最終話:I wanna be your lover
耳元で空気が弾ける音を聴いた。
目を開けると、視界がぼやけている。
どこだ、ここは?
まるでぬるま湯に浸かっているように、心地よい。
いや、まて、
「……」
ガチでぬるま湯に浸かってた。
変な酸素マスクみたいなのつけられ、円柱形のガラスケースみたいな水槽に入れられている。
目が覚めたら水中だった。
「ごぼっ、ごぼっ!」
口を開けたら空気が漏れた。いかん、と慌ててマスクをあてがう。
腕を動かした拍子に、つけられていたコードがぶちぶちとちぎれた。なんだこれ。
ビービー、と警告音が鳴り響くと、ブシューと音がして、浸かっていた緑色の液体が水槽から排出されていった。
ドボドボと配水管から水が流れていく音を聞きながら、不可解な現状にまた頭をひねる。
重力を取り戻した俺はその場にへたりこみ、自らのふやけた手のひらをじっと見つめた。
「えーと、これ」
どういう状況?
「ゆーくん!!!」
金属の棒をぶつけ合った時みたいな甲高い声で叫ばれた。
ぼやける視界が水槽の前で大粒の涙を流す少女を捉える。
「ぎんち‥‥」
先ほどまでいっしょにいた、いや、髪の毛が伸びている。
これは、もとの、もとの世界の金守銀千代だ。
「目が覚めたんだね。気分はどう!?」
「……最悪なんだけど」
「えっ」
銀千代は心底ショックを受けたみたいに顔を青くすると、手元にあったリモコンのボタンを押した。
「わっわっわっ、ちょ、ちょっとまて!」
また緑色の液体が水槽を満たし始めたので慌てて、水槽をガンガン叩いて制止させる。
「気分は、気分は大丈夫だから、一回止めろ! なんだこのベジータがナメック星で入ってたカプセルみたいなやつは」
「ベジータがナメック星で入ってたやつだよ」
ベジータがナメック星で入ってたやつ!?
「身体の異常を回復させるためにドラゴンボールを参考にして銀千代が開発したんだ」
「……」
いま、間違いなく、はっきりした。
俺はもとの世界に戻ってきたんだ。
「なんでこんな……」
「ゆーくんが三日前くらいに頭を打った衝撃で、記憶喪失になっちゃって。花ケ崎さんと付き合ってるとかわけのわからないことを言い始めるから、回復装置を作ったんだよ」
だめだ。回復装置がだんだんミュウツーが入ってたやつに見えてきた。
「えっと、とりあえずその件については後で説明するから、ひとまずここから出してくれ。……あと服くれ」
さすが銀千代。俺に対しては聞き分けがいい。
どうにかカプセルから脱出した俺は、頭部につけられていたヘッドギアのようなものを外しながら、なんとか今の自分が銀千代の奇行になれている『ゆーくん』であることを伝えた。
「よかった! つまりゆーくんと銀千代の愛の絆で記憶を取り戻した、ということだね!」
「絆、ね」
周囲を見渡す。
悪の組織の秘密基地みたいな場所に俺はいた。カプセルがずらっと並んでいる。そのほとんどが空で、臓物が浮いていないのだけが救いだ。
「お前これなんだよ……」
「ゆーくんになにかあったときのために回復装置を量産したんだ」
「人体実験場の間違いだろ」
と、へらへら笑いながらカプセルを眺めていたら奥の方の一つに人影があった。
え、嘘でしょ?
