81話「幸せな生活」神渡京介。
今度はリアルで怖い話にしましょうか。とある善良な男性が出会った、ちょっと怖い話です。
春の終わり。暑くなろうという時期、とある男性、仮に優さんとしましょう。優さんは、歩道に落ちていた財布を拾いました。ついでにハンカチとポケットティッシュと小さなケースと・・・他に色々。まるでハンドバッグの中身がぶちまけられたような。
スリが貴重品だけ抜き取って捨てて行った。そういうシーンに見えました。
とりあえず全部拾って、近くの警察署に届け、優さんは自分の出番は終わりだと思いました。でも。
優さんが警察署に来てから数分。発見場所と拾得物の確認をすませていると、飛び込むようにして1人の若い女性がやって来ました。
なんでもハンドバッグを盗まれたそうで。
優さんが持ってきた財布の中は金銭は抜き取られていましたが、身分証明書などは残されていました。
そこでの本人確認が無事に行われ、持ち主の下に帰りました。
最近は個人情報のやり取りは行われないそうですが、今回はすぐそばに居たので、お礼をいう機会が与えられました。
とても丁寧なお礼をされ、優さんは恐縮してしまいました。
後日、改めてお礼をしたいとの申し出を丁重に断って、優さんは帰路につきました。札束のつまったトランクでも拾ったならともかく。財布でそこまでは。しかも半径1メートル以内にあったものを拾い集めただけですから。優さんは謙虚な人でした。
それから数週間後。スリも無事に逮捕された頃。
優さんは、偶然、街中で被害女性と再会しました。もちろん、同じ市内に住んでいるんだから、機会は無限にありました。
格別の用事もなかった優さんは、その女性と今度こそお茶を楽しむことになりました。強く断る意味もなかった上、その人は、ちょっと気になる見た目でもありました。
あまり硬くならない雰囲気でお喋りが出来た2人。実は、職場もかなり近い場所にありました。
それからも2人は特別な待ち合わせをするでなく、職場の近さのために偶然出会い、一緒に食事などを楽しみながら、ついには同じ部屋で暮らすようになりました。
彼女はいつも優しくて、不謹慎ながらあの事件の犯人に感謝しても良いとさえ、優さんは思いました。2人の出会いは、それほどまでに幸運に恵まれていた、と思いました。
優さんは、その日までは幸せでした。
ある日。優さんは家の掃除をしていました。明日はデートの日なので、今日中に片付けておきたかったんです。
すると、リビングの片隅から、へんなものが出てきました。ストッカーの裏に貼られたお札のような何か。もちろん自分で貼った覚えはありません。彼女のものでしょうか。
家内安全とかのお守りかなと考えた優さんは、お札をはがさず、そのままにしておきました。梵字っぽいそれは、何を書いているのかは分かりませんでした。
彼女の信仰している宗教に特に興味も持たなかった優さんですが、ふと思いついて部屋の掃除を念入りにしてみると、ちょっと怖くなってきました。
冷蔵庫の裏。エアコンの裏。押入れの天井。靴箱の中にも。至るところにお札は貼り付けられていました。
言っても、お札です。お金はかかるかも知れませんが、害になるものではないのでしょう。
それでも優さんはゾクリとするものを感じました。
神道か仏教か知らないが、ここまでベタベタするものなのでしょうか。
まあ宗教に疎い自分が、その様式を知らなくても仕方がないのですが。
優さんはちょっと怖いな、と思いながら、見たものを忘れるようにしました。毒物じゃあるまいし、放っておいて困るものでもなし。
そんなことより、彼女の不興を買う方が嫌でした。
一緒に暮らすようになって、もっと好きになった彼女なのです。失いたくありませんでした。
だから、優さんは見てみぬふりを選択。それ以降の生活にも、それは当てはまりました。
楽しいデートの翌日から、それは始まりました。
彼女がこれ見よがしに「お守り」をハンドバックに付け、炊飯器や冷蔵庫の横面にもお札を付け始め。
優さんは必死で目をそらし続けました。彼女との関係をつなぎ止めるために。自分の今の生活を守るために。
いつしか、優さんは1人になっていました。
気が付いた時には、優さんの周りはお札でいっぱいで、部屋の出口すら見当たりません。家具も服も、床も天井も。目に映るものは、お札だけ。
そんな世界で、優さんは初めて、安らぎを得ました。
もう、彼女に嫌われない。気を抜いて、良いんだ。
誰にも知られる事なく、優さんは閉じた世界で幸せになったそうです。
幸せ、なんでしょうかね?もちろん、人それぞれの価値観なんでしょうけど。
じゃあ、次お願いします。