サマー・スクール・セッション 5
「いい悪夢みれたかな?」
「はっ!」
目を開けると高い天井が視界に飛び込んできた。至るところに穴が開き、光が射し込んでいる。
「……」
汗がすごい。
「……だからなんだってんだよ」
頭部に違和感を感じた。帽子みたいなものを被っている。外して見ると、サイコショッカーが頭につけてるやつみたいなのが転がっていた。
「ひょえ……」
知らず知らずのうちにひきつった悲鳴が出ていた。
「ああ、ダメだよ、ゆーくん、まだ記録してるんだから。気分はどーだい?」
「はっ!?」
声をした方をみると、白衣の外人が手にボードを持って立っていた。
「だ、だれだ、お前!」
「やだなぁ、ゆーくん、忘れちゃったのかい? キミのマブダチのポール・マッカートニーだよ」
「ポール・マッカートニー……」
元ビートルズのメンバーで、音楽プロデューサーであり、シンガーソングライター……、
「メンテナンスで来たんだ。時差ぼけでへとへとだよん」
ああ、こいつ、銀千代の知り合いのマッドサイエンティストじゃん!
「俺になにしやがった!」
叫ぶとキョトンとした顔で首をかしげられた。
「別になにもしてないよん」
「いや、なんかしてただろ! この変な洗脳装置みたいなの、無理矢理つけて!」
「いやだなぁ、同意の上だったじゃないか。ゲームのイベント進行ミスったから、うまくいってたらどんな感じか見たいっていうから、わざわざユーチューブで体験動画探して映像と音を流してたんだよ」
「それならユーチューブでみるわ! なんなんだよこの不穏な機械!」
「説明したじゃん」
めんどくさそうにポールは溜め息をついた。
「ああ、そうか。ひょっとして記憶が混濁してるんだね。なるほど、もしかしたらいい兆候かもしれない。うん。じゃあ、もう一度説明するからよく聞いてね。これはカリフォルニア工科大学で開発したフルダイブ型のMMORPG」
え?
寝かされていたベッドのようなところから、あわてて立ち上がり、改めて、それを眺める。
歯医者のリクライニングチェアみたいだった。
「ん……あ、これ」
なんかずいぶん前、悪夢をみた日の朝に銀千代が嬉しそうに紹介してたやつだ。あまりにもうさんくさすぎてシカトしたけど、まさかまたお目にかかるとは。
「といっても本来の用途はゲーム機じゃないんだ。元々は医療機器、とりわけ心理的外傷を克服させるために作られたものなんだよ」
「どうみても拷問機械にしか見えないんだけど……」
俺のツッコミを無視してポールは前屈みになった。
「ほら、ここ。ここの収納部分にアロマが入れられるようになっててさ」
かしゃりと音がして、椅子の下から棚が現れた。GANTZかと思ったが、コルク栓のされた色とりどりの試験管がいくつも並んでいるだけだった。試験管にはチューブが伸びている。
「アロマテラピーってやつか」
「ノンノンノン。プルースト効果を引き起こすためさ」
クエスチョンマークを飛ばす俺にポールはくすりと微笑んでから、棚を戻してゆっくり続けた。
「プルーストは『失われた時を求めて』の作者だよ。その作中、語り手が口にしたマドレーヌをきっかけに、幼少期の思い出が蘇る事から、香りによって記憶が蘇る事を『プルースト効果』と呼ぶようになったんだ。香りは記憶と密接に繋がっているからね」
「それを起こして……何すんだよ」
「つまりこの機械を使うことで、思い出を明確に甦らせることが出来るというわけ。睡眠時には夢というカタチでね。開発は色々と大変だったんだよ。聴覚情報も重要だからね。シチュエーションにあった選曲のチョイスが必要になってくるわけ」
「なんでそんなことを……」
「医療器具っていっただろ? トラウマを克服するためには忘れるか向き合うかのどっちかしかないんだ。これは思い出すための手段」
「なんでそんなことを、といったのは、なんで俺にそんな機械を使ったのか、って意味だ。ゲームだったら攻略動画をみればいいだけなのに」
「別に使った訳じゃないよ。ゴーグルにはVR機能がついてるから臨場感ある映像を見てもらおうとしただけなんだ。キミも同意はしてたはずだよ。機械の誤差動でなぜかシャンプーの香りが発現してたみたいだけど、まあ、想定外はそれくらい」
