第84話:八月の空が燃え上がる 中
「最近のSNSはすごいんですよ。カメラが高画質になっているお陰で、瞳に反射した背景から人物が何処にいるか特定する人もいるみたいです。自撮りをあげるときは注意するようにマネージャーに言われました」
ポチポチと歩きスマホする沼袋と駅前を目指してテクテク歩く。俺は刷り込みが完了した子ガモみたいに彼女の背中を追いかけた。
今日も暑い。
目が眩むくらいの青空に太陽が燦々と輝いている。
すこし歩いただけで背中は汗びっしょりだ。照りつける日差しが容赦なく水分を奪っていく。
「ちなみに銀千代さんはSNS禁止されてるんです。上げる自撮り画像の瞳にいつも先輩が写ってるから」
「聞きたくなかったな」
喉が渇いた。殺人的な気温と茹だるような暑さにへとへとになる。
「あった、このカフェだ。夏の新作とろける桃ティー、間違いない」
オシャレなカフェの前で立ち止まり、沼袋は小さくを息を吸い込んだ。数秒じっとしていたが、やがて覚悟を決めたように扉を押し開ける。
カランとドアベルが鈍く響き、涼しい空気が足元から吹き抜けた。入り口に立つ俺たちを店員が一瞥し、「いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ」と声をかけてきた。
洒落た内装をしていた。木目調のテーブルと椅子が並ぶ。
場所取りをする客を装い、沼袋は店内をぐるりと見渡し、奥まった座席を目指して歩みを進めた。
「あ、いた」
「……ん?」
「間違いない、銀千代さんだ」
「どこ?」
「あそこですよ。壁際、あの絵画の下。あのオーラは隠せませんよ」
沼袋が指差した先に、白い服を着た一人の女性が座っていた。机の上にはテキストが開かれ、ガリガリとノートにペンを走らせている。勉強中だ。ワイヤレスイヤホンを装着していた。
「あー……」
「軽く変装してますが間違いありません。銀千代さんですね。……パットまでいれちゃって……」
「パッド……?」
「先輩、ここで待っててください。私から声をかけます」
「え、いや」
「先輩から声をかけてしまうと、その、銀千代さん、パニックになってしまうかも知れませんので」
俺の返事も待たずに沼袋は歩きだした。俺は彼女らの後ろの席に腰を落ち着ける
オシャレなジャズが流れている。店内はのんびりとした空気とコーヒーのいい香りが立ち込めていた。
「……銀千代さん」
「ん?」
沼袋に声をかけられた女性は、耳からイヤホンをはずしながら顔をあげた。
「いま、話しかけました? なにかご用ですか?」
「こんなところで何してるんですか?」
「え、見ての通り、その……勉強……ですけど」
警戒心を滲ませた声で女性は答えた。
「……あ、ひょっとして長時間の利用はダメでした?」
キョロキョロと周囲を見渡す女性。角度をつけることで、よりはっきりした。確かに、銀千代に似てるけど、別人である。
口もとのほくろを見て確信する。
銀野金音。
あそこに座っているのは、銀千代の従妹のそっくりさんだ。
「なんでっ」
沼袋は若干声を荒らげて金音に言った。
「そんなことしてる場合じゃないでしょう?」
「え、いや、受験生ですし……わりと、あの、勉強すべき場合だと、思うんです、けど。えっと、ところで、どちらさまですか?」
「どちらさまって、……とぼけるのもいい加減にしてください! なにかあったかと心配してたんですよ!」
「それは、……どうも、ご心配をおかけしました……?」
ぺこりと小さく顎を引いて金音は会釈した。
本当は止めるべきなんだろうけどちょっと面白そうだからもう少し見ておこう。
「わかってます。わかってますよ。勉強はもちろん大事ですけど、たくさんの人に迷惑がかかってるんです」
「……そ、そうなんですね。えっと、ご迷惑をおかけしたみたいで、本当に……すみませんでした」
ぼそりと「よくわからないですけど」と呟いたが沼袋には聞こえなかったらしい。
「わかってくれたら、いいんです。……さぁ、今すぐ仕事に戻りましょう!」
「し、仕事? えっ、いまからですか?」
「もちろんです。私だってスケジュール無理矢理開けて来たんですからね! 必ず連れ戻すってマネージャーさんと約束して」
