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第二話

「まず、私にかけたこの魔術を解除しなさい」

「――分かった」


 アグスティナの命令に、男は頷いた。

 男は目を閉じ、何事かを念じるような仕草をする。と、アグスティナの首にかかっていた鎖の輪は白く光り、やがて、音もなく砕け散った。魔術により構成されていた鎖は、そのまま大気中の魔力へと還っていく。

 サンスの隣に立つルフィナが、小さく息を呑んだ。

 彼女は自由になった己の首をそっと手で撫でながら、さらに男に命令した。


「これからする私の質問に、全て正直に答えなさい」

「はい」



 男は従順に頷く。


「あなたの名前と所属は?」

「モイセス・フォルゴイ。バジャルド団長の下で活動をしている」

「バジャルド?」

「バジャルド・ベンタイン団長だ。俺達を束ねているリーダーだ」


 彼、モイセスは彼女の問いに対し、端的に返答していく。

 バジャルドという名前が出た途端、隣にいるルフィナがぴくりと反応したのが、サンスには分かった。彼女の気配が険しいものへと変わっていく。


「私に魔術をかけたのはその団長の命令?」

「そうだ」

「どうしてそんな命令をしたのかしら?」

「金が欲しかったからだ。俺達の活動にはとにかく資金が要る」

「お金……? 私達は、そんな多額の金銭を持っているわけではないわ。どういうこと?」

「違う。お前達、アグスティナ・バーウィックとサンス・ルドヴィアの二人には、賞金がかけられている」

「え……?」


 予想外の発言に、アグスティナが困惑の声を漏らす。

 彼女はちらりとサンスの方へと視線を飛ばすが、彼はただ首を振った。彼もまた、初めて聞いた話である。


「賞金というのは、いくらなの?」

「アグスティナ・バーウィックの方に七千万ディール。サンス・ルドヴィアの方に三千万ディールだ」


 合わせて一億ディール。相当な額であった。


「……その賞金について詳しく聞かせて」

「団長が言うには、個人の依頼だったそうだ。そいつは色々な組織に行き、お前たち二人の殺害を依頼しているらしい。成功したら報酬を支払う、と」

「そいつというのは誰? 名前は?」

「俺は聞いていない。直接会った団長なら知っているかもしれない」

「名前じゃなくても、何か、特徴を聞いたりは?」

「俺は団長が言うのを聞いただけだから詳しくは知らないが――左肩に魔獣を飼っていた、と」

「……なるほど。ここでさっきの反応に繋がるわけね」


 アグスティナの視線が険しいものになる。


「左肩に魔獣を飼う……間違いなく団長はそう言ったのね?」

「ああ」

「その団長、バジャルド・ベンタインは、男の名前を知っているのね?」

「恐らくは」

「……そう、分かったわ」


 言いながら彼女は、部屋にある時計へとちらりと目をやった。

 時間はまだ残っている。彼女は質問を続けた。


「あなた達の目的は何? 先程活動と言っていたけれど、何の活動をしているの?」

「俺達の目的は、魔族を根絶やしにすることだ」


 その発言に、魔族であるルフィナの肩が小さく揺れた。


「なぜ魔族を?」

「復讐だ。戦争は終わったが、俺達の恨みは消えていない。魔族と共存しようなどという流れもあるが……そんなことは許せない。この国から奴らを排除するのが、俺達の使命だ」


 今まで淡々と受け答えていた彼の声に、強い怒りの感情が交じる。

 魔族との戦争は終わった。しかし、その遺恨は未だ国中に残っている。バジャルドという男の率いるその組織もまた、そうした世情を現す具体的な形の一つなのだろう。


「あなた達の拠点はどこにあるの? 場所を正確に教えなさい」

「分かった。まずこの町を東口から出て――」


 彼女の命令のままに、彼はバジャルド一派の拠点の位置を告げた。

 東口から町を出れば森があり、その奥に向かって進むと、そこに彼らの拠点があるらしい。

 彼がそれを伝え終えた所で、今までじっと黙っていたルフィナが、口を開いた。


「この町の魔族を攫っていたのは、あなた達ですね?」

「……」


 アグスティナが相手の時とは違い、彼は質問に答えることなく、ただ沈黙した。


「彼女の質問にも答えなさい」


 しかしアグスティナがそう命令すると、彼は口を開く。


「分かった。――俺達は確かに、この町に来た魔族を攫っている」

「私を襲ったのもあなた達ですね?」

「俺は直接関わったわけじゃないから詳しいことは分からない。ただ、俺達のことを嗅ぎ回っている魔族の女について、何とかしようという話は出ていた」

「攫った魔族を、あなた達はどうしているのです?」


 ルフィナは尋ねた。その声は微かに震えていた。


「殺す。そして魔術研究の材料にしている」


 男は淡々とした声で答える。


「俺達の目的は魔族を根絶やしにすることだが、具体的な活動内容としては、奴らに対抗するための魔術の研究がメインになっている。魔族はその身体に質の良い魔力を大量に蓄えている。魔物等を使った研究とは、得られるデータの精度が全然違うらしい。実際、今までにもかなりの成果が出ている」

「……成果というのは、あなたの上位魔術も?」

「ああ。元々ただの人間だった俺でも、運が良ければこんな魔術を使えるようになる。その研究のおかげだ」

「――」


 ぎりっ、と、彼女が己の奥歯を軋ませる音が、サンスには聞こえた。迸るような強い怒りを彼女から感じる。

 サンスは時計をちらりと見ると、口を開いた。


「ティナ、そろそろ」

「ええ」


 彼女が頷く。サンスはモイセスに近づくと、彼を拘束している縄をその剣で切っていった。

 拘束が解かれた後も、彼は逃げようともせず、ただじっと椅子に座っている。

 アグスティナはそんな彼に近づき、一本の短剣を渡した。そして言う。


「最後の命令よ。私の魔術が切れるまでの残りの時間で、できるだけ人気のない、そしてできるだけここから離れた場所に行って、そこでその短剣を使って、自害しなさい」


 彼女のその命令に、彼は頷く。


「分かった」


 何の気負いもない声でそう返すと、彼は椅子から立ち上がり、歩き出した。そのまま部屋の扉を開け、出ていく。

 彼の足音が遠ざかっていくのを、三人はただじっと聞いていた。





 部屋には沈黙が漂っている。サンスの耳に、アグスティナの呼吸音が、妙に大きく聞こえた。

 彼が彼女の様子を伺うと、その表情は強張っていた。首の鎖がギリギリにまで締まっていた時よりも、さらに追い詰められているようにさえ見える。あまり焦りや恐怖というものを表に出さない彼女にしては、かなり珍しいことであった。

 が、それも当然である。


 ――自害しなさい。


 彼女は最後、モイセスにそう命令した。彼は彼女の命令通り、人気の無い所に行き、そこで一人、短剣で己を突いて死ぬだろう。傍からはただの自害に見えるだろうが、実際は、彼女が彼を殺したのである。

 そして、アグスティナが人を殺すのは、これが初めてであった。

 理屈ではない。相手の方が先に命を狙ってきただとか、悪人だったからだとか、正当性だとか、そういったものはまったく関係ない。サンスにも経験があるから分かる。初めて人を殺した時は、その理由や状況に関わらず、その濃厚な死の気配に、ただ本能が勝手に怯えてしまうのである。

 普段よりもどこか小さく見える彼女に、彼はそっと近づいた。何か声をかけるべきかと思ったが、何を言えば良いのか分からなかった。彼はただ手を伸ばし、彼女の頭に乗せた。そのままぽんぽんと軽く頭を撫でる。

 意図せず、まるで小さな子供を相手にするような行為になってしまい、彼自身少し恥ずかしさを感じる。しかし、撫でながら彼女の横顔を盗み見て見れば、その表情は先程よりもいくらか和らいでいるような気がした。


「……その、すごい魔術でしたね」


 沈黙の中、最初に口を開いたのはルフィナだった。

 彼女もまた、その表情を随分と強張らせている。先程の尋問の内容により、精神的に激しく動揺しているのだろう。あえて本題とは違うことを口にしたのは、自らを落ち着かせるという意図もあるのかもしれない。


「ですが、えっと、私が見ても、大丈夫でしたか……?」

「見たことを、誰かに言う?」


 アグスティナが問う。


「いえっ、まさかそんな」

「だったら大丈夫よ」


 彼女は、穏やかさを幾らか取り戻した表情で言った。

 先程アグスティナが行使した上位魔術は、非常に強力なものである。

 が、その発動条件はシンプルなものであり、そうと知っていればいくらでも対策をとることができてしまう。それは彼女の弱点そのものであり、極力秘匿しておかなくてならないものであった。