「……」
銀千代の髪の匂いだ。故意かどうかはわからないけど。
「思い出、ね」
夢というのは脳が記憶を整理しているために起こっている現象、というのを聞いたことがある。
だとしたら、先ほどまでの出来事はすべて白昼夢だったとでも言うのだろうか。
こめかみから垂れてきた汗をぬぐう。
あのむせ変えるような熱気と蝉時雨が偽物だったとは到底思えない。
「でも、夢で見るだけで、トラウマって克服できるもんなのか? 余計辛くなるだけな気がするけど……」
「そこがコイツの真骨頂だよ」
嬉しそうに手を叩いてからポールは続けた。
「入眠時に微弱な電磁波を肌に与えることで、脳に半覚醒を促すことができるんだ。夢を見ているけれど意識ある状態、俗にいう明晰夢を発生させるのさ。ようは被験者は過去の思い出を自由に改変できる、というわけ。過去のトラウマの克服や思い出の追体験ができる装置、これこそが僕らの開発した、気ままに夢み」
「……銀千代はいまどこにいる」
人を無責任に拷問機械にくくりつけといて姿が見当たらない。
「ギンティヨ? さあ、どこだろうね」
ポールは浅く首をひねった。
「忙しく飛び回っているみたいだけど。なにせ世界に誇る日本の頭脳だからね」
「え……あいつ、いま何してるんですか?」
「薬局を巡っているみたいだよ」
「薬局? なんでそんな」
「うん。睡眠時に意識を軽い酩酊状態にすることができるクスリを投与したんだけど、どうやら量を間違えていたみたいでね」
「……」
「あ、大丈夫。睡眠導入剤みたいなものだから。合法だよ合法。クリーンクリーン」
このドクサレ脳みそがっ!
「おりゃあ!」
「やっ!」
ポールにドロップキックを食らわせる。
「なんってこったい! ゆーくんがハイになってるよ! 暴力的だよ! ロックンロールだ!」
ああ、そうだ、全部クスリの影響だ。くそが。
起き上がると同時に俺は外に飛び出した。夏草が繁っている。
どうやら川原の近くの廃工場にいたらしい。風が吹き抜ける。
気分が悪い。
変な夢をみたせいだ。
夢。
いや、ほんとうに夢か?
やけにリアルすぎてついさっきまでタイムスリップしていたんじゃないかと疑いたくなってくる。
頬をつまめば確かに痛い。
でも、夢の中でも痛かった。
古典の授業で胡蝶の夢というのをやったが、なんだかそんな状況である。
怖すぎて、背筋にサブイボが立っている。現実感がない。
銀千代だ。
ともかく銀千代に会えればはっきりする、そんな気がした。
自宅を目指して、川沿いを歩いていると、やがて、昔通っていた小学校が見えてきた。
八年前に記憶を昨日のことのようにはっきり思い出せる。
「あ……」
工事していた。
廃校になったとは聞いていないが、校庭の遊具の撤去でもやっているのだろうか。
作業車が通りやすいようにフェンスが一部はずされ、キープアウトのテープが貼られているだけだった。
桜の木が見えた。
土曜日だから、作業員の姿は見えない。
天啓に感じた。
ごめんなさい、と口内で唱えて、こっそりと敷地内に足を踏み入れた。不法侵入である。いつも銀千代にやめろと口酸っぱく言っているが、まだギリギリ未成年なのでやりたいことやるのは今のうちなのだ。
それに、今が現実だとどうしても実感が持てなかった。はっきりさせるための方法を思い付いたのだ。
タイムカプセル。
夢の中で、あれに俺はミッキーマウスの誕生日を書いて埋めた。
もし、あれが現実だとしたら、
作業員が置き忘れたのだろうか? それとも学校の職員か? スコップが体よく地面に転がっていた。柄を掴んで桜の横に穴を堀始める。
あれが現実だとしたら、
過去が変わった証拠に、タイムカプセルにはミッキーマウスの誕生日が書かれた紙が入っているはずだ。
そんなはずないとわかっていても、どっちかわからなかった。どっちがいいのかもわからなかった。
汗の玉が頬を伝い、顎の先から落ちて、地面に丸いシミを作る。
かつん、とスコップの先が固いなにかにぶつかった。
なにか?
