第82話:八月の花火は永遠で
街頭にくくりつけられたケーブルに、盆提灯がいくつも垂れ下がっていた。
スピーカーからは祭り囃子が聞こえ、出店の呼び込みの声が折り重なるように響いている。
「ゆーくん、次どれ回る?」
髪を後ろにまとめ、水色の浴衣を着た銀千代が薄く微笑んだ。
コロナで中止になっていた地元のお祭りが数年ぶりに開催されたのだ。
「夏祭り行こうよ!」
誘いは昼頃だった。
「野外ステージでサプライズ登場お願いされちゃってて」と銀千代は媚びた瞳で頭を下げてきた。
「人混みは痴漢が怖いし、夜は怖いから、広場まで送ってほしいの。それに高校三年生の夏は一度きりだし、ゆーくんといっしょにお祭り巡れたら本当に幸せだなって思って」と押しきられる形で出店を巡ることになった。
どうでもいいけど、それ毎年言ってるよね、という俺の突っ込みは無視された。
「ゆーくん、ほら、射的しよ射的」
的屋を指差して銀千代が嬉しそうに俺の手を掴んだ。並べられた賞品はヒーローのお面やぬいぐるみなどで、ずいぶんと小さい子むけばかりだった。
「いいけど、どれほしいの?」
「結婚指輪かなぁ」
「ねぇよ」
店員のおじさんに百円はらってコルク銃を貰う。FPSで鍛えたエイムを見せてやろうと思ったが、一発目をはずしてしまった。
「安心して。銀千代のハートは射抜いてるよ!」
「集中したいから少し黙っててくれ」
数発やって、暗闇で光る骸骨のキーホルダーを落としたのでプレゼントしたら「家宝にするね」と微笑まれた。金守家の子孫が不憫でならない。
「ゆーくん、クジがあるよ! 本当に一等の景品があるかどうか全部引いて確かめてみよ! 祭りの闇をあばこうよ!」
「無駄に金あるユーチューバーかよ。そんな時間もないだろ」
無視して歩く。
「ゆーくんゆーくん金魚すくいがあるよ。やっていこう!」
射的から数歩進んで、銀千代はまた袖を掴んで隣の店を指差した。さっきから1ブロック行くごとに足止めするもんだから全然前に進めない。
「命に責任もてないからやらない」
金魚すくいは好きだが、掬ったあとの世話はめんどくさい。百パーセント親に押し付ける未来が見える。
「でも若いうちに生命の尊さを学んでおいた方がいいと思うけど……」
銀千代はぷっくりと唇を尖らせて残念そうに、泳ぐ金魚を見下ろした。
「たしかにお前は学んどいた方がいいな」
「うーん、どうなんだろ。旦那様を好きすぎると子どもをネグレクトするってわりとある話なのかな? 銀千代は二人の愛の結晶だからどっちも好きってなると思」
「待てなんの話だ」
「……? いつか産まれてくる生命の話」
「そんな話しはしていない」
「名前は何がいい?」
金魚の話だよな?
無視して歩き出したら、
「あっ、嘘。待って、すごい! ゆーくん、ゆーくん、ヨーヨー釣りがあるよ! 珍しいね!」
とまた手首を掴まれた。祭りがあったらほぼ確にあるヨーヨー釣りにひかれるはずがない。
さっきからこんな調子で全然前に進めないのだ。
「やらない」
「でも螺旋丸の練習もでき」
「もーう、なんなんだよ! お前が広場まで送ってほしいって言うから付き合ってやってんのに、これじゃあ日が暮れちまうだろ!」
「そーなんだけど、折角一緒に来たんだもん。ゆーくんとお祭りを楽しみたい銀千代がいます、えへへ」
照れたように後頭部をかく。
立ちっぱなしで疲れるし、銀千代は歩みは亀みたいだし、このペースじゃ出番に間に合わなくなってしまう。
呆れてなにも言えずにいた俺を無視して、銀千代は「あっ」と声をあげてまた別の出店を指差した。
「ゆーくんゆーくん、わたあめがあるよ!」
「さっさと広場に行くぞ!」
半ば引きずるようにしてぐんぐんと前に進む。この先に芝生の広場があるのだ。
いつもはゴーストタウンになる時間帯もお祭り期間中は大にぎわいだ。東京音頭が風に乗って流れてきていた。
「あ、ゆーくん、ほら! りんご飴があるよ!」
「りんご飴そんな好きじゃない」
「あっ、かき氷! いっしょに食べて舌の色変えよう! 銀千代がーイチゴ食べて舌を赤くして、ゆーくんがブルーハワイ食べて青くして、最終的には混ざりあって紫にするの」
「お前まじでなに言ってんの?」
酔ってんのか?
