サマー・スクール・セッション 2
日差しは強いが風は心地よい。そんな初夏の空気をまとい、年端もいかぬ少女は物憂げなため息をついた。
「それで?」
俺と銀千代は、滑り台とブランコぐらいしか遊具がない小さな公園にいた。
幼稚園くらいの男の子たちがはしゃぎまわっている。自販機の横のベンチで退屈そうにケータイをいじる女子高生がいた。放課後のたまり場にするにはどうにも居心地が悪い場所だ。
「自称未来人さん、覚えている範囲でいいからこれから先のことを教えてよ」
銀千代がニタニタ笑いながら続きを促す。
そういえば、ここ、初詣した帰りに寄った公園だ。
先ほどまでの不機嫌さがどこかに行ってしまったように鼻唄混じりにボロボロのベンチに腰かけ、ランドセルからノートを取り出した。
「少しは予想外のことがあればいいのだけど」
教えていいのだろうか。なんかタイムパラドックス的なのが起きそうな気がするし、なにより冷静沈着な彼女に自分の行く末を告げるのは残酷なような気がする。
「いいのか?」
「構わないわよ。私、頭いいから、大体の未来予想はついてるの。株の動向とか世界情勢とか、それが合ってるか答え合わせをしたいのよね」
「株ねぇ、悪いが全然わかんないな。最近円高で物価やばいって母さん言ってたけど」
「どの銘柄が上がるとか、そういうのを教えてよ」
「いや、ごめん、さっぱり……仮想通貨は相変わらず上がったり下がったりしてるらしいけど」
「じゃあ、馬券とかは?」
「まったく……興味なかったから」
「つっかえなっ!」
小学生とは思えないほど汚い言葉遣いだった。
「それじゃあなんのために過去に戻って来たのよ」
「俺もわかんないんだって」
「はあ……嘘をつくのにもディテールに拘ってもらわないと」
やれやれと肩を竦められる。素直に腹が立った。
「俺がわかるのは自分の身の周りの変化ぐらいだよ」
「ふぅん。どうなってるの?」
「まず大前提な」
木立が揺れる。合わせるようにこくりと頷いた彼女に残酷な未来を教えてあげる。
「お前はストーカーになる」
「……ふぅ」
銀千代は大きく溜め息をついてから、持っていたペンをベンチにおいてランドセルにつけられていた防犯ブザーに手を伸ばした。ああ、これ、たしか全校生徒に配られて、ランドセルにつけるように言われていたやつだ。
「気を引くためだとしても、その嘘は笑えないわね。あなたにはがっかりしたわ」
銀千代は無言になると、目を見開いた。幼いながらも芯が通った強い瞳をしていた。
「人には理性があるのよ。やっていいこととダメなことをコントロールできるから人間は種として存続できてるの。私は自己のコントロールが完全にできている」
「やっていいこととダメなことをぶっちぎったのが未来のお前だ」
「あり得ないわね。何年たとうと私は変わらないもの」
ちょっとかっこいいことを言って銀千代首を振った。
「ちょっとでも期待した私がバカだった」
「期待? なにをだ」
「……」
少し間を開けてから、銀千代はポツリと呟いた。
「退屈な日常が変わるかと思ったのに」
俺はこいつのせいで退屈とは無縁な生活をして来た。うらやましい悩みである。
「まあ、いいわ。どうせただの暇潰しだしね。冗談に付き合ってあげる優しい私に感謝してよね。何しに過去に戻ったのか知らないけど、もう日も暮れるし、デロリアンにでも乗って未来に帰れば?」
「それができたら苦労はしない」
「というか一つ思ったのだけど、そもそも、あなた未来に帰りたいの?」
なかなか鋭い指摘である。正直いうと別にいいかな、と思い始めていた。
現実の俺は、受験生だし、小学生からやり直して勉学に力をいれるのもありな気がする。残念なのが、未来になにが起こるかぜんぜん覚えていないことだが、まあ、それぐらいのほうがいいだろう。
「どうなのよ」
返事に窮した俺を急かすように銀千代が見つめてきた。こちらの彼女の方が随分と理知的で話が通じる。
「そーだなぁー」
なら帰る必要はないんじゃないかとぼんやりと考えていたら、
「ところでタイムスリップしたのが事実だとしたら、宇田川太一の意識はどうなってるのかしらね」
と銀千代が一人ごちるように呟いた。
「いや、この通り元気だけど」
「違うわよ。本来あなたの肉体に宿っていたこの時間軸のあなたの意識よ。消滅したのかしら」
「あー……」
背筋がぞわっとした。自分殺しに等しい気がした。そういう哲学的な話は苦手だ。
「未来には帰りたいな、うん」
嫌なことを気付かせるヤツである。俺がここにいることで過去の俺の意識が存在しないことになっているとしたら、それを許容することはできない。俺の答えを受け止めた銀千代は舌嘗めずりをして改めてノートを開いた。
「ふぅん、ほっといてもどうせ八年後に追い付くのに、未来に帰りたいのね……。嘘もここまで来ると称賛に値するわ。荒唐無稽過ぎて逆に信じたくなってきちゃった」
一転、手を叩いてこっちを見つめた。
「じゃあまず現状をまとめましょう」
ノートに開き、好奇心に満ちた瞳で俺を上目遣いで見てきた。