決まってる、タイムカプセルだ。
しゃがみこんで持ち上げる。思っていたよりもずっと小さかった。
十年後まであと三年あるが、まあ、また埋めればバレないだろう。
土にまみれたカプセルを手で軽く綺麗にし、開ける。八年前の空気があふれでた。
自分が書いた手紙を探す過程で、クラスメートの文章をいくつも見てしまった。
誰々が好きだった、とか、夢を叶えましたか? とか、そういうのに混じって、四年生とは思えないほど流麗な筆跡の手紙があった。
銀千代の書いたものだった。
「拝啓。
どこかでなにかをしている十年後の私へ。
人は簡単には変わることができないと言いますが、あなたが変わっていてくれたら私は嬉しいです。
今の私は自分を偽ってばかりで、やりたいことも、言いたいことも言えずに、毎日を無為に過ごしています。そんないじけた自分が大嫌いです。
未来の私はどうか自分に正直になって、大好きなことを大好きと言えるようになっていて欲しいと願っています。
見栄はって、嘘をついて、人を傷つけてばかりいる、ろくでもない私の横に、十年後もあの人が隣にいてくれたら、本当に幸せなことだと思います。
この手紙を読んで、笑い飛ばせるような、そんな素敵な人になっていてください。
どうか、素直になれますように。
敬具
十年前の金守銀千代より」
「……」
なんか見てはいけないものを見てしまった気がする。
俺はまた手紙を二つ折にして、元に戻して、初夏の青空を仰ぎ見た。
蝉が鳴き始めている。
結局、後悔がない生き方なんてできるわけがない。
「……」
夢の中で、俺は自分のエゴを突き通した。
その結果、銀千代の両親は夢の中とはいえ、離婚してしまった。なにが正解なんてわからない。彼女が傷つくことはなかったが、痛みがあるから、人は強くなれるのかもしれないと、柄にもないことを思った。
続けて、手紙を探す。
「うわっ、きたねー字だな、誰の手紙、……俺だ」
自分のものはそのあとすぐに見つかった。
「十年後も僕へ
お元気ですか?
十年後も元気にうんこしてますか?
大学生でしょうか?
社会人でしょうか?
どちらでもいいです。元気にうんこしてください。うんこが幸せを呼んできます。
PS、今日のぼくのうんこはでかかったです」
「……」
くしゃくしゃに握りつぶしてやりたかったがグッとこらえて二つ折りにしてから、カプセルを埋め直した。
当時はこれが面白かったのだろう。矢部くんと爆笑しながら書いた記憶が甦ってきた。下らなすぎて涙が出てきた。
「はぁ」
過去は変えられないと、無邪気すぎる自分から教えられたような気がした。いやはやなんとも、感傷的な夢を見たせいで、ありもしない空想をしていただけらしい。
一連の作業を終え、土をならして、小学校を後にしようとしたとき、
「うわああああああああああ!」
叫び声と共に、こちらに軽トラが走ってきていた。エンジン音が轟いている。
「!?」
突然のことに脳がフリーズする。
運転席には、小柄の女性が座っていて、大きく口を開けながらこっちに向かって突っ込んできている。よくよく見たら稲田さんだった。叫び声がクラクションのように響いている。
助手席には銀千代がいた。
ああ、あいつ。
「うわああああああああああ!」
今日も元気いっぱいだな。
軽トラはキープアウトのテープをぶち破って校庭に侵入してきた。ミラーに引っ掛かったフェンスが吹き飛ばされて、空中で一回転し、遠くでばたんと倒れた。
軽トラはそのまま雑な轍を作りながら、俺の目の前で停車した。
この間、十数秒。
校庭の粉塵が舞い上がり、砂煙が風に流されている。
