閑話7:春が来て溶けるまで
窓の外は雪景色。
スキー場内のレストランでコーヒーを飲みつつ退屈を紛れさす。室内の暖気でまったりとリラックスモードではあるが、徐々に日が傾き始めているので、帰りたい思いは募っていく。
「ゆーくん、十回クイズ思い付いたから、やろうよ」
隣の座席に座った銀千代がにこにこしながら提案してきた。
「やだ」
「お願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願い!」
十回言ってきた。ちょっと面白かったので、「一回だけだぞ」と乗ってあげることにした。スマホの充電がなくなって暇潰しの手段が雑談しかないのだ。
「ありがとう! じゃあ、銀千代って十回言って」
「なんで……」
「いいから」
しつこく催促されるのも面倒なので十回名前を呼んでやる。言い終わると、恍惚とした表情を銀千代は浮かべていた。
「おい、十回言ったぞ」
「……」
うっとりしてる。
名前呼ばせたいだけだったんじゃないかと思いつつも、ワントーン上げて、「銀千代!」と十一回目の呼び掛けをすると、「はっ!」と正気を取り戻し、慌ててスマホを取り出して、画面を見せてきた。
「じゃあ、これは?」
「……」
棒の先がスコップみたいになっている農具だった。なんだこれ。あ。
「クワか!」
「スキだよ!」
ビックリするぐらいしょうもない。
運転代行の人が来るまで時間がかかるらしく、しばらくレストランで待機することにしたのだ。
かれこれ一時間ぐらいこんな感じの無駄話をしている。
「ゆーくん、乳首あてゲームしよっ!」
「しない」
「じゃあ、ゆーくん、二人きりで王様ゲームしようよ」
「そんなデスゲームするわけないだろ」
二杯目のコーヒー飲み終わったので、三杯目のおかわりを店員さんにお願いした。
「えー、そうですよね。メタバース、ふふっ。なんだかトワイライトゾーンみたい」
酔っぱらっている稲田さんが虚空を見つめて独り言を呟いている。ヤバイ人である。当初運転代行の手配をお願いしたときも「ぽんぽんすぽぽんぽんすぽぽん」と訳のわからないことをいってお話にならなかったので、仕方なしに銀千代が手配をしてくれたのだった。
「マネージャーさんが使えないの」
と小さくぼやいていたが、100%悪いのはストロングゼロを飲ませた銀千代である。
「そういうこと言うのやめろ」
「でも、ゆーくん……」
稲田さんは薄ら笑いを浮かべ、
「るららるらーるららるーらー、あはーん」
と謎のメロディを口づさんでいた。
「稲田さんが、……稲田さんが変になっちゃった……」
「お前がお酒を飲ませたからだろ!」
「え、そんな、まさか。銀千代は別に稲田さんにアルコール強要してないよ! そんなことしたらアルハラになっちゃうもん!」
「じゃあ、なんで運転手で来てるのにお酒なんて飲むんだよ!」
「ゆーくんに稲田さんのなにがわかるの? ひょっとして銀千代が知らないうちに仲を深めたの? どういうこと?」
「いや、行きの車で話した感じな。腰が低くて責任感が強そうな人だったから」
「それは、……わからないよ。仕事のストレスとかあったのかもしれないし!」
それは間違いなくあっただろう。
「逃避の手段としてアルコール、というのは当然の帰結ってやつじゃないかな?」
それはまぁ、たしかに。と一瞬納得仕掛けてしまったが、どうにも腑に落ちない。
「だとしても、社会人が車で来てるの自覚してて、アルコールなんて飲まないだろ」
「そんなことないと思うけどな。稲田さんは昨年度入社の新卒、大学生みたいなもんだよ。コロナでお酒の飲み方を学ぶことができなかったオンライン授業の被害者だよ」
「じゃあ、なにかしらの働きかけをしてないと誓えるな? 違うなら違うと言ってみろ」
「……」
こういう時、銀千代はなにも語らない。
答えは沈黙だとわかっているのだ。
「で、実際どうだったんだ? なんで稲田さんはストロングゼロを飲んだんだ?」
「……べつに……」
銀千代はそっぽを向いて拗ねたように唇を尖らせた。
「別に強制はしてないもん……。稲田さんに、ラインで「このままじゃゆーくんとお泊まりにならない。困ったなぁ」って送っただけだもん」
「ほう、それで?」
「そしたら稲田さんは「わかりました」って返信してくれただけ。なにするんだろうと思ったら飲酒してただけだもん」
「……」
「銀千代はただ一言「困った」って送っただけだよ。なにも悪くないでしょ?」
