第65話:三月某日、春の海 後
銀千代の言った通り江川海岸には直ぐについた。近いのは最高だ。気遣いができるようになったことは素直に嬉しい。
駐車場は広いし、平日ということもあって、人通りも少なかった。
漁港の錆びついた漁船が何隻も浮かんでいるのを見たときは大丈夫かと思ったが、杞憂だったみたいだ。朱に染まる海岸線を銀千代と並んで歩き出す。波の音が心地のよいBGMになった。
数メートル後方で稲田さんがカメラを回しているが、体内の精孔を閉じてオーラが全く出ていない状態にしていたので、ほとんど気配を感じなかった。すごい技術だ。野生の獣並みである。
「すっごく綺麗でしょう!」
両手を広げた銀千代が潮風をまとって一回転した。
たしかに彼女の言う通り、波打ち際の潮騒と夕刻のグラデーションは絵にもかけない美しさであった。
「そうだなぁ」
「でも銀千代の方がすっごく綺麗でしょう?」
「そうかもなぁ」
「うぇへへへへへ」
てきとーな相槌をうちながらブラブラ散歩する。銀千代は「こっちだよ!」と俺の手を引いた。
この先に海に浮かぶ電柱があるらしい。楽しみだ。銀千代曰く「行った人はみんな千と千尋みたいだって絶賛するんだよ」と言っていたが、千と千尋に海に電柱が浮いてるシーンなんてあったっけと首を捻った。
「あ、あれ!?」
しばらく歩いてから銀千代は戸惑ったように周囲を見渡した。
入り口は封鎖されている。
フェンスの隙間から眺めると、空の雲が反射し、さながらウユニ塩湖みたいになっていた。十二分に美しい光景ではあるが、電柱とやらは見当たらなかった。
「な、ないっ! えっ、なんで!」
珍しく慌てふためいている。
「ここに、前は、あったのに!」
震えながら海を指差す。夕闇が銀千代の表情を隠した。声が震えている。
「そんな、なんで……ひどいよ……」
銀千代は助けを求めるように後方の稲田さんを見つめた。目があうやいなや、稲田さんはカメラを一度地面におき、素早い動作でスマホを操作しはじめた。
「あっ!」
稲田さんがスマホの画面から顔をあげ、
「2019年9月に老朽化のために撤去されてます!」
「そ、そんなっ! なんでっ、なんで、そんな酷いことするのッ! 神様はッ!」
行政じゃないかな?
「老朽化は仕方ないだろ」
「ううっ……」
銀千代はその場にしゃがみこんだ。
いや、行く前に調べとけやぁ、って若干思ったが傷口に塩を塗り込むのはやめておくことにした。そもそも今回のお出かけについて任せっきりだった俺も悪い。
顔をあげて正面をみる。
淡い夕日が水面に反射し、美しい光景には違いなかったが、彼女の落胆ぶりをみると、もっとすごい光景がかつてはあったのだろう。
それが見れないのは少し残念だったが、
「おい、見ろよ、銀千代。富士山が見えるぜ」
「え」
「すげー綺麗だな」
空気が澄んでいるお陰で、遠くの景色まで見渡せた。真っ赤な世界に浮かぶ富士山はまるで絵画のようだった。
「ふ、富士山なんかより電柱の方がきれいだったんだもん!」
そんなことある?
「ゆーくんに、見て欲しかったのに……あの幻想的な景色を……。ごめんね、ゆーくん、銀千代が虫けらボンクラのろまの腑抜けなばかりに……」
卑下しすぎだろ。
うつむいた銀千代の顔は影になってよくわからなかった。
「つまんねーこと言ってんな。顔あげてよく見てみろよ」
こんな綺麗な景色のなかで下ばかり向くのはもったいない。
「うう……」
静かに銀千代は顔をあげる。
「向こうの製鉄所の光もすげーぞ、工場夜景ってやつだな」
「……あ」
銀千代の瞳が静かに夜景が反射した。
キラキラと輝いて、宝石のようだった。
「電柱なんてなくていいよ」
「ゆーくん……」
「そんなもんなくても……」
「なくても?」
「……この景色はすごいから」
口が滑るところだったと、慌てて唇を噛む。銀千代の耳が赤くなっているような気がした。
「あっ!!」
雰囲気をぶち壊すように稲田さんが大声をあげた。
それを恨めしそうに銀千代が睨み付ける。すぐに逃げて欲しい、と俺が祈るより先に稲田さんはスマホの画面をこれ見よがしに突きつけた。
「江川海岸の海上電柱は撤去されたみたいですけど、隣接している久津間海岸に……」
「!?」
「あったよ、電柱が!」
「でかしたっ!」
銀千代は楽しそうにジャンプした。
「急いでゆーくん! 夜が来て、日が沈む前に!!」
銀千代はナビを開始するように前を行く稲田さんを追いかけて走り出した。
なんだかんだで電柱があったほうがいいらしい。
仕方無しに俺も走り出す。
走ることで、なんとか日没のタイミングに間に合うことができた。
ついた先の海に浮かぶ電柱は、それはもう幻想的な光景だった。
走って荒れた呼吸もいつの間にか落ち着いてきている。
「この景色を見せたかったの」
ベタな発言をして銀千代は微笑んだ。
「ねっ、すごく綺麗でしょ」
「そうだな」
日が沈む僅かな時間。
等間隔に並ぶ電柱と海面に反射した夕焼け空は、この世の切なさを凝縮したような景色だった。
「でも、ゆーくんのほうがずっと綺麗だよ」
それ男側が言う台詞じゃね?
台詞を被せてやろうかと思ったがそんな勇気俺にはなかった。




