サマー・スクール・セッション 3
家に帰り、変わらぬお袋の味の夕飯を食べ、懐かしいジャンプを読みながら、ベッドでゴロゴロをする。やはり未来の記憶があることを俺は確信した。来週の展開がわかるのだ。やっぱりHUNTER×HUNTERは休載していたけども。
雑誌を閉じて、ベッドサイドに放り投げる。ばさりと音をたてて、視界から消えた。
網戸から気持ちのよい夜風が吹き込んでいた。
自身の息遣いすら聞こえてくるような、静けさ。
銀千代が訪れてこないだけで、鼓膜が逆に痛む、そんな夜。平和である。
望んでいたはずなのに一抹の寂しさを感じるのはなぜだろうか。
仰向けになって、右腕をまぶたに当てる。
銀千代が俺に執着するようになったのは四年生の三学期からだ。いまから数ヵ月後に銀千代は理知的で小生意気な仮面を吹き飛ばして、俺に猛烈アピールを始めるのだ。
「……」
このままでもいいんじゃないかと思い始める自分がいる。
窓を見る。
触らない限り開くことはない。
当たり前のはずなのに、少しだけ寂しいと思うのは、俺も狂っているからだろうか。
深く考えるとドツボにはまりそうなので、頭空っぽにして、眠ることにした。
次の日起きたらしれっと戻っていないかなっと思って床についたが、全く変化はなかった。
あくびをしてから、モーニングルーティンをこなし、朝食を食べて学校に向かう。いつもと違うので少しだけ、ぎくしゃくしたが、体は覚えているものである。通学路を目指して歩きだそうとしたら、
「おはよう」
隣の家から出てくる銀千代とかち合った。
「おはよう。まだ未来人のつもり?」
「そうだな」
「ふふっ、しつこい設定ね。エイプリルフールは三ヶ月前に終わったわよ」
そうは言われても俺だってよくわかっていないのだから仕方がない。
「一つ思ったのだけど、あなたの脳を研究施設に提供するってどうかしら。九歳の脳に十七歳の意識が飛び込むって結構革新的なことだと思うのよね。大脳にどういう影響が起きているのか、CTをとるべきだと思うの。人類の未来のために」
「絶対やだ」
小生意気な銀千代は新鮮だったが、数年前はたしかにこんな感じだったと懐かしく感じた。
どこで歯車は狂ったのだろう。
そのまま小学校に行き、自分の席につく。銀千代がいなかったら迷っていたところだろう。喜劇役者のように過去の自分を演じるのはそれほど苦ではなかった。
五時間目のロングホームルームの時間、先生と共に外に出て、数年前の六年生が植えたという桜の木の横にスコップを突き立てた。土の匂いが草いきれとともに漂う。穴を掘っていた児童は額に汗の玉を浮かべている。
数分後、五十センチほどの深い穴ができた。
そこにプラスチック製のデカいラグビーボール状のカプセルに手紙と各々物品を入れていく。
前日に言われていたことだが、俺は何を入れればいいのかわからなかったので、テキトーに遊戯王カードをいれることにした。銀千代はワインボトルをいれていた。
「十年後にはみんなお酒が飲める年齢だし、熟成されていい味になってると思うの」
めちゃくちゃおしゃれだが、めちゃくちゃ鼻につくガキだった。
土を被されていくカプセルを眺めながら、改めてなんで自分がここにいるのか考えていた。
後悔を取り戻すため?
俺の後悔ってなんだ?
誤ってNPCを殺害したことを、どうにかしたくて、始めたことじゃないのか?
生きてきて十七年間、黒歴史は作らないように慎重に生きてきたつもりだ。
たまに銀千代から妨害を食らうが、それでも顔を真っ赤にして枕に顔を埋めてバタバタするような後悔はしていないはずだ。
俺が後悔?
そんなまさか。
それこそゲームのイベント進行を間違えたとか、それぐらいのはずだ。だから八年も時間を遡るなんて、ありえない。
「はい、じゃあ、十年後にみんな集まって、掘り起こしましょう!」
とタイムカプセルを地中深くに埋め、明るく先生が言って、スコップで地面をならす。
埋め終わると同時に歓声と拍手が鳴り響いた。それを一歩引いたところで俺と銀千代は眺めていた。ああ、八年前もこんな感じで、冷めた感じで並んで佇んでたっけ、と思い出す。結局、幼馴染みだからか知らないけど、俺も銀千代も、この頃はけっこう似た者同士だったのだ。
クラスには馴染めず、当たり障りのない感じで過ごす。
感極まった女子が泣きながら「またみんなで集まろうねぇ!」と語りかけている。
みんなが二十歳になるのは、いまから十年後。
俺の意識では三年後の未来だ。
思っていたよりも精神は成長していない。俺はずっと子供のままである。受験したくないと駄々をこねる、そんなガキだ。
うつむいて、ゾンビのような足取りで教室に戻っていたら、「ねぇ」と鈴をならしたような声で話しかけられた。
振り返ると澄んだ瞳をした銀千代と目があった。
「大丈夫? 顔色悪いわよ」
「……ああ」
「無理しないで。気持ちはわかるわ。周りの精神年齢が幼すぎてイライラするのよね。無知蒙昧ばかりで辟易するわ」
それは感じたことはなかったが、まあ、頭のいい彼女のことだ。ずっとそう思って生きてきたのだろう。
「それでね、昨日からずっと考えてたの。あなたのこと」
「え?」
「……」
銀千代はそういってから軽く周囲を見渡した。釣られて俺も辺りを見る。
みんなが十年後の未来についてアレコレと話すなか、お調子者の町田くんと目があった。
