エピローグ
建物の中からは、完全に人の気配が消えていた。
バジャルドとの決着を着けた三人は、静まり返ったその拠点の中の探索を始めていた。
「本当に、誰も居ないな……」
「ここ以外にも、魔族を憎んで戦おうとしている組織は、きっと幾つかあるんでしょうね。いざという時はここから撤退し、それらの勢力と合流する……事前にそういう手筈を整えていたんだと思うわ」
アグスティナが言った。
三人は部屋を一つ一つ見て回り、中の様子を調べていった。ぽつぽつと会話をするサンスとアグスティナに対し、ルフィナはずっと無言のままであった。
(探せば、他にも色々と手がかりはありそうなんだがな……)
バジャルドから聞き出した、ヴァイスという名の男。それに関する情報や手がかりが、まだ残されているかも知れないと彼は期待していた。何か組織全体の記録をまとめておくような部屋がどこかにあり、そこに何かあるのではないか、と。
しかし、実際はそう甘くは無かった。確かにそういった書類等がまとめられていたらしき部屋を見つけることはできたが、そこにあった記録の殆どは、既に無くなっていた。恐らくはバジャルドの部下達が逃げる際に、機密情報として回収していったのだろう。
ヴァイスの手がかりを見つけることのできなかった彼らが、その代わりに見つけたのは、捕らえられていた魔族らしき者達の骸であった。
実験に使われたその遺体は、まとめて雑に焼かれたのだろう。既に骨だけになっている遺体が、数十人分ほど、無造作にまとめられていた。
ゴミでも処分するかのような扱いである。破損がひどく、原型を留めていないものも多い。
その様子を見て、ルフィナはぎゅっと両手の平を強く握りしめた。その手から静かに血が滲むのが、サンスの目に映った。
さらに探索を続けていくと、取り留めのない衣類や装飾品が、雑多に置かれている部屋を見つけた。旅をするための鞄や、野営する道具などもある。そこは、捕らえた魔族の所持品を置いておく部屋のようであった。
彼らは中の様子を見ていく。
「あ――」
積まれている物を手に取っていたルフィナが、ふと小さな声を漏らした。
見れば、その手には一つの首飾りが握られていた。派手な装飾は無く、シンプルなデザインのネックレスである。
「あった……」
彼女はぽつりと呟く。その声は微かに震えていた。
「……それは、あなたの友人の?」
「はい。いつも、身につけていました」
彼女はそっと目を閉じた。
「アデラ……」
小さな声で、その親友の名前を呟く。静まり返ったその空間に、彼女の祈りが漂った。
激しく炎が燃え上がっていた。
バジャルド達が拠点としていたその建物が、大きな炎に包まれている。焼かれ、軋み、崩れる音が聞こえてくる。
その様子を、三人は見つめていた。
建物に火を放ったのは、他でもない彼らである。
本来ならば、町に戻り、治安を護る衛兵などに知らせ、彼らに全ての処理を任せるのが正しい選択なのだろう。町に来た魔族を捕らえて殺し、実験を行っていたとなれば、それはかなりの大事件である。
しかし衛兵を呼べば、当然、サンス達もその取り調べを受けることになる。
普通であれば、組織の存在が分かった時点で届け出をし、全て衛兵に任せるのが正しい判断だ。それを私怨や、個人的な都合で怠り、勝手に戦闘をしたとなれば、三人もまたただでは済まないはずであった。
そのため、衛兵を呼ぶことはできない。が、この建物をそのままにしておく訳にもいかない。大部分が持ち出されてはいるものの、中には魔術研究の記録等も一部残っており、それが誰かに回収されて悪用されるという可能性もあった。
そうして考えた結果、多少荒っぽい方法ではあるが、彼らは全てを燃やすことに決めた。
眺めている彼らの前で、その屋根が大きな音と共に崩れ落ちた。炎は大きくなり、いよいよ建物の全てが飲み込まれていく。
三人の中で、もっとも近くでその様子を見ていたルフィナが、振り返った。
「そろそろ、戻りましょうか」
彼女の表情は希薄で、そこから感情を読むことはできなかった。
「そうね。何時までもいるのは危険だわ」
「ああ。戻ろう」
そして彼らは、その燃える建物に背を向けた。
三人は早朝の静かな森の中を、町の方へと向かって歩き出した。
彼らはグルテールの宿へと戻った。
サンスの身体には、未だ完全に治療し切れていない傷が無数に残っていた。宿の部屋に到着して落ち着いたところで、ルフィナが魔術でそのダメージを回復させていった。