「あなたは私を助けてくれた恩人よ。あなたが居なければ、この鎖の魔術を解除することもできなかった。だから信用してる。ありがとう」

「そ、そんな」

「俺からも礼を言う。ありがとう。本当に助かった」

「やめてくださいよ! だって、二人が先に私を助けてくださったんですから」


 そうしたやり取りにより、張り詰めていた部屋の空気が少し緩む。

 そこで、アグスティナは本題に入った。


「ルフィナ。先程聞いた、バジャルドという男について、あなたは元々何か因縁があるんでしょう?」

「……はい」


 彼女の目つきが、じわりと険しいものへと変わる。


「もし不快でなければ、あなたの意思や目的について、少し詳しく聞かせてもらえないかしら」


 アグスティナは言った。


「場合によっては、私達、もっと本格的に協力関係を築けるかもしれないわ」





 ルフィナは二人に、アデラという親友について語った。

 彼女は人間の国を見て回りたいと言い、村を出て行ったらしい。


「アデラからの手紙は、定期的に届きました。そこには、どこの町で何を見ただとか、変わった風習があっただとか、困っていたら助けてくれる人がいただとか……。とにかくびっしり、旅の思い出が記されていました」


 読んでいるだけで、彼女のその喜びの感情が伝わってくるのだと、ルフィナは言った。

 しかし、そんな親友からの手紙は、ある時を境に全く届かなくなった。

 少なくとも一ヶ月に二通は届いていた手紙を、二ヶ月待ち、三ヶ月待ち、やがて半年待った。それでも、何の音沙汰も無いのである。


「最後に届いた手紙に、グルテールという、この町の名前が記されていたんです。次はここに向かうんだ、と。……だから私は、どうしても居ても立ってもいられなくなって……結局、直接ここに来ることにしたんです」


 もともと人間に対してそこまで良い感情を抱いていなかったルフィナが、己の足で人間の町に行こうとしたのである。彼女のその友人に対しての親愛の強さと、真っ直ぐな性格が伺えた。


「この町に来るまでに、色々な人に会いました。人間にも、優しい方が大勢居るのだということを知りました」


 そしてやがて、彼女はこの町に到着した。

 来て早々、彼女は違和感を覚えたのだと言う。それが何故なのか、彼女は考えて直ぐに思い至った。それは、町を歩いていても、自分以外の魔族の姿を全く見ないからであった。

 人間の国に来ている魔族は確かに少ない。が、それでもこのように大きな町であれば、一人二人とはすれ違うのが普通であった。

 戸惑う彼女に、ある町の住人が忠告したと言う。


「早く出ていった方が良い、と。この町に魔族がいると攫われる……そう言われました」


 詳しく聞けば、この町では数年ほど前から、魔族の失踪事件が増えているということであった。

 それを聞いたルフィナが、その事件と親友の音信不通を繋げて考えるのは当然であった。

 彼女はその忠告を無視し、この町に留まった。そしてその失踪事件について、一人調べ始めたのである。

 その結果、彼女はやがて、バジャルド・ベンタインという男の名前に辿り着いた。


「バジャルドという男について、さらに調べようとしていたところでした。私が、複数の何者かに囲まれ、攻撃を受けたのは……」


 彼女は続ける。


「もともと私も警戒していましたから、ひたすら下位魔術で応戦して、何とか逃げ切ることができました。ですが敵を振り切って、怪我の回復をした頃にはもう、体力が全く残っていなくて……」

「……そこで倒れていたところに、俺達が通りかかったわけか」

「はい。その節は本当にありがとうございました」


 ルフィナが頭を下げる。

 やがて、彼女は更に続けた。


「バジャルドという男の組織が、何の目的のために何をしていたのか、今の今まで分からなかったのですが……」


 今、アグスティナの尋問により、それらが全て明らかになった。

 彼らが魔族を根絶やしにしようとしていること。そのために、囚えた魔族を研究の材料にしているということ。

 彼らの行動の根本には、戦争での怨恨がある。囚えた魔族をどのように扱っているのか、わざわざ想像するまでもない。


「もし、アデラを……そうして、殺したんだとしたら……」


 彼女の声は重い。


「許せない」


 その瞳の奥で、炎が燃えていた。

 彼女は呪われてしまった。

 それはサンスとアグスティナの二人にもひどく馴染みのある、復讐という名の呪いであった。


「……話は分かったわ」


 やがて、アグスティナが口を開いた。


「もし、あなたがバジャルドという男に復讐をしたいと言うのなら――手を組みましょう。私達は私達で、目的のためにバジャルドと戦わなくてはならないから」

「それはさっきの……左肩に魔獣を飼う男、ですか?」

「ええ、そうよ。私達はどうしてもその男の情報が欲しいの」


 彼女は続ける。


「私はこう見えて、貴族の血筋なの。少し前まで、大きな屋敷で暮らしていたわ。両親と、使用人と一緒にね。……だけど、それは壊された。たった一人の男に」

「……その男の正体を、探っているんですか?」

「ええ。目的はあなたと同じ。復讐」


 彼女は淡々と、しかし強い意思の篭った声で言う。


「その男に復讐したい。でも、今はまだその敵について何も分かっていない……。もしバジャルドという男がそれについて何か知っているのだとしたら、何としてでもそれを聞き出さなくてはならないの」


 バジャルドがその敵についてどれだけの情報を持っているのか、今の段階では分からない。もしかすると殆ど何も知らず、戦った所で全て無駄足になる可能性さえある。

 が、今の二人は、そもそもその敵の名前さえまともに知らない。少しでも可能性があるのなら、それを絶対に逃すわけにはいかなかった。


「あなたは魔術が使える。でも、直接的な戦闘になったら、それはサンスの得意分野よ。それに、さっき見て分かる通り、私にもそれなりに強力な上位魔術が使えるわ」


 アグスティナはルフィナと目を合わせて、言った。


「手を組みましょう。悪い話じゃないと思うわ」

「…………」


 暫し無言で思案した後、ルフィナはやがて頷いた。


「分かりました。こちらこそ、よろしくお願いします」





 そうして、復讐のために手を組んだ彼らであったが、これからの事について話し合うよりも先に、まずやらなくてはならないことがあった。

 それは食事である。

 鎖の魔術に翻弄されていたサンスとアグスティナには、もちろん食事を摂るような余裕など朝から全く無かった。対してルフィナの方は更に酷いものであり、倒れて気を失っていた彼女が最後に食事を摂ったのは、丸一日以上前のことである。

 先のことを考えるためにも、エネルギーがいる。三人は早急に食事を摂る必要があった。

 彼らは宿を出て、近くにある食堂へと向かった。

 各々適当に注文し、食事を始めたのだが――。


「……あの、サンスさん」

「何だ?」


 見れば、ルフィナがこちらを見て困惑の表情を浮かべていた。


「それ、ちょっとかけすぎじゃないですか?」

「え。そうか?」


 彼女が指したのは、彼の前に置かれた料理の皿であった。

 それはまるで燃えているかのように、真っ赤に染まっている。もともとそういう料理を注文したのではなく、彼が多量の香辛料をふりかけたからであった。


「別に普通だと思うけど」

「いや、普通じゃないですよ――って、まだかけてる!」

「好きなんだ。辛いのが」

「限度がありますよ! お腹壊しちゃいますからっ」

「サンスは身体が丈夫だから、ちょっとやそっとじゃ腹痛になんてならないわ」


 アグスティナがそう口を挟む。


「それでも、見てるだけで辛くて……」

「でも、本当に美味いから」

「それで仮に美味しかったとしても、料理人が聞いたら逆に怒りますよ」

「昔からこうなのよ。気にしないであげて」


 アグスティナはどこか呆れたような様子で言う。


「……いえ、やれやれみたいな雰囲気で言ってますけど、ティナさんも相当ヤバイですよ」

「え?」

「だって、それも、どう見てもかけ過ぎですから!」


 彼女はアグスティナの前に置かれている皿を指す。そこにはどろりと、大量の蜂蜜がかけられていた。


「そうかしら」

「言いながらもかけないで下さい! ちょっと、それ、え? それ蜂蜜と絶対合いませんよね?」

「甘くて美味しいわ」

「元々甘い料理じゃないですよ!」

「大丈夫よ。サンスの香辛料とは違って、蜂蜜は身体に良いから」

「限度があります!」

「ティナは昔からこうなんだ。もっと言ってやってくれ。流石に異常だからな」

「異常っ!? あなたが!?」

「大きな声を出さないで。ちょっとカリカリしすぎよ。ほら、蜂蜜を摂ると落ち着くから」

「えっ、あっ、ちょっ、勝手にかけないで下さいよぉ!」


 そうして三人は、騒がしく昼食を摂ったのであった。





 食事を終え、落ち着いた三人は、宿の部屋へと戻った。

 部屋に置かれた小さなテーブルを取り囲みながら、三人はこれからについての話し合いを始める。


「まず、こちらの状況を確認しましょう」


 アグスティナが言った。


「ルフィナ。あなたの魔術は、具体的にどこまでできるの?」

「えっと、まず魔術具がある限り、下位魔術であればどれも標準以上には使えます」


 ルフィナが返答する。


「それと、私が一番得意なのは回復魔術です。小さい頃から何度も使っていたので、どんどん上達していって……今では、半ば上位魔術に近いレベルで使うことができます」

「それは例えばどれくらい?」

「手足が一本二本無くなった程度であれば、元に戻せます」

「――――」


 ルフィナのその言葉を聞いたアグスティナの目が、ぐっと見開かれる。彼女が露骨に驚きの表情を見せるのは珍しいのだが、つまりはそれだけ、ルフィナの発言がとんでもないものだということを意味している。

