第85話:九月になったらキャンプに行こう
「ゆーくん、キャンプしようよー」
丸いバッグを肩にかけた銀千代が、久しぶりにドアから入ってきた。人としての最低限のマナーをようやく理解してくれたらしい。ノックは無かったけど。
「お前、なんだその格好」
銀千代は嬉しそうにバッグを壁に立て掛けると、踊るようにくるりと一回転した。いつもより布面積が少なく、露出が多い服である。ミニスカで、シャツは半分までしかなく、ヘソが見えている。
「今日はちょっと攻めたファッションにしてみました。夏は開放的な季節だからね! キャンプにいこっ! レッツ、エンジョイ、アウトドア!」
「逆に聞くけど、俺が行くと思った?」
「……」
「キャンプなんてくそめんどくさいだろ。なんで雨風しのげる家があるのに、わざわざ野宿しなきゃいけないんだよ」
しっしっ、と手であしらうと、銀千代は両腕を胸の下で組んで、
「清春さんの扶養から外れた時のためにお外での暮らしになれていた方がいいと思うの」
とポツリと呟いた。
「親の扶養はずれたら俺はホームレスになる運命なのかよ」
ちなみに清春は俺の親父の名前である。気軽に呼ぶな。
「ううん、そういうわけじゃなくて、えっと、アウトドア経験は社会にでたら役に立つしさ」
「なわけねぇだろ。お肉をおいしく焼けたら昇給できるのか? 俺ならエクセル使える社員を重用するね」
「でも、お外で食べるお肉美味しいよ。キャンプが無理ならバーベキューしようよ!」
「外で肉食べるとか原始人かよ。家で座りながらゆっくり食べるほうが味わえるに決まってるだろ」
「ゆーくんがさ、火を起こしてくれるの、枝を擦り合わせて。それみて銀千代は男らしさにキュンってしちゃうの」
「いや、チャッカマン使えよ」
銀千代は俺の発言を無視して、妄想にふけるようなキラキラした瞳のままベッドに腰かけた。座るな。帰れ。
「そんでさぁ、夜には星眺めてさぁー、薪眺めてさぁ、見つめあって、語り合おうよー」
視線泳ぎすぎだろ。
「一時間もしないで飽きて、最終的にはスマホ眺めて終わるな。んで、充電もすぐなくなるだろうから、寝るしかやることなくなって、最後には夢を見る、ってオチだ」
「寝るときは一緒のテントだね。一個しか買えなかったから」
銀千代はそう言って友達を紹介するように手のひらを上にして先ほど壁に立て掛けた丸いバッグを示した。
どうやらテントが収納されているらしい。ずいぶんとコンパクトである。
「お前の財力ならテントくらい数百個買えただろ」
「ゆーくんと一緒にくっついて寝たいの!」
「大体俺は寝る前には風呂にも入りたいし、歯を磨きたいんだよ」
「それならシャワー室があるキャンプ場選ぶね! もし湯船に浸かりたいなら近くに銭湯があるところも調べるよ!」
「それはもはやキャンプする意味なくないか?」
「人は何かの犠牲なしに何も得ることはできないんだよ! 我慢してシャワー浴びてテントで寝よ!」
我慢してないじゃん。
「俺は自分のベッドで寝たいんだって。環境変わると寝れなくなるタイプなんだよ」
「わかった、じゃあ、それも持ってけばいいよ! もうワンサイズ大きいテント買えばなんとか入ると思うよ! 楽しみだね!」
「キャンプしたくないって言ってんだが……」
いつになくしつこい。
「そもそも勉強しなくちゃいけないから、そんなことやってる暇ねぇんだよ」
「大自然から学べることもあるはずだよ!」
「受験の世界にはねぇよ」
共通テストまでもう日がない。気持ちばかりが急いていく。今年の夏は例年以上に一日一日が貴重に感じる。
「むぅ、ゆーくんったら。新しいことに飛び込む勇気がなくちゃ人生は成功しないよ!」
「やってもやらなくてもなにが起こるかわかりきってるのに、それをやるのは時間の無駄って言うんだよ。大体なんなんだよ、いつもにまして突拍子もないな」
「実はね。深夜の通販番組見てたらこのテントが紹介されてて思わず買っちゃったんだぁ。ゆーくんと一緒に入るのが楽しみで。二人だけのプライベート空間、たまらないなぁ、って思って」
「……それ使いたいだけってことか。勝手に自分の部屋でやれば?」
「ゆーくんのお部屋でもいい?」
「いや、なんで俺の部屋だよ。自分の部屋でやれよ」
「銀千代のお部屋はゆーくんのお部屋だから。ゆーくん来てくれるなら銀千代のお部屋でもいいけど」
なに言ってんだ? こいつ。
「一人でテントで遊ぶのは勝手だけど俺に迷惑はかけるなよ」
「迷惑……? うん! 楽しければ大丈夫だよね!」
ダメだ。迷惑の基準が緩すぎる。
銀千代はニコニコと壁に立て掛けられたバッグを開き始めた。
「ともかくダメなものはダメだ。俺はキャンプにいかないし周りでそのテントを広げるのもやめろ!」
「えー。なんでぇ。ゆーくんいつも人目を気にするじゃん。だけど、このテントがあればゆーくんといつでもどこでもイチャイチャできんだよ。素敵だよね」
「そんなもん外で組み立てたら余計目立つだろ」
「だから人目のつかないゆーくんのお部屋で使おう」
「部屋の中ならテントいらねぇだろ」
禅問答みたいなやり取りに思わずため息つきながら呟いたら、
「むむむっ、確かにそうだね! じゃあ、まずはキスから!!」
ピョンとウサギみたいに跳ねあがって、ドラクエのモンスターみたいに、こちらに飛びかかってきた。
「やめろ、ひっつくな!」
なんとか抱きつき攻撃を回避する。
「もうゆーくんは相変わらずシャイなんだから。やっぱりテントの力が必要みたいだね」
銀千代は不貞腐れたように唇を尖らせて、ドラクエのモンスターみたいに元の位置に戻った。
「それにね、このテントすごいんだよ。なんと空中に投げるだけで組み上げるの」
「そんなホイホイカプセルみたいなこと……」
「えい!」
銀千代はバッグから青いビニール袋みたいなものを取り出して、空中に放り投げた。
「えっ!」
ばすん、と小気味良い音がして一瞬でテントが組み上がった。
「ええええ!」
すげぇ!
一瞬だった。まじでホイホイカプセルだった。
十秒前は何もなかったのに、部屋の中央に一畳ほどの青いテントが存在している。
「ポップアップ式っていうんだけど、フレーム組んだりシート取り付けたりといった面倒な作業が無くて、収納袋から取り出すだけで自動で組上がるんだよ!」
あまりにもスゴすぎて言葉を失う。
こういうのとは無縁の世界にいたので時代の進化に取り残された気分だ。でも、テント組み立てるのがキャンプの醍醐味だというのに、ワンタッチですんで利用者は楽しいのか?
「えへへ、ゆーくんもキャンプしたくなってきたかな? うふふ……」
銀千代はニタニタ笑いながらテントに入って行き、中から、ジー、とゆっくりジッパーを閉じた。
「……」
くっ。
うずうずしてきた。
冒険心がテントに興奮し始めている。俺もまだ少年なのだ。
秘密基地は作りたいし、テントを見たら中に入りたくなってしまう。
「……」
本当は鎮めるべきなんだろうけど、素直な気持ちで入り口のジッパーを開けると、
「へい、かまーん」
腹這いになった銀千代がパンツもろだしで寝そべっていた。
「……」
閉じろジッパー!