「放課後、昨日の公園に来て」
茶化されるのが嫌なのだろう、銀千代はそれだけ言うと、足早に教室に戻っていった。
放課後、一足先に教室をあとにした銀千代に続こうとランドセルを背負ったら、
「サッカーしようぜぇー」
と隣の席の男子に声かけらた。
そうだ、この頃放課後居残ってサッカーするのにはまっていたんだった。
「わりぃ、今日用事あるから先帰るわ」
「なんだよー、野暮用かー! 野暮用だな! じゃあ、また明日なぁ」
どこか機嫌良さそうに教室から出ていく男児を見送り、俺も公園を目指して廊下に出る。
「デートかぁ?」
下品な笑い声が俺の背中に浴びせられた。
振り向くと、町田くんとその取り巻きの男子がニヤニヤしながら数人立っていた。
「金守といちゃいちゃすんのかー? エロいなぁ、お前ら」
ニタニタ笑っている。実に小学生男児らしい反応だ。半ズボンから覗く膝小僧には絆創膏貼ってある。
「エロエロぉ!」
手を叩いて俺を囲んでアホみたいなこと言い始めた。なんだこいつら。
「バカか、お前ら」
舌打ちともに溜め息をつく。
「バカじゃないですぅー」
アホ面でニタニタと笑っている。
「バカだよ。本当にバカだ。救いようの無いほどに」
自分がなにに後悔しているのか、いまだによくわからないが、ぼんやりと思い浮かぶのは、孤立していた銀千代の横顔だった。
「あ、なんだよ、なめてんのか! あっ?」
殴る気もないくせに、町田くんは俺の胸ぐらを掴んできた。
「はなせよ。用事があるんだよ」
「金守とエロいことすんだろー? 変態がっ! 謝れば許してやるよ」
「なんで謝る必要があんだよ」
「うるせぇよ! 謝れよ!」
「はなせよ」
「あやまーれ、あやまーれ!」
町田くんは薄ら笑いのまま俺の襟を放さなかった。
あの頃もっとあいつとちゃんと向き合っていたら、
「しつけぇよ!」
未来は変わった形になっていたかもしれない。
鳩尾にボディアッパーを食らわせたら、「ひぐっ」と悲痛な悲鳴をあげて、町田くんは廊下に倒れこんだ。しまった。悪気はない。頭に血が昇ったのだ。
「まっちー!」と心配そうに取り巻きの男子が彼に駆け寄る。
「えーと、ごめん」
事後処理はめんどくさいので、謝罪の言葉を置き去りにして、そのまま下駄箱に走る。靴を履きかえ、銀千代の待つ公園に向かった。
連日真夏日といえど、本格的な夏の到来にはまだ早いらしい。夕方はどこか涼しさが漂っていた。
傾きかけた太陽の柔らかな陽光が彼女を包み込んでいた。
「遅い」
ベンチで足を組んでいた銀千代は俺を見つけて、立ち上がった。
「待ちくたびれて八年経つかと思ったわ。何してたのよ」
平謝りしながら、彼女の隣に腰を落ち着ける。銀千代は嘆息してから、ベンチに座り直した。
俺たちよりもずっと幼い子供たちが鬼ごっこで走り回っている。昨日と同じように向かいのベンチで女子高生がスマホを退屈そうにいじっていた。変わらない風景だ。八年後もきっと同じだろう。
「昨日からあなたの意識について考えてたの」
「意識?」
「ええ。よく幽霊が成仏できない理由にこの世に未練があるからっていうじゃない?」
「ああ、地縛霊ってやつか」
「そう。だからあなたがこの時間にとらわれているのは、なにか未練があるからだと思うのよね」
「まあ、後悔を取り戻すって理由で過去に戻った、と考えるとそれが自然だろうな」
「八年後の私があなたを過去に送り込んだのだとしたら、ピコピコなんて単純な契機ではなく、もっと重大ななにかがあると思うの。原因は結果に先んずらない。因果率の大原則だもの」
何を言ってるのかいまいちわからなかったが、銀千代の目は真剣だった。
「だから、あなたが感じている未練を教えてほしいの。それさえわかれば手の施しようがあるはずだから」
「未練……」
そんなものはない。今までずっと、後悔しないように生きてきたのだ。
「なにかあるはずよ。誰かに告げられなかった想いとか、言えなかった言葉とか」
「……」
「秘めていた感情とか、素直になれない気持ちとか」
「……」
じっと、考えてもみても、なにも思い浮かばなかった。
「自分の心の声に耳を澄ますの。正直に態度に出すべきよ。等身大の愛情とか、諦めたくない想いとか」
J-POPの歌詞みたいな言葉をつらつら羅列されても、
「とくに、ないな」
思い浮かぶものはなかった。
小学四年生の俺の興味はせいぜい翌週の月曜日に発売される少年ジャンプくらいで、重い悩みなんてなかったはずだ。
「……意気地無し」
ぽつりと横に座る銀千代が呟いた。
「いつも私があなたの横にいるとは限らないのよ」
「は?」
突然なんの話だ。
顔をあげると、怒ったように眉間にシワ寄せる銀千代の顔があった。
「幼馴染みだからって、一生一緒にはいられないもの」
普段とは逆のことを言って銀千代は立ち上がった。
「昨日の夜、絶対これだって、思って、ずっとドキドキしてたのに。自分の背中を押すために下手な演技をしてるんだろうなって。もうやだ。バカみたい。ほんと」
銀千代は唇をわなわな震わせていたが、何を言えなくなったのか、やがて、顔を真っ赤に、
「ばーか!」
と脈絡もない悪口を言って、勢いそのままに、走って公園から去っていった。
「なんだ、いったい……」
残された俺はなにもすることなく首を捻るだけだった。




