第65話:三月某日、春の海 中
「どこ行くんですか?」
市街地をゆっくりと走り出す。
銀千代は海としか言ってなかったが、歌詞にもある通り海は広いし大きい。想定外なところにつれていかれる可能性もある。目的地は早めに把握しておいた方がいい。未来がわかれば覚悟ができる。覚悟は幸福。
声をかけられた稲田さんは、話しかけないでくれ、といった風に一瞬だけ眉間にシワを寄せた。背後で銀千代が目を光らせているので、気持ちはわかるが、俺だってミステリーツアーはしたくないから仕方ないのだ。
「ア、アクアラインを目指してます」
「アクアライン? なんのために」
木更津と川崎を結ぶ、東京湾を突っ切る高速道路だ。
「海ほたるに銀千代さんが行きたいとおっしゃられたので、はい」
海ほたるはアクアラインの途中にあるパーキングエリアである。人工島で施設はえらい充実している。
「なんのために……?」
何回か行ったことあるが、いまさら用事なんか思い浮かばない。
「んふふー、ゆーくん、海ほたるにはね、なんと! 恋人の聖地があるんだよ」
隣の銀千代が喜色満面で言った。
日本全国そこらじゅうにそういうのありそうな気がするけど。
「……ああ、そう」
「思えばここ数年、自粛やソーシャルディスタンスで恋人らしいこと、全然出来なかったからね……」
「恋人じゃないからな……」
つうか、アレで自粛してるつもりだったのかよ。
「あ、そっか! 婚約者だもんね」
ため息をついてから、何回目かの注意を行う。
「銀千代、何回も言ってきたことだけど、お前とは幼馴染みだけで、結婚なんてとても考えられないから」
「結婚だけが幸せのカタチじゃないもんね。焦らなくていいよ。ゆーくんの望む関係性を深めていこう」
銀千代はそう言って微笑んだ。
「でも十八くらいまでには結婚したいな」
もうすぐじゃねぇか。
「稲田さん、音楽流して」
銀千代は上機嫌に運転席に声をかけた。
「わ、わかりました。はい、ちょっと待ってください、はい」
稲田さんがカーナビの画面を操作する。
車内に流れ出す結婚行進曲。
「……」
「銀千代はね、ゆーくんがいてくれれば結婚なんてしなくてもいいって思ってるんだよ」
車内BGMはそうは言っていなかった。
こいつ、まじで、休日を最悪な気分で過ごさせる気で来たのだろうか。
そのまま結婚お馴染みソングが流れ続けた。
エムなバタフライがてんとう虫と一緒にハッピサマーしはじめたので、さすがに限界に思い、「他に曲ないんですか?」と稲田さんに声をかけた。
「す、すみません、ありません。ご、ごめんなさい、あの、私のプレイリスト、ダメでした?」
あんたのプレイリストじゃないだろ。
「いや、ダメというか、えーと、正直、もっとドライブ向けの曲とかがいいかなって、思います」
「そ、そうですかね……」
稲田さんはルームミラーでちらりと銀千代を見た。銀千代は無言で頷いた。
「わかりました。他のプレイリストにしますね」
あるじゃねぇか。
信号待ちの停車中にサササッと操作し、流れ始めたのは、銀千代が所属している芋洗坂39のくそみたいなアイドルソングだった。
会いたい好きです切なくて、たまらない、桜舞い落ち駆け出して、空を見上げ明けない夜はなくて、止まない雨もなくて、雨のあとには虹がかかって、君を思って瞼を閉じる、そんな曲だ。
「……変えてください」
キンキンキンと若い女の声が不愉快である。
「すみません、すみません……っ!」
謝るだけで変えてくれなかった。
「とっても、ユーを愛してるぅー」
サビで銀千代が歌い始めた。最悪だった。この世の地獄だ。
中天を迎えたお日様が、柔かな陽射しで道路を照らす。
海ほたるには昼過ぎについた。
水面がキラキラと輝いている。東京湾の波は穏やかで、風は弱く、景色は拓けていた。今日は本当にいい天気である。
冬はどこかに去ったらしい。
車から出ると潮風がやさしく吹き抜ける。気持ちがよかった。
「じゃ、ゆーくん、お昼御飯食べに行こうか」
と銀千代がはしゃぎながら手を繋ごうとしてきたので、無視して、そのまま館内施設に向かおうとしたところで、稲田さんがいないことに気がついた。
「あれ? 稲田さんは?」
車から降りてこようとしない。
「車酔いしたから、ちょっと休むって」
「まじかよ」
心配になったので、車に戻って運転席をみたら、焼きそばパンを頬張る稲田さんがいた。
「……」
見られているとも気付かず、稲田さんはもしゃもしゃと焼きそばパンを咀嚼していた。
フロントガラスをコンコンと二回ノックする。
「ふぁ!」
目が合うと、慌てたように頭を抱えて丸くなった。亀か、あんたは。
ドアを開ける。
「なにしてるんですか?」
「すみません、すみません……」
「ご飯食べに行きましょうよ」
「すみません、体調悪いんで、休ませてください、すみません」
「いや、元気そうにパン食べてたじゃないですか」
「食べてないです……」
食べかけの焼きそばパンがハンドルの近くに放置されている。
「もしかして銀千代に車内に残るように言われたんですか?」
「……も、も」
も?
