第9話:一月に咲く桜と夢月夜 前
十五年間、初詣の祈りといえば一年無事に過ごせますように、というのんべんだらりとしたモノだったが今年に関しては少し違った。
「受かりますように……」
人混み溢れる境内で、ご多分にも漏れず俺は願った。生まれてはじめてマジに心の底から神様にお祈りした。
なぜなら試験日まで幾ばくもないからだ。
「ゆーくんと銀千代の愛が永遠でありますように。ゆーくんと銀千代の愛が永遠でありますように。ゆーくんと銀千代の愛が永遠でありますように。ゆーくんと銀千代の愛が永遠でありますように。ゆーくんと銀千代の愛が永遠でありますように。ゆーくんと……」
俺の横で拝む銀千代の独り言は早口で、聞き取れないほどだった。正確には、鼓膜が、いや、脳が内容を拒絶しているからかもしれない。
一時の感情に絆されて、こいつを初詣に誘ったが、間違いだった。
小さくため息をついて、「行こうぜ」と肩を叩く。
一礼をしてから、銀千代は「うん!」と大きく頷いた。
銀千代を初詣に誘ったのは、今日の昼頃だった。
一月上旬。いつもは箱根駅伝を見ながら興味もない大学を応援している時期に、俺は机にかじりついていた。
第一希望である私立高校の受験日まで一ヶ月を切っていたからだ。
気持ちばかりが焦っていく。
俺の前にある無数の問題、そのほとんどの解き方がわからない状態だった。なにがわからないのかわからない。
致命的な状況と伸びない学力に遂に悪魔に魂を売ることにした。
「全て無料! マンツーマン講師! 苦手科目一教科からでもオーケーです! 家庭教師のギンチヨ!」
ポストに入れられていた手作りチラシを握りしめながら「これ、お願いするわ」と頼んだときの、あいつの醜悪な笑顔が忘れられない。
今日も銀千代はあのときと同じ笑顔で、窓から元気にやって来た。シャイニングを彷彿とさせる。ほとんどホラー映画だ。いつもは玄関から回ってくれと叫ぶところだが、いまは一分一秒も惜しい。
机の横に椅子を用意して待っていたのに、彼女はわざわざベッドに腰掛け、俺の回答が記入されたノートを開いた。
「問三……銀千代的にはなんかしっくりこないな……」
「間違ってるって言えよ……」
「ゆーくんの選択に間違いはないよ。あったとしても間違ってるのはこの世界の方だから」
「で、なにが違うんだ?」
「違くはないけど、たぶん、アメリカ人はここの熟語を……」
銀千代の説明は分かりやすく、すんなりと理解できた。ひとつ問題があるとしたら、俺のことを否定しないところだろうが、甘やかされて育てられたので、ちょうどよかった。
「試験日まであと二週間……頑張れゆーくん! 頑張れゆーくん!」
勉強の合間の小休止。受験勉強に本腰をいれるため、接近禁止令を解いたのだが、どうやら調子に乗らせてしまったらしい。
「合格できたらご褒美あげる。落ちても慰めてあげるから安心して」
「どっちもいらねぇよ。勉強教えてもらってるだけで感謝だから、これ以上は望まん」
「おっぱい揉む?」
「……いらねぇよ」
「……男の子はこれでモチベーションアップするって本に書いてあったんだけど、嘘だったみたいだね……」
嘘ではないが、お願いしたら負けな気がする。
「さ、ラストスパート! いつもはイチャイチャする時間だけど勉強勉強!」
「一回もいちゃいちゃしてねぇだろ!」
突っ込みながら、ノートを開く。
「じゃあ、頼むわ」
「OK」
銀千代は英語の教科書を開いた。
次の問題文を聞いて、質問に答えなさい、ってやつだ。
リスニング対策はこいつのお陰でばっちり。なぜなら銀千代は小学三年生の時、アメリカに短期留学をしていた経験があるからだ。銀千代は先生顔負けの流暢な発音で、
「Ginchiyo can die for Yuu.」
と読み上げた。そんな問題はなかった。
「Question1 ゆーくんのためなら、死ねるのは次のうち誰でしょう! A,Ginchiyo , B, Sakurai, C,Yamada D, Koyama」
ちなみにBからDは、わりと仲良くさせてもらっている同級生だ。
「……A」
「That's Right! ゆーくんのために死ねる女の子は、その通り、銀千代だけだね!」
「真面目に問題だしてくれ」
たまにしょうもないボケが入るが、概ね丁寧に勉強を教えてくれた。
「ゆーくん、今年の春にはブレザーだね」
勉強の合間の小休止。壁にかけられた中学の学ランを眺めながら銀千代が少し遠い目をした。
「そうなるといいな。そういや、アメリカの高校って制服ないんだっけ?」
銀千代は持ち前の器量の良さで、船珠中学始まって以来の才女と評される成績を修めていた。おそらく卒業式の答辞もこいつが読むことになるだろう。
進路について直接聞いたことは無かったが、噂じゃ、海外の高校に留学を検討をしているらしい。雑誌のインタビュー記事に書いてあったとかなんとか。友達の松崎くんが言っていた。
「アメリカの公立高校だと制服の着用の義務は大体20パーセントぐらいらしいよ」
「ふぅん。銀千代の行くとこはどうなんだ?」
「制服はあるよ」
「そうか」
ちょっとだけ悲しくなってきた。
幼なじみのこいつとは何だかんだでずっと一緒に育ってきたのだ。
プレステ壊されたり、クリスマスパーティーを妨害されたりしたときは、一刻もはやく離れたいと願ったものだが、いざ願いが叶うとなると感慨深いものがある。
いままで直情的すぎる愛情表現に辟易してきたが、いい加減向き合うべきなのかもしれない。
シャーペンを机に置いた。
「ゆーくん、さぼっちゃダメだよ。受験日まであと二十九日と十二時間三十分八秒しかないよ」
「わかってるけどさ、銀千代。初詣に行かないか?」
「!?」
銀千代は目を丸くした。
「デート!?」
「いや、初詣」
「行くぅ!」
なんでもいいんかい。
三十分後に玄関前に集合になった。俺はコートのポケットに単語カードを入れて表に出た。新年の寒風が俺の肌を刺す。新年開けて二日ほど経ったが、近所の神社はいまだに参拝客で賑わっているらしい。
受験生の憂鬱な年明けに、ため息つくと真っ白に染まって、夜空に溶けるように消えていった。
ホッカイロの封を切り、必死に振っていると、隣家のドアが開いて銀千代が出てきた。
ほんのりと化粧をして、大人っぽい格好をした銀千代を見て、ああ、こいつは本当にモデルなんだなと思った。
「ほんとは晴れ着にしたかったんだけも、待たせちゃうと悪いからこんな格好でごめんね」
「いや、いいよ。行くか」
境内は予想以上に込み合っていって、参拝できるまでに優に一時間はかかった。この時間を勉強に使っていたらと若干後悔したが、思い出話などで銀千代と盛り上がったので良しとしよう。
「ふふふーん、ふふふふーん、ふふんふふんふふんふふふーん」
神社につくと同時に銀千代は鼻歌を奏でた。
結婚行進曲だった。
「ゆーくんは結婚式は和式と洋式どっちがいい?」
無視した。




