5 ヴァレルの回想 クリスとの別れ
「クリス。あんたは、本当はクランベルクの剣匠なんじゃないのか?」
クランベルクの象徴といえる、剣匠と呼ばれる剣士たち。
マナ・テクノロジーは、膨大なマナの知識の集積によって産み出された。その創造者たちは、テクノロジーの根底にあるマナ・アート、生命エネルギー「マナ」を、人が操る技術そのものにも長けている。マナ・アートを極限まで解析することで、都市や船舶に活用できる安定した「マナ」を固定することができたのだ。
マナ・アートを解析し、論理的に再構成することは、人を効率的に強化する方法に繋がる。事実、クランベルク流の普及によって、マナ・アートの習得期間と、発動される力そのものが、特に若年層において飛躍的に向上した。
「あんたが剣匠なら、その無茶苦茶な強さだって納得できる。マナ・アートの使い方も、どうやって効果的に力を行使するかって考え方だって、クランベルク流の考え方そのものじゃないか」
「効率的に力を使うことは、何もクランベルクのオリジナルって訳じゃないさ。彼らが、効率性を分析して、知識に昇華したことは評価されるべきだけどね」
クリスはとぼけた顔で応じた。
「そもそも、考えなしに力を発動するなんて、筋肉馬鹿が力を誇示するのと一緒だろ? そんなものは、実戦では使えないよ。君は僕から、何を学んだんだい?」
「話をすり替えるなよ!」
ヴァレルは構わずに続ける。
「オレだって、それなりに目は利くようになったんだ。今はもう、自惚れていた馬鹿じゃない。自分より腕の立つ奴が、幾らでもいることだって知っている。でも、それでも、あんたの強さだけは別格だ」
問い詰める言葉に、クリスは苦笑した。
「僕を買いかぶり過ぎだよ、ヴァレル。それに、君は今でも、視野が狭い子供だよ……いや、君の世界が狭いというべきかな」
馬鹿にした訳ではない。ゆっくりと、諭すように言葉が続く。
「僕くらいの実力……君が言う「別格」の剣士なら、この大陸に星の数ほどいるよ。少なくとも僕は、それを散々見てきたんだよ」
クリスは謙遜するような性格ではない。茶化している雰囲気でもなかった。ヴァレルは反論せずに、じっと耳を傾ける。
「僕は本当に、ただの傭兵だったんだ。この剣もマナ・アートも、全部独学で学んだんだ。戦場に身を置いて、死と隣り合わせの時間の中。生き残るために考えることで、技術を磨いたんだ。そして―――」
クリスの碧眼がヴァレルから逸れて、静かに遠くを見つめた。
「僕は、ある戦場で戦いに敗れて、致命傷といえるくらいの傷を負ったんだ。そのとき、僕の命を救ってくれたのが、君の父上、ガーランド・マグナス卿だ」
「それが、オレに戦い方を教えてくれた理由なのか?」
クリスが、自分が敗れた話をするなんて、意外な気がした。しかも、そのとき命を助けたのが、自分の父親だというのだ。信じられない話だったが、強ちに嘘だとも言い切れなかった。戦いの場数を踏んで、眼が利くようになった今は、父親の肩書きが伊達でないことは知っている。
「クリスを倒した相手を、うちの親父が倒したのか?
