8話「贋作」明野未明。
こんばんわ皆さん。改めてのご挨拶となりますが、明野 未明。ちょっとした芸術家で生計を立てている男です。とは言っても、皆さん、私の名前を知らないでしょう。当然です。私はレプリカを専門に作っている者ですから。
古来は、贋作者とも言いましたね。もちろん、捕まりたくないので、レプリカと明言した上で商売させて頂いております。私どもは、模倣から技術を習得しますので、皆その素養を持ちあわせております。ですが、贋作と分かりきった贋作は、そう高くは売れません。私なども、芸術上の技術ではなく、セールストークによって価値を認識して頂きます。
今時、贋作で良いのなら、カラーコピーで事足りますからね。「本物の贋作」の価値を示さなければ、我々も商売上がったりです。技術だけでは、難しいものでして。
自己紹介はここまでにして、早速本題に入りましょう。
怪談。私も、商売柄、そして学生の頃にも何度か聞いた事があります。もちろん、実体験ではありませんが。
美術品、芸術品というものは、基本的に作り手の執念と、買い手の執念が結び合って生まれるもの。いかに技術的に高度な逸品であろうと、市場価値の無い物は、ガラクタと称されます。
逆に、子供の描いたような落書きでも、高名な芸術家の名が付けば、美術品。
愉快な世界です。
その品だけでは、価値を認められない。
芸術とはつまり、セールスマンの戦場なのです。
現代社会における、本来の意味、もしくは一般的な意味で高度な品物というのは、実は工芸品、大量生産品になります。
工場で作られた製品より綺麗で手の込んだ美術品は、恐らくこの世に存在しません。芸術家としての私の名を懸けて申しましょう。
ですが、それでも芸術には価値がある。これもまた事実なのです。
プロの作った料理の方が明らかに美味い、し、衛生的にも安心。そう分かっていても、愛する家族の作ってくれる手料理は、何物にも代えがたい。
愛着を感じさせてくれるかどうか。作った人間が見える芸術品は、それだけ有利なのですね。これは、工場の何々さんが作った、と一々言えない大量生産品より上です(企業製品は1つの製品だけでも何百人という人数が関わっているので)。これは美人、ハンサムな歌手の方が有利な芸能界と全く同じです。スポーツのような完全実力主義の世界であっても、顔が良いのは、才能です。それだけ露出の機会が増え、商機も増える。当人にとっては、わずらわしいだけかも知れませんがね。
そうして、人と人とのやり取りが重要視される芸術の世界では、自然に人の恨み辛みも増えて行きます。
贋作は、特に。ニセモノを掴まされて喜ぶ人は、おりませんからね。それに製作者を捕まえるのも基本的には無理でしょう。
ゆえに私は、恨みを躱すため、レプリカ作者を名乗っております。これはこれで、需要のあるもので、日本全国で使って頂いています。
では、儲けを最大化するためにレプリカであると教えない作者は、どんな恨みを買うのでしょうか?
これは、そんなお話です。
ある時、私の付き合いのある美術館のオーナーから、相談を持ちかけられました。
「明野君。今度、新人作家の展覧会を開こうと思うんだが、君の作品もどうかな。いつかの君のピラミッドは、素晴らしかったよ。またあんな風な、真に迫る物が見たいな」
ピラミッドと申しましても、まさか実物大ではありませんよ。1辺が数十センチの小さな作品です。
ただし、全ての長さ、欠け、陰影まで完全に再現させたレプリカですけどね。伊達で、レプリカ作家は名乗っておりません。
オーナーにも、その作品を気に入って頂きまして、ちょくちょく製作依頼までもらっていました。
そういうわけで、二つ返事で新作を展示させてもらう約束を致しました。ちょうど、作りかけの実験作があったので、都合も良かったのですね。
そして展覧会が始まりました。私も勉強のために、他の作家の作品を見物に行きました。オーナーは私の作品を購入してくれたように、若手の応援をされておられる方なので、新進気鋭かつ無名の芸術家が、ゴロゴロ現れているでしょう。ライバルの長所、短所を把握して、私の得手を効率良く伸ばす。それが商売繁盛のコツです。
ですが、そこで問題が発生していました。
贋作が現れたのです。
私のようにレプリカを謳っているのではなく、単なるニセモノ。しかも海外のアマチュア作家からの盗作という、卑劣なやり口。お客様の中にそのアマチュア作家のファンが居なければ、決してバレなかったでしょう。
贋作者は、若手なら日本で五指に入る腕前の男でした。はっきり言って、当時の私よりも上だったでしょう。
そんなレベルの人間が、なぜ贋作など。
もちろん、人間のやる事です。様々な理由があったのでしょうが。
私は戸惑いと嫌悪感を覚えましたが、オーナーは、諦めの念に支配されていたようです。今までも、自分に負けた手合を見て来たのでしょうね。贋作、盗作の類は、素人のみが引っかかるわけでもありません。プロでも、見破るには複数人の協力が必要でしょう。そしてオーナーも、そういった経験をお持ちでした。芸術家の支援をなさる物好き、そして本物の善人であるがゆえに、苦難とも距離が近い生き方をしておられました。
そんなオーナーですから、贋作を提出した男であっても、再チャンスを与えました。即ち、次の展示会です。今度はその地域の大博覧会の1コーナーで。
しかし、彼は来ませんでした。
当時私は、別の仕事に取り組んでいたため、会場には足を運べなかったのですが、後日、オーナーよりお伺いしました。
彼の訃報を。
オーナーは、彼の作品を待っていたのです。心機一転、やり直すための渾身の一作を。
ですが、彼は会場に来れなかった。会場準備の段階で、既に死んでいたので、当然でしょう。
ああ。安心して下さい。犯人はちゃんと捕まっていますよ。
見ず知らずの赤の他人による犯行でした。ただ、犯人は、贋作を掴まされた人、ですけどね。
彼の噂・・展覧会に贋作を持ち込んだ有望な若手・・は既に広がっていました。ゆえにオーナーは表立った再起のチャンスを与えたのです。
そして、犯人も、それを知った。
また、自分以外にも騙される人間が出る。それを防ぐための殺人。
犯人は、運の悪いバイヤーでした。ノミの市などの運否天賦の商売はともかく、本職の美術評論家の目をくぐり抜けた贋作までをも掴まされ、多額の借金を背負い、雪だるま式に今までに積み上げた全てを失って行った。
復讐すべきものに復讐を遂げる。それ以外、彼にはもう何も残っていなかったのですね。
もちろん、彼を騙したのは、この若い贋作者ではありません。
しかし、彼にとって、倒すべき相手は、既に一個人ではなかったのです。この世の理不尽。人の悪意。それらにたった1人で立ち向かい、そして殺人という凶行をもって、悪党を裁いた。
バイヤーは、悪人でしょうか?それとも悲しい被害者でしょうか?
若い贋作者は、理不尽な犯行の被害者でしょうか?それとも自業自得の末路でしょうか?
人を呪わば穴二つ。昔の人も、こうした恨みとは無縁でなかったようですね。
人生を楽しむための美術で、2人の人間が命を落とす。この結末に、私も恐れを感じずにはいられません。
皆さんにも、この恐怖が伝わりましたでしょうか。
私の話はこれで。
次の方、どうぞ。