第71話:四月が去りて、不健康
四月の始めに身体測定があった。
結果が返ってきたのは下旬だった。
帰りのホームルーム、担任の手から直接封書が配られた。指でこじ開け、結果を確認しながら自分の席に戻る。
身長が去年より三センチ延びた。体重は変わらなかった。
その他の異常なし。
夜更かし癖がついているとはいえ、不健康な活動はしていないので当たり前である。いや、健康的な体に産んでくれたことを両親に感謝しよう。
席に戻って椅子に座る。
結果用紙を二つ折りにして、鞄にしまおうとしたら、
「見せて」
ガッ、と手首を銀千代に掴まれた。目が完全にイカれてる。
「いやだ」
別に恥ずかしい情報は載っていないので、渡してもよかったが、なんとなく嫌だった。
「なんで?」
「いやだから」
「なんで?」
「やだっていってんだろ」
「なんで?」
「お前はNPCか」
「違うけど……」
「見せなきゃいけない理由ないだろ。個人情報だぞ」
「ゆーくんの尿とか血液が第三者の手に渡る屈辱を我慢したんだよ? 学校が執り行った杓子定規的なヤツでしっかりしたデータが取れるかどうか不安だけど、まあ、無いよりましだから……見せて」
「なにいってんだ、テメェ……」
手を振りほどいて鞄にしまう。
「だってゆーくん最近銀千代の人間ドック恥ずかしがって受けてくれないじゃん。本当は一週間に一回はチェックしたいのに」
最近どころか一回も受けたことない。
「無理やりやってもいいんだけど、こういうのってやっぱり本人の意志が大切だと思うからさ。見せてください。お願いします。少しだけ、少しだけでいいから」
頭を下げられた。
クラスの視線が集まってきた。恥ずかしいからやめてほしい。
「それじゃあ、銀千代の結果用紙と交換しよ。プリーズ。プリーズ」
「別に興味ないです」
「ちょっと恥ずかしいから体重だけはマジックで塗りつぶさせて」
サインペンでササッと欄を塗りつぶす銀千代。
「はい!」
きらびやかな笑顔で机の上に広げられた。
「いや、交換しないっての」
「……仕方ないなぁ。ゆーくんにだけにこっそり教えるね、四十……」
「別に興味ないって言ってんだろ。他人が健康か不健康かなんてどうでもいいだろ」
「他人?」
「ん?」
「銀千代とゆーくんだよ?」
銀千代は自分の健康診断の結果を俺の机にスライドさせてから、にこりと微笑んだ。
「ゆーくんが健康なら嬉しいし、不健康なら悲しい。ゆーくんの身長が伸びればそれに合わせてヒールの高さとかも調整しないといけないし、体重が増えたなら、銀千代もそれ似合わせた適正体重にならないといけないもの」
「お前はボクサーか」
「違うよ。でもやれっていうならやるよ」
「冗談だ」
滑ったみたいになるからボケにボケに重ねるのはやめてほしい。
「ほんとはこっそり見てもよかったんだけど、ゆーくんから見せてほしいなって思って」
「去年はこっそり見たの?」
「今はそういう話してないよ。ゆーくんのパーソナルデータを収集しないと今後の活動に支障をきたす可能性があるから健康診断の結果を銀千代に提出してください」
「去年とかはこっそり見てたのかどうか聞いてんだよ」
「見たけど、そういう話はしてないんだよ。ゆーくんの視力眼圧聴力血圧尿酸値血糖値なんか医者が見てもわからない兆候を銀千代なら判別できるかも知れないからとりあえずデータを見せてほしいの」
「個人的情報勝手に見んじゃねぇよ」
「うん。だから今年はゆーくんの手から渡してほしいな」
やばい。なにいってんのかわからなくて頭が痛くなってきた。いま健康診断したら偏頭痛がステータス異常に登録されそうだ。
「断ってんだから諦めろ」
「それじゃあ、こっそり見るしかないよ」
アメリカのホームドラマみたいに肩を大袈裟にすくめられた。言ってもわからぬバカばかり。
「お前にはないのか、モラルが」
「……そんなに見られたくないの?」
「当たり前だろ」
「わかった。ゆーくんがそこまで言うなら諦める」
「……話が通じるようになったじゃねぇか」
「闇のゲームで決めよう」
銀千代は目を見開いた。
