第99話:十二月の聖夜を待ちわびて
俺にはよくわからない感覚だが、記念日を大事にする人間はわりと多く、ご多分にも漏れず銀千代もそういう人種だった。
個人的には誕生日すらどうでもいいのだけど、クリスマスは彼女にとって記念すべき一日に他ならなかった。
「メリークリスマス!!」
港区六本木。
普通に生きる分には縁もゆかりもない土地の一つだが、大好きな漫画家の原画展が開催されるというので重い腰を浮かせて、高層ビルが建ち並ぶここにやって来た。
なんだかんだで生まれ育った千葉県は都心へのアクセスがいいので便利である。
移動時間はネックだが、それを差し引いても原画展は最高だった。倹約家の俺ですらお土産屋さんで一万円近く使ってしまったほどだ。ほくほく顔で、さぁ帰ろうと地下鉄を目指したら、
「ゆーくん、ゆーくん、ごはん食べてこ」
と銀千代に呼び止められた。
あまりにも楽しすぎて忘れていたが、チケットを取ってくれたのは、銀千代だ。一瞬帰宅ラッシュのことを考えて、断ろうかと思ったが、俺の意思を聞く前にレストランの予約しているとのことで、仕方なくついて行くと、高層ビルのレストランに連れていかれた。夕日に照らされるビル群が眩しく輝いている。十二月の冬場れの空は雲一つなく晴れ渡っていた。風は冷たいが日射しは暖かく、室内の過ごしやすさは秋の日を思い出させた。
「制服で来といてよかったでしょ?」
「……いや、逆に浮いてるだろ」
「ガクセーはガクセーらしくですよ」
ラフな格好で原画展に行こうとしたのだが、銀千代に六本木はおしゃれな街だから制服がいいとあらかじめ言われていたのだ。周囲を見渡すとおしゃれなドレスやスーツを着たお客さんが多い。少なくともこのレストランは学生が来るような所ではない。さっきからちらちら視線を感じる。気まずい。
まあ、美味しいもの食べてさっさと帰ろうとメニューを探したが、どうやらコース料理らしくて、次々と料理が運ばれてきた。生きた心地がしなかった。
「ゆーくん。今日は忙しい時間を銀千代にくれてありがとう」
ノンアルコールカクテルで乾杯してから銀千代は言った。
俺は目の前のスープの食べ方を必死に記憶の引き出しから探し出していた。こんなことなら、校外学習のテーブルマナー教室を真面目に受けていればよかった。
「別にね。クリスマスなんてほんとはどうでもいいんだよ。だけど世間一般では恋人同士の時間だって言われてるからゆーくんと一緒じゃないのは世間の人に見下されてる気がしてやだなぁ、っておもって。だって、銀千代とゆーくんは世界で一番幸せなカップルなんだからさ。なんか、そういうところで有象無象の連中にマウントとられるのもいやじゃない? ほんとは他人なんてどうでもいいだけどね、銀千代は」
「そうですか。はい」
くそどうでもいい発言を聞き流しながら、俺はスプーンを手に持った。
はしっこに配置された食器から使用していくんだったな、たしか。
「だから、勉強を邪魔しちゃって申し訳ないと思いつつも、ゆーくんが銀千代に「時間」をプレゼントしてくれて本当に嬉しいんだ。ほんとにほんとにほんとにほんとに嬉しいんだ。嬉しすぎちゃってどうしよう」
「そうですか」
音をたてて、飲んではならぬ。
ゆっくりとスプーンをスープに近づける。
「でも、ゆーくんの勉強時間を奪ってしまったのは事実だから、そこは反省。だからこそ、銀千代はゆーくんに「学力」もプレゼントしたいなって思ってるんだよ」
「……そうですか」
すくったスープに舌鼓をうつ。うむ、うま、
「ん?」
いまなんつった?
「えーと」
学力をプレゼント、とか言ったか?
聞き間違いか?
そりゃ学力が貰えるなら、もろ手をあげて大喜びするところだけど、こればかりは本人の努力だから、プレゼントされるようなものではない。
「いまなんて……?」
「学力をプレゼントだよ。ゆーくん。今年のクリスマスは自発的にゆーくんの「知力」が上がるように手を打っておいたんだ」
概念バトルか?
「……どうやって……?」
「こ、ここじゃ、少し恥ずかしい、けど……、ゆーくんがどうしても、っていうなら、やぶさかではないよ」
「……なにが?」
照れたように顔を赤くする銀千代。夕日のせいかと思ったが、両耳が赤くなっている。
「もう、仕方ないな。ちょっとだけよ」
銀千代はそのままもじもじと体をよじらせながら、少しだけ緊張した面持ちで襟を親指で広げ、鎖骨を見せてきた。なんのアピールだ、と首を捻ったが、首筋をよくよく見ると、小さな文字でなにか書いてある。
「……?」
テーブルから身を乗り出して文字を読んでみる。
なにか……。
山田くん:今日は日本史について学んでいこうと思うんだ。
佐藤さん:そうだね。私、戦国時代に興味があるの!
山田くん:ぼくは戦国時代だと織田信長が好きだな。彼はA年の桶狭間の戦いでBを破ったことで有名だよね!
佐藤さん:私は大河の徳川家康が推し! 彼はC年の三方原の戦いでD相手にうんこもらしたらしいわよ!
問一、以下のアルファベットの組み合わせとして正しいものを選べ。
「……なにこれ……」
なんか自分の好きなことを語り合うオタク同士の会話みたいなのが、銀千代の白い肌に直接書かれていた。
「日本史Bだよ」
「日本史B!?」
「うん。今年の共通テストの予測問題を体に書き込んだの」
「体に書き込んだの!?」
なんで??
