第80話:七月の大和撫子
銀千代が出演しているドラマが放映されはじめた。
あいつは主役ではないものの、準ヒロインで出番はかなり多い。
どうせくそドラマだろ、と思って見ていなかったのだが、評判はすこぶる良好で、視聴率は回を重ねるごとに右肩上がりらしい。
スマホをいじっているとトレンドに上がってくるのでイヤでも目につく。
銀千代の演じる水前寺バニラは死別した元カレが忘れられない女の子で、なんだかんだで主人公を「勘違いしないでよね」と助けてくれる人気キャラらしい。手垢のついたツンデレキャラだが、もはや一周回って新しいのかもしれない。
「いい加減起きなさいよ。朝よ!」
クランクアップを迎え、自分の時間が増えた銀千代と反比例するように、俺の日常は彼女に侵食されはじめていた。
「……」
「おはよっ!」
目覚ましが鳴る前に勝手に部屋に入ってきた銀千代は、さも当然のように俺の毛布を剥ぎ取り、頬を膨らませた。
開け放たれた窓から柔らかい風が吹き込んでいる。
「……おはよう」
寝ぼけ眼で銀千代を見ると、
「ちょ、ちょっと、な、なによそれ! 信じられない!」
銀千代は俺の股間を指差して、叫んだ。
「……はぁ」
生理現象なので、仕方ないのだ。
「し、下で待ってるから! はやく支度してよね!」
銀千代は顔を真っ赤にしたまま、部屋のドアから出ていった。いや、窓から帰れよ。
制服に着替えてリビングに行くと銀千代がキッチンに立っていた。冷静に考えれば、異常な光景に違いないのだが、寝起きは低血圧なので突っ込む気も起きない。
「はい、ごはん」
しゃもじを持った銀千代がお茶碗を食卓に並べた。
「あれ母さんは?」
「友達の結婚式だって。はい、お味噌汁」
「ああ、ありがとう」
銀千代から茶碗を受けとる。ホカホカと湯気がでていた。卓について、箸を握る。
そういえば昨日の夜そんなこと言ってたような気がする。
「いただきます」
まあ、考えるのもめんどくさいし、とりあえず、ごはん食べよう。
「勘違いしないでよね。和子さんに頼まれたから仕方なく作ってるだけなんだから」
「ああ、そう」
味噌汁をすする。うむ。
「うまいな」
「……べっ、べつに誉められても嬉しくないんだからね!」
照れ照れと耳まで赤くしてそっぽ向く。
「どうでもいいけど、そのキャラなんなの? 」
目が覚めてきて、現況を受け止める勇気が湧いてきた。
「……水前寺バニラちゃん」
銀千代は間を取ってからそういうと無表情で俺を見つめた。
「それ、お前が演じた役名だろ」
呆れながら突っ込むと小さく「うん」と頷かれた。
「なんでプライベートで演技してるの?」
「なんかね。いま巷でバニラちゃんブームらしくて」
「世も末だな」
「チックトック? とかでバニラちゃんの物真似するのが流行ってるんだって」
「ふぅん。だから?」
「世の中の男の子はこういう子が好きなのかなって思って、ちょっとバニラちゃんやってみたんだけど、どうだった?」
「……どうだったって言われてもな」
ナチュラルに不法侵入してる時点でいつもと大差ない気がするが。
「特になんも思わなかったな」
「ゆーくんが望むなら、銀千代はどんな役でも演じてみせるよ。沼袋さんに演技を教えているうちに、銀千代自身もだんだん成長してきて、いまなら紅天女も演じられる気がするの」
「いや、べつに望んでないから」
「……ほんとにそう?」
銀千代はじっと見つめて気色ばむ。
「ゆーくん、スマホはね。どんなに足跡を消してもアクセス履歴は残るようにできてるんだよ。それを完全に消すのは優れたハッカーでも難しいの」
「……なんの話だ」
「ゆーくんの検索履歴からゆーくんが好きそうなキャラクターを演じることが銀千代にはできるんだよ」
「……」
野郎……ぅ!
「ありのままを愛してほしいところではあるけど、やっぱり好きな人にはもっと好かれたいからね」
「そういうのいいです。ごちそうさまでした」
立ち上がって、その場を去ろうとしたら、
「あっ、お兄ちゃん! ちゃんと食器、流し台に持ってってよね!」
お兄ちゃん!?