 そんなアグスティナの様子を見て、ルフィナは慌てて付け加えた。


「あ、ですがもちろん時間はかかりますよ! それに、私の方も魔力をかなり消費しますから……」

「そんなの当たり前よ! ……でも、すごいわね。本当に」


 アグスティナは気を取り直すと、言った。


「私の方は残念ながら、さっきの上位魔術以外には基本的に何もできないわ。魔術具があれば一応は下位魔術も使えるけど、どれもレベルは低くて……時間稼ぎが精一杯といったところよ」

「俺の方は、剣を使った直接的な戦闘が得意だ。小さい頃から剣術を習っていた。また、そうした技術的なこととは別に、俺の身体は普通よりも力が強くてかなり頑丈なんだ」


 サンスがそう言うと、ルフィナは彼をじっと見つめながら、尋ねた。


「……それに、魔術耐性もありますよね?」


 恐らくは、彼の身体の魔力的な何かを見ようとしているのだろう、その目は細められ、どこか探るような視線になっている。


「ちょっとした魔術であれば、完全に無効化できるくらい……。よく見たらサンスさん、すごいですね。こんなに、魔力で満ちて……」

「ただ、魔術自体は、俺は一切使えない」

「そうなんですか? ……でもサンスさん、これは、一体……」

「サンスの身体のことについては、話をすると長くなるから割愛するわ。とにかく、物凄く強くて頑丈なんだと覚えておいて」


 困惑の目で彼を見つめるルフィナに、アグスティナが横から言った。


「あ、はい。分かりました」


 何か言いにくい事情があると察したのか、ルフィナは申し訳無さそうにした。

 実際、己の身体のことについては、彼にとってもあまり詳しく言いたいものではなかった。ましてや、相手が魔族であれば尚更のことだった。


「――こちらの戦力を大体確認した所で、本題に入るわ。私達の目的は、バジャルドという男を拘束すること」


 そこで彼女は、ルフィナに対して確認するように言った。


「ルフィナ。あなたの目的は復讐だけど、私達はその男から情報を引き出さなくてはならないの。だから私達は拘束して尋問をする。それ以降の男の処遇はあなたに任せる……ということで、構わないわよね」

「はい。承知しています」


 ルフィナは頷いた。


「拘束する上で問題になるのは、こちらがバジャルドの外見的特徴も、普段どこで何をしているのかも、まだ分かっていないということよ」

「どこで、というのに関してなら、モイセスから敵の拠点の位置は聞き出している。まずはそこを確認したい」

「そうですね……。でも、いきなり直接行くのは危険だと思います」

「そうね。その拠点の正確な位置も、敵の規模も、とにかく情報が不足しているわ。……だから、サンス、お願いできる?」

「ああ。任せてくれ」


 彼は頷く。


「今晩あたり、俺が軽く様子を見てくる」

「危険を感じたらすぐに戻ってきて」

「……えっと、サンスさん一人で行くんですか?」

「ただ偵察をするだけよ。私達がついていけば、かえって足手まといになるわ」


 彼女の言葉にサンスは首肯する。彼と彼女達では、その身体能力に差がありすぎる。いざという時に逃げる際に、それは大きな枷になってしまうのだ。


「今晩と言ったけど、体力は大丈夫?」

「ああ。ただ、ちょっと仮眠を取っておきたい」

「そうね。……と、その前に場所を変えましょうか。この宿の位置は、もう敵に把握されているでしょうから」


 それから、三人はそれぞれ荷物を纏め、その宿を後にした。





 昨日泊まった場所から幾らか離れた位置にある、別の宿へと三人は向かった。そして再びそれぞれ、二人部屋と一人部屋を取る。

 大市場からすぐの場所にあった前の宿とは違い、少し奥まった位置にあるため、聞こえてくる喧騒も比較的静かなものであった。

 それから三人はそれぞれ仮眠をとった。

 数時間程経過し、日が沈んで暫く経った頃に、サンスは目を覚ました。

 夕食を三人で摂り、また少しの間身体を休める。

 やがて夜も更け、外から聞こえてくる人の声も落ち着いてきたところで、サンスは準備を始めた。軽く身体を動かし、装備を整えていく。


「――気をつけてくださいね」


 支度を済ませた彼に、ルフィナが言った。


「くれぐれも無茶はしないで。様子を確認するだけで良いから」


 アグスティナが念を押すように言う。


「分かってる。それより、俺だけじゃなくて二人も用心は怠らないように。俺が居ない間に、誰かが攻撃してこないとも限らないから」

「その時は逃げることを第一に考えるわ。ルフィナ、魔術での時間稼ぎは頼むわよ」

「はいっ。任せて下さい」

「それじゃ、行ってくる」


 そして彼は二人を残し、部屋を後にした。

 宿を出て、夜の町を歩いていく。

 夜間とは言え、遠くからは人の騒ぐ声が聞こえてくる。商人の集まるこの町には、あちこちに酒場がある。商人達が昼の商売の成功でも祝っているのだろうか、とその騒ぎ声からサンスは想像する。


(今夜は曇っているな……運が良い)


 空には分厚い雲が広がっており、月や星の光は遮られている。ともすればそのうち雨が降り出しそうな具合である。その空模様は、人に見つからないように動く上では最適なものであった。辺りが暗ければ、それだけ敵の目を誤魔化すことができる。

 サンスは夜道を進み、やがて東口から町の外に出る。

 そのまま、モイセスの供述を思い返しながら、彼は移動していく。

 やがて彼は街道から外れ、北に広がる森の中へと足を踏み入れた。草木の濃厚な匂いが鼻孔に入る。極力音を立てないように意識しながら、彼は木々の間を歩いていく。

 暫く進むと、古く小さな小屋が建っているのが目に入ってきた。出入り口の扉が一つと、窓が一つだけのシンプルな小屋である。

 彼は忍び足でそっとその小屋に近づいた。時間の経過を感じさせる明らかに古い建物であるが、その割に壁や屋根はしっかりとしている。

 彼は警戒しながら窓から中を覗き込むが、特に何があるわけでもなかった。中には粗末なテーブルと机が置かれているだけである。


(……敵とも関係ない、ただの小屋みたいだな)


 彼はそう結論付けると、その建物から離れ、再びバジャルド一派の拠点を目指して歩き始める。

 暫く進むと、水の流れる音が聞こえてきた。

 その音の方へと向かうと、やがて川が見えてくる。


(確か、ここを上流に向かって進むんだったな……)


 モイセスが供述した通りに、彼は移動を続けていく。

 そうして歩いていくと、やがて、遠くの方にうっすらと明かりが灯っているのが見えた。彼は立ち止まり、木々の隙間からその明かりの方へと目を凝らす。


(……ここで、あってるみたいだな)


 彼は身を屈め、さらに注意深く警戒し、木陰に隠れながらゆっくりと進んでいく。

 やがて、彼の目にその全容が見えてくる。

 大きな建物であった。すぐ近くの山に隣接するように建てられている。その近くには、人が掘り進んだらしいトンネルのようなものがぽっかりと穴を開けている。元々は鉱物か何かを採掘する場所だったのかもしれない。

 既にあった建物を、後から後から次々に拡張していったのだろう。大きな建物ではあったが、そのシルエットは不揃いで不格好に見えた。


(見張りがいるな……)


 サンスから見た建物の正面には、大きな出入り口がある。そこには、三人の男が見張りとして直立していた。


(ひとまず、見つからないように気をつけながら、もう少しぐるっと見てみよう……)


 彼は気配を殺したまま、ゆっくりと動いていく。

 木々の隙間から、その拠点の詳細を伺っていく。侵入できそうな箇所等が無いかどうか、じっくりと確認しながら、その様相を記憶に刻んでいく。

 一通りぐるりと見て回った後、彼はその敵の拠点から踵を返した。出来ることなら中にも侵入してみたいところではあったが、もし見つかるなどすれば、敵をいたずらに警戒させるだけである。


(建物の大きさから考えると、敵の規模はせいぜい、四十人から五十人くらい、か……?)