意地は悪いと思うが、まあ、ここでこいつを咎めても始まらない。
幸い帰りの手筈は整っているのだ。ひとまず問題は解決している。あとはただ運転代行の人が来るのを待つだけ。
頼んでいたコーヒーのおかわりが来た。ミルクと砂糖を溶かし、口をつける。あったかい。
「ゆーくん」
「ん?」
銀千代から声がかけられたかと思って振り向いたら違った。稲田さんだった。
向かいの席でじっとこっちを睨み付けている。まだ幼さが残る純粋な瞳だ。少しは酔いは醒めたらしい。先ほどまで泳いでいた目線が定まっている。
「あなたはおかしい」
ぴしゃりと言われた。
銀千代が憤慨したように稲田さんに掴みかかろうとしたが、稲田さんはビシッと手のひらを銀千代に突きつけてそれを制止した。
「いーぃ、ですか、銀千代さん。ここは私がちゃぁんと言ってあげますからぁ、ご安心くださいませです、はぁい」
この人まだ酔っぱらってやがる、しかも絡み酒だ。最悪だ。
「……なに言ってるの?」
「銀千代さんはゆーくんを甘やかしすぎたんですよ。だから、この方は増長してしまっているんです、ひっく」
しゃっくりで肩を大きく震わせてから、ぎろりと俺を睨み付けてきた。
「私の大学のときの友達もぉ、おんなじ感じで男の方に貢いでる子がいましたぁよ」
「……その子、どうなったの?」
「別れましたよぉ。うまくいくわけないじゃないですかぁ、男性に主導権握らせたらダメなんですよぉ、恋愛は」
「……なるほど」
銀千代は稲田さんに掴みかかろうと空に振り上げていた手をゆっくりと膝に戻した。
「こー、見えてわたくしぃ稲田心は恋愛マスターですからねぇ、教えてあげますよ、銀千代さんに正しい男女のつきあい方」
「稲田さん恋愛マスターなの?」
「そ、そうですよぉん、こう見えても学生時代はモテモテだったんですよぉ」
「……フゥン」
嘘臭い。
「銀千代さん、まずゆーくんのどんなところが好きか言ってみてください」
「えー、そうだなぁ。まずは性格かなぁ」
嫌な予感がした。俺は窓の外を向いた。子供らが銀世界にはしゃいでいた。男の子と女の子で分かれて雪合戦しているらしい。
きっと銀千代は長文で無駄に俺のことを誉めちぎるだろう。
稲田さん、
心のなかでメッセージを送る。
聞き流した方がいい。
「真面目で優しくて曲がったことが大嫌いで努力家なところ。負けず嫌いだけど、シビアに現実をきちんと見れて、落ち着いてるところもすごくいい。頼りがいがあるんだけど、たまに甘えんてくるギャップも素敵。
あとは顔、普通にイケメンだし、整ってる。とくに目が好き。キラキラしてて、薄い茶色の虹彩がほんとうに綺麗なんだ。肌の色艶もいいし、目鼻立ちも完成されてる。どんな髪型でも似合うところは凄いなぁって思うの。あとは声、優しく鼓膜を震わせてくるの。そこら辺の声優さんよりいい声質してるよ。高くなくて低くなくて、優しい揺らぎを持ってるの。エフ分のイチの揺らぎというのかな? ゆーくんの声を聞いてると、ドキドキして堪らなくなっちゃうんだ。眠れなくなっちゃうの。
細かい部位でいうと、喉仏がセクシーでたまらないよね。男らしくて、グッと来る。物を飲み込んだときのあの動きだけで、銀千代は天にも昇る気分になれるの。あとは手の形も好き。ちょっと骨ばって血管浮き出てるところがワイルドでドキドキしちゃう。身長もちょうどいいよね。銀千代と頭一つぶんくらいでさ。立ったままキスするとき、ちょっとだけ銀千代が背伸びしちゃう感じがエモいと思う。
まあなんていうか欠点がないのが欠点ってかんじ。
耳の形も背の高さも足の長さも太さも胸板も体重も骨格、全部が全部好きだけど、なんだかんだで、一番好きなところは、銀千代のことをちゃんと見てて、常に第一で考えてくれてて、銀千代がとっても好きなところかな。相思相愛以心伝心比翼の鳥連理の枝、まさしくゆーくんと銀千代を表す言葉だよね」
「ほへぇー」
「まだあるよ。足が早いところも好きだし、運動神経が本当は悪くないってところも好き。歌も上手いし、あとピコピコが得意。器用だし器量もあるし、頭もいい。ルックスもイケメンだ」
「きりがないんでそれぐらいで」
雪合戦は女の子チームの勝利だった。聞き流していた俺は話の終わりを感じて正面を向きなおしたら稲田さんと目があった。
「じゃあ、ゆーくんは銀千代さんのどこが好きですかぁ?」
「……別に付き合ってるわけじゃな」
