第73話:五月の漆黒の殺意
腹這いになってゲームしてたら、ノックもなしにドアを開けられ、ひょっこりと従姉妹の瑞穂が顔を出した。
「汚い部屋だねぇ」
いきなり誰かが来るのには慣れているが、文句を言われるのは久しぶりだ。
「うるせぇな。なんでお前いんだよ」
「んー。来年、受験だから太一んとこの学校も一応見ておこうって思って。暇だったしね」
「ああ、そう」
イラつきながらゲームを一時中断し、座り直す。
「そんで、どーだったよ」
たしかに今日は学校見学が行われる予定になっていたはずだ。お陰さまで、在校生は特別休暇になっている。
敷居の前で仁王立ちしていた瑞穂は片眉を上げて、鼻をならした。
「バカ高校っぽいね。偏差値も低いし」
「失礼極まりないやつだな」
「個人の感想でぇーす」
お茶らけて笑い、部屋に入ってきた。入室は許可していない。こいつも銀千代と同じタイプらしい。
「つか、今の通ってるところエスカレーターって言ってなかった?」
あまり詳しく聞いてないけど、瑞穂の中学は中高一貫だった気がするので、外部受験をしなくても、こいつは高校生になれるのだ。
「金守銀千代もあそこに通ってるって聞いてさ。実際どうなの? あの人かなり頭いいはずだけど、なんか特別なカリキュラムとかあんのかな」
じとっとした目付きで睨まれる。どうやらこいつがわざわざ他校の見学に乗り出したのは、それを探る為らしい。
「そんなもん、ないはずだけどなぁ」
「沼袋七味もいるって噂だけど、本当? 太一の学校って芸能人御用達だったりすんの?」
「……さあ」
「ねぇー、サインもらってきてよー!」
猫なで声で、瑞穂は俺の前で膝を折った。
「なんで俺がそんなことしなきゃいけないんだよ」
「ぶっちゃけ、そんなほしくはないけどさ。従兄弟が芸能人と付き合ってるんだったら、友達に自慢したいじゃん。サインくらい簡単だよね? こないだおじいちゃん家で交際宣言してたし」
「それはあいつの勘違いだ」
「えー、そうなの?」
瑞穂は心底ガッカリしたように大きく息をついた。
「なんだぁ、つまんないのぉ。せっかく見直してたのにガッカリしたよ。まぁーさ、わかってたことだけど」
「なにがだよ」
「太一が金守銀千代と付き合うなんて、天地が引っくり返っても、あり得んって。高値の花だもん。親でも人質に取ってんのかって感じ」
プレステ4とかは人質に取られたことあるけど。
「太一は頭も悪いし顔も悪いし、性格もよくないし、惚れる女なんているわけないもんね。……ね?」
辛辣な評価に素直に腹立つ。
「金守銀千代があの学校に通ってんのも家が近かったとかの偶然だよね? まっさか太一と同じ高校にいきたかったとかそんな非合理的な行動とるわけないっしょ?」
「だから知らねーって。本人に聞けよ」
「本人に聞けないから太一に聞いてんじゃん」
「いや、聞けるぞ」
「はぁー? なに言ってんの? 頭おかしいんじゃ……」
バァンとクローゼットの扉が開いた。
薄々気配は感じていたのだ。
「え!?」
鬼の形相の銀千代が、ハンガーをナイフみたいに持って立っていた。
なんで居んだよ、とは思わなかった。そうだよね、どこかに居るよね、と思っていた俺も、歪みの国の住人なのかもしれない。
「か、金守銀千代!? えっ、なんで!?」
一般的な世間常識を持つ瑞穂は目を丸くして、突然の来訪者に戸惑っている。
銀千代はそれを一瞥し、大きく跳び上がった。咄嗟に横からタックルして止める。
そのままベッドに押し倒すカタチになったが、なんのロマンスも発生していない。
「えっ、え!? どういう、は?」
急展開に瑞穂はついていけないみたいだが、俺は概ね想定通りの展開だ。手首を掴んで、ベッドに仰向け状態で押さえつける。
「フゥ……! っフゥ!」
「落ち着け、銀千代、落ち着けッ!」
顔が赤く、鼻息が荒い。極度の興奮状態にあるらしい。暴れ牛のようだ。
「ゆーくんを、バカに、するなぁっ!」
途切れた呼気の合間に、唾を飛ばしながら銀千代は叫んだ。汚い。
「ひぃ!」
瑞穂が引きつった悲鳴をあげた。
「落ち着け!」
