第63話:二月のクレイジービースト
「にゃんにゃんにゃん!」
「……」
「にゃんにゃんにゃん!」
「……」
ドアを閉める。
学校が終わり、自分の部屋のドアを開けると、隣の家の幼馴染みが、猫耳を着けて、ベッドの上で四つん這いになって奇声をあげていた。
狂気。
「なんなんだよぉ……」
常識では考えられない出来事、アンビリバボー。
直視が出来ず思わず閉めてしまったドアの向こうに、まだアイツはいるのだろうか。
その場でしゃがみこんで頭を抱える。
俺、そこまで、性癖拗らせてねぇよ……。
「……」
覚悟を決めて、ドアを開ける。
「にゃ! にゃにゃにゃ!」
ピョンとベッドからジャンプした銀千代が嬉しそうに、こちらに向かって、バタバタと四足歩行で向かってきたので、ドアを閉める。
一瞬しか見れなかったが、制服を着ていたので、おそらく金守さんちの銀千代さんで間違いなさそうだ。
「……ふぅー」
ため息をつく。
カオスだ。白昼夢の可能性に期待した俺がバカだった。
確かに放課後、校門を出たときに「今日用事あるから先に帰るね!」と駆け出したときは妙だなぁ、と思ったが、まさかこんな雑なサプライズ仕掛けてくるとは思わなかった。
まあ、いいや。銀千代は無視して、下で麦茶でも飲もう。
その場を去ろうと踵を返したら、カリカリカリとドアを引っ掻く音がした。
「……んみゃー」
か細い鳴き声。なんか既視感あるなと思ったら、呪怨だった。爪研ぎというより、ホラー映画のワンシーンである。
しょうがないと大きく息をついて、ドアノブをつかみ、開け
「銀千……うぉつ!」
「……」
たら、正面に銀千代が立っていた。ゼロ距離だった。瞳に光は無く、まったく笑顔も無かった。
あまりに近すぎて、腰が抜けてしまい、その場に尻餅をついてしまった。
「び、び、ビビらせるなよ!」
「にゃー?」
銀千代は一鳴きしてから、その場でおすわりをすると、俺の太ももに自分の頬をグリグリ押し付けてきた。
「なにしてやがる……」
「ゴロゴロ……」
「離れろ」
「にゃー」
立ち上がって、ズボンのホコリをはたく。銀千代はその場で上目遣いでジッと俺のことを見てきていた。
くそ、かわいい。
「ポリジュース薬でも飲んだの?」
「?」
コメンと首をかしげられる。
「不法侵入してるし……」
それは、まあ、いい。いやよくないけど。こいつの狂気はいまに始まった事じゃない。無視だ無視。
部屋に入り、ブレザーをハンガーに引っ掻ける。
「にゃー」
「いや、出てけよ!」
なんで ナチュラルに部屋に入ってきてるんだ。
「んみゃあー」
謎の鳴き声を上げて、銀千代はピョンとベッドにジャンプして、ごろんと横になった。
「おい、銀千」
「ふしゃあー!」
「出てけ」
「にゃあーーー!!」
「いまから部屋着に着替えるから」
「シャアーーー!」
「出てけ!」
「いや」
普通に日本語しゃべった。
「なんでだよ!」
「にゃぁあー?」
くっ、なんだこいつ。意思疏通ができないくせに、強固な意思を感じる。
戸惑う俺に銀千代は制服のポッケから、首輪を取り出し、「ん」口にくわえた。
「にゃ!」
謎に俺の性癖を擽るな。
「なに、飼ってくれっていってんの?」
「んみゃ、んみゃ」
こくこくと頷く。
「ほーん」
銀千代の口から首輪を受けとる。
「……」
「んにゃあー」
「……」
好奇心に負けて、頭にポンと手を乗せ、軽く撫でてみる。
「うみゃあぁー……」
幸せそうな声をあげた。目覚めそうだった。さらさらの黒髪の感触が癖になりそうだった。
「っ」
持ってかれそうになった。
危ないところだった。
「よーし、とってこい!」
ポイっと首輪を部屋の外に向かって、放り投げる。
「にゃあー!」
バタバタと銀千代は四つん這いのままフリスビーみたいに飛んでいった首輪を追いかけて嬉しそうに駆け出した。パンツが見えた。
「ほう……」
ご丁寧にゴムの部分に尻尾を挟んでいた。そういう細かいところは好感もてる。
ばしんと廊下の壁に当たって、床に落ちたそれを、銀千代は一生懸命に口でくわえようとしていたが、
「ふぅ」
一切合切を無視して、ドアを閉め、鍵をかける。
「やれやれだぜ」
胸で十字を切る。アーメン。さっさと着替えて風呂でも入ろう。
シャツのネクタイをはずしていたところで、背後でガチャリと鍵が開く音がした 。
「にゃーんでぇ?」
いま確かにドアの鍵かけたはずなのに。
ゆっくりとドアが開く。蝶番が軋んでホラー映画みたいな音をたてた。
ポケットに針金をしまってから銀千代は、また四つん這いになって、テトテトとこちらに向かって歩いてきた。
もう妖怪にしか見えねぇよ。
「呪われたのか?」
俺かお前のどっちかが。
「んにゃあー?」
部屋の中心まで来ると、銀千代は神社の狛犬のようにおすわりをし、そのまま右足で自分の顔を撫でた。実に猫らしい毛繕いの仕草である。柔軟性がすさまじいのはわかった。そしてまたパンツが見えた。水色だった。今日パンチラ多いな。
「……ウチでは飼えないね」
「にゃ? 」
一応言ってみたが通用するはずがなかった。
まったく動こうとしない。
というか日本語が通じない。通じる言語があるなら教えてほしい。
「頼むから正気に戻ってくれ」
「んみゃ?」
四足歩行のまま寄ってきた銀千代は、目を細めて、スリスリと俺の足にまとわりついてきた。冷静に考えたらこいつが正気だったことはない。強いて言えば寝てるときぐらいだ。
「畜生道にでもおちたか?」
「?」
「……DISH//か?」
「にゃ?」
発音よく言い直してもダメだった。
「もうなんなんだよ、お前。意味わかんねぇよ。とっち狂うなら一人の時にしてくれよ。救急車呼んでほしいのか?」
「ふにゃあー」
人を小バカにしたようにあくびをする。態度がでかいところは猫らしい。
「ちっ、くそが」
舌打ちをし、とりあえずスマホで猫の弱点調べることにした。無駄に役にはまりこむ銀千代のことだ。きっと通用するに違いない。獣狩りの夜が来たら即刻狩ってやると思いながら、グーグルの検索画面を開いたとき、
「あ」
今日の日付に気がついた。
「二月二十二日、にゃんにゃんにゃん、つまり、猫の日か!」
「正解!」
すっくと銀千代は立ち上がって、指パッチンした。
「……だから、なんだよ……」
「猫の日ということで、ゆーくん、銀にゃんを可愛がってね!」
「帰れっ!」
久しぶりに心から叫んでいた。
あざとい態度にも負けずに自分の意思を貫くことができた。思っている以上に話が通じないことに苛立ちを覚えていたらしい。せめて日本語は通じてくれ。