「わあああ!」
空いた窓から稲田さんの叫び声が響いている。
「やってしまったぁあああ!」
突然の出来事に、呆然と立ち尽くす。やってしまったな、と声をかけようかと思ったが、異変に気づいた小学校の先生とかが来る前に逃げようと歩きだしたら、
「ゆぅぅぅくぅぅぅぅぅん!」
ばたんと軽トラの助手席が開いて、銀千代が飛び出してきた。ホップステップジャンプすると、勢いそのまま抱きつかれた。
「ぬお!」
「ゆぅぅぅぅぅぅくぅぅぅぅぅぅぅぅぅん!」
バランスを崩し転倒。俺の胸の辺りにのし掛かった銀千代は激しく頬擦りをしている。鼻水と汗と涙が最高に汚かった。
「ごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんね!!」
「いや、まて、なんだ、お前は、急に……」
いつも通り過ぎる銀千代に感傷や後悔が吹き飛ばされていく。
「ゆーくんがピコピコの操作をミスってイベントの回収がうまくいかなくなったっていうから、夢の中だけでも回収させてあげようと思って、そしたら、ゆーくん、目を覚まさなくなっちゃって……!」
「いや、その時のことあんまり覚えてないんだけど、同意はあったんだよな?」
「……」
無言になるな。
「数時間前の未練の回収ぐらいなら数分ぐらいで追体験終わるはずなのに、ゆーくん、ごめんなさい、ごめんなさい、バカな銀千代を許して!」
「いや、もういいよ、その話……」
色々ともう忘れたい。
「それよりあのトラックなんだよ」
「レンタルしたの。荷台にお薬積んであるからね」
「薬?」
言われて見ると、確かに、段ボールが数箱積んである。
「ゆーくんの意識が戻らないから薬局の精神安定剤を買い占めたの。後で飲んでね」
「病気になるから絶対やだ」
「えへへ、マーカーが移動してるの見てたら、嬉しすぎて稲田さんに突っ込むように言っちゃった!」
なんのマーカーかな?
精神安定剤とやら、まずはお前が飲んでくれ。
溜め息をついて起き上がる。
小学校の校舎から、数人の教師がこちらに来るのが見えた。
「ちゃんとあやま、うおっ!」
転がるひしゃげたフェンスを指差そうとした瞬間、銀千代に手首を捕まれた。
「何すんだ」
「逃げようゆーくん。十代の夏は貴重なんだよ、数分だって無駄使いできない!」
「俺なんも悪いことして……いや」
不法侵入してたな、そういえば。
そのまま一緒に、荷台に乗り込むと、銀千代は運転席をばんと叩いて、
「出して、稲田さん」
と声をかけた。
「は、はひぃ!」
大分キテるな。
トラックが道路に戻ろうと動き出す。荷台に俺と銀千代は腰を下ろした。立ちっぱなしだとバランスが取りづらいし、警察の目も怖い。
ガタンと歩道の縁石を乗り越え、トラックが舗装された道路に戻る。
景色が後ろに流れていった。
「ゆーくんが無事でよかった……」
「お前まじで変わりすぎだろ」
「なんのこと?」
遠ざかる小学校を眺めながら呟いたら、銀千代には辛うじて伝わったらしく、「ああ」と小さく頷いた。
「あの頃のことは忘れてほしい、な。銀千代の黒歴史だから」
頬を赤らめて照れたように言われた。どう考えても今のが黒歴史だった。
「それにね、ゆーくん、勘違いしてるよ。表向きは変わったかもしれないけど、この思いはずっと変わってないもの」
青空が広がる。照りつける日差しを柔らかな風が包み込んでいた。荷台に積み上げられた大量の段ボールを手で押さえながら銀千代は微笑んだ。
「初めて会ったときから、これからも、ずっーと大好きだよ」