「……いつもにまして頭おかしいな」
「もー、お兄ちゃんったら、銀千代がいないとなにもできないんだから!」
「ちょっと、まて、やめろ」
食器を流し台において、きょとんとこちらを振り向く銀千代。
「なんなんだ、それ」
「なにって……妹だよ」
「俺に妹はいねーよ」
「あ、義妹」
「義理もいない」
「うん、わかってるよ。でも欲しいんでしょ? いまの銀千代なら十二種類ぐらいは演じ分けできるよ。おにいちゃん、にーにー、あにき……」
「いや、べつにそこまでは……」
「え、でも、ゆーくんがよく読むエロ漫」
「黙れ!!」
怒鳴り付けて、逃げるように洗面台に向かう。顔洗って歯磨きしよう。最悪な気分も少しは晴れてくれるだろう。
鏡の前でシャカシャカしていたら、ちらりと銀千代が映った。安息の地はないらしい。なぜかエプロンをつけている。料理はさっき終わっただろ、と突っ込もうかと思ったらニコニコ笑いながら背後に立たれた。ほとんどホラー映画の一幕である。
「あらあら、だめよー。そんな風に強くやったらぁ」
やけにゆったりとした口調で銀千代は静かな微笑みを浮かべている。
「歯磨きはね、丁寧に丁寧に一本一本を磨くの。きれいなぁれ、きれいになぁれって。はい、ゆっくりやってみて。上の歯ー、下の歯ー、前歯ー、奥歯ー」
耳元で妖艶に囁かれた。
なんだこいつ。
「そう、その感じ、わー、ちゃんと磨けてるよ」
頭をポンと撫でられた。不愉快な気持ちになって、左手で弾いてから、口をすすぐ。
「歯磨き、頑張ったね。えらいえらい。今日もちゃんと心臓動かせて本当にいい子!」
また撫でられた。
左手で弾きながら、「なんなんだ!」と怒鳴る。
「もう、ゆーくん、お母さんはなそんなこと言っちゃだめでしょ! めっ!」
「お母さん!?」
「ママの胸においで!」
両手を広げて抱き締めて来ようとしたので洗面台から脱出する。
「やめろ、気色悪い! サブイボたったわ!」
「え、でもゆーくんお母さんほしかっ」
「もういるよ!」
さっき結婚式に行ってるって自分で言ってたじゃん。
「反抗期かしらぁ。難しいね」
ムムムっと下唇を尖らせる銀千代。
「やろうと思えばなんでもできるんだけど、ゆーくんは他はどんな子が好きかな。あ、もちろん銀千代が殿堂入りなのはわかってるから安心してね」
いつもなら「もういいよ」と黙らせるところだが、なんだかんだで演技力が上がっているので、興味深い演目になっている、気がする。あんまり言いたくないが、先程のツンデレや妹キャラの演技も本物かと思うくらいの空気感を出していた。いや、本物しらんけど。
「ほか何があるんだ?」
若干の好奇心から尋ねてみる。
「八十億くらいあるから挙げたらキリがないよ」
世界人口かな。
「ゆーくんが好きそうなのだと、……あとはお嬢様とか」
「ほう」
「こほん」
咳払いをして銀千代は俺を見つめた。べつにやれとはいっていない。
「ワタクシはあなたをお慕い申し上げます」
「……」
「が一パターン目ね」
不覚にもちょっとドキッとしてしまった。
「で、二パターン目が、オーホッホッホッホ!」
「オーホッホ!?」
「どっちが好きかな?」
「……前者かな」
「かしこまりました。十七年間外界との接触を許されず蝶よ花よと大切に育てられて参りました箱入り娘のワタクシは、庭師のゆーくんと出会って恋に落ちてしまったのです」
俺は普通の高校生です。
「いや、やらなくていいよ。学校いくぞ。遅刻しちゃうからな」
「今日はサボって、上でピコピコしようやぁ」
「もう、やめろ、演技」
なんかすごい疲れる。いつもの倍くらい。
「ゆーくん、新しい自分と出会うのに恐怖してたらだめだよ。あと何パターンかやってみて、あ、これ、いいって思うのがあるかもしれないし。今度はそれに合わせてメイクとコスプレしてあげるね!」
本格的すぎて引くところではあるが、うまいこと演技させたら、こいつの俺に執着する性格も強制できるんじゃないかと考え至った。
「じゃあ、あと何があるんだよ」
「ゆーくんのことが大大大大好きな幼馴染み……は基本スペックだから置いておいて、うーん分かりやすいのはクーデレとヤンデレ? とかかな」
薬指をそっと唇にあてながら銀千代が呟く。
何をしたところで、こいつの根本的な性格が変わるはずないとため息をついた。
「……じゃあ、ヤンデレにしとくか」
「うん。わかったよ!」
銀千代は咳払いをひとつした。
「とりあえず手首切ればいい?」
「切るな。もう演技止めろって意味だよ」
無自覚な悪意がもっとも邪悪だ。
「えーでも」
「ありのままでいいから。無理すんな」
「……ぅふふ」
大きくため息をついて、玄関に向かう。
「ありがと、ゆーくん。今日もかっこいいよ。銀千代の心配をしてくれたんだね」
「べつにしてない」
「たしかに演技しすぎて人格が混同してしまう可能性を考えたら、あんまりやらないほうがいいよね。銀千代、暗黒天使とか名乗りたくないし」
ローファーをはいて、ドアを開ける。七月の早朝の朝日は本日の夏日を予言するかのように照っていた。
「でも、ゆーくんなんでヤンデレが良かったの?」
「……慣れてるから」
どこかで蝉が鳴き始めた。
今日も暑くなりそうだった。