「いいからさっさと行くぞ」
「あ、まって、ほら、ゆーくん、焼きそばがあるよ!」
「お前は親戚のおじさんか」
別に腹減ってないわ!
「ゆーくんゆーくん、チョコバナナがあるよ!」
「だから腹へってないって」
「じゃあ、目の前で食べてあげるね!」
「……なぜ?」
丁重にお断りしてなんとか歩みを進める。
人混みの先にようやく広場が見えた。思った以上にごった返している。すれ違う人は皆一様に笑顔で数年ぶりのお祭りを楽しんでいるようだ。
「あっ、たこ焼き!」
銀千代が盆提灯の朱色を瞳に宿らせて手を叩いた。
ソースと鰹節のいい香りが鼻孔をくすぐった。
「たこ焼きか。うむ……」
ちょっと食べたい。銀千代をステージに送り届けたら買いにいこうか。
「買ってくるね!」
浴衣の帯に差した団扇が揺れる。
「おい、野外ステージの時間まであと三十分もないだろ!」
巾着を手に駆け出した銀千代の肩を掴んで止める。
「いざとなったらたこ焼き食べながら出るよ!」
観客はなにを観させられるんだ。
「ダメに決まってんだろ。遅刻したらいろんな人に迷惑かけることになるぞ。時間にルーズなやつは俺は大嫌いだ」
「むぅ。わかったよぉ。ゆーくん」
銀千代は肩を落として、息を一つついた。
「ステージのあと、待っててくれる? 競技場の方で八時から花火があるんだって」
「あー、やるんだ。今年」
「一緒に、見たいな、なんて」
正直に言おう。花火大会。めっちゃ混むから、
「帰りてぇなぁ……」
フィクションに出てくる穴場スポットは地元のヤンキーに占拠されている。近づきたくもない。
遠くからビルの谷間の小さな花火を見るくらいなら隅田川花火大会の録画映像をYouTubeでエモい音楽と一緒に見る方がよっぽど心に響くだろう。
「ゆーくん……」
キラキラと期待するような瞳で銀千代が俺をじっと見つめてくる。
まあでも帰ればまた勉強と思うと憂鬱なのは確かだ。
例の個別指導のお陰で、ある程度余裕ができた(と思いたい)ので、お礼がてら付き合ってやるか。
「その代わりちゃんとステージ頑張れよ」
ため息混じりに返事をしたら、思いのほか銀千代は嬉しそうに手を叩いて、
「ほんとっ! ありがと! よぅし、じゃあ、いそごぉう! ゆーくん!」
また俺の手を掴んで走り始めた。溢れんばかりの人の隙間を縫うようにしてぐんぐん広場に向かっていく。まるで風のようだった。
夕闇が近づき、蝉時雨が遠くなる。
照明が少なく広場は薄暗闇に包まれていた。そのお陰で銀千代が芸能人だとばれることはなかったが、思った以上に、ざわめきと喧騒がひしめき合っている。
密密である。
関係者席であるステージ脇のテントに入っていくと、稲田さんが立っていた。
「ぎぎぎ銀千代さん!」
たくさんの男の人に囲まれていた稲田さんが、テントの入り口に立った銀千代を見つけて、涙目で駆け寄ってきた。
「ごめんね、遅くなっちゃった。銀千代の出番はこのあと?」
ステージでは地元中学のダンス部による演技が行われている。
「そ、それが大変なんです。サプライズのはずなのに、どこからか情報が漏れていたらしくて、ものすごい人数が集まってしまっているんです」
たしかに二年ぶりの祭りとはいえ、人が多すぎて驚いていたところだ。明らかに県外の人も多かった。
「別にいいんじゃないの?」
銀千代がきょとんと首を捻った。
「そ、それが、大会委員会がこれ以上人を集めるとパニックになる恐れがあるから中止にしたほうがいいんじゃないかって」
急増した感染者数に日本各地のお祭りは開催を見合わせているとテレビニュースでやっていた。
「……でも折角来てくれたら人にご挨拶もしないなんて、そんな酷いことはできないよ」
「そ、それはそうなんですが……社長に相談したら告知はしてなかったから運営の人と相談して現場で判断しろって……あの、私、どうしたらいいんですか?」
困ったように稲田さんは顔をくしゃくしゃにした。新人に丸投げとはなかなかブラックな職場環境だ。
「稲田さんはどう思うの?」
