第10話:八月の花火は夜に逃げる 後
「間抜けじゃのう……」
じいちゃんちでご飯を食べることになった。
金千代さんは何度も何度も謝り、俺がよくなるまで補助すると名乗り出てくれた。
「口を大きく開けてください」
くじいたのは足なので、手は問題ないが、献身的に金千代さんは付き添ってくれた。
なんだが役得だ。
「ん? ……」
足が痛いので、金千代さんの肩を借り、寝室に移動する。
その時、ふと、彼女の髪の匂いが鼻孔をくすぐった。
銀千代と同じシャンプー。
「どうしたんですか?」
「あ、いや……」
「はやく、ベッド行きましょう」
くっ、かわいい。
はっ、騙されるな。
おかしいぞ。
こんなギャルゲーみたいな展開起こるわけがない。
柔らかい肩の感触を味わいながら、疑心暗鬼にかられる。
しゃべり方や性格はまるっきり違うが、容姿や匂いはまんま銀千代だ。
もしかしたら、俺は彼女に騙されているのではないだろうか。
「さっ、つきました。大丈夫ですか? 痛くないですか? ゆっくり、下ろしますね」
金千代さんは終始申し訳なさそうに俺を布団に寝かせると、最後に「本当にすみませんでした。私のせいで」と頭をさげた。
「あ、いや、気にしないでください。転んだのは自分のせいですから」
「よくなるまでお手伝いさせてください」
金千代さん恭しく立ち上がると、電灯の紐を引っ張って、「おやすみなさい」電気を消した。
「……」
ポケットからスマホを取り出して電源をいれる。画面の明かりに照らされながら、操作する。
銀千代からのラインのメッセージは俺が今朝確認した時から来ていない。
「……あの人やはり……」
銀千代なのか?
次の日朝早く金千代さんはやって来て、じいちゃんの野良仕事を手伝いはじめた。
どうやら俺が田舎に帰ってきたのは、じいちゃんの手伝いのためだと勘違いしているらしい。ただの逃避行だと知ったらキレられるだろうか。
じいちゃんは美人な働き手が増えて年甲斐もなく鼻の下を伸ばしていた。
午後になって、縁側でボーとする俺の足首の湿布を金千代さんが代えてくれた。
目の前で屈みこむ。白いワンピースのゆるゆるの襟元から胸の谷間が見えそうだったので、チラ見していたら、
「えっ、エッチなのは駄目ですよ」
と、胸元を隠され、顔を赤くしながら湿布を代えてくれた。かわいい。
こんなかわいい動作する人が銀千代のわけないわ。
午後は一緒にじいちゃんちにあるレトロゲームをやった。金千代さんはゲームが下手で「私は見る専門のようです」と俺のしょうもないプレイを笑いながら見てくれた。
「……」
そういえば銀千代もゲームは下手くそだった。一面のクリボーに殺されるレベルだ。
「……」
「どうしたんですか? 私の顔になにかついてますか?」
くそ、かわいい。
長いまつげに白くきめ細かい肌。銀千代にそっくりだが、金千代さんの口許にはホクロがあった。銀千代にはないから別人だろう。
「いや、なんでもない」
「あ、ハンマーブロスですよ!」
「ああ、タイミングみれば」
コントロールを巧みに操作し、亀が投げつけるハンマーの隙間をぬって、退治する。
「わーっ、すごい! ピコピコうまいんですね!」
「!?」
銀千代はゲーム一般のことをピコビコと呼んだ。
やはり、この人、銀千代なのでは……!
「かっこいいですね! ピコピコうまい人、憧れます!」
金千代さんはそういって、拍手した。
ゆるゆるの袖の隙間からブラが見えた。
いや、別人だわ。
銀千代より胸おっきいし。
その日の夜、近くの神社で花火大会が行われるらしかった。
じいちゃんは寄り合い会の集まりに、ばあちゃんは婦人会の集まりに行くので、俺は留守番を任された。
縁側に腰掛け、蚊取り線香をたく。
じいちゃんちから花火はよく見えた。
「わー、綺麗ですね!」
金千代さんも一緒だ。
大きな花火が夜空に大輪を咲かす度に金千代さんは拍手した。
花火に照らされ、赤や黄色に染まる金千代さんの横顔は美しかった。
「ゆーさん、足、ほんとにすみませんでした……貴重な夏休みを台無しにしてしまって」
フィナーレ寸前の小休止、夜空浮かぶ余韻のような白い煙を眺める俺に殊勝に金千代さんは話しかけてきた。
「いや、いいよ。べつに。足くじいてなくてもあんまり変わらないし。まあ、花火見るまでこっちにいるとは思わなかったから、逆によかった」
「えっ、折角こっち来たなら花火みないと損じゃないですか?」
「人混みが嫌いなんだよね。花火は好きだけど」
「じゃあ、いまは二人きりだから、大丈夫ですか?」
「……うん」
しばし沈黙が落ちる。
遠くの祭り囃子が聞こえる。
そういえば、いま銀千代は何しているのだろうか。
「ゆーさん……私……」
金千代さんが戸惑いがちに口を開いた。
「ん?」
「あの水源でゆーさんが私をかばってくれて、ほんとうに感謝してるんです」
「その話はもういいよ。咄嗟に体が動いちゃっただけだから」
「いえ、ゆーさんがかばってくれたおかげで、……こうして、仲良くなれましたから」
「え……」
見つめ合う。素直におしゃべり出来なくなる。
澄んでキラキラとした瞳が俺を写し出している。
「ゆーさん……」
「……」
「わたし、ゆーさんのこと、……す」
大きな花火が上がった。ドォンという爆発音にかき消されて、金千代さんの後半の言葉が聞こえなかった。
くそ、恋愛漫画のべたなやつ!