 彼はそう推測する。

 バジャルド一派は、捕らえた魔族を使って魔術の研究をしているのだと、モイセスは言っていた。問題は、その成果がどれほどのものか、ということである。

 サンスはその身体自体に、かなり強力な魔術耐性を持っている。それこそ、下位魔術が使いこなせる程度の相手であれば、殆ど障害にさえならないくらいである。


(重要なのは、上位魔術を使える者が、どれだけいるのかということ)


 彼の魔術耐性を持ってしても、上位魔術にまでは流石に対応できない。

 しかし、流石にそこまで扱える敵は一握りしかいないだろうと、彼は予想する。下位魔術ならばともかく、そもそも上位魔術などというのは、まともな人間が行使できるものではない。いくら研究を進めた所で、それを可能とできるのは元々それなりの素質があった人間だけだろう。

 そうして、敵の戦力について考えを巡らせながら、彼は森の中を引き返していく。

 帰り道だからと気を抜くこともなく、彼は静かに足を進めている。

 それは突然のことであった。遠くから乾いた炸裂音が響き、森の静寂が破られた。





 彼の耳に届いた炸裂音。その正体が何なのかを考えるよりも早く、彼の左脇腹を強烈な痛みが撃ち抜いた。


「――は」


 戸惑いと驚きに満ちた、ひどく間の抜けた己の声が聞こえる。彼が顔をしかめながら左脇腹に触れると、ぬるりと多量の血液が手に付着した。

 何が起きたのかを理解すると同時に、彼は即座に伏せた。そして木の陰へと身を隠す。


(これは、銃か……っ!)


 血の溢れる脇腹を手で押さえながら、彼は今の攻撃について頭を巡らせる。

 木の陰に隠れながら、炸裂音が鳴ったであろう方向をそっと伺う。しかし、それらしき敵の気配は感じられない。耳を澄ますが、何かが移動する音なども聞こえない。


(さっきの炸裂音も、少し遠かった。かなり離れた位置から撃ってきたのか?)


 撃たれた脇腹がずきずきと痛んでいる。出血はしているが、致命傷ではない。己の身体の頑丈さは、彼自身が一番よく知っていた。


「はぁ……ふぅ……」


 乱れた呼吸を整えていく。全神経を集中して警戒しているが、相変わらず敵の気配や物音は無い。

 と、再び炸裂音が静寂を引き裂いた。しかし先程攻撃があった方向からは陰になっており、銃弾が当たることはない、と――油断していた彼の左腕が、強烈な衝撃によって勢い良く跳ね上がった。


「ぐぅっ!?」


 痛みに呻きながら、攻撃のあった左方へと素早く視線を走らせる。集中して気配を探るが、先程と同じく、何も察知することができない。


(何だ? 敵はあっちにいるんじゃないのかっ? 移動した? いや、距離からしてこの短時間では無理だ。それも、何の気配も感じさせないなんてっ)


 彼は身体を低くしたままその場から移動する。攻撃のあった二方向のどちらに対しても身を隠すことのできる位置を探し出し、そこに留まる。

 撃たれた左腕は重く痛み、ぽたぽたと血が零れ落ちていく。

 異なる二方向からの狙撃。撃ってから移動したとは考えにくい以上、少なくとも敵は二人以上いると考えるべきであった。


(いつの間にか、俺の動きが敵に把握されていたっていうのか? それも俺が全く気づかない間に、複数で……)


 じわりと頬を嫌な汗が伝う。

 既に二発、彼は敵の銃弾を受けている。にも関わらず、敵の動きは一向に掴めていない。彼は自身の感覚器官が如何に優れているのかを知っている。だからこそ尚更、今の状況の異常さが彼には分かった。

 彼は先程攻撃のあった方向に対して身を隠しつつ、他方向への警戒を強める。じりじりと時間が過ぎる。やがて――。


「――っ!!」


 三回目の発砲音。今度は彼に命中することさえなかったが、またしても別方向から跳んで来た銃弾は、彼の頭のすぐ側の木を勢いよく爆ぜさせた。

 もし命中していれば、彼は脳漿を辺りに撒き散らして絶命していただろう。背筋がぞくりと震える。


(これで、三方向! ……少なくとも敵は、三人いるのか?)


 それも、彼を囲むような位置取りである。

 そこまで考えて、彼は頭を振った。


(いや、流石にそれはありえない)


 三人以上の敵に包囲されながら、攻撃されるまで全く気づいていないというのは不自然だ。己の感覚器官を盲信するつもりは無いが、油断無く常に気を張っている状態で、それに何も違和感を抱かないのはありえないことだった。


(それに、何だ? この間は……)


 敵からの攻撃と攻撃の間には、不自然に時間が空いている。体感からすると、その間は三十秒から五十秒程度である。


(何かが、おかしい)


 彼はじっと神経を集中させる。

 やがて、四回目の発砲音が鳴った。銃弾が来る。強化されている彼の動体視力が、何とかその軌跡を捉える。そのまま彼は、弾丸を避けようと身体を捻るのだが――。


「――くっ……!」


 直撃こそ避けたものの、その弾は彼の身体を掠り、傷つける。

 その怪我の具合が、特に支障のないものだと判断すると同時に、彼は電光石火の間に一気に駆け出した。

 彼が向かうのは、たった今敵により攻撃を受けた方向である。それは先程の三方向のどれとも違う、別の位置からの攻撃であった。

 木々の間を駆け抜け、銃弾の跳んで来た方向へとひた走る。

 やがて、百メートル程移動した所で、彼はぴたりと足を止めた。


(火薬の匂いだ……)


 焦げた匂いが辺りにうっすらと漂っている。それは即ち、今の狙撃がこの地点から行われたということを意味していた。


(敵がいた気配も、確かに残っている。だけど……)


 敵そのものの姿は、どこにも無い。

 狙撃の直後に、彼はここに向かって走り出した。彼の速度からすれば、そもそもこの距離で逃げられる筈がない。もし仮に何らかの方法で逃げ延びることができたとしても、その動く気配さえ感じることができないというのは、明らかに異常である。


(発砲音が鳴った時、ここには敵がいた。でも今は、完全にその姿を消している……)


 どの方向に逃げたのかさえ、分からない。

 胸の奥に、じわりと恐怖と焦燥が広がっていく。それらの感情をぐっと堪えながら、彼は剣を抜いた。

 背後から撃たれないよう、木の幹を背に立ち、神経を集中させる。先程までの攻撃がまだ続いているとすれば、そろそろ次の狙撃が行われるタイミングであった。


(既に四回、攻撃を受けている。そろそろ、目も慣れるはずだ……!)


 剣を構えたまま、彼は集中を高めていく。

 風が吹いた。草木が静かにざわめく。

 そして、五度目の炸裂音が彼の耳に届く――とほとんど同時に、彼は刃を滑らせた。


「――――」


 大きな金属音と共に、腕に衝撃が駆け抜ける。

 しかし、それだけである。撃たれた痛みは無い。見れば、彼の握った剣はその刀身の一部を損傷させていた。

 彼は、敵が撃ち込んできた弾丸を、その剣で弾いたのである。


「はぁっ……はぁっ……!」


 集中が解けると同時に、彼の呼吸が激しく乱れる。

 上手くいったことに安堵すると同時に、彼は自身の身体能力の異常性を再確認する。

 息を整えながら、彼は思考を巡らせる。

 今回の敵の攻撃も、またしても全く違う方向からであった。もし全ての攻撃が別の敵によるものであれば、最低でも五人に狙われている、ということになる。


(だけど、多分、違う)


 そう考えるには、余りにも不自然なことが多すぎる。


(……何か、魔術のようなものを使っているのかもしれない)


 敵の正体について更に考えたいところではあったが、こうしている間にも、次の攻撃のタイミングが迫ってきている。銃弾を受けた脇腹や腕からは、未だ血が溢れ続けている。常人より頑丈な肉体とは言え、出血を放っておいても構わないというわけではない。

 止血をし、考えを纏められる落ち着いた場所が必要だった。

 彼は辺りを見渡す。

 すると幸運にも、それはすぐに見つかった。

 敵の拠点に向かう途中で見つけた、あの古い小屋である。敵がどの方向から攻撃を仕掛けてくるかは分からない。が、建物の中に隠れてしまえば、どの方向から狙撃されても身を護ることができる。

 その小屋に向かって、彼は勢いよく駆け出した。持ち前の脚力で加速していく。走る衝撃により怪我がずきずきと痛んだが、彼はそれを歯をぐっと食いしばって堪える。


 ――と、そこで再び渇いた発砲音が響いた。駆けている彼のすぐ側の木の枝が弾け飛ぶ。

 当たってさえいないものの、彼の走るスピードを考えれば、それはとんでもない精度であった。

 そのまま小屋へと向かい、扉を勢いよく開く。一応鍵らしきものはかかっていたのだが、それは彼の手の力により抵抗する間もなく破壊される。

 彼は小屋の中に入ると、扉を閉め、窓からも陰となる位置へと移動する。

 身体を伏せたまま、彼は呼吸を整えていった。





 敵の攻撃を受けた箇所を、サンスは止血していく。

 建物の中に逃げ込んでから三分近くが経過していたが、その間、敵からの攻撃は全く無かった。接近戦が得意である彼としては、もしかすると狙撃をやめて直接乗り込んできてくれるかもしれないと少し期待していたが、そんな気配は無かった。

 止血をし、怪我の具合を確かめながら、彼は敵の攻撃に対して考える。

 複数方向からの狙撃。全く気配を感じさない動き。残っていた火薬の匂いと、消えた敵の姿。そして、攻撃と攻撃の間にある、不自然な空白。


(――敵は、一人、なのか?)


