第91話:十月の朝から貴方の宛名で
テスト期間が近いので、学校で自習しようと、いつもより早起きした日のこと。
制服に着替えながら、カーテンを開け、見るともなしに窓の外を眺めていたら、隣の家のドアが開いて、パジャマ姿の銀千代が出てくるところだった。
髪がボサボサだ。あいつの気の抜けた姿を見るのは随分と久しぶりである。
それにしても朝が早いんだなぁ、とあくびをしながら眺めていると、銀千代は慣れた手つきでポストの南京錠を外し、郵便物を回収して家に戻っていった。
「……」
俺んちのポストだ。
いやいやいや、なにしてんの、あいつ。人んちのポスト勝手にあさってんだけど。
え、どゆこと。
と混乱していたら、バタバタと音がして、がらりと真正面の家の窓が開いた。
「おはよー! ゆーくん!」
朝日を浴びて晴れやかな表情を浮かべる銀千代。窓を開けようかどうか一瞬迷ったが、朝の挨拶くらいはちゃんとしておいたほうがいいだろう。
髪もいつも通り整えられ、さっきまでパジャマを着ていたのに、今はパリッとした制服だ。身支度が早すぎる。
「ああ、おはよう……」
呆気にとられて挨拶を返すと銀千代は嬉しそうに微笑んだ。
「早くお話したくて、いつもより早起きしたんだね。えへへへ、銀千代も同じ気持ちだよ!」
「いや、違う。勉強しようと思って……」
「そうなんだ! さすが、ゆーくん、今日も頑張ってて偉いね!」
といつものやり取りでうっかり忘却の彼方へ押しやられるところだったが、
「って、お前、さっきの見てたからな! なにしてんだ!」
「さっき?」
こてんと首を傾げる。
「んー、見ててくれてありがとう?」
なんかお礼言われた。
「いや、人んちの郵便物を漁ってただろ」
「人んち? 漁ってないよ……? なんの話? 」
「しらばっくれるな! さっき、そこの、ポストぉ!」
下を指差して、郵便受けを示すも、銀千代は尚も合点のいかない表情で、
「銀千代とゆーくんは同じ家族だから、そんな他人行儀なこと言わないで」
と呟いた。
「世帯は別でも、ゆーくんと銀千代には血よりも濃い繋がりがあるんだから」
となんかちょっといい事言った風に爽やかに歯を見せて笑われたが、誤魔化される訳がない。
「俺宛の郵便物を勝手に回収してんだろ、お前」
「……ん、んー」
渋い顔された。
「だから、今年の年賀状ゼロだったのか!」
「ううん。お正月はなにもしてないよ」
「……ああ、そう」
まあ、ラインで年始の挨拶してるし。
「確かに時間があるときはポストを見るようにしてるけど、ゆーくんの目に触れて大丈夫なやつか検閲してるだけだし、有害じゃなければちゃんと戻してるから問題ないと思うけどな」
問題だらけである。なによりもまず、
「検閲が問題なんだ」
「どうして? 銀千代に届けられる郵便物も稲田さんとかが見てからくれるようになってるんだよ。事務所チェックは社会的に当たり前な事みたい」
「それはお前が芸能人だからだろ。ヤバいファンがいて危ないもんとか送られてくる可能性があるから中身のチェックとかするんだろ」
「ゆーくんも危ないもの送られてくる可能性あると思うんだよね。だから銀千代が守護ってあげてるの」
「ヤバイやつ代表がなに言ってんだ。一般人の俺にチェックは必要ないし、そもそも人んちの郵便物漁るの犯罪だからな」
「郵便局の人も住所の仕訳とかで郵便物見てるだろうし、銀千代がゆーくんへのお届けものをチェックするのは、その延長だと考えて」
「お前は郵便局員じゃねぇだろ」
「ゆーくんを守りたいというプライドは郵便局員さんにも負けてないよ」
郵便局員さん、そんなこと思ってないと思うよ。
カラスが鳴いた。
ほんと朝から不愉快な気分にさせてくる女である。
「もういいからさっさとうちに届けられた郵便物返しな」
「うん。今日は問題なかったからお返しするね」
銀千代はそう言ってきびすを返し、自分の部屋を出ていった。
てか、いま、今日「は」って言ってたな。
数分後、郵便物を俺んちのポストに返却した銀千代が戻ってきて、またニコニコとサッシに手をついて俺を眺め始めた。
「ゆーくん、ゆーくん、銀千代、ゆーくんの命令通りにポストに郵便物戻してきたよ。誉めて誉めて!」
「誉めるわけねぇだろ。ゼロをマイナスして、またゼロに戻しただけじゃねぇか」
中見られたぶん、気持ち的にはマイナスだ。
「てか、直接俺の手に渡せばいいのになんでわざわざポストに返してんだよ」
「ゆーくんはこれから学校に行ってお勉強しなきゃだから無駄な手間を増やしたくなかったの。和子さんに取ってもらおう」
たいした手間じゃないし、謎の気遣いはやめてほしいところである。
「じゃあ、いままで回収した郵便物見せな」
「? なんで?」
「なんでじゃねぇよ」
サイコパスかなぁ?