「花ケ崎さんッ!?」
洗脳ヘルメットみたいなのを被ったスク水姿の花ケ崎さんがぶちこまれていた。
「おまぅ、おまっ!」
言葉もなく指差す。
「ああ。さっきも言ったけど、ゆーくんの調子が悪いときにカノジョ面してたからね。花ケ崎さんはとぼけたけどなにかしらの事情があると踏んで、記憶の抽出をしてるんだ」
「記憶?」
「花ケ崎さんの意識をパソコンにアップロードして、直近の記憶を読み取ろうとしてるんだけど、なかなかうまくいってないんだ」
「い、いますぐやめさせろ!」
「え、やめていいの? 一応そのあとの処理として銀千代の意識データを花ケ崎さんの脳に直接ぶちこんで、見た目花ケ崎さんの銀千代を爆誕させることもできるけど……」
「そんなこと微塵も望んでないから!」
なんとか実験をやめさせることができた。
同じように水槽から解放された花ケ崎さんはまず俺が元通りになっていることを喜び、「これで銀ちゃんに命狙われないですむよー!」と手を叩いた。
なんでも、俺から、身に覚えのない復縁をせがまれて困っていたのだという。申し訳ないことをした。結果として銀千代に「なにした!」と執拗に命を狙われた花ケ崎さんは仕方なく身の潔白をアピールするため自らカプセルに入ったというのだ。この人も大概頭のネジがぶっとんでる。
「ねっ、だから言ったでしょ、銀ちゃん! アタシはトワさんを誘惑なんてしてないって!」
「ごめんなさい。ゆーくんの回復を見守るのに夢中すぎて、あなたの記憶データの確認忘れてた」
「……」
ひとまず花ケ崎さんが無事でよかった。
銀千代の秘密工場から出て、花ケ崎さんと別れる。スマホを確認したら朝だった。ついでに連絡先を見てみたが、間違いなく、俺のスマホだった。
戻ってこれたのだろう。
「なんだったんだろうな……」
奇妙な経験だった。
ムーとかに読者体験として送ったらなんかもらえたりしないかな、とぼんやりと秋の空を眺める。
柔らかい陽射しに心地よい朝の気温だった。
こう気持ちがいいと、先程までの経験が、もしかしたら夢だったんじゃないかと思えてくる。
「いこっか、ゆーくん」
河川敷の廃……いや、いまは秘密工場か、入り口の施錠を終わらせた銀千代が晴れやかな顔で俺の隣にかけてきた。
先に出ていった花ケ崎さんが土手の階段の上から手を降っていた。
記憶の抽出か。
銀千代が施錠している間、暇だったので、スマホで脳の記憶の書き換えについて調べていたら、実際に他人に擬似的な記憶を埋め込む技術は開発されているらしい。
先ほど俺が使っていた機械。頭に変なヘルメットをつけられていたが、
「まさか、だよな……」
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
二人並んでゆっくり歩きだす。
寝床に帰り忘れた夜虫がリンリンと鳴いていた。
話すこともないので、不思議な世界の体験談をより詳しく教えてあげることにした。
銀千代は簡単な相槌を打つぐらいで、話に茶々をいれることなく、俺の言葉が止まるのを待った。
「世の中には不思議なことがあるんだねぇ」
話を聞き届けた銀千代が軽い感じで呟いた。他人がいきなりこんな話をしたら、半笑いで「嘘をつくな」と突っ込むのが普通だろうが、銀千代に至ってはなんの疑問点を抱くことなく無条件で信用してくれた。
「とりあえずお疲れ。おかえりなさい。ゆーくん」
事態はもっと切羽詰まっていたはずだし、もし先ほどまでの経験が事実だとしたら、あちらの世界の俺の無事が非常に気になるところではある。こちらの銀千代にトラウマを抱えていないだろうか。
「でも、これではっきりわかったね」
「なにが?」
「銀千代はどこの世界だろうと、ゆーくんを世界一愛してるってこと。なにがあろうとも」
「愛なのかな」
俺自身のトラウマを払拭したことであちらの世界の銀千代が生まれたのだとしたら、愛というよりも義理と情で動いてくれたような気がする。
「愛という呼び方が嫌いなら好きに呼んでいいよ」
銀千代がにこにこと、わざとらしく手を大振りに前をいく。
「心の底から沸き上がる感情に名前なんてなくていい」
「……そうかもな」
「ゆーくんが銀千代を忘れても、銀千代がゆーくんを忘れても、この心の感情は変わらない。絶対不変のものだから。
明日世界が滅んでも、死が二人を別れさせたとしても、銀千代はゆーくんを思い続けているんだよ。だからね、安心して」
しばらく道を行くと茶色い三角形の屋根が見えた。土手の近くの東屋だ。沼袋や花ケ崎さんと語らった、ささくれだったベンチとテーブルも変わらず存在している。
周りに群生するススキが朝の風に揺れ、波音のようにさんざめいている。
「今日もいい天気になりそうだね」
晴れ渡る青空に目を細めて、銀千代が明るく言う。
「こんなに晴れてるから、今日はどこかお出かけしようよ」
「そうだな……」
それもいいかもしれないが、なんだかどっと疲れてしまったので、
「なぁ、銀千代」
「んー?」
「ちょっとそこで休んで行こうぜ」
と、相も変わらず元気はつらつな少女に声をかける。
「もちろん」
と銀千代は大きく頷いた。
屋根の下で、なんの話をしようか、いつもみたく、彼女にリードされるのは嫌だな、と考えた。
だからたまにはこちらから、と思ったところで、別にあせる必要なんてないだろう、と思い直した。
見下ろした川面が黄金色に輝いている。秋の風が優しく吹き抜けた。
他人とか時間とか、そういうものは気にしなくていい。
話したいことがあればその場の流れでいいはずだ。
幼馴染みはきっとそういうものだから。
寂れたベンチに腰かけて、俺はゆっくりと息を吸った。
「銀千代、あのさ」
今回の投稿で今度こそ終わりにしたいと思っています、が、なんだかんだで、また続きを書きそうな気がするので、その時、またお会いできたら嬉しいです。
読了、ありがとうございました。




