第9話:一月に咲く桜と夢月夜 後
賽銭箱に小銭を入れて祈りを捧げる。
当然俺は「受かりますように」だったが、隣の銀千代はぶつぶつと「ゆーくんと銀千代の愛が永遠でありますように」と唱えていたので、聞かなかったふりをした。そもそも、愛は始まってもいない。
「ゆーくんはなにをお願いしたのー? 銀千代との恋愛成就とかについ……」
「高校受かりますようにって」
「そうなんだ。銀千代はね。ゆーくんが受かりますようにって祈ったよ。こういう場所ではね、私利私欲の願い事より誰かのために祈るのがいいんだって」
パチこいてんじゃねぇよ。
「まあ、いいや、用事すんだし帰ろうぜ」
「えー。もうちょっとゆっくりしていこうよ。十五才の冬はこの一度きりなんだよ」
「俺、受験生だから。帰って勉強しなきゃだ」
「うーん、そうだね。じゃあ、甘酒買って少しだけ公園で話そうよ!」
「人の話聞いてた?」
何だかんだで流されてしまうのが俺の悪い癖だ。
銀千代はたしかにかわいい。
頭も良いし、献身的に愛してくれている。
それでも、彼女に報いることができない。ただ一つの理由は狂気だ。
出店の甘酒を購入し、銀千代のもとに帰ると、金髪の男にナンパされていた。
「ねえねえ、きみ可愛いね!」
「うん、知ってるよ。努力してるからね」
「いやまじ可愛いって! ねぇ、よかったら一緒に出店回んない? 名前なんてーの?」
「申し訳ないけど、銀千代をそこらへんの安っぽい女の子といっしょにしないでほしいな」
「銀千代ちゃんって言うんだ! かわいい名前だね」
「むっ!」
流れるような自己紹介をかます銀千代に呆れながらも、仕方ないので両手に甘酒を持って登場することにした。
「待ったか。ほれよ」
「あっ、ゆーくん!」
紙コップの甘酒を受け取り、パァっと表情を明るくする銀千代の横で露骨に不機嫌そうな顔をするナンパ男。そのまま去れ。
「あっ、カレシさんっすか、さーせん」
少しもすまなそうな顔をせずペコリと男は頭をさげた。
うんうんと頷く銀千代。
カレシじゃないけど、否定するのもめんどくさかったので、そのまま会釈して帰ることにした。
「チッ、冴えねーヤツ」
背後でナンパ男の負け惜しみが舌打ち混じりに聞こえた。
無視して歩こうとしたが、銀千代が足を止めていた。
「ねぇ、今、ゆーくんのこと言ったの?」
怒気をはらんだ低い声だった。
出店の赤提灯の光を浴びて、銀千代の顔は真っ赤だった。
「え、なにが?」
ナンパ男もびびっているようだ。「おい、銀千代」声をかけるが、銀千代は真っ直ぐに男を睨み付けている。目が座ってるよ。
「訂正して」
「ちょっと、まじ、なに言ってんかわかんないけど、銀千代ちゃんぐらい可愛いならもっと男を選びなよ」
「銀千代とゆーくんはお似合いだよ! ゆーくんは世界で一番かっこいいんだから!」
どうでもいい討論を始めそうだ。怒鳴り声に路行く人が足を止めた。
「ぷっ」
男がたまらず吹き出した。
恥ずかしいのは俺の方だ。
「いやいやいや、そんなわけないでしょ。銀千代ちゃんモデル並みに可愛いじゃん。それなのに横歩いてる男が野暮ったい、いかにも陰キャみたいなやつだと釣り合いとれてなくな……」
男が続きの言葉を吐き出すよりも先に、銀千代の右手が大きく伸びていた。
紙コップの中身の甘酒が真っ直ぐにナンパ男の顔面にかかる。
「うわっちぃ!」
バシャリと音がして、米麹の香りが辺りに広がった。薄暗闇にぼんやりと湯気が立ち上る。
呆気にとられた俺や野次馬を無視して、ふわっ、と銀千代が浮き上がった。
否、跳躍したのだ。
そして、そのまま、真空飛び膝蹴りを男の顎に食らわせた。
バダン、と男が境内の茂みに突っ込む。
どうみても過剰な暴力だ。
「越えちゃいけない一線、考えて」
銀千代は虫けらでも見下すような冷たい表情で呟いた。越えちゃいけない一線を大股歩きで越える女の発言だ。
野次馬の女性の悲鳴が響いた。
恐る恐る覗きこむと男は「うーん」と唸り声を上げていたので、どうやら命に別状は無さそうだ。
「ねぇ、起きて。まだ訂正してないでしょ」
銀千代が倒れこんだ男に追い討ちをかけようと足を前にだしたので、さすがにヤバイと思い、手をとってその場をあとにした。
「今の一撃、キックの鬼、沢村忠を思い出したよ」
と赤ら顔のオッサンが刃牙のモブみたいな説明をし始めていたので、少しだけ小走りで帰ることにした。
「おまえなぁ、なんでも暴力で解決しようとするなよ」
人混みを抜け、家の近くの公園に避難した。
前屈みになって、呼吸を整えるのは俺だけで、銀千代は至って平然な顔をしている。
「え、でも、ゆーくん、力こそパワーだよ」
「危ないやつだな、ちょっと離れて歩いてくれ」
「ゆーくんに暴力はふるわないよ、いまはね」
いまは?
