4 ヴァレルの回想 クリスとの思い出
クリスと過ごした二年の間に、ヴァレルは多くのことを吸収した。
武装技術も剣技も、見違えるほど上達したが、それだけではない――クリスは、戦場で戦うために必要なこと全てを、ヴァレルに教え込んだ。
「君の剣は、御前試合のために鍛えたんじゃない―――人殺しの道具だよ」
原型を留めない肉片と化した賊の身体が、血溜りの中に転がる。
ヴァレルは、赤黒く染まった己の剣を握り締めた。少年の青い目は―――自分の罪を受け止めようと、必死に戦っていた。
「―――ああ。判っているさ」
実戦経験を積ませたのは、父親であるガーランド・マグナスの意向だったが、クリスも必要性を強く感じていた。
「武装技術を纏う剣は、人を殺すには過ぎたシロモノさ、使い方を誤れば、無差別な殺戮に繋がる」
ヴァレルは、無闇に力を行使しない賢さを持ち合わせてはいたが、所詮は子供だった。何かの拍子に力を暴走させる可能性はある――だから、死と隣り合わせの状況に放り込んで、自分で選択をさせた。
「君は強くなりたいと言ったけどさ――戦いは力比べじゃない。強い者が勝つのではなく、勝った者が強いんだよ。そして、この世界の勝利は、残念ながら、敗者の死の上に成り立っているんだ」
力を行使する経験をすることで、ヴァレルは武装技術を発動させることの意味と、使わないことの意義を学んだ。しかし――そこからが、本当の選択だった。
「もし、君が血塗れの勝利を望まないのなら、選択肢は二つある。剣を捨てて戦うことを放棄するか、敗北の代償として自らの命を捧げるかだ――さあ。どうする?」
現実を直視しても、ヴァレルの青い目は、彼方を見据えて揺るがなかった。
「――それでも、オレは強くなりたいんだよ」
力を手に入れてしまった子供に、残酷な現実を思い知らせる。これが正しいことなのか、クリスにも迷いはあった。しかし、ヴァレルが戦いを望むのであれば――。
「判った――君が求める先に何があるのか。僕が見せてあげるよ」
クリスは、さらに何度もヴァレルを血生臭い現場に連れて行き、その度に、生死を分ける判断を迫った。戦いに勝ち残るためには、何をすべきか――実際に経験して、それを肌で感じることで、ヴァレルは着実に強くなっていった。
そして――
※ ※ ※ ※
――十五歳の夏。
ヴァレルは、ジェノベーゼ王国軍の特別認定試験に合格して、士官学校に入学することが決まった。合格者の平均年齢よりも三歳は若かったが、それも当然の結果と言えた。
ガーランド・マグナスがクリスに依頼したのは、ここまでだ。士官学校に入るのは規定路線だったが、その前に、ヴァレルに力を制御する術を教えて、戦うことの意味を理解させたい――結果は上場だった。
「ヴァレル――強さの先に、君が目指すモノは何だい?」
クリスは何度か質問したが、ヴァレルの答えはいつも同じだった。
「それは、クリスよりも強くなってから決めるよ。遠くから見ていても、本当のことは判らないからさ――でも、力を何に使うかは、もう決めている」
少しだけ大人びた教え子の顔を、クリスはじっと見つめる。
「――それじゃあ。家庭教師として、君の『卒業祝い』をしようかな?」
※ ※ ※ ※
クリスが選んだ会場は『祝い』という言葉とは掛け離れた場所だった――ジェノベーゼ王国の北の果て、獣人の支配圏に程近いランカウル地方。深い森と険しい山岳ばかりの半未開の土地は、ヴァレルに実戦を経験させる『課外授業』として、二人が度々訪れた場所だった。
「何が『祝い』だよ――まあ。クリスらしいけどさ」
北東の隣国プラートへと続く山間の街道。隊商を襲う目的で、夕暮れの森に身を潜めていた獣人の武装集団を、二人は襲撃した。
「さあ、ヴァレル――僕が教えたことを、全部見せてくれるかい?」