 彼は一つの仮説を立てる。

 もし複数人で彼を包囲していたのだとすれば、もっと効果的な攻撃ができたはずだと、彼は思う。彼がダメージを受けた時や、銃弾を弾いた直後など、敵が狙うべき隙は無数にあった。それらを見逃し、敵はあくまでも単発的な攻撃だけを続けている。

 しかしそれも、敵が一人しか居らず、次弾のための準備をする時間が必要だったと考えれば、一応の辻褄は合う。


(もしこの仮説が正しかったとすれば、一番の問題は、敵の移動方法だ)


 全て同じ一人の敵による攻撃だったとすれば、その敵は一回の攻撃毎に場所を変えているということになる。しかしその移動距離は尋常ではなく、さらにはサンスは未だ、その動く気配を一度も捉えることができていない。

 つまりは、敵は移動するための何か特殊な手段を持っているということになる。


(恐らく、上位魔術。その実態や条件は分からないが……一応、今居る位置から別の位置へと瞬間移動をする、というようなものだとここでは考えておこう)


 そう仮定した上で、サンスは敵の攻撃方法を纏めていく。

 彼を狙っている敵は、百メートル程度の距離から銃によって狙撃をする。そして、その攻撃が終わると同時に、上位魔術によって別の地点へと移動する。そして次弾の準備を整え、狙いを合わせ、また撃つ。

 足を使って移動しているわけではないため、敵の動く物音などは殆ど無く、また移動した後にこちらがその地点に向かったところで、痕跡は何も見つからないというわけだ。

 またもしかすると、攻撃の合間に三十秒から五十秒程度の空き時間があるのは、次の狙撃の準備だけではなく、移動に用いるその上位魔術が、連続使用できないという事情もあるのかもしれない、と彼は考える。

 そこまで考えを纏めると、彼は内心で舌打ちをした。


(これは、やっかいだな……)


 精密な遠距離攻撃と、瞬間移動。相手は頑なに、こちらに接近されることを避けている。

 敵の攻撃に対し、彼が致命傷を避け続けていたとしても、そのダメージや疲労は身体に蓄積していく。そうなれば彼の動きは鈍くなり、なぶり殺しにされていくだろう。

 サンスはその身体能力を魔術によって強化されているが、魔術そのものは全く使うことができない。そんな彼にとって戦いというのは、近づいて斬る、というのが基本である。

 敵を近づけさせないようにする相手との戦いは、彼にとって最も不得手なものであった。


(どうする? 逃げるか?)


 己のこの脚力を使って全力で走れば、ダメージを負いながらも逃げ切ることは可能かもしれないと、彼は思う。


(……いや、それはダメだ。ここで逃げたら、次に遭遇した時はもっと酷い戦いになる)


 バジャルド一派に戦いを挑もうとしている以上、恐らくこの敵との戦闘を避けることはできないだろう。

 次に遭った時、もし近くにアグスティナやルフィナが居れば、その二人を庇いながら戦わなくてはならなくなる。一人で身軽に動ける今でさえ、既にそれなりのダメージを負ってしまっているのだ。より過酷な戦いになるであろうことは目に見えていた。

 つまるところ、一人で動いている時にこの敵と遭遇したのは、むしろ彼にとって幸運であると言えた。


(――こいつは、ここで仕留めよう)


 彼は静かに、戦う覚悟を決めた。





 サンスがその小屋に入ってから、既に十分以上が経過していた。

 その間、敵からの攻撃は途絶えたままである。

 身を潜め続けながら、彼は考える。


(どうやって、倒せばいい?)


 敵はここで仕留めておかなくてはならない。しかし、その方法を彼は未だ思いついてはいなかった。

 相手はこちらに気取られること無く移動する術を持っている。用心深く、彼がこうして建物の中に隠れたからと言って、不用意に距離を詰めてくることもない。

 そもそも、こちらが何らかの方法で敵の位置を特定して接近したとしても、上位魔術によってまたどこかに移動されてしまえば、捕まえることなどできない。

 敵について考えを巡らせている内に、じりじりと腹の奥から焦りと恐怖がこみ上げてくる。


(……落ち着け。何か、倒す方法はあるはずなんだ)


 敵はこちらと接触するのを頑なに避けている。その用心深さは厄介ではあるが、同時に、こちらに一つのヒントを与えてしまっている。

 そのヒントとはつまり、こちらに接近されれば負ける可能性があると、敵が考えているということである。


(瞬間移動の上位魔術も、万能じゃない。何か条件があるかもしれない。……だから、まずは一度、何とかして接触したい)


 仮に逃げられたとしても、近くでその上位魔術を見る事ができれば、何か打開策を思いつくことができるかもしれないと、彼は思う。

 そうして、どうすれば敵に接触できるのかを考え始めた所で――彼は、それに気がついた。


(……?)


 彼は鼻をひくつかせる。ある臭いが辺りに漂い始めていた。


(何だ? 何かが、焦げているみたいな……)


 彼は集中し、その臭いの正体を探ろうとする。やがて――。


(――この小屋が、燃やされている?)


 パチパチと炎の爆ぜる音が聞こえた。一体どういうことなのか考え、すぐに思い至る。

 敵はある地点からある地点に、瞬時に移動することができる。恐らくはサンスがこの小屋に入り、身を潜めながら止血をし、敵について考えを巡らせている間に、その敵は一度、この小屋のすぐ近くにまでやって来ていたのだ。


(そして小屋に火を放ち、また上位魔術を使い去って行った……)


 魔術による瞬間移動であれば、例のごとく物音も立たず、こちらもその気配には気づきにくい。


(近くにまで、来ていたのか……!)


 気づけていれば大きなチャンスだった、と彼は歯噛みする。

 敵がこの小屋に火を放った狙いは考えるまでもない。彼を小屋からあぶり出し、出てきたところを狙撃するつもりなのだ。

 小屋を焦がすその炎は、着実に広がっていく。外に姿を見せれば即座に撃たれるのは間違いなく、サンスは不用意に逃げ出すこともできない。

 建物が燃えていく。中の空気も熱くなっていき、彼の頬を汗が伝い落ちていく。

 彼は深く息を吐くと、静かに剣を抜いた。



 ◇


 夜の闇の中、小屋が炎に呑み込まれていく。煌々と輝くその明かりが、森の木々を眩しく照らしている。その小屋はもともと燃えやすく乾燥していたのか、その火の広がる勢いは彼女の想像していた以上に早かった。

 この勢いならば、燃えるのは小屋だけに留まらず、木々に引火し更に広がっていくかもしれない。そんなことを頭の隅で思いながら、彼女はじっと、敵が小屋から姿を現すのを待っていた。

 髪を短く揃えた、小柄な女性であった。彼女の名前はフリーダ・ラルズール。バジャルド一派において、魔術研究の成果により上位魔術が使えるようになった、数少ない一人である。

 彼女は愛用の狙撃銃の狙いを、その燃えている小屋へと向けている。火が回り、耐えられなくなった敵は小屋から出てくるだろう。そのタイミングで撃ち込む予定であった。

 拠点から近いということもあり、フリーダは最初からその小屋の存在を知っていた。中の構造も分かっている。人が出入りできる場所は、扉と窓の二箇所だけである。

 狙う本命は扉の方だ。が、仮に窓から出てきたとしても、己の狙撃の腕であればそれに対応することもできるだろうと、彼女は確信していた。


(……ただ、あれはまともな人間じゃない。本気で集中しないと)


 彼女は神経を研ぎ澄ませていく。

 彼女は、現在狙っている少年について、最大級に強い警戒心を抱いていた。

 彼の走るスピードや、銃弾を身に受けながらも機敏な立ち回りをするそのしぶとさ。何よりも彼女を戦慄させたのは、銃弾を剣で弾いたことである。数え切れない程の敵を撃ってきた彼女であるが、あのような芸当をする相手は初めてであった。


(化物め……)


 なぜこんなどこにでも居そうな少年少女を殺すだけで、あれほどの大金が入るのかと訝しんでいたのだが、その理由の一つがこれなのだろう。少年よりも金額の高いあの少女が一体何なのかは、フリーダとしてはあまり考えたくも無い。


(――だけど、私のこの魔術なら、勝てる)


 彼女の使う上位魔術は、自らの位置を瞬間的に別の場所に移動させる、というものである。

 もともと狙撃銃の扱いに長けていた彼女は、同時に狙撃という攻撃手段の弱点についても理解していた。それは、敵にこちらの位置が知られてしまえば、姿を隠すなどの対処をされてしまい、その攻撃能力が著しく低下してしまうことである。また、敵が接近する可能性がある場合、実力を発揮し切ることができない、という問題もある。

 しかし彼女の会得した上位魔術は、その二つの問題を容易く解決した。

 遠距離から敵を狙撃し、その直後に別のポイントへと瞬間移動をする。ただそうするだけで、敵はこちらの位置を特定することができなくなり、一方的になぶり殺しにすることができるのだ。


 そんな彼女の上位魔術には、制限が二つある。

 一つは、連続して使用することができないということである。一回移動した後は、次の移動までにインターバルを挟む必要がある。しかし、その時間は三十秒程度と短いため、過去にこれが何らかの障害になったことは殆ど無い。