やがてその治療が済むと、三人はそれぞれ、ベッドに入り休息を取った。
サンスは心身共に疲れ果てており、既に限界に近いような状態であった。彼はそのまますとんと、深い眠りへと落ちていった。
彼はひたすらに眠り続け、やがて目を覚ました頃には、辺りはもう真っ暗になっていた。
「――起きた?」
長時間の眠りによりぼやけた意識で、上体だけを起こしたサンスに対し、アグスティナがそう声をかけた。
「ああ……」
声が掠れている。ひどく喉が乾いていた。
「もう真夜中よ。だいたい、十五時間くらい眠ってたんじゃないかしら。……はい」
「ありがとう」
彼女が差し出したコップを受け取り、水を飲む。
長く同じような姿勢を取っていたため、全身の筋肉が凝り固まっているが、その分、戦いによる疲労は随分と楽になっていた。
彼はベッドから起き上がると、身体を動かし、筋肉や関節をほぐし始める。
そうして柔軟運動をしていると、途端に彼は強い空腹を感じた。ぐぅっと腹部が音を鳴らす。
そんな彼に、アグスティナが言った。
「私は夕方頃から起きてたから、ちょっと外で適当に食べ物を買ってきたの。ほら」
見れば、屋台か何かで購入したらしい食べ物が、テーブルの上には置かれていた。
「私はもう先に食べちゃったから」
「ああ。助かるよ。いただきます」
そして、彼は簡単な食事を済ませた。
疲労も和らぎ、腹も満たされ、落ち着いてくると、彼の口から自然とほっと息が漏れた。
僅か数日の間ではあったが、ずっと戦い詰めであり、気を張り詰めさせていたのだ。その戦いが一段落着いたという実感が湧き、緊張が緩やかに抜けてくる。
ゆったりとした心地で、二人はぽつぽつと穏やかな会話をした。
しかし、そんなリラックスしたやり取りを、何時までも続ける訳にはいかない。二人の前には今、考えなくてはならないことがある。
やがてアグスティナが切り出した。
「ちょっと、これからの事について考えましょう」
言いながら、彼女は地図を取り出し、テーブルの上に広げた。
「私達のいるグルテールが、ここ。そして……グラスポートというのが、ここね」
彼女はそれぞれ地図の場所を指差しながら言う。
バジャルドから聞いた手がかりである、グラスポートという港町は、この町からちょうど西に真っ直ぐ行ったところに位置している。
「この距離なら、うまく馬車にでも乗れば……大体一週間くらいかしら?」
「それくらいだろうな。ただ、そういう移動手段はやめておこう」
「そういう移動手段っていうのは?」
「馬車を使えば目立ってしまうってことだ。……できることなら、街道を行くのも避けたい。極力、人目に着かないようなルートが良い」
サンスがそう続ける。
二人は、ヴァイスという男に復讐するために旅をしている。二人の当面の目標は、その相手を見つけ出すことであった。
しかし、今回彼らが得た情報により、少し問題が生じてきた。その問題とは、こちらが敵を探しているのと同様、あちらもこちらを探し出して殺そうとしているということである。それも、合計一億ディールという大金を掛けるほど、ヴァイスは本気だということだ。
そもそもの前提として、サンス達はヴァイスを追ってはいるが、今の段階では彼と正面から戦って勝つことは難しい。少なくともサンスは、あの屋敷でひと目見た瞬間に、それだけ大きな実力差があるように感じた。
ヴァイスを確実に倒すための手段は分からない。が、少なくともまともに彼と戦うためには、こちらが罠や奇襲を仕掛けることのできる程度の隙は、最低限必要だろう。
仮に反対に、先にヴァイスがこちらの存在に気づき、一方的に攻撃を仕掛けてくる、などという状況になれば、まずその時点で二人の死は殆ど確定したと言っても良い。
もちろん今までも、二人はある程度警戒して行動をしていた。しかし、ヴァイスがこちらを探していると知った以上、その警戒のレベルは更に上げなくてはならない。
「……だとすれば、山を越えるようなルート?」
「可能ならそうしたい」
もしヴァイスがそのグラスポートという港町に居るのであれば、近づくには最大限の警戒をしなくてはならない。
もちろん山の中を通るとなれば、移動する時間はぐっと増える。場合によってはその時間のせいで、到着した頃には何も手がかりは残っていない、ということも考えられる。しかしそれでも――。
