第98話:十二月は琥珀色の記録
「ゆーくんのドキュメンタリーを撮りたいと思うのでいつも通りに過ごしていてください」
プロ仕様のデカいカメラを持った銀千代が、登校しようと玄関から出たばかりの俺に、訳のわからないことを宣った。
小さな顔がカメラでほとんど埋まり、パッと見映画泥棒のように見える。
いつもは鞄とか靴先に小型カメラを仕込んでいるのに、もはや隠すことすらやめたらしい。せめて慎みを持ってほしい。
「盗撮やめろって散々言ってきたけど、オープンに撮っていい、って意味じゃないからな」
そういえば犯罪者は一度犯行が成功すると、再犯時、どんどんと大胆になっていくらしい。
「あ、違う違う。言い間違えた。PTAの卒業委員の仕事をお手伝いしてるんだ」
「卒業委員……卒アルとか作るやつか?」
「そうそう。生徒の日常風景をムービーにして卒業式で流すんだって。ゆーくんも高画質の4K録画で未来に残りたいでしょ?」
「卒業製作だったら、俺を撮るのは違うだろ」
「ゆーくんも卒業生だからね。素材は多い方がいいでしょ? ついでに結婚式用のメモリアルに使っていい?」
「いやだ。撮るな。肖像権があんだぞ」
「報道の自由があるから大丈夫だよ」
「なにも大丈夫じゃないから」
無視して歩き出すが、カメラを下ろすことなく銀千代は俺のあとに続いた。
「銀千代はねぇ、ゆーくんとのメモリアルを永久保存したいと思ってるだけなんだよ。いつもは自然体のゆーくんを納めてるんだけどたまには変化があったほうが面白いかなぁって思って。カメラに緊張を悟られないようにドキドキしてるゆーくんとか……いろんな表情を残したいって思ってるんだ」
「卒業製作じゃねぇのかよ。俺撮ってどうすんだよ。大体そんなデカいカメラ……先生に怒られるだろ」
「撮影許可はとれてるよ。金守にも協調性があったんだなぁ、って喜んでた。銀千代もなんだか誇らしくなったよ」
「嘘ついたからだろ」
ため息をつくが、こいつには伝わらないし、たぶんいくら言っても聞かないだろう。
「俺だけじゃなくて他のクラスメートもちゃんも撮れよ。卒業製作だったらな」
「うん! もちろんわかってるよ」
はい、俺しか写ってない動画が完成する未来が見えました。
「俺の出演時間は一割以下にしろよ。むしろ写ってなくていいから」
「そんなのメモリアルじゃないやい」
やい、じゃないわい。
「九割五分をゆーくんにして、残り時間を、百分割くらいの画面にした卒業生を流すつもりだったんだけど……」
サブリミナルかな?
「ダメに決まってんだろ。頭沸いてんのか? 何分の動画か知らないけど、ちゃんとみんなが見て納得できるようなのにしろ。それが条件だ。俺しか写ってないとか俺ばっかり写ってるとか、そういうのはまじでやめろ」
「もちろん、任せてよ!」
どんと胸を叩く銀千代。
いままでの長い付き合いで大体わかっているが、今回に関してはまじで言わせてもらおう。
「いいか、お前に必要なのは客観視だ」
「客観視? 生まれたときからしてきたよ。家庭の事情でね」
「いいや。してない。ともかくお前の完成させた動画を見て、写ってないことを悲しむクラスメートとかがいないようにしろ。俺ばっかりとかは絶対にやめろ」
「わかってるよー。ゆーくん、安心して。卒業製作だからね、卒業製作」
わかってたら初っぱなあんな言い間違いしないんだよ。
疑心暗鬼のまま凍てつく十二月の通学路をひた歩く。吐き出す息は白く、指先もすぐにかじかんでしまう。地面の落ち葉が物悲しく北風に舞っていた。
そんなこんなでカメラマンとなった銀千代は一日中、カメラを持って行動した。