 もう一つは、自分の目で見ている場所にしか移動することができない、ということである。彼女は移動したい地点を目視し、その状態で魔術を発動することで、その場所へと移動することができる。つまり、物陰になっていてこちらから見ることのできない場所は、この上位魔術の範囲外ということになる。

 二つ目の制限に関しては、状況によって幾らかの障害が出てくる。例えば今彼女のいるこの森だが、木々が遮蔽物となっているため、見晴らしはあまり良くない。するとそれに伴い、彼女の移動できる範囲は必然的に狭くなってしまうわけである。

 隠れる場所が多いと考えれば狙撃のメリットではあるが、いざという時に逃げるのに差し障る可能性もあった。


(だけど、そもそも見つからなければいい。慎重に、姿を見られないように、接近されないように……遠くから、仕留めてしまえば)


 フリーダの視線の先で、小屋は燃え続けていた。既に全体が炎に包まれてしまっている。中はもう、人が居られるような状態ではないだろう。

 しかし、あの少年に動きは無い。扉の方はもちろんのこと、窓からもその姿は伺えない。

 じわりと、胸中に不穏な感情が浮かぶ。


(おかしい……)


 敵は確かに強靭な肉体を持っている。しかし、この勢いの炎の中に留まり続けていれば、流石に無事では済まないはずだ。


(もしかして、もう、いない……? いや、まさか)


 あの小屋には、扉と窓の二箇所からしか出入りすることはできない。それ以外の抜け道など、少なくとも彼女は知らない。

 緊張の息を呑む。


「……っ」


 そして彼女は、小屋の扉へと向けていた視線を切った。そして己の周りを素早く確認していく。


(もし、あの二箇所以外のどこかから、既に小屋を出ていたならば)


 考えられる敵の行動は二つ。一つは彼女から逃れるため、静かに森を出ようとすること。そしてもう一つは――。


「――っ!!」


 彼女の視線が、少年の姿を捉える。とほぼ同時に、彼もまたこちらの存在に気づく。

 瞬間、互いの目を互いの視線が貫いた。背筋に氷を入れられたかのように、全身が震え上がる。

 小屋から脱出していた少年は、彼女のことを探していたのだ。



 ◇


 小屋に火をかけられた時点で、敵が外で狙いを定めて待ち構えているであろうことは、サンスにも容易に想像できた。

 しかしここで重要となるのは、こちらが扉から出るのか、窓から出るのか、相手側には分からないということである。


(扉から出るか、窓から出るか……片方だけに絞っているとは考えにくい。つまり敵は、どちらをも両方狙える位置にいるはずだ)


 仮にこの小屋に出入りできる箇所が扉しかなく、敵がその一箇所だけを狙っているのだとすれば、その条件から敵の位置を予想することはできないだろう。

 が、扉と窓という二箇所を同時に狙うことのできる位置となれば、話は別である。少なくとも、敵が潜んでいるのが小屋から見てどの方向かということは、サンスにもある程度予想することができるのだ。

 火が広がっていく小屋の中、サンスは剣を抜き、壁の方へと身体を向けた。

 そして、その壁に対して彼は勢いよく剣を振るった。

 そのまま、繰り返し壁を攻撃していく。

 小屋はかなり古くなってはいるが、その耐久性はあまり衰えてはいない。普通の人間であれば、その壁を壊して外に出ようと考えたところで、実行に移すことはできないであろう。しかし、彼の身体能力は普通のそれではない。

 やがて彼はその力技により、壁を破ることに成功する。


 彼は己の剣を見た。無理をさせたせいで、その刀身は中程で折れてしまっている。もう使い物にはならないと彼は判断し、その場に剣を放り捨てる。

 彼はたった今壊したその小屋の壁から、静かに外に出た。敵が狙っているであろう二箇所とは、まったくの反対側である。敵からすれば、こちら側は燃える小屋が壁になって見えていないはずである。

 そしてその予想通り、敵からの狙撃は無かった。彼は小さく安堵の息を漏らす。

 彼は燃える小屋を離れ、木々の陰へと身体を移す。そして、気配を殺したまま彼は移動を始めた。

 敵がいるであろう方向は分かっている。彼は既に小屋を抜け出しているが、敵がそれに気づいていないとすれば、まだその出入り口を狙っているはずである。

 気取られないようにぐるりと遠回りをしながら、彼は敵が潜んでいるであろう方向へと足を進めていく。


(敵は、上位魔術を使って移動している……。相手が気づく前に俺が見つけ、そのまま魔術を使う時間も与えず一気に仕留める、というのが理想だ)


 彼は足音を殺して移動しながら、そっと短剣の位置を手で確認する。

 やがて彼は、敵がいると予想している範囲に到着する。彼はさらに慎重に気配を殺しながら、視線を走らせ、敵を探していく。

 風が吹き。暗い森の木々がざわりと揺れた。と、そこで――。


(見つけた……!)


 身体を伏せ、小屋の方向へと狙撃銃を構えている小柄な女性の姿が、彼の目に映った。

 しかし彼女もまたこちらを見ていた。ぴたりと目が合う。その視線から、困惑と驚愕の感情が伝わってくる。


「――――」


 彼は勢いよく地面を蹴り、駆け出した。可能な限りのスピードで女のもとへと向かう。

 と同時に、彼女はその銃を彼の方へと向けた。しかし、彼は構わず突き進んでいく。


(こんなチャンスは、もう無いはずだ! だから、ここで、ここで何としてでもっ!)


 短剣を抜く。刀身がぎらりと白く輝く。

 ぞくりと彼の背筋が震えた。サンスの本能が、敵の銃口が己を捉えたことを知らせる。

 女が引き金を引く。火薬が弾け、一瞬だけ付近が眩く光る。

 銃を撃った後、敵はすぐに移動の上位魔術を使うはずである。それに間に合わせるためには、コンマ一秒であっても惜しい。彼は走る勢いを殺さないよう、なんとか身体を捻るだけで敵の銃弾を回避しようとする。


「ぐっ――!」


 が、避けきれない。敵のその攻撃は、彼の左肩に突き刺さる。骨まで砕くその銃弾の痛みを、強く歯を食いしばって堪える。

 そして、決して走る勢いを落とすこと無く、彼はそのまま敵へと突撃する。

 女の表情に焦りが浮かんでいる。彼女もまた、ここで敵を仕留めるつもりだったのだろう。

 接近する。二メートル、一メートル。そして――彼は短剣を突き出した。


「――うっ!」


 ずぶりという確かな手応えと、耳に届いた女の呻き声。彼は更に追い打ちをかけようと短剣を振り抜く。が、それはただ何も無い空を斬った。

 一瞬の間に、彼女の姿は完全に消えていた。


「はぁっ……はぁっ……!」


 彼の口から乱れた呼吸が漏れる。短剣を見ると、その刀身にはべっとりと敵の血が付着していた。手応えからしても、敵はそれなりの深手を負ったはずである。

 次に彼は、敵に撃たれた左肩を確認した。動かそうとすると、鈍く重い痛みが走る。

 彼は身をかがめると、その場で左肩の止血を始めた。敵側にも深い傷があり、手当の必要がある以上、すぐに追い打ちをかけられることを警戒する必要はない。


(……最後、あの女は音もなく消えた。魔術で移動しているという予想は、正しかったわけだ)


 彼は手当を続けながら、考える。


(一応、攻撃は当てた。……ただ、仕留め損ねた)


 歯噛みする。

 せっかく敵に接近できたチャンスであったが、それを完全に活かし切ることはできなかった。


(ただ、あれだけ深い傷ならば、狙撃の精度や移動速度にも幾らかの影響は出るはずだ……。冷静に落ち着いて対処していけば、まだ、チャンスはある)


 止血を済ませた彼は、後ろから撃たれないよう、木を背にして立った。敵も同じように手当をしていたのだとすれば、そろそろ次の弾の準備を始めている頃だろう。

 短剣を抜き、構える。神経を研ぎ澄ませる。

 痺れるような時間が過ぎていく。


「――――!」


 やがて、発砲音。銃弾が跳んで来たのは、彼のほぼ真正面からである。彼はそれを短剣で弾こうとする。が、怪我の影響を甘く見積もってしまっていたのか、身体はうまく動かない。


「ぐぅっ……」


 何とか身体を捻ることで直撃は回避するが、それでも銃弾は掠ってしまう。負った傷からじわりと血が滲む。

 しかし、その痛みに顔をしかめながらも、彼はある事に気がついた。


(今、攻撃があった方向は……)


 彼は先程、敵と接触した時のことを思い返す。

 短剣によって攻撃をし、さらに追撃しようとした彼の前で、その女は不自然に頭を動かしていたのだ。それは明らかに、彼の攻撃を回避するための動きでは無かった。彼はそれに対し、幾らかの違和感を抱いていたのだが――。


(――もしかして、移動する場所を見ようとしていた?)