「こちらの時間に来る前、最後に覚えていることはなに?」
銀千代はペンをくるりと一回転させて、
「もしあなたが本当にタイムスリップしているのなら、直前の行動に事象の発端が見つかる可能性が高い」
と見つめてきた。なるほど、一理ある。
「最後……たしか部屋でゲームしてたな」
過去に戻る前のことをじっくりと思い返してみる。
「あきれた。その歳になってもまだピコピコしてんの? 勉強しなさいよ。受験生でしょ? それとも就職するつもり? なんにしても企業研究ぐらいやったらどうなの?」
やめろ、その正論は俺に聴く。
「うるせーな、それで、窓から銀千代がやって来て……」
「なんで窓から私があなたの部屋に行くのよ」
「知らねーよ。俺が教えてほしいくらいだわ」
過去千代は納得いってないみたいに頬を膨らませたが、無視して、話を続ける。
「そんで、なんか俺に言ったんだよな」
「なんて?」
「なんだっけ……」
目をギュッとつむる。
「ああ、取り返しのつかないイベント進行しちゃって、めっちゃ後悔してたら、じゃあ、戻ってみる? って」
「……なにそれ」
「そう言ってきたんだ」
ベンチから立ち上がる。
「そうだ。過去の後悔を無かったことにさせる、って、わけのわからないことを言って」
「……」
「お前が」
「私が?」
暫し無言で見つめ合う。
「話は見えないけど……後悔を取り除けると言って私は何かを貴方に提供したということ?」
「そうだな……」
「なにを?」
「……」
首を捻っても答えはでない。
「もしかしてだけど、ピコピコのミスを取り戻そうとしたら、戻りすぎちゃった、ってこと?」
「そうなるな」
もしそれだけのリカバリーには数時間戻ればいいだけなのに、なんで八年も遡ってしまったのだろうか。
「バカなんじゃない?」
過去千代が心底あきれたように言ってノートを閉じた。
全くもってその通りである。
俺はなにをしているのだろう。なんでここにいるのだろう。
「時間の無駄だったわね。聞いて損した」
銀千代は浅くため息をついてノートをランドセルにしまった。
「なあ、おい、ちょっと待てよ」
立ち上がろうとする彼女を手で制して、
「お前、俺になにしたんだ?」
と訊ねたら、
「知るわけ無いじゃない。今の私が。HGウェルズにでも聞いてみれば?」
と大きく溜め息をつかれた。
「大体、時間の流れというのは一定で常に未来に流れていくようにできてるの。過去に遡ることなんて不可能なのよ。その前提が崩れたら宇宙は崩壊する。あなたの与太話に付き合うのはおしまいよ。私これから大学の研究サークルに行かなきゃだから」
「まあ、そうだな……」
高二の夏のことを思い出していた。
結局ただの嘘だったけど、銀千代はタイムリープを繰り返していたと言っていた。
そんなこと、まさかほんとうにあり得るのだろうか?
「じゃあ、最期に一つだけ」
疑問符は浮かんで消えることがないが、今の俺が八年前にいるのは事実なのである。
「自分の意識を過去に飛ばすことはできないのか? その、薬とかで」
「知らないけど、できるんじゃない? シンナーとか吸えば、脳ミソ縮小するらしいし。バカになるからオススメしないけどね」
「……ですよねぇー」
あいつ、あの外人、銀千代の友達のあいつがなんか言っていた。
認知症の予防薬を開発したが、副作用で時間感覚が狂うヤバい薬ができたって。
「……」
まさか、未来千代があのクスリを俺に盛ったんじゃないのか?
「おい過去千代」
「なに、そのかこちよって? ひょっとしてバカにしてるの?」
「ああ、いやすまない。えっと、お前の専門は脳科学だよな」
「専門? いや、まだ決めてないけど……脳科学……ふぅん、面白そうね」
「……そうか」
「さっきから、なに? 気持ち悪い」
ダメだ。八年前は狂気をコントロールできているが故、常識の範疇にこいつはとらわれている。いや、喜ばしいことなんだけど。
「えっと、帰りにアイスでも買って帰ろうぜ」
「藪から棒になによ……変な提案。だけど、うん、なかなかいいアイディアだわ。今日も暑いし」
年相応の笑みを浮かべて銀千代は立ち上がった。
連れだって、公園の出口に向かう。帰りにセブンティーンの自販機があったはずた。
騒いでいた子供たちもいつの間にかいなくなっていた。退屈そうにケータイをいじっていた女子高生も父親とおぼしき男性と笑いながら公園から出ていくところだった。
「なんで俺ここにいるんだろうな……」
意味もなくタイムスリップした俺はぼんやりと初夏の青空を見上げた。
「さあ、わかんないけど、私にチョコミントおごるためじゃない?」
銀千代の晴れやかな笑顔に応えたいところではあったが、小学四年生の俺は財布を持っておらず、逆におごってもらう結果になった。
いつ食べてもセブンティーンのアイスは上手い。
「この美味しさは不変ね」
明日返すから、という俺の土下座寸前の懇願に呆れていた銀千代が舌でチョコミントを嘗めとりながら微笑んだ。全くもって同感である。




