表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

黒くて昏くて不味い妄想

「I」~第1部~

作者: O.M.Y.K./#3.31-4/:

暗い部屋のクローゼットの竿にロープを掛ける。何も考えていない。死ぬこと以外の何も考えられない。もう耐えられない。死んでも、天国行きだよね。そうじゃないとあまりにも不平等すぎる。なんでここまで追い込まれているのかも、自分で分からない。でももう耐えられない。それだけは言い切れる。

ロープに首を掛ける。つい最近買った、大きめのクローゼット。足元の椅子を見つめては深呼吸。引き返すなら今のうち。だけれどもう覚悟を決めた。

もう1つ、ため息混じりの深呼吸をし、椅子を後ろへ蹴った。

脳裏に映像が流れてゆく。これが走馬灯っていうものなのかな?

俺は走馬灯らしきものに溺れていった──



アイデアっていうのはふとした瞬間に降ってくる。ミュージシャンの俺からしたらそれはすごく嬉しいことだ。

少しだけスランプに陥っていた俺を救ったそれは、お風呂に浸かっているなんでもないときだった。ずっと前からなにかのフレーズに引っかかっていてそれがハッキリとした形になって頭に降ってきた。27歳にして初めてのスランプ。「もう曲、書けないんじゃないかな」って怖かった。でもやっと紅龍雅の新曲ができそう。

安心感が俺を包んだ。いや、安心感だけではこの気持ちは表せない。もっと抽象的な、もっと捉えにくい、捕らえにくい、妙に心地いい気持ち。

今日のお風呂は早めに切り上げた。いつもならゆっくり疲れを癒しているのに、いても立ってもいられなかった。部屋着に着替え、牛乳でもコップ1杯飲んで机に向かった。

これを書き終えるまで寝る気はなかった。まるでこの瞬間のために生きてきたような気がした。夜なのに妙に頭が熱い。


朝目を覚ますと、目の前には紙の束。タイトルも歌詞もTAB譜も何もかもが完璧に出来上がった楽譜。思い出す。

「できた……」

思わず独り言が飛び出す。そして興奮が押し寄せてくる。月並みな表現だけれど、それくらい今の感情は単純だ。

永いトンネルから抜けた。やっと抜けてゆけた……それだけの喜び。

新曲、「I」

傑作だ──絶対、傑作だ。

発売はいつになるんだろう? 楽しみ、もう楽しみ! まずは事務所を通さないとな……

色々と妄想が膨らむ。そして感情が溢れ出す。それの無限循環。

同じシンガーソングライター仲間にさっそく報告する。かけなれた番号にたどり着くと通話ボタンを押した。5コールほどで繋がる。

「やったよ! やったよ! 書けた!」

「──何? 朝っぱらから。眠いんだけど」

少しだけ反省する。あくまでも少しだけ。

「いや、さ、俺、前までスランプだったじゃん?」

「そういやそうやったな。それで?」

「だから、書けたんだよ、曲が。突然降ってきたの」

一瞬だけ静寂が朝を包んだ。

「まじ? おめでとう! まぁ、僕はバンバン書きまくってるけどね」

「はいはい、わかったわかった。すごいですね。はいはい」

「なんだよ、冷たいな」

男二人、受話器越しで笑い合う。

「んで、いつ頃発表?」

「わかんない。これからレコーディングもあるだろうし」

「あー、そっか。でも地味に楽しみかも」

「ほんと? ありがとな」

俺っていう人間は結構単純だ。エンジンとガソリンされあれば俺は動ける。今なら動ける。なんなら動きたい。早くこの曲を世に広めたい。

デビューから約5年。1回だけヒットしたことはあるけれど、それ以来ずっと不調。挙句には書けなくなっていた。でも、そこから抜けることが出来た。だから、今なら動きたい。一皮むけた俺を世間に見せたい。やっぱり単純だな。

通話を切ると、ベッドに倒れ込む。机に伏せて寝ていたのでフカフカのベッドは気持ちよかった。なんてことどうでもいい。このフカフカのベッドで暴れ狂いたい! 冷静さの欠片もないね。笑っちゃうよ。

やっといい曲が書けたのだから、そうなるのも仕方ないよ。不気味な笑いが込み上げてくる。

心だけ天国へ逝っちゃいそう……


なんだかんだでレコーディングの日がやってきた。これから「I」の制作が開始される。

昨夜はもう今日が楽しみすぎてビールや焼酎やをガブガブ呑んでしまった。ので、今日の喉の調子を周りの奴らが怖がっていたこともあるけれど。まぁ、「なんとかなるか」「逆にそっちの方がこの曲に合ってるんじゃないか」とかいう楽天思考で生きている人間だから、何も心配はなかったけど……うん、俺だけ心配していなかった。せっかくの新曲なんだから楽しくいかないとな。

レコーディングの準備は整っているし、あとは目の前のマイクに自分の音をぶつけるだけ。

まだ心は踊っている。楽しく、騒がしく、ガヤガヤと。

いよいよこの楽譜に声という魂を宿してゆく。

意識すると余計にうねる心臓。

一呼吸入れた。そして目をそっと閉じた。高波が穏やかになっていくのが見えた。

もう一呼吸、スっと入れる。


レコーディングは無事終わった。何も失敗はしなかった。それで良かった。あとはレコーディング会社が上手いことやってくれる。そして、発表する。

穏やかに、でも狂おしく。今の心はそう表せるだろう。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