「ゲーム?」
ちょっと、気になる。
「説明するね。ゆーくんはゲーマーだからゲームとつくと身体がうずくようになってるんだよ」
「俺の説明はどうでもいいんだよ。ルールを説明しろよ」
「うん。ルールは簡単。掛け声と共にお互い三種類の手を出しあうの。全部の指が開いた状態が紙、親指と小指と薬指を曲げた状態が鋏、全部の指を曲げた状態が石。紙は石を凌駕し、鋏に負ける。同じように石は鋏に勝」
「じゃんけんじゃねぇか」
無視しようと正面を向いたら、ポツリと
「銀千代が負けたらスリーサイズを教えてあげる」
と呟いた。
「……」
別に興味はない。
たぶん聞けば普通に教えてもらえるだろうし。
だけど、あんまり断り続けるのもめんどくさいので、ボチボチこの話を終わらせるために、あえて乗ってやることにした。
「いいだろう」
「三回勝負で、一回負けるごととにバストウエストヒップを教えてあげる。ゆーくんは三回負けたら、健康診断の結果を銀千代に渡してね。ルールで不明なところはない?」
「あるわけねーだろ」
幼稚園のときからルール把握してるわ。
「グッド! じゃあ、掛け声は銀千代独自のものでやらせてもらうね」
「は?」
「あいらぶゆーくんじゃんけんぽい!」
状況が飲み込めずに、反射的に出したパーは銀千代のチョキに粉砕した。
「まて、おい、ぎん」
「あいらぶゆーくんじゃんけんぽい!」
俺のグーを銀千代のパーは玉砕した。
「だからまてって。普通の掛け声でやらせてくれ」
「普通?」
「だから、普通に最初はグー。じゃんけんぽん」
俺のパーは銀千代のチョキに大喝采。
「ぬぅあ」
「銀千代の三戦連勝だね!」
にっこりと微笑まれる。
確かに負けたのは負けたのだ、いまいち納得がいかない。
「んだよ、あの変な掛け声」
「あいらぶゆーくん、じゃんけんぽん?」
周りの視線が痛々しい。
勘弁してほしい。最近そんな動画見た気がする。
「ちゃんとした掛け声でもう一度やらせてくれ」
「それはできないよゆーくん」
「はあ?」
「たしかにゆーくんの心理と性格を完全に把握している銀千代は、統計的に有利な手を出せるのは間違いないけど、それでもさっきの戦いはフェアだったんだから」
「む、むぅ」
妙に説得力のあることを言いやがって。
「だから、はい。健康診断の結果。見せてね」
「……」
思い付いた。
外道かもしれないけど、いつも言いようにやられてきたんだから、たまには反逆したくなった。
「……いいだろう」
俺は先ほど鞄にしまった健康診断の結果用紙を取り出し、
「ありがと」
にこやかな銀千代の前でそれをまた折りに、ビリビリに破いた。
「あぁ!」
「ふははは!」
正直健康診断の結果なんてどうでもいい。健康だったというのはわかってるし、細かい数値なんて俺が見たってわかんないが、銀千代にパーソナルデータを握られることほど恐ろしいことはないのだ。
俺は卑怯だろうか?
いや、そもそも断ってるんのだから、見せる義務はないはずだ。
銀千代を納得させる方法はなかなか見つからなかった。でもようやく見つけたよ。
「こうすればよかったんだ!」
バラバラにしておまけにねじりを加えて、どう頑張ったって復元できないくらいにしてから、銀千代に「ほらよ」とチギリ絵を見せる。
ちょっと悪いことしちゃったかな、って思って、表情を見ると、
「……え?」
ぎんちよは、ぶきみにほほえんでいる。
「えと、……ごめん」
なんか怖いからとりあえず謝っておいた。
「ううん。大丈夫だよ」
見られるのが癪でルールを破ったのは俺だけど、なんだこの反応。
予想外だ。
「ゆーくんは恥ずかしがり屋だもんね。わかってるよ。今度からこっそり見ることにするね」
「……」
いや、見てほしくないんだって。
「あーぁ、またハッキングかぁ」
「……え」
こいつ学校のサーバーに不正アクセスしようとしてるの?
「こえーよ!」
健康診断の結果は再発行できるらしい。なんとかそれで落ち着かせることができた。
俺たちが騒いでいたせいでホームルームが始められないと先生は半ギレていた。
申し訳ないことをした。