「や、やはりまだコロナもおさまってないですし、ここまでの人出で銀千代さんが出てしまうと、相当なパニックが予想されるので、ファンの方には申し訳ないですけど、中止にしたほうが賢明なんじゃないかって……」
「違う違う。稲田さんは銀千代のステージ見たい?」
「え」
稲田さんはぽかんと口をパクパクと開閉させた。酸欠の金魚のようだった。
「それは……」
「純粋に稲田さんの気持ちだけ聞かせて」
「それは、……もちろん見たいです。ずっと見れてなかったので、……銀千代さんがステージに立つ姿」
「稲田さんがそう思うならたぶんみんな同じ気持ちだよね」
銀千代は笑顔を浮かべ、
「噂だけでこんなところまで来てくれたんだもん。お礼くらいはしたいな」
銀千代は大きく頷いてから、
「大会の責任者の人はどこ?」
と稲田さんに声をかけた。
結論から言うと、予定されていた銀千代の出番は無くなった。余りにも人が集まりすぎていたからだ。
出演していたドラマの効果で芸能人としての知名度が絶大になった影響である。
昔はコアのやばいファンばかりだったのに広場には若い女の子や小中学生がたくさんいた。
Twitterでタイムラインを確認してみたら「バニラちゃん出なかったぁ」と残念がるツイートに溢れていた。
「よかったのかよ」
「うん、まあ、仕方ないよ」
銀千代は残念そうに呟いた。
「みんなを笑顔にするのは難しいね」
花火の時間になった。
天候は曇り。月は部厚い雲に覆われ、絶好の花火日和だ。
「銀千代はゆーくんが笑顔でいてくれたらそれでいいし」
広場に集まっていた人たちもぞろぞろと競技場に移動していく。広場からは花火が見え辛いのだ。ステージでの演目はすべて終了したし、いつまでもここに残っている理由はない。
行軍のように移動していく人波を、銀千代はテントの隙間からぼんやりと眺めていた。
「折角来てくれたけど、事故とかコロナになっちゃったら申し訳ないもん」
「お前なんだかんだでサービス精神すごいよな」
「うん。ファンの人からはいろんなことを教わったからね。愛することの尊さ、応援のしかた、信じることの大切さ、盗聴機の付け方、一途に思う気持ちの強さ、とか」
「まて、変なのまじったぞ」
「だから……最後まで期待してくれていた人には、報いたいんだ」
銀千代はマイクを持って、ゆっくりと舞台に向かっていった。照明は落とされているが、気づいた誰かが指差して「銀千代ちゃん!」と叫んだ。
サプライズである。
パッとライトがつく。
全員を喜ばせるものではない。
観客はまばらだ。当たり前である。ここから数百メートル離れた競技場で、打ち上げ花火が行われるのだから、ほとんどの人はそちらに行ってしまった。
それでも、
「こんばんはー!」
最後まで残ってくれた一部のファンに報いたいと、彼女はいろんな人に頭を下げていた。銀千代に対して俺はずっと傲岸不遜なイメージを持っていた。だからあそこまで真摯に仕事に取り組む銀千代に少しだけ心が動かされた。
銀千代がマイクを持ってステージに上がる。
ざわめきが津波のように響き渡った。
「ああ!!」
「銀ちゃんだ!」
「銀ちゃんが、黄泉の国からかえってきた!」
やはりこの時間まで広場に残っていたやつらはちょっと頭のネジが緩んでいる。
手拍子とともに、音楽がかかり始める。
「それじゃあ、聞いてね! 一曲目!」
音源はかすれている。遠くの花火の音が邪魔で、とても誉められたものではなかった。それでも、彼女のはるか後方で咲く、小さな花は息を飲むくらい美しかった。
銀千代と一緒に一緒に夜空の大輪を見ることはできなかったけど、俺は彼女の頑張る姿を見れてよかったと思ったし、銀千代もどこか嬉しそうに思えた。
銀千代が登場したことを知った一部のファンは花火みている間に彼女の出番が終わったことを非難していた。
良いか悪いかなんて俺には判断できないが、銀千代は銀千代なりにファンに報いようとした最大限の結果だったと、パラパラと散っていく夏の花火を見て思った。