「もともと俺に届けられたもんなんだから、返せよ」
「でも、ゆーくんは届けられたこと知らなくていままで生きてこられたんなら、それは必要ないものだったんだと思わない?」
「思わねぇよ。必要あるかどうかは見てから判断するから、返せ」
「銀千代は必要ないと思うな」
「いや、俺が必要かどうか判断するから、とりあえず返せって」
「ゆーくんに必要ないって銀千代が判断して、現にいままでそれが必要になったことないんだから、必要なかったってことだよ。はい、この話はおしまい!」
「終わらねーよ! 要るか要らないかの判断は俺がするから、お前は黙って返せばいいんだよ!」
「ゆーくんったら意外と亭主関白系なのね。強引なゆーくんも好きぃ……」
うっとりとした瞳で見つめられた。
「いや、そういうのいいから」
銀千代が俺に届けられた郵便物を返してくれたのはそれから数分後の事だった。
「……おまえ……」
「それは今年の三月に届けられたやつだね」
「……何してくれてんの」
「危ないところだったね。二月のお誘いは防げなかったけど、手紙だったから、それはブロックできたんだ」
「いや、おまえ……」
小学校の同窓会のお知らせの葉書だった。二月にも一回ラインでお誘いがあったが、そのときのクラスとは別の集まりらしい。
「コロナがピークの時に同窓会開こうなんてほんとうに愚かな連中だよね」
「……」
そう言われれば、たしかにそうだな。
「いや、でも、出席か欠席かぐらいは」
「ゆーくんはこの葉書もらっても欠席選んだと思うよ」
それはまあたしかに。
「この連中はね、返事してないのをいいことに、欠席してる人たちにお誘いのメッセージをしつこく送ってきたんだよ」
「え、それ、俺来てないけど」
「うん。銀千代が代わりに返事しといたからね」
「いや、俺のラインにそんな来てないけど……」
「インスタのDMだよ。銀千代、こういうときのためにゆーくん用のアカウント持ってるから」
「なりすましじゃねぇか!」
「安心して。二度とお誘いが来ないようにゆーくんは今シンガポールにいることになってるから」
「清水建設かよ!」
「大成建設だよ。地図に残る仕事だよ」
「どっちでもいいよ!」
いや、よくないのかもしれないけど、
「なに勝手に返事してんだよ!」
「でも落ち着いて考えてみて。お誘いを把握してようと、ゆーくんは結局同窓会には行かなかったでしょ」
「……」
否定ができないのが、悲しいところである。小学校の時仲のいい友達いなかったし、会いたい友達も特にいない。
「銀千代が察してお返事することで時間の無駄を省いてるし、ゆーくんはどうでもいいことに気を煩わせることなく過ごせるから幸せだし、誰も損してないよ」
「いや、そうかもしれないけど、もしかしたら、向こうは俺に会いたかったかもしれないじゃん」
「そういう人は何もなくてもコンタクトとろうとするものだよ。同窓会にはかこつけて会おうとする人はなにかしらの下心があるもんだよ」
「そんなん実際話してみないとわからないじゃん」
「……」
銀千代は少しだけ悲しそうな表情を浮かべ、机の上に置いてあったタブレットを掴み、電源をいれた。
「……」
「これ、ゆーくんのアカウントに来たメッセージ」
「……」
渡された画面を眺める。
アカウント名が「ゆーくん」なのはまだいい。アイコンがいつ撮ったか忘れた銀千代とのツーショットなのもまだいい。プロフ画面の一言メッセージが「銀千代愛羅武勇」はいただけない。
「変えとけよ」
「そ、そこじゃないよ。今の争点は送られてきたメッセージだよ」
――――――――
4月4日
町田「よぉ、同窓会来ないの?」
ゆーくん「いかない」
町田「まじかよ。来いよ。ところで金守さんの連絡先知ってる?」
ゆーくん「なんで?」
町田「金守さんも同窓会誘いたいから」
ゆーくん「忙しいからいけないと思う」
町田「あーまーアイドルだかんなぁ」
町田「でも忙しいからどうかは聞いてみなきゃわかんないじゃん」
町田「わんちゃん誘ってみてよ」
ゆーくん「わかった」
5月3日
町田「同窓会始まってるぞ! いまどこにいんだ?」
ゆーくん「同窓会には行けません。ゆーくんはいまシンガポールにいます」
―――――――――
「ねっ!」
晴れやかな笑顔で同意を求められた。
たしかに銀千代の言う通りである。町田くんは俺に会いたいというよりも芸能人になった銀千代に会いたいだけなのだろう。
「でも、これ俺嫌なやつだよな……」
意味もなく町田くんを煽ってるし。
「二度と会わない人のこと気にするのは時間の無駄だよ、ゆーくん」
「まあ、そうかもな……」
町田くんは昔、銀千代のことをからかいすぎて「下衆!」とまで言われた男子である。どの面さげて銀千代に会うつもりだったのか気になるところではあるが、
「まあ、ともかく、勝手に人んちのポストを漁るのは金輪際やめにしろよ」
「はぁい……」
銀千代が不服そうに唇を尖らせたとき、ベッドの横で俺のスマホがアラーム音を立てた。
「あ」
つい癖でいつも起きる時間にセットしていた目覚ましだった。
時計を見るといつもの起床時間になっていた。
「くそがっ!」
朝活失敗である。結局また時間を無駄にした。