「――本当に、僅かでも、察知されたくない。慎重過ぎるくらい慎重に行きたい」
「そうね……。サンスがそう言うのなら、そうしましょう」
アグスティナが頷いた。
その後も二人は、深夜の静けさの中、これからの行動について話し合いを続けた。
バジャルドとの戦いは終わったが、二人の本当の戦いは、まだ始まってさえいないのだ。
◇
ルフィナが目を覚ますと、辺りは既に暗くなっていた。
真夜中である。窓から差し込んできている月明かりが、部屋の中を薄っすらと照らしている。
彼女は一人、ぼやけた意識のまま天井を眺める。
(何か、夢を、見ていたような――)
懐かしい気配があった。その夢の内容について、上手く思い出すことはできないが、親友であったアデラが出ていたという記憶はある。
何か話をした。内容は分からない。ただ、穏やかに会話をしていたような気がする。
そうして思い出そうとしている間にも、その夢の記憶はどんどん薄れていく。親友の気配は消えていく。
ルフィナは身体を起こした。
すぐ側にある小さなテーブルの上には、バジャルド一派の拠点から回収した、アデラの首飾りが置かれている。
飾り気はあまりなく、質素なデザインでありながら、彼女によく似合っていたネックレスだ。
(アデラ……)
心の中で名前を呟きながら、その首飾りを手に取る。
それをただじっと見つめていると、ふと、腹の奥深くが、急に熱くなった。
まるでマグマのように激しいその熱量は、それを意識したと途端に、急速に奥からせり上がって来た。全てを溶かし、飲み込んでしまいそうなその感情は、やがて、一気に弾けた。
「――っ!」
その両目から涙が溢れた。手の甲でそれを拭うが、止まらない。次から次へと溢れ、彼女の両手を濡らしていく。
口から嗚咽が漏れた。始めは声を抑えようとしていたが、すぐにそれもできなくなる。
溢れる涙を堪えることなどできず、彼女はそのまま、ただ泣いた。まるで小さな子供のように、本気で泣きじゃくる。
ルフィナの戦いは終わった。復讐は成し遂げた。そして立ち止まった彼女の前には、親友の死という事実が、ただぽつんと置かれていた。
怒りや憤りにより、脇に退けられていた大きな感情が、溢れ出す。
夜中の暗い部屋の中で、彼女は一人、ただ涙を流し続けた。
◇
朝から町の大市場は賑わっていた。人々のざわめきが町に満ちている。
そんな活気のある空気の中、サンスとアグスティナの二人は、宿から直ぐ近くの食堂へと入った。
二人が食事を始めて直ぐに、ちょうどルフィナが姿を現した。サンス達に気がつくと、テーブルへと近づいてくる。
「おはようございます。ここ、一緒に良いですか?」
「おはよう」
「もちろんよ。一緒に食べましょ」
そしてルフィナは同じ卓に着く。
座った彼女が顔を上げ、そして二人の前に置かれている料理を見ると、幾らか呆れた様子で口を開いた。
「二人共、相変わらずですね……」
片方は香辛料のかけ過ぎで真っ赤に染まっており、もう片方は蜂蜜に埋まっている。
「疲れている時には辛い物が一番だからな」
「また言ってる。疲労回復には普通は甘い物よね?」
「いえ、問題はそこじゃないです」
ため息混じりに彼女が言った。
それからルフィナも注文を終え、三人で食事を摂る。
取り留めのない話をしながら、穏やかな時間が過ぎていく。
やがて食事を終えると、三人は揃って店を出た。宿へと戻る道を歩きながら、ルフィナが口を開く。
「二人はこの後、どうするんですか? ……やっぱり、例の港町に?」
「もちろん向かうわ」
「今日一日、必要な物を買って揃えて、明日の朝には出発しようと思ってる」
サンスがそう続ける。
「ルフィナとは、今日でお別れね」
「えっと……その、それなんですが……」
彼女は言葉を選ぶように、慎重な様子で言った。
「私も、二人に同行させてくれませんか?」
「え?」
アグスティナが思わず聞き返す。
そのルフィナの提案は予想外のものであった。復讐という目的を果たした彼女は、そのまま友人の形見を持ち、故郷へと帰るのだと二人共思っていた。
「私には回復魔術があるので、力になれると思うんです」
「うん。まぁ、それは、そうかもしれないけど」
「今回、私は協力関係にありながらも、殆どが二人に頼りっきりで、助けられてばかりで……そのお礼がしたいんです」
ルフィナが言う。
「それに、その、私は、もっとこの、リストナム王国という国について、色々と見ないといけないと思って……」
