99話「自転車」原唯。
いよいよ私の話も最後ですね。終わったら、歯みがいて寝ましょうね。
これは本当にあった話なんですけど。
葉山さんていう人が居たんです。葉山さんはお仕事への行き帰りに自転車を使う人でした。
葉山さんは自転車を定期的にお店に診てもらって、ちゃんとお手入れもしていました。
だからこんな目にあうとは思いもよらなかったでしょう。
葉山さんの家は丘の上にあり、会社までは下り坂です。ずーっと長いゆるやかな坂が続くので、帰りはかなり大変です。電動自転車の購入も考えたりします。
そんなある日、いつものように自転車に乗って、軽くブレーキをかけながら、会社への道を走っていました。
しかし、なんだかいつもより、スピードが出ているような。体感速度の違い?風?
ブレーキはつい最近メンテナンスしたばかり。それに昨日問題なく走れて今日ダメになってる心当たりもありません。
言うほどの速度でもないので、葉山さんは足で地面をこすって減速しようかなと考えましたが、この靴は新品。まだ削りたくありません・・・。
不安感を感じながらも、葉山さんはいつもどおり、ブレーキをかけながら、下り続けて行きました。
幸い、信号は全て青。フルブレーキの必要は全くありません。
逆にドンドン、スピードは上がって行きます。青信号を通り抜けるたび、加速。
もう、足でブレーキなどかけようものなら、骨折は間違いないでしょう。
そしてここに至って、葉山さんは自転車に何か致命的なトラブルが起きている事を痛感していました。
ブレーキをどんなに強く握り締めても、全く減速しないのです。
ここで勇気ある人なら、前方に障害物がないのを確認してから、わざと車体をかたむけ、死なないようにコケるのかも知れません。頭部だけは守りつつ。
しかし葉山さんは私達と同じ、普通の人でした。そんな、考えるまでもなくめちゃくちゃ痛い真似は、出来ませんでした。
自転車の速度は、もはや葉山さんに操作出来るものではなく、ガタガタ揺れるハンドルに必死でしがみ付くのが精一杯でした。
途中で壊れるのか、それとも何かに激突するのか。葉山さんは、すでに視認も難しい飛び消える風景の中、目を見開き、その時をただ待つだけのものになりました。
そして最後の瞬間は、あっけなく来ました。
葉山さんの通勤する会社の正門は、普段なら来客用に開かれているのですが、今日に限って閉じられていて、葉山さんはそこに真正面から衝突しました。
葉山さんは全身を強く打ち付け、全身十数箇所を骨折。1年間の入院を余儀なくされました。
ちなみに会社の正門が閉まっていたのは、単純にいつもより早い時間に会社に来たためで、怪奇現象ではありませんでした。
なんとか生き残れた葉山さんですが、その後、自転車に乗ろうという気にはなれませんでした。乗っていた自転車は無事だったのに。
そう。あの事故の瞬間、まるで葉山さんが盾になって守ったかのように、自転車には全く故障箇所がありませんでした。
だからこそ、葉山さんはその自転車をすぐに廃棄したそうですが。
壊れてないはずが動作不良を起こす自転車。
退治の方法があるのなら、まだ幽霊の方がマシですね。
では次の人、お願いします。