背筋に寒気が走った。
公園の街灯の頼りない灯りの下、銀千代はどこか泣き出しそうな顔をした。泣きたいのは俺の方だ。
「……じゃあ、俺帰るから。じゃあな」
その場を立ち去ろうとしたら「待って」と呼び止められた。
「ゆーくん、甘酒、台無しにしちゃってごめんね」
「あー……」
銀千代はナンパ男にぶちまけ、俺のは走っているうちに中身が全てこぼれてしまった。
空の紙コップを潰してポケットにしまい、
「まあ、いいよ。じゃあな」と帰ろうとしたら、
「待って!」とまた呼び止められた。
「なんだよ」
「お詫びに銀千代はゆーくんに缶コーヒーを奢ります」
「別にいいって気にするな」
「甘党なゆーくんも大好きなマックスコーヒーのホットです。ちょっとまっててね」
銀千代が公園の入り口にある自販機に向かって駆けていき、操作して、すぐに戻ってきた。
「飲もう飲もう! こんな夜は飲まずにはいられないよ!」
銀千代はベンチを指差した。
木製のベンチはペンキがハゲかけていた。
「……だから早く帰って勉強しないとなんだって」
「大丈夫だよ。ゆーくん」
「大丈夫じゃねぇから焦ってんだよ」
やばい、少しイライラしてきた。
頭の良いこいつにはわからないのだろう。劣等な脳ミソを持つものの焦燥が。
本気になるのが、遅すぎた。
本来なら、夏ごろ、いや、遅くとも秋口から真剣に受験対策に乗り出すべきだったのだ。
それを、おれは、ゲームだなんだと逃避した。その結果が今だ。逃げ癖のツケを未来の俺が払わされている。
銀千代の言うとおり早めゲームを封印すべきだったのだ。
「ゆーくんは絶対大丈夫。受かるよ、だって」
事も無げに、根拠もなく銀千代が言うので、思わず、
「なにがわかんだよ!」
怒鳴ってしまった。
八つ当たりだ。偏差値が伸びないのも、俺がバカなのも、全てを彼女のせいにしようとしている自分に腹がたった。
銀千代はびくり、と肩をふるわせて、差し出していた、マックスコーヒーをさげ、
「わかるよ。だって、銀千代はゆーくんのこと、ずっと見てきたから。ゆーくん以上にゆーくんの頑張りは銀千代が知ってるよ。大丈夫。焦らなければ、受かるから。あともうちょっとだけ、頑張ろう」
「……」
微笑む銀千代に毒気が抜かれてしまった。
「なんか、お前には敵わないな……」
「惚れた弱みってやつだね」
「それは違うけど」
差し出された缶コーヒーを受け取り、プルタブを引き上げる。
「ゆーくんの前途を祝して!」
こちらに缶を差し出す銀千代。
俺もそれに従う。
「乾杯!」
それから数週間後、試験日を迎えた。
本番は思ったよりも緊張することなく迎えることができた。ほとんどが「銀千代でやった問題だ!」ったので、やはりあいつの教え方はべらぼうに上手いのだと再認識した。
彼女は前日に、わざわざ大宰府天満宮に行って合格祈願のお守りを買ってきてくれた。ガチすぎてちょっと引いた。
合格発表は志望校の校庭のすみっこにある掲示板で行われた。発表前からかなりの人が集まっている。掲示板には白い布が被され、発表時刻まで結果は秘密だった。
「緊張するね!」
別に示し会わせた訳でもないのに、なぜかついてきた銀千代が俺といっしょに俺の番号を探す。
俺が受かろうが、落ちようが、こいつとは別々の進路になってしまうのだ。それは少し悲しい。
受け付け表の番号を再度確認し、ため息をつく。
係りの人がやって来た。
緊張で吐きそうだ。
係員が完全に布をはぎと
「あった! あったよ、ゆーくん!」
る前に、銀千代は俺の番号を先に見つけ、
「やった、やったね! ゆーくん!」
俺より先に喜んだ。
「……」
白い布が地面に落ちる。
俺の番号はたしかにあった。
「おっ、うおっ!」
声にならない歓喜の声が喉から漏れる。
「これで、高校もおんなじだね!」
「うぉ?」
は?
歓びの感情が一瞬冷め、ゴリラ化しかけた言語中枢が日本語を取り戻す。ロボットのようにぎこちない動作で首を動かし、横の銀千代を見る。
「え、お前、海外の学校じゃないの、」
「? なんの話?」
銀千代は胸ポケットから折り畳まれたプリントを一枚広げて俺に見せた。
「推薦入学の合格通知」
俺の第一志望で、
ここの……。
「え、だって、アメリカって、留学を……は?」
「アメリカ? 新婚旅行はハワイがいいとはなんかの雑誌でいったけど、留学の話は一言もしてないよ」
松崎くんの情報の信用度は著しく低いのを忘れていた。
「推薦の話は今はじめてするけど」
「え、なんで、お前だったらもっと良いとこ、普通にいけるじゃん」
「ゆーくんと同じ学校行きたかったからだよ」
銀千代の持つ「合格通知」は推薦だが、「単願」だった。
つまり、ここ以外は受かっても行けない。そういうルールだ。
「おまえ、俺が落ちたらどうするつもりだったんだよ」
「ゆーくんが落ちるわけないよ。頑張ってたもん
」
頑張りが認められてらちょっと、嬉しいと思っている自分の感情に喝をいれたい。
また三年間、こいつと一緒ということは、すなわち
俺の青春はボロボロということ!
「でも、本当によかったね……」
「ああ、よかった。ほんとに」
「ゆーくん、も嬉しいんだね……」
「そりゃあな」
銀千代の澄んだ瞳が潤み、涙の滴が地面に落ちた。
「銀千代と同じ高校に行けて……」
「そこはちょっと違うけど」
俺の頬を伝うコレは憂いか歓喜か、どちらかはいまはちょっとわからない。




