40,いや35といったとこか。
ま、泣き言言っても始まらん。
「ウラァ!」
布団をはねのけて起き、顔を洗って、歯を磨いた。
「ラララララゥウルルルル!」
いつも通りの朝。ルーティンは崩さない方がいい。ご飯を食べて、休みにも関わらず制服に袖を通して、玄関に向かった。
「太一」
玄関でローファーを履いていたら珍しく母さんが見送りに来てくれた。
「頑張って」
少し涙が出そうになったが、俺は笑顔で「いってきます」とドアを開けた。
柔らかい朝日が東の空で輝いていた 。雲ひとつない冬晴れ。気温は一桁で空気はツンとすんでいた。吹き抜ける寒風が俺の体温を容赦無く奪っていった。
全国の高三が悲喜こもごもで迎えた本日は、共通テスト一日目である。俺は文系なので土曜だけで済んだが、理系は明日もあると思うと旅の無事を祈らずにはいられない。ライバルであると同時に戦友なのだ。俺と志望校が同じやつらは全員死んでほしいけど。
「よし」
顔をパンと叩いて、大きく息をはく。気温は氷点下近く、息は白いが心はホットだ。父さんから借りた腕時計を見る。時間には余裕がある。いつも以上に気合いをいれて、門を出たら、
「……」
やる気がみるみる萎れていくのを感じた。
「ゆーくんのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉお」
早朝の閑静な住宅街にビリビリと響き渡る声。ご近所迷惑甚だしい。
「合格を祈願してぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええ」
ずらっと並んだ謎の人々。その中心に、学ランでハチマキを巻いた銀千代が立っていた。
「エールをおくるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅうううう」
夢ならばどれほどよかったでしょう。
「フレーぇぇぇぇフレーぇぇぇぇ、ゆ・う・くん!」
ピッピッピッと笛のリズムと共に太鼓と手拍子の音が続く。周りの連中も学ランを着た、やけに顔面偏差値が高い女子たちで……あ、こいつら銀千代の所属しているアイドルグループのやつらだ。
「フレッ、フレッ、ゆーくん! フレッ、フレッ、ゆーくんんんんんんんんんんんんんんんンン!」
体をのけ反り銀千代が叫ぶ。続けて周りの連中もそれに倣って雄叫びをあげる。連中のなかにねじれハチマキの沼袋もいた。お前、……こういう下らないこと止めてくれるって信じてたのに……。
「がんばれ、がんばれ、ゆーくん! がんばれ、がんばれ、ゆーくんんんんんんんんんんンンWRYYYYYYYYYYーーッ!」
恥ずかしさ通り越してなんか頑張れそうな気がしてきた。そうか、これが、もうなにも怖くない、という状態か。
俺はうつむいて必死にこの時間が終わるのを待った。
「我々はゆーくんの努力を知っている!
いや、この眼差しとゆーくんの合格を知っている!」
銀千代がわけのわからないことを叫んだ。まだ続くのかよ、おい。
「ゆーくん、アゲアゲコールいくぞぉー!」
なんか既視感あると思ったら運動会のエール交換だ。
銀千代が叫び、「世界一かっこいい男はぁ、だれだぁ!」
「ゆーくんだぁ!」周りが応える。
そんなくそみたいなやり取りを数回繰り返し、
「世界、いやッ! 銀河、いやッッ! 宇宙、いやッッッ、森羅万象、最強にして無敵な男は誰だッ!?」
「ゆーくぅんだぁぁぁぁ!」
周りの連中が声を挙げる。あ、これ、あれだ。どうでもいいこと考えて心を飛ばさないと持たないやつだ。
こんな朝早くから、銀千代に振り回されて、この人たちも大変だなぁ、と眺めていたら、テレビカメラがあることに気付いた。撮影されている。え、なんで?
「大きな拍手、いくぞぉー!」
「おおー!!」
「三三七拍子ぃ!」
「おおー!」
ちゃちゃちゃ、ちゃちゃちゃ、ちゃちゃちゃちゃ……。
「もっと大きくぅ!」
ちゃちゃちゃ、ちゃちゃちゃ……。
「もっとぉだぁ!」
ちゃちゃちゃ……、
「熱くなれよぉ!」
ちゃ……。
心を飛ばすことによって、ノーダメージ。
「はぁはぁはぁ」
銀千代が息を切らしながら、「ゆーくんの応援を終わります」と小さく呟くと同時に、拍手喝采が響きわたった。
「……あざまーす」
俺は頭を下げて、受験地である大学構内に急ごうとバス停に向かって歩き始めた。
「どうでしたか?」
小走りの俺に追い付いたカメラマンが、レンズとマイクを向けてきた。なんだなんだ。もう放っておいてくれ。頼むから。
「び、びっくりしました」
「この度は「芋洗坂39が受験生を応援する」に応募していただき誠にありがとうございました」
「……ねぇよ」
「え?」
「いや、なんでもないっす。ありがとうございました」
俺、そんなん応募してねぇよ。
「これから共通テストだと思いますが、普段の力を出せるようにがんばってください!」
「あ、あざまーす」
はやく、会場に、会場に行かないと!
会釈してから前を向いた俺の視線の先には、芋洗連中が二列になり、両手を空に掲げて作ったトンネルがあった。無視して別ルートで行こうかと思ったが、同調圧力がそれを許さなかった。仕方なしに前屈みでそこを通る。
「わー!」
「がんばれ、受験生!」
「ファイト、ファイト!」
さながら小学生の卒業式のようだが足早に抜けた先に一台の青いセダンが止まっていた。
俺はこの青いセダンを知っている!
いや、運転席に座る死んだ魚の目をした稲田さんを知っている!
後部座席のドアがガチャリと開いて、学ラン姿の銀千代が笑顔で「乗って!」と言った。早いなこいつ、次の行動が。
「……バスで行」
「くより車で行く方が断然早いよ! 大丈夫、もし遅刻しそうなときはサイレンならすから!」
韓国の受験生かな?
まあ、確かに早く会場についた方が予習できるし、効率いいか、と車に乗り込んで、「あの、お願いします」と運転席の稲田さんに声をかけた。稲田さんは無言でグッと親指をたてた。なんもかっこよくない、普通に行けば間に合う。
そのまま車が発信していく。
「わぁぁぁ!」
「がんばれぇ、ゆーくん!」
「ふぁいとぉー!」
アイドルたちに見送られる受験生。彼女たちが持つ横断幕には「栄光はゆーくんの手に!」と書かれていた。
「……あの人たち、なんなん?」
車が大通りに出て、ようやく見送りの連中が消えたところで俺は舌打ち混じりに銀千代に尋ねた。
いや、応援してもらったのはありがたいけど、俺には羞恥心ってもんがあるんだよ?
「バスターコールでメンバー全員召集したんだ。ゆーくんの応援したくてね」
「あ。そうですか。ありがとうございました」
「えへへ、放送予定日は来月5日の25時、芋洗坂バラエティだよ」
「絶対モザイクかけるように言っといて」
そしたら勝手に変な企画に応募したことは咎めないでおいてやる。
と、車内でグダグダ言い合ってたら、試験会場の大学についた。指定された教室に向かう。銀千代もついてきた。
「いや、どこまでくんだよ」
「銀千代も受験生だからね」
「そ、そうか」
そういえばそうだったな。すげぇ暇人みたいな行動ばっかとってるからすっかり忘れてたわ。
そんなこんなで銀千代と一緒に試験会場で共通テストを終えることができた。照れ臭くて言わないが、いつも通り過ぎる銀千代の奇行のお陰で、逆に冷静さを取り戻すことができ、リラックスして試験を受けることができた。