意外なことに、授業風景から休み時間まで銀千代は思ったよりちゃんと撮影していた。
さすが芸能関係の仕事をしているだけはある。自然光の入り方や人物の動きなどかなりこだわって撮影しているのがわかる動き方だった。
体育の授業のときとかは短距離走で走る俺に並走して撮影してきたときはさすがに注意したが、わりと他のクラスメートも撮影しているようで安心した。
とはいえ、いつも通り俺に執着しているのは変わりない。
一番面倒くさかったのは昼休み、お弁当を食べているときだった。正面に座った銀千代は、「今日はどんな風に撮られたい?」とかくそみたいな質問を始めたので「おいカメラ止めろ」とすぐに止めさせた。
「銀ちゃんがカメラマンじゃ写れないじゃん」
と放課後花ケ崎さんが笑って教室の一番後ろのロッカーにカメラを置いて女子がわちゃわちゃと踊る動画を撮っていたときは、銀千代もクラスに馴染めているようでほっとした。入学したばかりの頃はあんなに浮いていたのに……。感動で涙が出そうになった。ついに銀千代は社交性を手に入れたのだ。
そんなこんなで放課後を迎え、帰路につく。当然カメラを持った銀千代もついてきた。
「いつまで撮ってんだよ。もういいだろ」
寒すぎて自然と早足になるが、銀千代は平然とカメラを肩に担いでいる。
「ゆーくんのいろんな表情を撮るまで終わらないよ。いいよーいいよーその顔すごくかっこいいよ! 次ちょっとネクタイ緩めてみようか!」
「やめろ。卒業製作じゃねぇじゃねぇか」
「横顔もクール!」
呆れてため息をつく。
「ともかく学校終わったんだからもう撮るな」
「学校は終わってないよ。校舎もちゃんとあるし」
「そういう小学生の屁理屈みたいな話はしてないんだよ。一日の授業が終わったら卒業製作用の素材は十分に集まっただろ。もう撮るなって」
「家に帰るまでが一日だよ! 銀千代とゆーくんのお家は隣だからそれまでは撮影を続けるよ。だって銀千代は卒業委員だからね!」
その仕事に微塵もプライドないくせに。とりあえず家に帰れば銀千代は撮影をやめてくれるなら、まあ、なんとか安心できそうだ。
まだ五時過ぎだというのにあたりはすでに真っ暗だ。遠くの街明かりが冬の星座よりもキラキラと輝いている。
「あっ、そうだ、ゆーくん、今日撮れた映像一緒に確認しない? 早回しで見たらそれほど時間かからないだろうしさ。一緒に編集作業したらゆーくんの不安もなくなるでしょ?」
「むっ」たしかにその通りだ。
成長している。
感動で涙がでそうだ。
まさかこいつの口からこんな建設的な意見が出てくるなんて。
「そうだな、そうしよう」
喜ばしさをできるだけ抑えて頷いたら銀千代は朗らかな笑みを浮かべて頷いた。
母さんに帰宅がすこし遅くなるとメールをして、隣の家の門を潜る。
こいつの家に上がるのもずいぶん久しぶりだ。
「ただいまぁ」
共働きの銀千代の両親は今日も不在らしい。薄暗い廊下を歩いて「ささ、ゆーくん、あがってあがって」と銀千代の部屋にいく。出迎える人のいない家はどこか寂しさが滞留しているようだった。こいつが俺に付きまとうのは家族の寂しさに飢えているから……というのもあるのかもしれない。と、ぼんやり思いながら、あとに続く。
「ちょっと待っててね!」
自分の部屋に着いた銀千代は壁のスイッチを押して電気をつけた。
明るくなると同時に、
「はぁ……」
知らず知らずのうちに息が漏れていた。
相変わらずやべぇー部屋だ。
先ほどまでの考えを一笑にふすほどの強烈な光景。壁一面に大小様々な俺の写真。ほとんどが隠し撮りだ。
環境でサイコパスになっただと? 違うね!
こいつは生まれついてのサイコパスだッ!!
