第81話:七月のネズミに花束を 後
思い立ったが吉日、ならその日以降はすべて凶日だ。
翌日、チラシに書かれた住所をスマホに打ち込み、ナビにしたがって歩くと、駅前の雑居ビルにたどり着いた。
なんとも怪しい。一階がガールズバーなんだけど。
まあ、無料だし、気にするほどのことはないかと、階段を上り、塾の入っている三階を訪れる。
ドアを恐る恐る開けると、受付のルナさんが「おー」と手をあげた。スーツでメガネをかけている。なかなか様になっていた。
「まさか、ほんとに来るとはねぇ。思ったよりも、キミ、ずっと単純だね」
「いや、まじで受験対策しっかりやらないと不味いんで」
「そういう点ならお任せあれ。うちの塾は偏差値100も夢じゃないから!」
夢だろ。
「じゃあ、ひとまずこの書類にサインもらっていいかな。印鑑持ってきてる?」
「ああ、はい」
「ちゃんとよく読んで書いてね。はい」
渡されたポールペンで名前を記入し、捺印する。
「ん、ありがと。それじゃあ早速、13時から授業始まるから上のフロアに行って」
「え、今からですか?」
「善は急げ。あ、そうだ、貴重品とスマホはそこのロッカーに入れてね」
「スマホもですか?」
「当たり前でしょ。ここは塾。勉強する所なんだから」
簡易ロッカーに言われるがままスマホと財布をしまい、鍵をかける。
「授業もうすぐ始まるよ。頑張ってね」
ルナさんが微笑みながら親指をたてる。なんだかキュンとする動作だ。
外階段からまた上の階に行く。
恐る恐るドアを開けると白い部屋に机と椅子とホワイトボードだけがある部屋に繋がっていた。
「なんだここ」
他に人はいない。
教室と言えばそれらしいけど、簡素すぎて少しこわい。個別指導塾ってこんな感じなのかなぁ、と思いながらやることもないので、椅子に座って、机の上に筆箱を置く。
暇なので周囲を見渡す。
窓はないが、天井に空調があるらしく気温は快適だった。正面の壁にはドアがあり、別の部屋につながっているらしい。
13時になると同時にチャイムが鳴り、ドアを開けて女の人が入ってきた。
「グッドイブニング」
「……」
スーツでメガネ。髪を後ろにまとめた、銀千代だった。
「それじゃあ、授業を始めます」
「……何してるの」
「質問は挙手してからしてください」
手をあげる。
「はい、ゆーくん」
「お前何してるの?」
「先生」
「……話が見えないんだが」
「勉強教えてあげるね」
「……」
立ち上がる。
「あっ、どこ行くの!」
「帰るんだよ。下らねぇことしやがって」
「まさか、学級崩壊……!?」
「違う」
銀千代の横を通りすぎて入ってきたドアを開けようとしたが、ドアノブが固く回らなかった。
「あれぇ」
「そのドアはもう開かないよ」
「はあ?」
「内側からは開かないようになってるの。一週間後のこの時間にルナが開けに来てくれるようになってるからそれまで二人きりです!」
「え……」
「水と食料は隣の部屋にあるから安心してね」
話が見えない。
混乱する俺をなだめるように銀千代は手に持っていたファイルから一枚のプリントを取り出し、俺に差し出した。
さっき俺がサインした契約書だった。
「ここにも、そう書いてあるし」
ざっと目を通したがわりと普通の契約書だったはずだ、と受け取りもう一度見てみる。
「あっ」
裏面に小さく「なお、一度授業がスタートしたら、緊急事態を除き、教室から出られるのは一週間後の13時である」と書かれていた。
「ルナがちゃんと読んでっていったでしょ? でもゆーくん安心して。勉強に関しては手を抜かないから。ここを出るとききっとゆーくんは銀千代に感謝してるよ」
狂気に満ちた笑みを浮かべ銀千代は俺を見つめてきた。
「するわけねぇだろ、ぼけ」
銀千代を無視して、部屋の正面にあったホワイトボードの横のドアを開ける。ともかく出口を探そう。
「は?」
「そっちはトイレとシャワールームとキッチンとベッドルームだよ。ゆーくんの着替えも持ってきてるから安心してね。……ピコピコはないけど」
