第92話:Wish You Were Here 1
日もすっかり短くなって、真夏の暑さが思い出せなくなるほど、肌寒くなってきた、ある秋の日。
世の中なにがあるかわからないもので、友人の鈴木くんが撮影したミュージックビデオが、動画配信サイトで脚光を浴び、それが呼び水となって、初作品の動画に注目が集まった。
「あの幽霊役の子、バニラちゃんらしいよ!」とバズると同時に、撮影地の旧犬山トンネルの不穏な噂がインターネット掲示板で話題になっていた。
17時にトンネルを抜けると、神隠しにあうというのだ。しかも消失した人間のことを思い出せなくなるらしい。
大学生四人が肝試しをし、何事も無く宿屋に戻ったとき、なぜか五人分の荷物があったと騒いだことが噂の発端だった。
「本当にそんなことあるのかね」
トンネルの前に立ちながら、先程までの会話を思い出してみる。吹き抜ける冷たい風はキンモクセイの香りをまとって俺の鼻孔をくすぐっていた。
「春先に撮ったトンネルの動画あるじゃん」
銀千代が足りない出席点を補うために補講に参加しているある日の放課後。久々の安寧に胸を撫で下ろしながら、友達の鈴木くんとファミレスで軽く勉強してから、まったり帰宅していたら、道中、真剣な顔をして言ってきた。
「こないだ映画研究サークルに頼まれてさ、あの動画、文化祭で放映することになったんだよ」
「あのくそ動画?」
青春時代を映画の研究に費やすと決めた連中の考えることはわからない。
「なにが面白いんだ? ストーキング中の銀千代が写りこんだだけで心霊動画でもなんでもないって説明したじゃん」
鈴木くんは鼻を鳴らすと、謎の冊子を鞄から取り出して俺に突きつけてた。
つむじ風が地面の落ち葉を巻き上げて舞っている。今日はいつもより風が強い。
バサバサとページを揺らす冊子を受け取り、歩きながら眺める。
「ところがどっこい、調べてみたら、やべぇんだよ。町から見ると風水学的に丑寅の方角にあたるんだよ!」
うしおととら?
「だからなんだよ」
開かれたページには、この街の地図が丁寧に描かれていた。トンネルのところが赤丸で囲まれている。
「 それにほら次のページ!」急かされながら、ページめくると、眉唾なオカルト話が箇条書きされていた。
ネットでの噂を拾ってきたものらしく、天井に張り付く長い髪の女がいたとかなんとか書いてある。銀千代の可能性が微粒子レベルで存在している。
「オカルト研究部からの情報だから間違いないよ」
間違いないのか?
「うちの学校にあったんだ」
なにを思えば青春をオカルトに捧げようと思うのだろう。とちらりと思ったが彼らも帰宅部には言われたくないだろう。
「もしかしたら俺は眠れる獅子を目覚めさせてしまったのかもしれない……」
鈴木くんは神妙な顔をして呟いたが、ふざけているようにしか見えなかった。
「そんなに言うなら見に行くか」と退屈をもて余した俺たちは、数十分後、再び町外れのトンネルの近くに立っていた。
俺が調査する係りで、
「よぉーし、カメラ回すぞぉ」
鈴木くんが撮影する係りだ。顔にはモザイクをつけてくれると言うし、後でラーメンをおごってくれるというので文句はない。
この映像も文化祭に使うかもしれないとのこと。
結局のところ鈴木くんは再びネットでバズりたいだけなのだ。
ミュージックビデオ以降彼は低迷していた。
コーラにメントスを入れてみたとか遊戯王カード開封してみたとかそういう動画を配信サイトに投稿しているみたいだが、使い古されたネタに再生数が伸びるはずもなく、肥大した承認欲求は行き場を求めてさ迷っていた。放っておいたら捨て猫を拾いかねない状況だし、小腹もすいて来たので、さっさと終わらせるために少しだけ早歩きで、トンネルに足を踏み入れる。
トンネル内部は暑くも寒くもない、過ごしやすい気温だった。風がないからだろうか、動くと少し汗ばんだ。
白いものが視線を横切るので、ぎょっとしたら、ただの雪虫だった。どこから迷いこんだのだろうか。
オレンジ色の照明が続く。ひび割れたクリーム色の壁からは水滴が垂れ、地面に黒い小さな水溜まりを作っていた。車道もある広いトンネルだが、車通りは少なく、トンネルを進むのは俺と鈴木くんの二人だけだった。
「これ、なにがおもしろいの?」
ただ道を歩いているだけである。しかも景色が変わらないので面白味も何もない。
「もっと緊迫感だせよ!」
ただの男子高校生が歩いている映像を撮る鈴木監督が無茶な要求をしてきた。なにを恐れろというのだろうか。あいにくだがトンネルに恐怖を覚えるような年齢ではない。
何事もなく、トンネルを抜けきるのにさほど時間はかからなかった。薄暗闇に慣れていた視界が一気に開けて明るくになる。オレンジに染まった秋空が視界に広がったところで、「夕焼け小焼け」のチャイムの音が俺の鼓膜を揺さぶった。
「17時……」
たしか噂で……。
俺が記憶をたどるよりも先に、
「うわっ!」
突如として黒い塊が飛びかかってきた。その勢いに気圧されるように、ズルリとかかとが滑った。地面に銀杏の葉が積もっていたのだ。
「あっ」
最後に聞いたのは銀千代の声。扇形のイチョウの葉が花吹雪のように舞う。
景色が一転し、青空が瞼に焼き付く。
ああ、またこいつ、とかすれいく意識でぼんやりと思った。