手に持っていたハンガーをなんとか取り上げ、遠くに投げる。カラカラカラと音を立ててハンガーはフローリングの床を滑っていった。
「フゥ……、フゥ! ゆーくんをバカにするということは、銀千代に殺されても構わないということ……っ!」
「いや、その理屈はおかしい。こいつは従姉妹の相原瑞穂、敵じゃない」
「敵……ゆーくんの味方、……銀千代の敵?」
「違う、味方だ味方。俺の従姉妹だからな」
「従姉妹……四親等……」
カッと目を見開く銀千代。
「コロス……!」
「なんでやねん」
なんで心を無くしたモンスターみたいになってんだよ。
「殺人……秘密を共有……愛、深まる……死体……隠す……どこ……食べていい?」
「食べちゃダメ。いいか、憎まれ口もコミュニケーションみたいなもんなんだよ。別に俺は怒ってないからお門違いにぶちギレるのはやめろ」
「フゥ……フゥ……クワッ!」
呼吸が乱れている。真っ黒な穴のようだった黒目がぐりんと上を向き、徐々に白目になっていく。興奮しすぎているらしい。こんな状況だってのに、銀千代の呼吸が荒れて、体が揺れる度に、胸部に目がいってしまって、罪悪感。
「ヒュー、ヒュー…フッ」
呼吸が不規則でなんだかヤバい雰囲気。
「お、おい、大丈夫か!?」
冷静さを取り戻すため、俺は深呼吸をしてから、周囲を見渡した。ゴミ箱にポテトチップスの空き袋があったのであわてて掴み、銀千代の口にあてがう。
「過呼吸だ! 落ち着け!」
確か紙袋とかを被せて、二酸化炭素を吸いこませ、酸素の量を減らすことでパニックをおさえる……と漫画で読んだことがある。
「ふっ……っつ」
銀千代の呼吸も整ってきた。
「フゥ……」
「落ち着いたか?」
手を離す。銀千代はキョロキョロと周囲を見渡してから唇を突き出してきた。キス待ちの顔。間違いなく普段の銀千代だ。掴んでいた手首を解放し、離れる。少し寂しそうに、手首を擦りながら銀千代は頬を膨らませた。パラパラとポテトチップスの粉がベッドに落ちた。パニックは治まったらしい。
「よし、大丈夫そうだな」
「ゆーくん、袋で呼吸を塞ぐペーパーバック法は二酸化炭素を吸いすぎて、逆に酸素が足りなくなってしまう可能性があるから、過換気症候群の人には、まず落ち着かせて、腹式呼吸を意識させることが大事なんだよ」
「ああ、そう……」
なんでダメ出し食らわなきゃいけないんだ。結果的に落ち着いたんだからいいじゃねぇか、と不満が顔に出てたのか、銀千代はにこやかに「ありがとう」とお礼を言ってくれた。
「それでこれどうする?」
「これって、お前……人の親戚を……」
銀千代はベッドから立ち上がると、腰が抜けて床にへたりこんでいる瑞穂を見おろした。
「あ……ぁ」
瑞穂は、驚きすぎて、立てなくなっているらしい。唇が小刻みに震えている。
「わかってるよ、ゆーくん。相原瑞穂は四親等とはいえ、一応親戚だから多少は大目にみるようにしてるから」
大目に見てたら殺そうとしないだろ。
「銀千代がコレって言ったのは……」
銀千代が床を指差す。瑞穂の足の間に小さな水溜まりができていた。
「……っ」
瑞穂は顔を真っ赤にして歯を食い縛った。
「あー」
まじかよ、と思ったが、不用意な発言は無意味に傷つけてしまうかな、と思ってなにも言えなかった、が、かわりに人の部屋で失禁しやがってこの野郎! っと心のなかでめっちゃぶちギレた。
「銀千代、タオルとって来るね」
動けずにいる俺と瑞穂と違い、銀千代は至って冷静に行動し始めた。
「えっーと、一階の洗面所の戸棚に使い捨てのタオルがあるから、それ取って来てくれ」
「うん、わかってるよ」
なんでわかってんだよ。
バタバタと銀千代は駆けていった。
二人残された俺は気まずい空気を拭おうと、瑞穂に「大丈夫か?」と声をかけた。
瑞穂は一切視線を合わせることなく、恥ずかしそうに、うつむいたまま、ボソボソと、
「誰かに、……言ったら、殺す……」
と呟いた。
「あ、ああ、誰にも言わ」
俺が返事をする前に、
「うらぁー!」
銀千代が階下で奇声をあげた。俺に対する殺害予告が聞こえていたらしい。どんな聴力してんだよ。