 彼女が無理に頭を動かし、顔を向けた方向こそが、たった今、敵からの狙撃があった方向であった。

 彼の頭に、一つの仮説が浮かび上がる。


(見ている場所に移動する、のか……?)


 サンスは更に思考を巡らせる。


(もしそうだとすれば、どうなる? どうすれば追い詰められる?)


 彼が考えている間にも時間は過ぎていく。敵は次の攻撃の準備をしているだろう。

 彼が視線を横にやると、小屋が燃えているのが見えた。その炎の勢いは止まること無く、広がり、周りの木々へと引火し始めている。この様子ならば、森の一部を巻き込んだ大きな火事になる可能性もあると、サンスは思う。

 大きな炎の明かりにより、暗い森が照らされていく。

 彼は攻撃に備え、再び構えた。受けた傷から溢れた血液が、ぽたぽたと彼の足元へと滴り落ちていく。



 ◇


 先程の接触から、幾らかの時間が過ぎていた。

 フリーダは狙撃銃を構え、少年へと狙いを定める。

 彼の背後では、木々が激しく焼けていた。煌々とした炎の明かりが、夜の闇を溶かしていく。


(……嫌な位置)


 少年を見据えながら、彼女は声に出さずにぼやく。彼の背後で燃える炎は激しく、その眩しさにより彼女の目にはじわじわと疲労が溜まり、狙いをつけにくくなってきている。

 元々それを意図して彼はその場所に立っているのだろう。その正確な判断力に、彼女は内心で舌打ちをする。

 眩しさを感じながら、彼女は引き金を引いた。

 強い衝撃が肩から全身にかけてを揺さぶる。発射された銃弾は狙い通りの位置へと跳ぶが――少年が振るう短剣により、それは弾かれてしまう。


(本当に、バカバカしい身体能力!)


 歯噛みしながら、彼女はすぐに予め定めていた次の狙撃ポイントへと移動する。

 再び銃の準備を整え、構える。

 少年は先程の位置からほとんど動いていない。


「はぁ……ふぅ……」


 彼女の呼吸は乱れている。銃の引き金を引く度に、全身を強い衝撃が揺らす。それは彼に刺された傷をずきずきと傷ませる。一発撃つ毎に、己の体力が着実に減っていくのを彼女は感じる。


(でも、削られてるのは相手も同じ)


 少年は弾を弾くこともあるが、失敗することも多い。直撃は避けているようだが、遠くから見ただけでも、明らかに全身が血で滲んでおり、傷だらけになっている様子が伺える。

 更に言うなれば、仮に短剣によって弾くことに成功したとしても、その銃弾の衝撃は間違いなく彼の身体を軋ませている。また、どこから来るか分からない攻撃に対応しなくてはならないため、彼は常に神経を張り詰めさせておかなくてはならない。既に相当な疲労が蓄積しているはずであった。

 両者とも、心身ともに削られている。が、もちろんそれは互角という意味ではない。

 敵は一度こちらの姿を捕捉したが、既に見失っており、今はこちらが一方的に攻撃を仕掛けることができる。敵に接近されない限り、彼女には圧倒的な優位性があるのだ。

 彼の体力が先に尽きれば、こちらは彼の命をそのまま奪ってしまえばいい。対してこちらの体力が先に尽きたとしても、敵を倒すことさえできないものの、上位魔術を使ってこの場から離脱してしまえば、自らの命を落としてしまうことはない。


(だけど、そのくらいのことは、向こうも分かっているはず。……なのに……)


 何故、まだ戦いを続行しているのか。踵を返し、その持ち前の脚力を発揮して逃げ出してしまわないのか。

 そんな疑問の答えは、当然ながら一つしかない。


(あいつにも、何らかの勝ち筋が見えいているということだ。この状況を打開する、方法があると……)


 その想像は、彼女の胸中をじりじりと焦がす。


(それでも――)


 彼女は狙撃銃の狙いを少年に定める。


(その企みごと、撃ち抜いてやる)


 引き金を引く。今までに数えきれないほど聞いてきたその炸裂音は、彼女にとって戦う覚悟そのものであった。



 ◇


 短剣を振るうと同時に、強烈な衝撃が腕から全身へと駆け抜けた。びりびりとしたその痺れと共に、身体中の傷が痛みを発する。


「はぁっ……はぁっ……!」


 サンスの身体には多量のダメージが蓄積していた。彼の服は赤く染まり、溢れた血がその足元を染めている。

 魔術で強化された己の身体の頑丈さに、彼は感謝する。常人であればとうに戦闘不能になっているはずであった。

 呼吸を整えながら、素早く辺りに視線を走らせる。

 敵によって小屋に放たれた火は、燃え広がり、どんどん大きくなってきている。大きな木を炎が呑み込み、軋み砕ける音が聞こえてくる。熱により発生した強い風が、血と汗の絡みついた彼の髪を巻き上げる。


(そろそろ、いいか……?)


 うねる炎の勢いを見ながら、彼は声に出さず呟く。

 既にその火の手は、十分過ぎる程に広がっていた。


(次だ。次で、動こう)


 彼は再びそっと構える。集中し、神経を研ぎ澄ませていく。

 やがて、もはや何度目か分からない、あの発砲音が彼の耳に届く。


「――っ!」


 彼の短剣の軌跡が空中を滑る。それは、跳んできた銃弾を正確に捉えていた。

 銃撃の衝撃に腕が跳ね上がる。が、その衝撃に痛みを感じる時間さえ惜しみながら、彼は勢いよく駆け出した。

 煌々と炎に照らされていた場所から、森の闇の中へと突撃する。木々の間を突き進んでいく。


 ――敵からの狙撃を受けている最中、彼は決して、その燃え広がる炎の側を離れようとしなかった。

 それには大きく三つの理由がある。

 一つは、炎を背に立てばそれを狙撃する相手は目が眩み、その疲労により精度が下がるのではないか、という予想である。その予想通り、森の暗闇の中で狙われていた時よりも、弾道がいくらかぶれているように彼は感じていた。が、それは僅かなものであり、劇的に回避がしやすくなる、というわけではなかった。

 もう一つは、跳んでくる銃弾を弾く、あるいは避ける際に、炎によって辺りが明るくなっていれば、それだけその回避率は上がる、という理由である。これに関して、彼は一つ目の理由よりもその効果を強く実感していた。明るい方がよく見える、というのは、至極当然のことである。

 そして、最後の理由は――炎の広がりと共に、敵の狙撃位置をある程度狭めていくことができる、というものである。

 高く燃え盛る炎は、もはや一つの障害物である。それは広がりと共に、半ば壁と同じように見なすことができるようになっていく。

 先程述べたように、彼が炎を背に立つだけで、その眩さにより多少ではあるが敵の攻撃の精度は落ちている。そんな彼女が、さらに狙いを定めにくい場所――具体的には、炎の壁を挟んだ反対側に移動し、そこから狙撃するということは、基本的には考えられない。

 そもそも彼の位置を正確に把握できるかどうかさえ疑わしく、また捉えたとしても、狙いを定めるには生半可でない集中力が必要となるだろう。そしてもちろん、外す可能性も高い。敵がその位置取りをするメリットは無いのである。

 また、彼が先程立てた、敵の上位魔術についての仮説のこともある。もし敵が本当に、自分の見た場所に移動する、という上位魔術を使っているのであれば、炎の壁に遮られて見ることができない反対側には、そもそも移動することさえできないのである。

 実際、彼は常に炎を背に立っていたが、背後から攻撃が跳んで来たことは一度も無かった。燃え盛る炎の壁は、敵にとって、比喩ではなく文字通り壁なのである。

 そしてそれはつまり、木々が燃えれば燃えるほど、炎が広がれば広がるほど、敵が移動する可能性のある範囲が、どんどん狭まっていくということを意味している。


(そして今までの様子からすると、あの魔術は間違いなく連続使用ができない! 一度移動してしまえば、次の魔術行使にまで時間が空く!)


 正確には分からないが、敵の攻撃のタイミングからして、そのインターバルは精々三十秒程度だろうと彼は見積もっている。

 しかし、敵の移動する範囲がある程度にまで絞られている今であれば、その時間の間に見つけ出すことも不可能ではないと、彼は判断したのである。

 森の中を彼は疾走する。視線を巡らせ、敵の姿を探していく。


(必ず居るはずだ! あの場所から次に移動するとしたら、この辺りのどこかしかない!)


 心臓が早鐘のように鳴っている。彼は強い焦燥感に内側から焼かれている。

 こうして突撃をした時点で、敵はこちらの意図に間違いなく気がついている。であれば、ここで逃せば次はそれに対して何かしらの対策をしてくるだろう。彼は何としてでも、次の魔術行使までの間に、敵の姿を見つけなくてはならない。


(どこだ、どこだ! 絶対に、この辺りにっ!)


 もしかすると、全く見当違いの発想をしているのかもしれない。敵はここから離れた場所から、今も静かにこちらを狙っているのかもしれない。そんな怯えと焦りが、彼の中を満たしていく。

 が、そこで――。


(――いたっ!!)


