第90話:十月日記
部屋の掃除をしていたら、小学校の時の日記が出てきた。ジャポニカのノートで、表紙には花の写真と「日記帳」と書かれている。
「……?」
つけた記憶がない。
これは一体何なのだろう。押し入れの奥の方に隠すように置いてあったが……。
首を捻りながら、ノートを捲る。
『ぎんちよ、すきすきすきすきすきすき!』
汚い字で書いてある。なるほどなるほど。
「……」
無言でゴミ箱にノートを叩きつける。
これは俺の書いたモノではございません!
「ああ!」
窓の外から悲鳴が聞こえた。
なんだ、と視線をやると、カーテンがふわりと揺れていた。
「おい。来るな」
銀千代がサッシを跨いでこっちの部屋に乗り込んでくるところだった。鍵閉めてたはずだよな? どうなってるんだ、俺の部屋の防犯設備は。
「ゆーくん、思い出は大切にしないとダメだよ!」
夜風をまとい、現れた幼馴染みは頬を膨らませながら俺に詰め寄った。
「いきなり来てなに言ってんだ?」
「ノート、捨てたでしょ! 小学生の頃の日記!」
「なんで捨てたこと知ってんだよ。また隠しカメラか? ふざけんな」
銀千代はヘッドホンを首から下げていた。現在進行形で監視されていたらしい。
「今はそんなことどうでもいいよ!」
よくねーよ。
「それよりゴミ箱に日記を捨てちゃったことのほうが問題だよ! それ、交換日記なのに」
「交換日記?」
勢いに負けるように、俺はゴミ箱からノートを拾い上げた。一見普通のノートだが、開いてみてみると、一ページ目に『銀千代とゆーくんのラブラブ交換日記』と書かれていた。
「偽造だろ、どうせ」
ジェバンニ並みに俺の筆跡を完全に模写できる銀千代が過去の思い出を改竄しようとして仕掛けた罠だろう。
「ち、違うもん。ほんとだもん。だって銀千代がやろうよって言ったらゆーくんいいよって言ってくれたんだもん」
「はあー? いつのことだよ」
「それなのに、酷いよ。七年間、銀千代はずっとゆーくんからのお返事待ってたのに」
「俺とお前、交換日記してたっけ」
「読んでみればわかるよ」
「はぁ」
仕方ないので、ノートを開いてみてみる。案の定と言うか、一番はじめのページは小学生にしては整いすぎている銀千代の字からはじまった。
『こんにちは。ゆーくん。今日からゆーくんと交換日記を始めたいと思います。
なんで交換日記をしたいかといいいますと、金守銀千代はゆーくんのことが大好きだからです。
言葉だけじゃ思いが伝わらないと思ったので文字にして後世に残したいと考えています。
早速ですが、今日のゆーくんもかっこよかったです。明日もきっとかっこいいと思います。ところで、ゆーくんは銀千代の容姿はどう思いますか? 自分ではわりと整った顔立ちだと思っているのですが』
ご丁寧にルビまで振ってある。
印刷されているかと思うくらいきっちりした筆跡である。隣の最高に汚い俺の字が落書きにしか見えない。
『今日のきゅうしょくはカレーだった。おいしかった。』
銀千代の問いかけを完全にシカトした素晴らしい返事である。さすがにかわいそうになってくる。
『ゆーくんはカレー大好きだもんね。いつか銀千代がゆーくんのために作って上げます。そうそう今度の調理実習でハンバーグを作る予定になってますがゆーくんはハンバーグは好きですか? 私が作ったハンバーグ食べてほしいです。一生懸命作ります。』
『図工の時間に作ったネコのちょ金箱をぎんちよにあげた。喜んでた』
『すごく素敵なデザインで銀千代の家宝にするね。ありがとう。銀千代がゆーくんにあげたネックレスも大事にしてくれると嬉しいな。ガラス細工にするように言われてたけど、先生には内緒でダイヤモンドいれたんだ。宝石言葉は永遠の愛。本当は指輪にしようか悩んだんだけど、これからサイズが変わってくるからね。ところで、ゆーくんは何歳ごろまでに結婚したいですか?』
昔からフルスロットルだ。
ドン引きである。
銀千代を睨み付けると「こんなこともあったねぇ。懐かしいねぇ」と呟いている。
浅くため息をついて、ページを捲る。
俺に異変が起こっていた。
『ぎんちよ、すきすきすきすきすきすきすき! 結婚は早めにしたい。ながく夫婦生活を楽しみたい。愛してる』
筆跡は確かに俺だが文面がおかしい。
「……」
ノートに書かれた日付を見てみると、前のページの銀千代の日記から三ヶ月たっている。
なるほどな。
どうやら子どもの俺は交換日記に飽きたらしい。そもそもどちらも一方的に己の主張をしているだけだったが、まさか、三日も持たないとは。自身の忍耐力の無さに呆れてしまう。
『ありがとう、ゆーくん、銀千代も大好きだよ。愛してるよ。いつまでも一緒にいようね』
もはや推理するまでも無いことだが、俺自身の記入した日記は最初の二日だけで、あとはすべて銀千代の自作自演だ。
「おまえ、これ、空しくならないの?」
呆れながら、目の前の本人に尋ねると、銀千代は、
「なにが?」
と首をかしげた。
「他人のふりして日記書くの」
「他人?」
「いや、もう分かってんだって。三日目から明らか俺の文章じゃないじゃん」
「ゆーくんだよ」
「そもそも交換日記してた記憶ない時点でお前の自作自演は確定だからな」
「日記のゆーくんもゆーくんだよ」
なんかちょっと目が怖い。
「銀千代がゆーくんならこう答えるって思ってシミュレーションして完璧な返事を書いているんだから、ゆーくんじゃないはずがないんだよ。間違いないんだよ」
「……そ、そうか」
お前が思うんなら、そうなんだろ。お前のなかではな。
と言いそうになったが、なんか怒らせそうだったから、喉元まで来た言葉を飲み込んだ。
気まずい空気を誤魔化すように俺はノートをパラパラ捲った。
風に乗って、鉛筆の香りが鼻孔をくすぐった。
「ん?」
銀千代の一人芝居ノートは最後まで文字がたっぷりだった。
「お前、使い終わったノートを人んちの押し入れにいれておくのやめろよ」
「やっぱり一冊目はゆーくんが持っておいた方がいいかなって思って」
「……一冊目?」
あ、なんかヤな予感してきた。
「うん。ゆーくんと銀千代のラブラブ交換日記は現在進行形だからね」
「まじかぁ」
夢日記の間違いだろ。
「ノートだと置場所困るから電子メールにしようか? って銀千代が訊いたとき、銀千代の筆致が好きだからこのまま続けよって言ってくれたとき、嬉しかったよ」
言ってねぇよ。
「いま他の465冊は銀千代とゆーくんの思い出部屋にあるけど見に来る?」
「いや、いいや」
「そっか。それよりもゆーくん早くお返事ちょうだいね。ゆーくんが交換日記止めてるから、仕方なしに銀千代は続けてるだけなんだからね」
ほんとに仕方なしかよ、ノリノリじゃねぇか。
ぶつくさ言いながら銀千代は窓から帰っていった。いや、こえーよ。
手元に残った一冊のノートに目を落とす。
あいつが俺に対してなんであんなに盲目か、少しわかった気がした。勝手に俺の心情や行動を自分の都合のいいように夢日記として綴ってるから、妄想と現実の境界線が曖昧になってきているのだろう。
もし俺から銀千代にメッセージが送れる機会があるならカウンセリングをすすめるしかあるまい。