一人暮らしのワンルームみたいな光景が広がっていた。冷蔵庫だけはやたらでかかった。
「これ監禁だぞ。わかってんのか!」
「和子さんの許可は貰ってるよ。食費も浮くしゆーくんも頭良くなるしいいことづくめって喜んでたよ」
「俺にも尊厳があんだよ! 帰るからな」
「席について。GTGの授業が始まるよ」
語呂悪すぎだろ。
「うるせぇ。こんな契約無効だろ」
「有効です。さ、急がないと。もう三分も遅れちゃってる」
「早く帰らせてくれ!」
「ゆーくん、怒らないで聞いてね。ここで帰ったら、いつも通りだよ」
銀千代は悲しそうな瞳で俺を見つめた。
「実を言うとゆーくんの受験はもうだめです。突然こんなこと言ってごめんね。でも本当です。ここで帰ったら成績はそのまま。それが終わりの合図です」
「……」
「ゆーくんの成績が伸びることはないし偏差値も変わらず。第一志望に受かるには、いま、この時がラストチャンスなの」
「……ラスト、ねぇ」
「一週間後我慢して銀千代の言うことを聞いてくれれば、学力を底上げすることができるの。大丈夫、絶対うまくいく」
「……」
反論ができねぇ。
「これ、見て」
差し出されたプリントを受けとる。
「一日のスケジュールだよ」
6時起床、朝食
12時まで勉強
13時30分まで昼休憩、シエスタ
19時まで勉強、夕食
19時30分から0時まで勉強
0時から1時、イチャイチャタイム
1時から6時、睡眠
「軍隊かよ」
まてイチャイチャタイムはおかしい。
「……これぐらいはわりと普通だと思うけど……」
え、まじで?
「一般的な受験生はそのリズムで動いてるの。それに教えるのは銀千代だから頭みるみるよくなるよ」
「息抜きの、息抜きの時間がないじゃんか!」
「銀千代がいっしょにいるからリラックスできるよね。ともかく一週間、頑張ってみよ。その間は銀千代も心を鬼にして、先生するから。おふざけは一切しないと誓うよ!」
「……わかったよ」
俺だって現状が非常に不味いというとこは理解しているのだ。銀千代に甘えるカタチになってしまうのは不本意だが、受験勉強をがんばるラストチャンスなのは間違いない。覚悟を決める。
「ありがとうゆーくん。それじゃあ一限目は保健体育だよ」
「ふざけんな!」
受験科目じゃねぇよ!
と、なんだかんだで拉致監禁されたカタチだが、間違ったら石鹸食べさせられるというようなことはないし、銀千代は極限まで俺を甘やかしてくれるので、勉強ははかどった。
はかどってはかどって仕方がなかったが、科目が進めば進むほど、脳の容量に限界が近づいてくる。
きつい。
一日目ですでにグロッキーだ。
熱が出そうなほど朦朧としはじめた深夜0時。
「はい、じゃあ、今日はここまで! ゆーくん、明日も頑張ろうね!」
ようやく一日目の授業が終わった。
「さ、おまちかねのイチャイチャタイ」
「……俺もう無理かも」
頭がパンクしそうだった。
俺は文系、暗記問題がともかく多いのだ。限られた時間でそんなもの覚えられるはずがない。
「こんなたくさん覚えられるはずないじゃん!」
翌日の朝イチに小テストをするという発言を受けてたまらず反論したら、銀千代は薄く微笑んで続けた。
「……安心して。銀千代に策があるから」
鞄からなにか取り出した。
「……なんだよ、それ」
ムチだった。
馬を叩くようなやつ。
「忍者が使っていた記憶術に不忘の術というのがあるの。痛みを伴って脳に叩き込んだ記憶は忘れないってやつ。ゆーくんがもし本当に暗記が難しいようなら、銀千代が不忘の術をかけてあげるね。一日目のイチャイチャタイムから使うと思ってなかったけど、うふふ、頑張ろうね」
「……いや自力でがんばるわ」
「……そう。どうしても無理そうだったら言ってね。あ、あとこれ」
ペンとノートを差し出してきた。
「一日の終わりには日記をつけてほしいの。授業のやり方の参考にするから」