「黙秘します、すみません、ごめんなさい、申し訳ありません」
それはほぼ答えである。
「銀千代、お前なぁ……」
慌てて注意しようと振り替えったら至近距離に銀千代が立っていた。
「稲田さん」
「ヒィ」
ビクリと震える。
「青春モードに大人は不要……」
「は、はい、仰る通りだと思います……。今回のミッション、私は影に徹します、はい」
「そう思っていた時期が銀千代にもありました」
「え?」
「モニュメントの前とかでゆーくんとのツーショット撮りたいと思うので」
「はい」
「お昼食べに行こう。せっかくここまで運転してきてくれたんだもん。美味しいもの食べようよ。えへへ。おごってあげるよ」
「あ、ありがとうございます。ありがとうございます!」
「その代わりカメラマンしてね」
「は、はい、わかりました。有難うございます」
異様なやつのマネージャーも異様だ。こいつの事務所にまともな人はいないのだうか。
稲田さんと銀千代と俺の三人でレストランで食事をとる。
海鮮がうまかった。
そのあと展望デッキにある変な鐘の前に連れていかれた。
「幸せの鐘、一緒に鳴らそうよ」
「一人でやれよ」
鳴らすのはなんとか拒否できたが、がモニュメントの前で一緒に写真をとる羽目になった。
「はい、チーズ」
とオーソドックスな掛け声で、稲田さんの持つスマホのシャッターが切られる。案の定連写だった。銀千代の入れ知恵だろう。
頭を抱える俺の横で写真を吟味し始める銀千代と稲田さん。どうせ全部保存するんだから見る意味ないだろ。
「みて、稲田さん、銀千代とゆーくん、すごく幸せそうな顔してる」
「そ、そうですね」
「稲田さん、お願いがあるの。銀千代の遺影はこれにして」
「わ、わ、わかりました」
ついていけず曖昧にうなずく稲田さん。
三月とはいえ、海風が冷たく、身体の熱を奪っていく。館内に戻ろうと声をかけようとしたら、銀千代が静かな涙を流していた。
「逝くときもゆーくんが隣なんて幸せだなぁ」
遺影は本人のとこだけ切り取って使ってくれ。
それから数時間、海ほたるでグダグダした。
足湯があったり、ゲーセンがあったりとふつうに楽しめた。
何よりも景色がいい。
爽快感が水平線から流れてきているようだった。
上空を飛ぶ海鳥を眺めているだけで何時間でもいられそうだ。
日が傾き始めた頃、駐車場に戻り、車に乗り込んだ。
海ほたるパーキングエリアは方向転換できることで知られている。千葉方面の出口から出たので、
「帰るのか?」
と声をかけたらきょとんとされた。
「なに言ってるの、ゆーくん」
「ん?」
「ここからが本番だよ」
とあっけらかんに言われた。
海に沈み行く夕日はオレンジ色を輝かせている。数分後には夜になるだろう。帰宅部の性が疼く。暗くなる前に家に帰りたい。
目的地を簡潔に尋ねると、銀千代「うふふー内緒」と渋っていたがしつこく訊いたら教えてくれた。
「江川海岸だよ」
「どこそこ。まさか北海道とかじゃないよな?」
「木更津にある海岸。海の上に電柱が立ってて、夕暮れ時とかすごくエモいんだよ。小さい頃両親と一緒に行って思い出に残ってるの。ゆーくんと一緒に見たいなって思って……じつはね、そこでプロポーズしようと思ってるんだ」
「そこまで言わなくていい。つうか受けないからな」
とはいえ海上に電柱というのは正直かなり気になった。
「海ほたるからすごく近いし、ゆーくんとのドライブデートに行くならここって決めてたんだ」
ドライブデートっていうより、タクシーデートだ。
と若干思ったが、楽しそうなので野暮なことを言うのはやめることにした。
夕焼け空はピンク色に変わり始めていた。