「――ああ。判っているさ!」
ヴァレルが右手に握る幅広の剣が、深紅の光を帯びる――赤い光は、それ自体が硬質の刃と化して、獣人の身体を次々に切り裂いた。
『魔力』により鋭敏さを増した五感が、獣人の位置と数を正確に把握する。ヴァレルは森の木を利用して身を隠しながら、獣人の指揮を混乱させた――半分は不意打ち同然とはいえ、二十人を超える獣人たちを仕留めながら、ヴァレルは無傷で戦闘を終える。
「さすがに、僕が出る幕はなかったか――」
少し離れた場所に身を潜めたまま、クリスは満足そうに呟いた。
※ ※ ※ ※
二人は血の臭いのする戦場から一時間ほど歩いて、小休止する場所を定めた。鬱蒼と茂る木々に囲まれて、数メートルで視界を閉ざされる場所で、焚き火を炊く。
「何だか少しだけ――懐かしい気がするよ」
ニッコリと笑みを浮かべるクリスに、ヴァレルは意地の悪い顔をする。
「懐かしいだって? この前、ランカウルに来たのは、たった二ヶ月前だぜ。年寄りみたいに、すぐに昔話にするなよ」
ヴァレルは軽口を言いながら、習慣として、周囲の気配を探っている。その動作に、不自然なところは見当たらなかった――二ヶ月前と比べても、ヴァレルは確実に成長している。クリスは小さく頷くと、静かに話し始めた。
「君の父上であるマグナス卿から、家庭教師を依頼されたとき――正直言うと僕は、適当に理由を見つけて、早々に退散するつもりでいたんだ」
焚き火の炎に映し出される横顔は、三年前と少しも変わらない優男そのものだった――しかし、今はもうヴァレルは、クリスの笑顔の意味に気づいていた。
「そいつは初耳だけどさ、判らなくもないよ――要するに。我がままなガキの面倒なんて、見る気はなかったってことだろう? うちの馬鹿親父も、無茶振りするよな」
クリスは苦笑する。
「おいおい。君のことはさておき、マグナス卿を非難するつもりはないよ。本当に僕は、家庭教師なんて柄じゃないんだ。相手が君でなければ――」
クリスは懐かしむように眼を細めた
。
「ヴァレル。君の才能には、僕も驚いたよ。そして同時に、危うさも感じた――誰かがこの子を導かなければ、惨劇に繋がるってね。でも、それは僕の奢りだったかも知れない。君は自分自身で方法を選んで、ここまで辿り着いたんだ」
ヴァレルは顔を引きつらせて、まじまじとクリスを見る。
「あんた今……オレのことを褒めたよな? 気持ち悪いな。何を企んでいるんだよ!」
本気で嫌がるヴァレルに、クリスは微笑んだ。
「真面目に聞いてくれ。君は、本当に強くなったよ。士官学校でも、誰にも引けを取らないだろうね」
ヴァレルは鼻を鳴らした。
「どうせ『剣の腕だけは』って、言うつもりだろ――判ってるさ。勝敗を決める要因の八割は、戦闘が始まる前にある。あんたには、それを散々、教えられたからな」
「その通りだ。ヴァレルも判ってきたじゃないか――」
クリスは真顔になって、ヴァレルを見つめた。
「――ヴァレル、忘れないでくれ。本や座学で覚えた知識なんて、そのままでは役に立たない。本当に身に着けたいのなら、実践することだ。自分で経験して、肌で感じたものしか、本物にはならないよ」
いつも戯けた調子のクリスが真面目な顔をするなんて、もしかしたら、初めて見るかもしれない。ヴァレルも、もう茶化しはしなかった。
「ああ。憶えておくよ――それと。もう一つだけ、教えてくれないか?」
折角の機会だと、ヴァレルは続けた。こんなことを聞くことができるのは、今だけかもしれない。
「あんたは、人にモノを教えて飯を食うタマじゃない。前に聞いたときは、自分は流れ者の傭兵だって言っていたけど、それも嘘だよな」
海のように深い青い眼が、真っ直ぐに師を見据える。