「はぁ……明日からでいいか? 今日はもう疲れた」
「うん。もちろんいいよ。それでね、最終的には交換日記みたいにしたいって思ってるんだけど、だめかな?」
「だめに決まってんだろ。おやすみなさい」
「あ、まって、イチャイチャタイ」
逃げ出すようにベッドルームにいき、倒れこむ。そのまま泥のように眠った。
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二日目
きろくをとるためにかく。
きょうもたくさんべんきょがんばた。
あたまどんどんよくなた。
いいがっこに入れそうなきがしきた。
ぎんちよ、たくさんべんきょおしけてくれる。ありがた。いいひと。
あしもがんばる。
三日目
昨日の文を読み返すとあまりにもひどくて笑てしまた。ちかれてるらしい。
ここは、ひどい場所。
あと五日もあると思うとぞっとする。だけど、だんだんと勉強のコツをつかんできたような気がす。
英語はともかく単語と文法をどうにかすればなんとかなれ。
もともと国語は得意な方、だたし、光がさしてきたよう。
四日目
何故俺はこのような劣悪な環境に身をおかなければならないのか。受験は確かに一生を左右する問題かもしれないが、自己の精神を磨り減らしてまで臨むようなものではない。銀千代に抗議をしよう。このような尊厳を蔑ろにした授業形態は即刻やめさせるべきである。
五日目
我、学習能力得。感謝。銀千代頭脳明晰才女。教育上手。我、成績向上。幸福。
六日目
ハロウィンハロウィンハロウィンハロウィンハロウィンハロウィンハロウィンハロウィンハロウィンハロウィンハロウィンハロウィンハロウィンハロウィン
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「おっすー。時間になりましたよー」
キンコーンなった。だれか入ってきた。女の人。美人。
「あ、ルナ。もうそんな時間か。早かったね」
銀千代ちゃん、女の人に声かけた。銀千代ちゃんのほうがかわいい。美人。女神。
「早いというか。まあ、私は指定された時間に迎えに来ただけだけどね。どう? 個別指導は終わったの?」
「うん。ゆーくんとっても頑張ったよ。一週間前とは比べ物にならないくらい頭もよくなったしね」
女の人、笑いながら、見てきた。
「へぇ、そうなんだ。……え」
「どうしたの? ルナ」
「なんか目がイッちゃってない? うつろというかなんというか、別の世界が見えてるというかなんというか」
「ううん。これが今のゆーくんだよ。知能指数百倍くらいになってるからね。ちょっと順応するのに時間がかかってるみたいだけど、今のゆーくんなら東大くらいは余裕なはず」
「マジでいってんの? なんか怖いんだけど……えーと、ゆーくん? 大丈夫? もしもーし」
「ゆーくんに気安く声かけないで。せっかく覚えた英単語がぬけちゃうでしょ!」
銀千代ちゃん、大きい声。怖い。ごめんなさい。ごめんなさい。ちゃんとやります。
「あーと、ごめん、あーまー、私は給料だけ貰えればそれでいんだけどね」
「うん、色々とありがとう。はいこれお手当て」
紙、何枚か渡した。喜んでる。
「はい、サンキュー。それじゃあ、ゆーくん、お大事にね」
ゆーくん?
うん、がんばる。
今日とてもいい天気。空青い。きれい。銀千代ちゃんもきれい。女神。
「さっ、ゆーくん、おうち帰ろう!」
「うん」
帰る。
帰って、ゲームする。
「……」
はっ!
「ゆーくん?」
「やばい、なんか変な世界行ってた」
「そうなの? えーと、おかえりなさい?」
「ああ、まあ、なんだろ」
一週間、なんだかんだで面倒見てくれたので
「ありがとうな」
「どういたしまして」
銀千代ちゃんは歯を見せて微笑んだ。
めっちゃ可愛い。美人。結婚したい。
「つっ!」
あぶない、なんか意識もってかれそうになった。下唇を噛んでなんとか正気を保つ。
しっかりしろ、俺、受験戦争は始まったばかりだ。