 
「えっと、いまなんて?」
必死に聞き返すが、フィナーレが始まったせいで辺りは一気に明るくなり、尺玉が弾ける爆発音で声が全然聞こえない。
雰囲気を作るはずの花火が完全に邪魔をしている。
夜空を彩るカラフルな花に興味はゼロだった。
目の前の少女は薄く目を閉じると、小さく唇を尖らせた。
「!?」
こ、これは。
俗に言う、キス待ちの顔!
完全にオーケーサイン。
い、いやまて、
い、いいのか!?
金千代さんの、
いや銀千代かもしれないけど、
えっと、どっちだろうといんじゃないかな。
でも、銀千代と別人だとしたら知り合って間もない人と初キスしたってのはなんか、ちょっとあれな感じだし、
てか、銀千代だとしたら、完全に策略にはまったみたいで癪だし、
でもこういう考えだからいつまでたっても童貞なんだとしたら、据え膳食わねばなんとやらだし、
正解が、正解が見えない。
思考を巡らせる俺は動けなくなった。
ドンドンドンドン、と夜空で爆発音が響く度、目の前の少女の顔色は色鮮やかに変わっていく。
縁側に落ちる二人の影が、朱に染まった、そのとき、
「ゆーくん……」
花火の合間に金千代さんが呟いた。
え、ゆーくんって、
「銀千……」
「ゆーくんの意気地無し!」
「銀千代じゃねぇか!!!」
ぷくぅ、と頬を膨らませる少女にそそとした金千代さんの振る舞いはもはやない。
「女の子がキス待ちしてるんだから、キスしなきゃだめだよ!」
「やっぱり銀千代じゃねぇか! どういうことだよ!」
「花火一緒に見たかったから、ゆーくんが好きそうなキャラ演じてただけだよ! でも演じてもダメなんて酷いよ! ゆーくんの、ばかぁ!」
「え、でもホクロが……!」
「つけぼくろだよ!」
「胸も」
「パット!」
裾からごそごそと取り出したパットをパシンとめんこのように地面に叩きつけた。
「え、背も高くなってたじゃん」
「厚底!」
「え、髪は?」
「切っただけ!」
「どうやって、俺の場所を……」
「GPS!」
流れるようなネタばらしに唖然とする俺を置いてけぼりに銀千代は頭から湯気が出んばかりに怒っている。
「一夏の冒険でキスしようとしたのに、酷いよ! あんなに待ってるのにしてくれないなんて、ゆーくんのばかぁ!」
「いや、待てよ。銀千代、俺完全に金千代さんだと思ってたから、お前とは別人だと思ってたんだよ」
「え、それってつまり……」
「出会ったばかりの金千代さんにキスしたら、銀千代に悪いだろ」
「ゆーくん、好きィ……」
ちょろすぎだろ。
「バカっていってごめんね。ゆーくん、大好きだよ。キスする?」
んー、と唇をつきだしてくるので、「しない」と断ると、
「そうだよね。キスはチャペルで、だもんね」
と自己解決してくれた。なんだ、この女。
「ゆーくんがスマホの電源落としちゃっから、どうなったか心配で見に来ちゃったの。前々からお祖父様やお婆様の地元は懐柔してたんだけど、役に立ててよかったよ」
「いや、普通に怖いんだけど……」
「あ、足ごめんね! まさか、くじいちゃうと思わなくて、なめる? 嘗めて治すから、足だして!」
「あー……」
頼むから金千代さん帰って来てくんないかなぁ……。
色気も恥じらいもない、いつも通り過ぎるくらいいつも通りの光景に俺は大きくため息をついた。
夜空に大きな花火が上がった。
 




