好奇心に駆られて
写真を撮ることは上手くいったようだ。間違いなく美津子と善之であると判別可能な写り具合だ。だがしかしそれは杏子にとって試合以上の緊張感を伴った作業だったかも知れない。それを物語るようにスマホを持つ手にいたたまれないほどの違和感を覚える。いや違和感ではなく罪悪感と言い換えた方がしっくり来そうに思えた。なにせやったことは親の秘密を薄型長方形のちょっと前なら間違いなく文鎮と呼ばれたであろう物体に取り込むという後ろめたさに溢れている。ハアッとため息を吐くと同時に額の汗を拭った。さしもの俊太でさえ杏子の背負ったプレッシャーが理解できたと見えて労いの声を掛けようとしたその時、不意に肩を叩かれた。
振り返るとそこに立っているのは脂ぎった恰幅のいい警察官だった。確かに二人の行動は他人の目には怪しさタップリに映り通報されたとしても不思議ではない。俊太はたじろいだもののそれでも自分達のしたことは個人的な事情によるものであり正当性あるものだと説明しようとした時に警察官の方から咳払いと共に拍子抜けするような切り口で話しかけて来た。
「私はペッパー警部である。おっといけない、君達くらいの年頃だと何のことか分からないだろうな。さてくだらん冗談はここまでにしておく。なぜ私が君達に声を掛けたかは理解出来るだろう。高校生とおぼしき若者が二人、駅前で不審な行動をしていると通報があったんだ。なるほど来て見れば確かに君達のやってることは相当に不自然だ。まあはっきり言えば盗撮だ。そっちの女の子に聞くが君は誰を何の目的でスマホカメラで撮っていたのかな」
警察官は主犯が杏子と見立てて素早く質問をぶつけて来たが俊太がそれに立ち塞がってはぐらかすような口調で最初に語った言葉に対するアンサーを放った。
「あのお、僕はペッパー警部の存在を知っています。昔のアイドルが歌っていた曲に出てくる警官でしたっけ。のど自慢でも若い人が振り付けしながら歌ってますよね。YouTubeのおかげで昔、流行ったものが映像で見れるからすぐに覚えられるんです。それでスマホカメラで撮ったものなんですが、浮気の証拠です。対象者は言いにくいんだけど我々の親なんですよ。だから盗撮じゃなくて僕達の家庭環境に関わる問題を孕んでるわけでして。そして警察は民事不介入でしょう」
「ハッハッハ君は気持ちに余裕があるんだな。冗談混じりとは言え普通なら背後から警察官に話しかけられたらビビるものだがな。しかも民事不介入とか愉快な若者だ。うむ私は通報された内容を確かめに来たんだが不審な行動っぽいことをしている若者が居るには居た。しかし特に問題はなかったと報告する。だが今後誤解を招くようなことは慎むんだぞ」
警察官はそう言い残すと足早に去って行った。俊太も本当は肝を冷やすような思いをしていたのだがそれから解き放たれ苦笑いした。
「さて俺達も引き揚げるとするか。証拠写真も撮れたことだし長居は無用だ。だが今だから言えるけどあの警察官のおちょくった対応はなんだったんだよ。ペッパー警部の一言で俺、吹きそうになった。まあ大したことじゃないと長年の経験で判断したのかな。交番に連行されんのかって覚悟したから助かった」
「そうだね。あたしもまだ心臓が踊ってるようだもの。それで、俊太この写真はどのように使えばいいんだろう。証拠集めすることだけに集中しててその先を全く考えてなかった」
「そんな事、考えるまでもないさ。タイミングを見計らって、まずお前の両親が揃っている時に見せりゃいい。こんだけハッキリ撮れてるんだから言い逃れは出来ないはずだ。そこから先はどうなるか想像したくもないが時間を置かずウチにも嵐が巻き起こる。真一おじさんの目に触れたら修羅場の始まりだ。下手すると速攻で俺ン家に乗り込むとか言い出しかねない。しかしこの写真だけじゃ浮気の証拠としては弱すぎる。だから白黒はっきりさせるために杏子は最後まで見届けたいか。俺は嫌だね」
俊太の言うように駅前で美津子と善之が鉢合わせしたところを写真に撮っただけだ。それで浮気確定とは早計過ぎる。慌てて美津子と善之が話し込んでいた場所に目をやったがすでに影も形もない。もうこれ以上追うことは杏子と俊太には無理な相談だ。あとは勝手に頭をかきむしりたくなるようなシナリオを描くしかない、そのあげくに偶然会っただけとかシラを切られたらそこでジ・エンドだ。それでも杏子は口をへの字にして挑戦状でも叩きつけるように言った。
「分かった、やるわ。ただし数日ほど時間ちょうだい。今夜はもちろん明日いきなりなんてとても無理」
「そりゃ当然だ。俺だって心の準備をしたい。嵐の襲撃が突然ではただでさえナーバスな神経がズタズタになってしまう」
(どこがよ、バカ。あんたがナーバスならこの世の人間全てナーバスよ)
杏子は憤慨に駆られて足元の小石を蹴った。既に陽は落ちて初夏と真夏が行ったり来たりするような匂いが混じった空気が漂い始めていた。
スマホカメラが躍動した3日後の夜のこと。真一の怒号が家中に響き渡った。エアコンがあるとはいえ冬場と違っていずれの家庭でも初夏になれば窓の何処かしらが開いているものだ。おそらく向こう三軒両隣と呼ばれる範囲内では杏子の家で起こっていることのおおよその状況を把握したであろう。開け放たれた窓の向こうに落ち着きなさそうに動く人影がちらついている。
「ふざけんなよ。美津子、よりによって浮気相手が善之とは開いた口が塞がらん。で、いつからなんだ」
つんざくような声にも美津子は動じない。むしろ気持ち悪いくらい冷静な面持ちである。
「忘れたわ。でも浮気とは違うからね。これから杉原さんのお宅に伺う訳にもいかないから、う~んそうね。日にち決めてみんなで話をしましょう。そこで真実を明らかにするわ。杏子達も写真を撮った責任者として同席してもらいますからね」
「開き直りか。で、なんだと日を改めて善之と俺とお前とで話し合いをするだと?もちろん晶子さんも入って貰う必要があるよな。そしてこんな写真を撮ったとはいえなぜ子供達まで同席させるんだ。さっぱり意味が分からん」
「あのね子供って言うけど昔とは違うの、世の中の構図が、背景が、情報量が、杏子達は理解していたからこそ写真を撮るって行動をしたのよ」
杏子は美津子が雄弁過ぎると思った。実際こんなに立て板に水状態で話す美津子を見るのは初めてだった。だがどこかがおかしい。真一と美津子に話があるとリビングで写真を取り出した時から美津子の態度や表情は普段と変わらなかった。対照的に真一は娘のただならぬ様子に身構えるような素振りを見せた。
(これはお母さん、何かを謀ったのだろうか。見当もつかないけどそうとしか思えない)
美津子の日頃と全く異なる言動は真一の怒号を包むように抑え込んだ。静寂が戻ったリビングには向こう三軒両隣の位置から少しだけ離れた家の飼い犬の吠える声がかすかに聞こえた。