第77話:六月とデッドエンドボーイズ
銀千代が仕事で学校を休んだ日。
久々に心身を癒すことができると落ち着いた気持ちで授業を受けていたとき、
三時間目の歴史の教科書を家に忘れていたことに気がついた。
期末が近いので、出来れば授業はしっかり受けておきたい。
そんな思いがあってか、本当はダメなんだけど、ちょっとした出来心で銀千代の机を漁ったのがそもそもの間違いだった。
「あ」
黒いノートがあった。
これは、たしか、
「ゆーくんのことをバカにしたり、傷付けたり、困らせたりした人のことを忘れないようにリストしてるんだ」と銀千代が言っていたノートだ。
いやな思い出が甦る。
以前見たときはびっしりクラスメートの名前がかかれていたが今は大丈夫だろうか、とノートを開いて見てみる。
「アン・ハサウェイ」
なんだこれ。……あー、そういえばこないだテレビで「プラダを着た悪魔」見てたときにアン・ハサウェイかわいいなって呟いた記憶がある。
まあ独り言が拾われてるのは恐ろしいが、半分冗談みたいなノートなのは間違いなそうだ。
そこまで気にする必要はないか、とパラリとノートをめくったら、
「花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏音花ケ崎夏」
「ヒィ」
開きすぎてクセになっていたのか、まるまるクラスメートの女子の名前が書かれていたページが開いた。文字の上からまたなぞるように同じ文字を書いているのか、ページ全体が粉っぽくなっている。
小さく悲鳴をあげてしまったが、近くの席のやつがぴくりとしただけで先生にばれることはなかった。
心臓が恐怖でばくばくいっている。
なんて恐ろしいノートだ。
「せんせぇー」
ちらりと前をみるとちょうど花ケ崎さんが右手を上げて質問しているところだった。
「なんで戦争おこったんですかぁー?」
すごくバカっぽい質問だった。
「何でだと思う?」
と先生から質問を返された花ケ崎さんは、「うーん」と可愛らしい声をあげながら顎に人差し指をあて、
「やられたらやり返す……そんなんだから、戦争が終わらないんだと思います!」
と純粋無垢な笑顔で返した。
花ケ崎マインドがあれば世界はきっと平和だ。
小さくため息をついて、黒いノートに目を落とす。
「桜井華南
脊椎動物門哺乳網霊長目ヒト科ヒト属ホモサピエンス、メス。
Cカップ。160センチ。中肉中背、体重不明。
十七歳、牡牛座のB型。
熊上高校三年三組所属。趣味は映画。弱点、数学。カレシ有り。
位置把握完了。再会可能性五パーセント以下。危険度ランクA→Dに降格」
「……」
なにこれ。綴られた名前は中学の同級生だ。
去年海で再会して、またいつか地元で会えたらいいね、なんて話してた。
位置把握完了……どういうことだ、まさかGPSを設置したとかそういう意味だろうか。
「いやいや、まさか……」
あり得る。
狭い地元で、こんなに会えないっことある、って思ってたところだ。普通放課後とかにバッタリ遭遇するもんだろ。別の高校とはいえ、帰宅の時間がここまでズレるのはなにか作為的なものがあるんじゃないか。帰宅時、銀千代はたまにしょうもない雑談で足止めしてくるし。
「……考えすぎか……」
いかんいかん。ちょっと過敏になっていた気がする。
知り合いと街で会う確率ってけっこう低いって聞いたことあるし、いくら銀千代でもそこまで手を回さないだろう……。
ページを捲る。
「……」
クラスメートの名前が全員分書かれていた。
男子も女子も分け隔てなく。女子に至っては身長と体重となぜかスリーサイズまで明記されている。個人情報保護法はイカれちまったらしい。
見たら悪い気がしてページを捲る。
「月見里月。
脊椎動物門哺乳網霊長目ヒト科ヒト属ホモサピエンス、メス。
十九歳。Bカップ。清輪女子大学占いサークル所属。サンリオ好き。
危険度ランクE」
誰だこいつ。
名前やばいな。
「銀野金音
脊椎動物門哺乳網霊長目ヒト科ヒト属ホモサピエンス、メス。
十七歳。
Gカップ。
位置把握完了済。突発的な行動を起こさないよう調教済。危険度ランクB→D」
そういや最近金音に会わないな、と思っていたところだが、いや、そんな、まさかだろ。
調教ってなん……胸、でかいな。
「……」
心配になってきた。
銀千代が何をしたのか、考えるだけでも恐ろしいが、ともかく、彼女が無事かどうかだけでも知りたいところである。
次のページに詳細書いてないだろうか、とめくってみたところ、
「Don't forget 23 May」
とページいっぱいに書かれていた。
なんだこれ。
五月二十三日……忘れるな?