「壁に写真貼るのやめろって言っただろ」
「鳥は空を飛ぶし、魚は海を泳ぐの。それをやめろだなんて、残酷なこと言わないで」
鞄を床に置いて、銀千代は羽織っていたロングコートを脱いでから、丁寧に畳んだ。
「下手くそな例え話やめろよ。ストーカーのテンプレみたいなことしやがって。もう一周回ってなんも新しくもないからな。写真をベタベタ壁や天井に貼ってなんの意味があんだよ」
「ストーカー? 推しの写真を貼ってるだけだよ」
くぅ、こいつの思考回路だけは理解できない。理解できないことに慣れ始めてる自分が怖い。
「ゆーくんという推しに見つめられてると思うと銀千代は毎日頑張ろうと思えるんだ。だから写真ははがせない」
「カメラ目線の無いけどな」
あ、一枚だけあった。
入り口の近くに貼られた等身大のやつ。いつか無理やりカメラ目線で撮影されたやつだ。唇と股間の部分がなぜかふやけて黒ずんでいたが、あえて気付かないフリをした。
「さ、ゆーくん、そんなことより早く動画編集しようよ」
俺のツッコミを無視して銀千代が部屋から出ていこうとした。
「あれ、この部屋でするんじゃないの?」
「ここの設備は万全じゃないからね。荷物を置きに来ただけだよ。編集室はこっち。ついてきて」
そのまま廊下を奥に進むと、突き当たりに書庫のような部屋があった。銀千代の親父さんはお医者さんなので本棚には難しそうな医学書がずらりと並んでいた。そのうちの一冊の分厚い本を引き抜いて、銀千代は隙間にあったボタンを押した。
「ええ!」
ゴゴゴゴと音をたてて自動で本棚がスライドし、扉が現れた。
「なんだこれ!」
悔しいがテンションが上がる。秘密基地のような部屋の登場である。隠れキリシタンの礼拝堂みたいだなって思ったら少し落ち着いた。
「うふふ、編集室だよ。本当はゆーくんと籍いれるまでは秘密にしておこうと思ったんだけど、夫婦で隠し事があるのはよくない、と思ってね」
えげつないこと言いながら、銀千代は微笑み、現れたドアを開けた。
「さ、こっちだよ」
部屋に招き入れられる。
真っ暗な部屋だった。壁一面が黒く、奥のほうにモニターが四台、パソコンが三台おいてあった。
「今電気つけるね」
銀千代が壁のスイッチ押し室内が明るく照らされ、
「……」
四方の壁は天井の高さまで本棚になっていた。ぎっしりとなにか収まっている。
「これ……」
おそらくブルーレイディスクのパッケージだ。映画かと思ったが、どうやら手作りのものらしい。棚の隙間にはプレートがさされており、年号が記載されている。収まっているテープの背面には、ラベルが貼られていて、日付と場所が書かれていた。
「なんだ……」
壁にある一本を手に取り、貼られたラベルを見る。
七月十五日、カラオケ。
「……」
パッケージをひっくり返すと、写真が四枚貼られていた。
「ひぃっ!」
マイクを持って顔を真っ赤にしている俺の写真。おそらく録画されているのは、カラオケに行ったときのやつだ。
まさか、この、壁にぎっしりつまったディスク……、
八月十三日、神奈川県、湘南、海。
九月一日、千葉県、図書館。
九月十四日、千葉県、動物園。
パッと見ただけで、ディスクのラベルがヤバイ。
「うそ、だろ」
毎日毎日銀千代は俺の行動を動画に編集し、ディスクに焼いて保管しているのか!?
「うふふふ」
銀千代の機嫌良さそうな笑い声が響いた。
「ゆーくんのいろんな表情を後世に残したいって思ったんだけど、いまいち足りない表情があることに悩んでて」
「表情…… 」
「でも、いま達せられたよ」
「はぁ?」
「ちょっとひきつった笑み。この表情がほしかったの」
「は、はは」
人間絶望すると笑いが込み上げてくるらしい。
改めておれは自分自身にプライベートというものが存在しないことを悟った。