「ちなみに問題の答えは乳房にあるよ」
「答えは乳房にあるの!?」
なんで!?
「全身に問題が書いてあるから、楽しみながら服を脱がせてね」
「バカなんじゃないの!?」
アホすぎて頭が痛くなってきた。
「あ、大丈夫。水性マジックだから。あっ、ただ、お風呂入ったら消えちゃうんで、一回戦目はそのままして、お風呂はいってから復習しよ!」
「マジでなに言ってんの!?」
身体中に共通テストの予想問題が書かれているのだとしたら、それはもはや恐怖だ。耳なし芳一も真っ青である。
「あ、そうだよね。一回戦でも汗かいちゃうと消えちゃうね。本当は掘ろうかどうか悩んだんだけど、ゆーくんは刺青いれてる女の子嫌いかな、って思って踏みとどまったんだ」
「……」
今回唯一正解にたどり着いたな。
「銀千代も本当は背中にゆーくんラブって彫りたいんだけど、そうすると将来的に一緒に露天風呂とかプール行けなくなるからいれてないんだよね。まあ、でも、ゆーくんは銀千代の白い肌が好きだから、このままでいいかな、とは思ってるんだけど、実際どうかな?」
「……」
「手首くらいならセーフかな?」
「い、いまのままで」
「了解!!」
銀千代は敬礼しながら白い歯を見せて笑った。
はやく飯食って帰ろう。
次の料理来ないかな、と厨房に目をやる。
レストランは常にお洒落な雰囲気に満ちていた。少し暗い照明に、ゆったりと流れるジャズ。客層は富裕層といった感じでどこまでも俺たちは浮いていた。
そのあともイカれた会話をしつつ、豪勢な料理に舌鼓を打った。
初めてキャビア食べた。美味しかった。
食後、会計しようとしたら、もうすでに清算は済んでいるらしく、そのままエレベーターホールに移動した。どうやら銀千代が予約の段階で終わらせていたらしい。
「いくらだったんだ?」
半額払おうと尋ねたが、「うふふ」と笑うだけで教えてくれなかった。
ぞっとする金額な気がした。料理自体はすごく美味しかったけど、気疲れがすごいので、あんまり味を感じなかった。
エレベーターが地上へと向かう。表記がカウントダウンとのように1へと近づいていく。乗客は俺たちだけだった。
「銀千代、今日はありがとうな」
原画展は最高だったし、景色いいところでうまい飯食えたし、文句はない。会話はちょっとアレだったが。
「ううん、こちらこそゆーくんの貴重な時間をもらえて感謝しかないよ」
「これ、……クリスマスプレゼント」
タイミングとしてはあまりよくないのかも知れないが、誰にも見られずに渡せるタイミングが他に思い付かなかった。
鞄から取り出したラッピングされた箱を手渡す。
「え」
銀千代が嬉しそうに目を見開く。
「そんな、ゆーくん、プレゼントだなんて……」
「まあ、なんだ。わざわざチケット取ってくれたし、あんまり見返りにはなってないかもだけど、そのお礼で」
「ありがとう。ゆーくん、大切に使うね」
「……」
なんか中身わかってるみたいな言い方だが、あんまり突っ込むのも野暮なのでやめておいた。
銀千代は受け取った箱を愛しそうに胸に抱いた。
中身は手袋だ。今年の冬は寒いらしいし、正直なにあげたらわからなかったので、とりあえず無難なところを選んでおいた。
チン、と音がした。どうやらエレベーターが地上階についたらしい。銀千代は顔面を涙と鼻水でぐちょぐちょにしていた。エレベーターを降りるときすれ違った客がギョッとした表情で彼女を見た。
「ゆーくん、銀千代もね。ゆーくんにプレゼントがあるんだ」
建物から出るためエントランスに向かう道中で、しゃっくり混じりに銀千代がいった。
「ん? レストランの食事とかだろ? もう十分だぞ」
「ここからが本番だよ」
エントランスのガラス扉を抜けて、「な」言葉を失った。
「……んだと」
雪が降っていた。
一面の雪景色だった。
「バカな」
さっきまで快晴だったはずだ。
青空を眺めながら原画展を楽しんで、きれいな夕日を眺めながら早めの夕食を食べたはずなのに、こんなに急激に天気が変わるはずな
「え」
遠くをみると、雪が降っているのは俺たちのいる建物の周囲だけだった。
「ホワイトクリスマス……」
銀千代がうっとりと言う。
俺は星の瞬く夜空を見上げ、雪が降る先を見つめた。高層ビルの明かりがせっせと働く人影をいくつか写し出している。
「どゆこと」
ザルみたいなもんを振って、はらはらと白い粒が地面に落ちていっている。局地的な異常気象は人力らしいが、野次馬はわりと嬉しそうにはしゃいでいた。
「雪を降らすために短期バイト雇ったんだ。人工雪になっちゅうけど、ゆーくんと眺める雪は特別な気持ちにさせてくれるよね」
クリスマスにくそみたいな事をさせられるアルバイトの気持ちを思うと胸が痛くなってくる。
「お前、こんな、局地的な雪を降らすためにいくら使ったんだよ」
「今日は寒いね……」
銀千代は俺の質問に答えず、わざとらしく手のひらを皿のように広げて雪を受けた。
「シャワー浴びて暖まらない? 近くのホテルを予約してあるんだ」
「……」
こいつのこういう金にものを言わせるスタイル、好きになれないな。
「帰る」
できるだけ物事を荒らげない笑顔を浮かべて、俺は地下鉄へダッシュした。途中も降り積もった雪に足を滑らせそうになったが、なんとか持ちこたえた。
明日もきっと晴れるだろう。