 彼の目が、小柄な女の姿を捉えた。彼女はこちらに銃を向け、狙いを定めようとしている。

 一切の躊躇無く、彼はその銃口に向かって駆け出した。その右手には短剣が握られている。

 引き金にかけられた彼女の指が動く。光が瞬き、銃弾が発射される。それは彼の右脇腹に直撃した。強い痛みと衝撃が全身に走る。彼の身体は一瞬だけぐらりと揺らいだが、また直ぐに持ち直す。その足は止まらない。敵が次の移動をするまでに接近しなくてはならないのである。今の彼には痛みに呻く余裕さえ無い。

 敵の表情が焦りに染まるのが見える。彼女は彼に背を向け、駆け出す。


(走って逃げるということは、次の魔術はまだ使用できないということ! 早く、早く、捕まえないと!)


 走る速さが圧倒的に違うため、二人の距離はみるみる近づいていく。

 やがて、敵のすぐ間近にまで接近した彼は、その背中に向かって手を伸ばした。

 が、後拳ひとつ分――といったところで、彼女のその姿はかき消える。上位魔術を使われてしまったのである。


「――――」


 しかし、彼は即座に視線を走らせ、敵の姿を探し始める。見ている方向に移動するのだとすれば、その顔の向きや視線を常に観察しておけば、どこに向かうかある程度は予想することができるということである。

 直前の彼女の頭の向きを思い返しながら、彼はその姿を探す。すると、彼の予想通り、遠くに彼女の姿を見つけた。彼は勢い良く地を蹴り、駆け出す。

 そして、己に接近する彼を見た彼女もまた、逃げるために走り出した。

 その速度差により、二人の距離は着実に縮まっていく。

 しかし先ほどと同様、何よりも重要なのは時間である。

 彼が距離を詰めている間にも時間は過ぎ、敵が次の魔術を使う瞬間は近づいてくる。


(あとどれくらいだっ? あと何秒で使えるようになるっ!?)


 残されている正確な時間が分からない。強い焦燥感が、汗となって彼の服の内側を濡らす。

 突然、女はぴたりと足を止めた。そして視線をぐるりと巡らせる。その仕草からして、次に移動する場所を探っているのだと彼は確信する。


(もう、魔術が使えるのか!!)


 やがて、彼女の目がある方向で止まった。間もなく、彼女は移動しようとしているのだ。二人の距離はかなり縮まってはいるが、未だ手が届く位置ではない。

 彼は短剣を握っている右手を、大きく振り上げた。そして、勢い良く敵に向かって投擲する。


「っ!」


 森の闇の中を走る銀の軌跡。彼の放った短剣を避けるため、彼女はぐいと身体を動かした。

 彼女は回避に成功し、その短剣は彼女のすぐ後ろの木の幹へと突き刺さる。

 一見すると、彼の攻撃は無駄に終わったように見える。が、その短剣を見切ろうとする動作により、彼女の視線は先ほどの移動地点から外されている。

 ほんの僅かばかりの、時間稼ぎ。

 一秒前後のその空白の間に、彼は、彼女との間にあった最後の距離を、詰めていた。

 彼女の両目が驚きに見開かれる。彼は彼女に手を伸ばし、その腕を掴む。そのまま彼は、力任せにその女の身体を地面に組み伏せた。

 短剣を投げてしまったことにより、今のサンスは丸腰である。予備の短剣を取り出すような余裕はない。


(とにかく、視界を奪えばっ!)


 その性質からして、何も見ることができなければ、彼女は上位魔術による移動もできなくなるはずである。

 彼は右手の指を目潰しの形にし、彼女の目を突こうとする。しかし、彼の指が食い込む直前、彼女の開かれた両目は、ある地点へと焦点を結び――そして、彼女は消えた。


(――逃げられたっ!!)


 彼は慌てて辺りに素早く視線を走らせる。


(どこだ!? 今、あいつはどこを見ていた!?)


 女の姿は見つからない。とそこで、彼ははっと気づいて視線を上にやると――。


「ぐうぅっ!!」


 女の姿を捉える、と同時に、彼女の握った短剣の刃が彼を襲った。首元を狙ったその攻撃は、身を捩った彼の肩から背中を深く抉る。

 強烈な痛みに呻く彼を他所に、彼女は着地すると、即座に追撃しようとする。が、それよりも早く、彼はその手首を取っていた。

 彼は力任せに彼女を地面に組み伏せる。彼女は抵抗をするが、そもそも力での勝負で彼に敵うはずがない。

 敵をうつ伏せにさせ、上からのしかかるような形でその動きを封じる。彼は女の頭を上からぐいと強く押さえつけ、地面しか見ることができないようにする。

 暫く抵抗を続けていた彼女の動きも、やがて弱くなる。彼に負わされた傷と、繰り返し行った狙撃と魔術により、彼女の体力は既にかなり削られていたのである。


「はぁっ……はぁっ……!」


 彼の口から荒い呼吸が漏れている。それは彼女の方も同じであった。

 遥か後方で燃え上がっている激しい炎が、二人のいる場所を微かに照らしている。彼は深く息を吐いた。





 サンスは女の両手両足を拘束した。頭部には幾重にも布を巻き、その視界は完全に遮断してある。

 敵の自由を奪った後、彼は己の身体の止血を始めた。全身が傷だらけになっており、服は血を吸いずしりと重い。この状態でよくまだ立っていられるなと、彼は自分のことながら少し恐ろしく思う。

 一通り手当を終えると、彼は地面に転がしたままの女へと目をやった。


(こいつは、どうするか……)


 状況からして間違いなく、彼女はサンス達がこれから敵対するであろうバジャルド一派の人間である。だとすれば、色々と有益な情報を聞き出すことも出来るかも知れない。

 しかし、彼には尋問の心得など無い。情報を引き出す一番理想的な方法としては、彼女をこのまま担ぎ、アグスティナの所にまで連れて行くことである。モイセスの時と同じように、彼女の上位魔術を使うのが最も確実だ。


(……今は、とにかくもっと情報が欲しい。やっぱり、このまま連れて行くか)


 敵を運ぶとなれば多少の危険はあるが、そのリスクを犯すだけの価値はあると彼は判断する。

 担ぐ前に、もう一度、まだ何か危険物を持っていないか念入りに確認しようと、彼は彼女に近づく。すると彼女は、そっと顔を上げた。

 視界を塞いだ布越しに、彼女と目が合ったかのような錯覚を抱く。


「あんた、何者なの?」


 小さく、掠れた声であった。疲労の滲む弱々しい声色であったが、そこには妙に強い意志のようなものが込められているように彼は感じた。


「答える必要はない」

「まともじゃない」


 彼の身体能力の異常性について言っているのだと、すぐに分かった。


「……かもな」

「化物」


 そのまま流れるように、彼女は続けた。


「あんたを生かしておけば、私達の脅威になる」


 両手両足を縛られたまま、彼女は全身をバネのように使い、彼に向かって跳んだ。

 ただの体当たりのようなその動作に、彼が困惑した次の瞬間――彼女は爆発した。


「――――」


 彼女自身の肉片と共に、凄まじい衝撃が彼の全身を激しく叩いた。

 自爆であった。彼女はその服の内側に、爆薬か何かを仕込んでいたのだ。

 その強烈な爆風により、彼の身体は吹き飛ばされる。彼の意識はぐわんぐわんと揺れ、その目の奥で光がチカチカと明滅する。

 やがて、落ち着くと、彼はゆっくりと身体を起こした。全身が砕けたかのように痛みに軋む。

 よろめきながら、彼は立ち上がった。

 顔をあげると、彼女の死体が目に入った。原型を留めていない。間違いなく即死である。


「……悪い。頑丈なんだ……」


 彼女は自らの命を捨てて、彼を攻撃した。恐らくは彼女の中にある、何らかの使命に殉じて、彼を殺そうとしたのだ。しかし、彼の常人離れした身体の頑丈さは、そんな彼女の覚悟さえ物ともしない。

 とはいえ、問題なく動くことこそできてはいるものの、そのダメージは大きなものであった。

 彼女の自爆の衝撃は、銃弾のそれとは比べ物にならないほど大きく、全身のあちこちが鈍い痛みに軋んでいた。そして、最も酷い箇所は彼の左腕である。

 彼の左腕は、反対方向へと曲がっていた。それもただ骨が折れているというよりも、砕けていると言った方が正しいだろうと、その状態を確認しながら彼は思う。

 彼は痛みを堪えながら簡単に手当をし、左腕を軽く固定していく。

 回復魔術が得意なのだと、昼にルフィナは言っていた。ひとまず宿に戻ることさえできれば、彼女の治療を受けることができる。

 全身の痛みによろめきながら、彼はゆっくりと歩き出した。

 暫くすると、ぽつぽつと緩やかに雨が降り始めた。やがてその雨脚は、少しずつ強くなっていく。

 森の一部は、未だ激しく燃えている。しかしその火事も、これ以上広がること無く雨によって鎮火されるであろう。

 暗い雨に全身を打たれながら、サンスはその森を後にした。

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