「マネージャー……? な、なんのお仕事ですか?」
「箱の中身はなんでしょうクイズです」
芸能界の仕事はピンからキリまであるのだ。
「……それはお仕事でしょうか?」
「えぇ。きちんとしたリアクションをお願いしますね。ちなみに箱の中身はたわしです」
ネタバレしてんじゃねぇよ。
金音は戸惑いがちに眉根をよせて、持っていたペンを机に置いた。
「それ、面白いんですか?」
「面白くするのが私たちの仕事です。銀千代さんはたわしにまず触れて「え、なにこれ、怖い! 毒持ってないよね?」とビビりながら訊ねる繊細な演技要求されてます」
「銀千代……ちゃん?」
ようやく別人と勘違いされているということに気づいた金音が「ああ」と二三回頷いてから、
「どうやら勘違いされているみたいですね。私は銀千代ちゃんじゃありませんよ。銀野金音と申します。金守銀千代とは従姉妹にあたります」
と微笑んだ。
それを沼袋は鼻で笑って受けた。
「下手な嘘つくのやめてください」
「いえ、嘘ではなく……」
「そんな変装に私は騙されませんよ。大体、どんだけ胸パッドいれてるんですか! 気にしてるのは知ってましたけど、もともと小さいわけでもないですし、いきなり変わったら、それこそ噂されちゃいますよ!」
「……これは天然物です」
頬を赤らめながら金音がうつ向いた。沼袋が騒ぐから周囲の視線が集まり始めている。
これ以上は見てられない。
「本当だよ」
「あ、ゆーくんさん」
流石にこれ以上はかわいそうだと思い二人に声をかける。
「先輩までなにをバカなことを言ってるんですか、いくら銀千代さんが成長期とはいえ、数日でこんなにでかくなるはずが」
「そっちじゃない」
信じられないと口を尖らせる沼袋をなんとか納得させるのにそれほど時間はかからなかった。
紅茶を注文し、一息つく。
「とんだ失礼を!」と謝る沼袋を笑顔で許した金音は、俺たちがここにいる理由を説明され、直ぐに渋い顔になった。
「銀千代ちゃんが失踪?」
「失踪というか、まあ、音信不通だな。何処に行ったか知らないか?」
金音は「うーん」と唸りながら強く目をつむった。
「いや、まさか、そんな……」
なにか知ってる風である。
アイスティーで喉を潤しながら、「なにか知ってるなら教えてくれ」と訊ねる。
「いえ、関係は無いと思うのですが、白金虹三郎のことを思い出しました」
「しろかねこうさぶろう? 誰だ?」
「変態野郎です」
金音がピシャリと言った。初対面の人間の前だと柔らかい物腰を意識している金音にしては珍しい憎々しい発言だった。
「説明になってないぞ。その人がなんの関係あるんだよ」
金音はアイスコーヒーに口をつけてから続けた。
「白金は銀野の隣の領地を治める地元の名士でした。議員を多く排出し、現当主は町長を勤めています。その町長の一人息子が白金虹三郎。三十三歳。独身。仕事は真面目でそつなくこなすが、今ひとつ情熱のない男……。東京でメディア関係のお仕事をなされているそうです」
「……もしかして白金プロデューサーですか!?」
俺の隣で黙っていた沼袋が驚いたように声を震わせた。
「知っているのか、沼袋」
「ええ、白金プロデューサー……でも、そのあまりいい噂は聞きません……」
「噂?」
「……え、と、その……かなりの好色家の方だと」
「こうしょくか?」
「……ようはスケベなんです。しかも未成年ばかり。汚らわしい」
沼袋はカップに口をつけたまま頬を赤らめてそっぽを向いた。
「えと、それがそうだとして、なんでそいつの名前が出てくるんだよ」
金音は浅くため息をついて頷いた。
「単刀直入にいうと虹三郎はお嫁さんを探しています」
「はあ?」
「その打診が私に来たのです」
「はあ?」
「若い女が好き、なんだそうです」
展開に脳がついていかない。ちらりも横を見ると沼袋が不機嫌そうに、「そういう噂を聞いたことがあります」と呟いた。
「後輩の話ですけど、無理矢理相手するように迫られて……その子は逃げたんですけど、事件になることもなく。数日もたつと、完全に話題にすらならなくなったそうです」
昼下がりのカフェテリアでする会話ではない。
金音はゆっくりとコップに口をつけて、一息ついてから続けた。