「国を見る?」
「はい。元々、アデラはそのために来たというのもあって、それで、えっと……」
上手く言葉にすることができないのか、彼女は少しもたつきながら話す。
「……とにかく、私はこの国のことを知るために、もっと旅を続けようと思うんです。ですから、本当に途中までで良いんです。邪魔だと思ったら、すぐに言ってくれれば……。それまで、協力させていただくことは、できませんか?」
「……」
ルフィナの言葉に、二人は押し黙った。
彼女は、殆ど二人に頼りっきりだったと言ったが、実際には、回復魔術を始めとして、彼女のその魔術には随分と助けられた。彼女がこの先も同行してくれるというのなら、それは非常に心強い。
しかし、サンスとアグスティナの目的は、復讐である。それもその相手は、恐らくバジャルドよりもずっと強い。
二人は命を賭けて、死を覚悟してそれを倒そうと考えている。が、もちろんルフィナにはそうしてまで戦う理由がない。そのような危険な旅に巻き込んで良いのか、という問題があった。
それを伝えるため、アグスティナが口を開いた。
「私達の目的は、復讐よ」
「はい。分かっています」
「物凄く危険なことになると思う。そして私達には、あなたを護るような余裕もない」
「はい」
「お礼の気持はありがたいわ、でも、国を見て回りたいと言うのなら、一人の方が良い。……多分、あなたが見るべきものは、私達の行く先には無いと思うから」
「いいえ」
アグスティナの物言いに対し、ルフィナは首を振った。
「それは違います」
「違う?」
「私は、そういう物を見ないといけないんです」
妙にはっきりとした言い切る口調で、彼女は告げた。
彼女の首には、親友のものだったというネックレスがかかっている。
「私はきっと、あなた達の先にあるようなものを知らないといけない。国を見るというのは、そういう事なんだと思います」
彼女のその声は、驚く程真っ直ぐなものであった。
昨日の、復讐を遂げたばかりの彼女に対し、サンスはひどい危うさを感じていた。殆ど言葉を発さず、黙りこくっていたその様子は、まるで氷のようであった。冷たく凍てついていながらも、氷柱のように、何かの拍子に折れてしまうような印象を受けたのだ。
しかし、今の彼女にそんな気配は無い。
彼女の声には力があり、意思の強さを感じさせる。
その双眸は、サンスやアグスティナには、あるいは他の誰にも分からないような、遥か遠くを見据えているようであった。
サンスがちらりとアグスティナの方を見ると、彼女もまたちょうどこちらを見ていた。
目が合う。サンスは迷った挙げ句、彼女に対し頷いた。するとアグスティナも頷きを返す。
「分かったわ」
彼女が言った。
「これ以上は駄目だと、私とサンスが判断したら、そこで直ぐに私達から離脱すること。それが条件よ」
「はい。もちろんです」
ルフィナの返事に、アグスティナは笑みを浮かべた。
「じゃあ、歓迎するわ。……正直な所、かなり助かるわ。ルフィナの回復は本当に強力だもの」
「ああ。よろしく。ルフィナ」
同行を了承した二人に対し、彼女は頭を下げた。
「ありがとうございます! よろしくお願いします」
そして、一時的な協力関係であった二人と一人は、正式に仲間となった。
三人は丸一日かけて、これからの旅の準備を整えた。
宿で一夜を明かし、翌日になる。
サンス、アグスティナ、そしてルフィナの三人は、日の出と殆ど同時に起床した。そして支度を整え、宿を出る。
「それじゃ、何か準備に漏れは無いか?」
サンスが確認をする。
「大丈夫よ」
「問題ありません」
二人が頷いた。
「よし。じゃあ行こう」
そしてサンスを先頭にして、三人は歩き出した。西から町を出るため、大通りを西口の方へと向かって進んでいく。
頭上には、雲ひとつ無い快晴が広がっていた。
大勢の人々が、町を出ようとする彼らとは反対方向に歩いていく。
この町の名物であるグルテール大市場は、今日も変わらず朝早くから賑わいを見せている。そんな活気ある喧騒を後ろに聞きながら、三人は町を去って行った。
了
これで完結です。ここまで読んでくれた方はありがとうございます!
バトルファンタジーというのを書いたのはこれが初めてでしたが、書いてる最中すごく楽しかったのを覚えてます。
久々にちょっと読み返しながら、またこういうのを書いてみたいなぁと思ったり。