「好きでもない女の子とスキー行くんですか?」
「いや、それは無理やりあんたらが……」
「とりあえずぅー、銀千代さんのどこが好きか聞いてるんで答えてくださぃ」
「……顔」
「えー……」
引かれた。おかしなことは言っていないと思う。
ちらりと横をみると銀千代は顔を耳まで真っ赤にして照れたように両頬を手で覆っていたので、責められる所以はないはずだ。
「銀千代さんはたしかに可愛いですけどねぇえー。百億年に一度の美少女と呼ばれるレベルですからねぇ」
人類存在してねぇだろ。
「その他はぁ、ありますかぁ?」
「ない」
断言できる。
「にゃるほどぉ、わかりましたぁ」
大きく一回うなずくと、稲田さんは立ち上がって、銀千代の方を向いた。
「ゆーくんの落とし方がわかりましたよぉ、銀千代さん」
「もう落ちてると思うけど、……一応聞いておこうかな」
なんだそのなけなしのプライドは。
「ずばりヤキモチさせることです!」
「ふっ」
銀千代は鼻で笑った。
「その程度の恋愛の駆け引き、銀千代はとうに把握してるよ」
「えぇ、そうなんですか。では、なぜ実践しないんですか?」
「銀千代の理性が本能を抑えられないからだよ」
勝ち誇ったように言うな。
「だ、だけどもだけど、銀千代さん、男性はグイグイ来られると引いてしまうらしいですよ。ゆーくんはその最たる例ですよぉ、たぶぅん」
「ゆーくんも銀千代が好きだし、銀千代もゆーくんが好き。相思相愛なのは間違いないから銀千代は焦ってないんだ」
「ほんとにそうでしょうか?」
「なにが言いたいの?」
どす黒い声が銀千代から発せられたけど、大丈夫か?
「男の方はいくつも愛をもっているんですって。生物学的に見て、男性は多くの種を残す必要があるからむしろ浮気性なのが普通なくらいです。浮気、されてもいいんですかぁー?」
「ゆーくんが愛してるのは銀千代だけだよ。だって世界で一番かわいい女の子が恋人なんだよ、他の女の子なんて虫にしか見えないはずだよ。ねっ、ゆーくん?」
急に話をふるな。
「なわけあるか」
「もう、ゆーくんったら照れ屋さんなんだから」
否定も肯定にされるなら俺の意思なんてあっていようなものじゃないか?
冷めたコーヒーを啜る。
はやく家に帰りたかった。
「さすがですねぇー。私にもしイケメンでかっこいいカレシがいたら浮気されてるんじゃないかって不安になっちゃいますよぉ」
「……んー、そうだねぇ。まっ、それは所詮その程度の愛ってことだよ」
ドヤァ、と効果音が出そうなくらいのドヤ顔で銀千代は鼻を鳴らした。俺の意見と意思は無視である。
「ゆーくんのことを信じてるんですねぇ。すばらしいですぅ。どんな美人に言い寄られても絶対に折れないって思ってるからこその、信頼ですねぇ」
「……稲田さんがそこまで言うなら、念のため強行手段とっとこうかな」
銀千代はポッケからスマホを取り出した。
「まて、何をする気だ」
慌てて止める。
「んー、運転代行をキャンセルしとこうかなって思って」
「はぁー? なんでだよ!」
「運転代行消失篇から旅館決戦篇しようかなって」
「しねぇよ! 絶対キャンセルすんなよ!」
スマホを掴んでしまわせる。しばらくその攻防をしていたが、なんとか勝つことができた。
「ゆーくんの性欲が……消えた……?」
「何言ってんの?」
「でもさゆーくん、料理でいうと銀千代は高級フレンチで周りの女はインスタントラーメンでしょ?」
「ちょっとなにいってるのかわからないな」
「稲田さんの言うことも、一理ぐらいはなくもないのかなって。たまにインスタント食べたくなることあるかもしれないから。だから出来るだけ身も心も早めに銀千代のモノにしたいんだ。あ、心は銀千代のモノになってるけど、カラダをね」
頭が痛くなってきた。はやくこの場を去りたい。レストランの壁にかけられていた時計をみると、もう大分経っていた。三杯目のコーヒーも冷めきっている。ぼちぼち運転代行の人が来てもおかしくない時間のはずだ。
視線を下ろすと青い顔して俯く稲田さんが視界に入った。
「あ」
目を固くギュッとつむっている。
「ひもひわるひ……」
稲田さんは小さくぼやいて、
……。
そのあとの事はあまり思い出したくない。
数分後には、ぐったりしつつも「すみませんごめんなさい申し訳ございません大変失礼いたしました」と謝罪の鬼と化した稲田さんがいた。
なんとか地元に帰ったとき、辺りはもうすっかり夜だった。