「彼の父君は力を持っていますから。息子がいつまでも馬鹿しないように所帯を持って落ち着けと、最近婚カツを始めたそうなんですよ。まず打診が来たのが銀野家です。虹三郎はいずれ父親の地盤を引き継ぎ、出馬しようと画策しているので、地元の繋がりをより深いものにしようとしているのです」
「断った……んだよな?」
そんな政略結婚みたいなこと現代日本であるんだ。
「もちろんです。私には銀千代ちゃんがいますし、おばあ様を通して丁重にお断りしました。初対面のワタクシに「お前はアイドルに似てるから嫁にしてやる」というふざけた人間性の男ですよ。大金つまれたってお断りです」
「アイドル……」
「そこが気になったんです。おそらく銀千代ちゃんの事だと。私のことを調べているうちに従姉妹の金守家にたどり着くのは複雑な道筋ではありませんし……」
「つまり、婚カツのアプローチが銀千代に移ったって言いたいのか?」
「だとしたら……」
眉間にシワを寄せて金音は肩を落とした。
「私はあの男が許せません。銀千代ちゃんが他人の手に汚されるなんて……耐えられない」
「落ち着けよ。仮にそうだとしても銀千代がそんな誘いに乗るわけが……」
「……身内の事なので黙っていようかと思っていましたが、私の父の事業がコロナでうまくいっていないのです。海外事業から撤退を余儀なくされて。それにばあ様の体調がここのところ芳しくなく、……正直のところ白金家とパイプが出来るのは家にとっては大変有難いことなのです。……もし、私の代わりが銀千代ちゃんにお鉢が回っていたとしたら……」
金音はうつ向いたまま黙りこんでしまった。
俺と沼袋はお互いに顔を見合わせ、「そんなの関係ないだろ」と声をかけるが元気を出させることができない。
「……白金プロデューサーに直接聞いてみるのはどうでしょう」
重たい沈黙を打ち破るかのように、沼袋がどこか力強く拳を握った。
「どうやって?」
にたりと笑うと沼袋はポケットからスマホを取り出し、「たしか名刺を」と操作し始めた、どうやら名刺をデータとして保存しているらしい。
「あった。携帯番号も載ってます」
バッと画面を見せてくる。名前と所属とメルアドと電話番号。一般的な名刺である。
「……私がかけます」
金音が自分のスマホで電話をかけるが繋がることは無かった。着信音すらなく、電源が切られているか圏外かどちらかだった。
「知らない番号は着信しないように設定 してるんでしょうか……仕事柄それはないと思いますけど……」
打つ手なしだ。
まあそもそもにして実際その男が銀千代と関係あるかどうかもよくわかっていない。
「こうなれば直接行くしかありませんね」
どこか火が宿ったような目で金音が鼻息荒く言う。いつかの狂気の日々を思い出しているらしい。
「どこにいるか知ってんのかよ?」
「……たしか県内で独り暮らしていると仰ってましたが……。申し訳ありません。あまり真剣に話を聞いていなくて……」
つまり知らないということである。
「お手上げだな。銀千代から連絡があるのを待とう」
そもそもにしてアイツが危機的状況に陥ることはないだろう。杞憂というやつてある。どうせ徒労に終わるのだからこれ以上の詮索はごめんだ。と思って席を立とうとした俺を沼袋がシャツを引っ張って制した。
「先輩、待ってください。県内というのが分かればまだ特定の余地があります。だってここには地元の人間が三人もいるんですよ?」
意味深なことを言って、沼袋はスマホを操作しはじめた。
「あった、おそらくこれです」
とフェイスブックの画面を見せてきた。
「ハンドルネームは本名じゃありませんでしたけど、イニシャルを使ってますし、年齢と業界人ということから特定しました」
こわっ。
「自宅からの写真もいくつか投稿されてます」
壁に立て掛けられたサーフボードの画像を三人で顔を付き合わせてみる。
画像にはサーフィンが好きすぎて海まで五分かからない場所に住んでいると綴られていた。
「自宅の庭でバーベキューをしている画像がありました」
とそんな感じで三人で画像を漁っていく。
結果として言うと、白金さん家はすぐに特定できた。
家の画像のはしっこに電柱があり、ご丁寧に番地が書かれていたからだ。