なんかあった、あっ、
顎に手を当てた拍子にページが一枚めくれてしまった。
「 沼袋七味沼袋七味
沼 袋
七味沼 袋七味
沼 袋 七
沼袋 七味
沼袋七味沼袋七味沼袋七味沼袋七味沼袋七味沼袋七味沼袋七味沼袋七味沼袋七味沼袋七味沼袋七味沼袋七味沼袋七味沼袋七味沼袋七味沼袋七味沼袋七味沼袋七味沼袋七味沼袋七味」
「ヒィ」
ぎっしりと蟻が這ったように、下級生の名前が書かれていた。
この間の五月二十三日、俺が沼袋に告白された日だ。
こえぇーよ。
そんときあいつ近くに居なかったはずなのに。
「危険度ランクB→Sに引き上げ。要対処。洗脳調教開始。ゆーくん補完計画のメインディッシュに決定」
最後の行にそれだけ書かれていた。
なんだこの不穏な計画。
いやな予感がしたので、ページをパラパラと捲る。いろいろな人の名前が書かれていた。老若男女問わずだ。
山田さん、松崎くん。鈴木くん、雑司ヶ谷くん、メケメケ王子三世くん(ネトフレ)、ずんどこべろんちょさん(ネトフレ)、はちみつボーイさん(ネトフレ)、小山さん……。
もはや見境ない。
このノートは俺の知り合いリストと言っても過言では無いだろう。
最後の方のページに「ゆーくん補完計画」の詳細が載っていた。
「……」
なにが書いてあるのかよくわからなかったが、取りあえず理解したことは三つ。
廃工場が舞台。
このノートに名前が書かれていた俺と結びつきが特に強い十五人が参加者で、互いの正体がわからないよう着ぐるみをを着た段階でスタートする。
ゲームがいくつかあり、失敗すると爆発して死ぬ。
生き残るのは二人だけ。
「……」
なんだただのデスゲームの計画書か。
「……いや、こえーよ」
ゲームの詳細も載っていたが、とても難しすぎて初見じゃクリア出来ないだろう。
ゲームのルールを完璧に把握している銀千代が参加者として紛れ込み、上手いことサポートしながら俺を生き残らせるという計画書だった。
「……」
★羽虫を一網打尽!
★吊り橋効果でゆーくんとのさらにラブラブ!
★実施日、ハロウィンとか?
とかわいらしい顔文字とともに書かれていた。
狂気の極みである。
とりあえずこのノートは回収し、銀千代に注意してから、燃やそう、と決意を固めた時、
「じゃあ、次のページから読んでもらうからなぁ」
教壇の先生が教室をぐるりと見渡し、はじっこの生徒を指名した。
「……」
危ない危ない。ノートに夢中で今が授業中ということをすっかり忘れてた。
「はい、ありがとう。えー、今読んでもらったことを図にすると……」
先生が板書を始めたスキをついて、銀千代の机にノートを戻そうとしたが、つまってうまくいかなかった。仕方なしに、再度銀千代の机を覗きこむ。
「げっ!」
そこに教科書はなく、
黒いノートがぎっしりつまっていた。
何冊あんだよ、このデスノート。
「宇田川!」
小さな悲鳴を聞き漏らさなかった先生が苛立げに俺の名前を呼んだ。
「うるさいぞ、お前。うん? なんだぁ教科書忘れたのか? なんで言わないんだ」
「す、すみませんでした」
「たくっ、報連相もできないようじゃ立派な大人になれねーぞ」
先生に注意された。
それからグチグチと嫌味を言われた。反論の余地もない正論だったが、
「……」
あまり俺を怒らせない方がいい、と黒いノートを見て、思った。