「残念ながら、そうではないんだ。マグナス卿が戦場を訪れたときは、すでに戦いは終わっていた。君の父上が救ってくれたのは、死体の山の中で、虫の息で無様に横たわっていた僕だよ」
これが、クリスの台詞なのか。卑下するような言葉の連続に苛立つ。
しかし、すぐに誤解だということに気づいた。クリスは淡々と事実だけを告げている、そんな感じがした。
「マグナス卿は、仕事にあぶれた僕に、家庭教師という職を与えてくれた。僕もマグナス卿に恩は感じていたけど、さすがに子供相手の先生なんて性に合わなくてね。それも、君みたいなクソガキが生徒だ。すぐに嫌気がさしたよ」
軽口の部分は、あまり耳に入らなかった。また話をそらそうとしている。
ヴァレルは焚き火の上に身を乗り出すようにして、クリスに顔を近づけた。
「クリス。まだ何か隠しているんじゃないか?」
クリスは不意に立ち上がる。ヴァレルが反射的に身を離した。
「クリス……」
クリスは頭を掻いて、ヴァレルを静かに見下ろした。そして、仕方がないという風に、言葉を続ける。
「ヴァレル。確かに君は、少しは成長した。嫌なところに気づくのは、余計だったけどね。仕方がない、教えてあげるよ。君が僕の正体だと誤解した剣匠の実力という奴をね」
クリスは両腕を自分の方に回すと、胴着をシャツごと脱ぎ捨てた。そういえば、クリスが服を脱いだところを見るのも、初めてだった。
緩やかな服に隠された肉体は、一切の無駄なく鍛え上げられていた。その厚い胸板には、右肩から腹部に掛けて走る、今も生々しい傷跡があった。高熱に焼かれながら、同時にえぐられたような一本の直線。こんな傷を受けて、生きているのが不思議なくらいだ。
「武装技術の傷だよな……剣匠にやられたっていうのか?」
「ああ、そうだよ。この傷をつけた相手の動きを、僕は眼で捉えることができなかった」
クリスの本当の経歴が何であれ、実力は確かなものだ。そのクリスが、何もできずに、致命傷を負わされるなど、信じられなかった。
「本当のところ、僕に傷を負わせた相手が剣匠だったかどうかは、今でもわからないんだ。剣匠と、クランベルク軍が呼んでいる訳じゃない。他の国の人間が勝手につけた呼称だということは、ヴァレルも知っているだろう?」
クリスが何を言いたいのか。ヴァレルには、わからなかった。
しかし。次の台詞が、クリスの意図を明示する。
「僕は、自分を倒した相手の名前すら知らないんだ。僕が雇われていた国と紛争状態にあったのは、クランベルクとは全く別の国だ。彼は同盟国を訪れたときに、たまたま紛争に巻き込まれた。クランベルク軍の紋章がなければ、彼の所属すら判らなかった―――」
名が広まるレベルでもない一剣士すら、クリスを圧倒したというのか。
ヴァレルは、自分の背中が震えているのに気づいた。
「冗談じゃ、ないんだよな?」
クリスは答えなかったが、自体が回答だった。
「ヴァレル……」
名前を呼ばれて、自分が中空を睨んでいたことに気がつく。
「僕に悪いことを聞いてしまったなんて、後悔しないでくれるかい? 自分が負けたことを思い出すのは、気分が良いことではないけれど。今さら、どうこう思っている訳でもないんだ」
クリスは、このときヴァレルが抱いていた感情の一つを言い当てた。余計なことを聞いてしまったという気持ちは、確かにある。しかし、今のヴァレルは、それだけに囚われていた訳ではない。
そして。
もう一つのヴァレルの気持ちにも、クリスは気づいていた。ヴァレル自身よりも、はっきりと。
「わかっているよ、ヴァレル。君は、僕のことよりも、あの剣士のことが―――もっと正確に言えば、クランベルクの力の正体が、知りたくて仕方がないんだろう?」
知識としては、知っているつもりだった。
しかし、目の前で力の一端を、傷という痕跡という形でも目にしたことによって、リアルな感覚が芽生えた。
「本を読んだだけの知識なんて、役に立たない。その知識を活かしたいなら、自分の頭で考えて、実践してみることだ」
いかにも、クリスらしい台詞だ―――その言葉が正しいことを、ヴァレルは知っている。
胸を焼き焦がすような、けれども、焦燥とは異なる感情。ヴァレルは、それを今、はっきりと自覚していた。
「それで、良いんだよ」
クリスは、楽しくて仕方がないという様子で、ヴァレルをからかうように続ける。
「ヴァレル、正直になるんだ。君の今の気持ちを、信じれば良い」
「正直だって? クリスには、一番似合わない言葉だな」
軽口で言い返しながら、ヴァレルは、晴々とした顔で笑った。
それから二ヶ月後―――ヴァレルはクリスの訃報を聞いた。