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疾走する碧眼

 背中の少女が身動きをしたような気がした。普段なら気を使ってやりたいところだが、今はそんな余裕はない。セオドールは全身全霊の力を込めて林の中を疾走していた。今までこんなに本気で走ったことなどないだろうと彼は思う。


 額を流れる汗が風を感じ、一時的な清涼感を彼に与える。その風に僅かな揺らぎが生じたのをセオドールは感じ取った。そして次の瞬間、自身の左側、つまりフゥラが戦っている街道の方で強い衝撃の嵐が走るのが見えた。あれはフゥラの魔法だとセオドールは知っていた。



「あんなの使いやがって……!時間稼ぎだけでいいって言ったじゃねえか……!!」



 彼はもちろんあの魔法のデメリットも知っている。あれを使えばしばらく魔法は使えない。もし仕留め損ねたらどうするつもりなのか。そんな彼女を案じ、彼の胸は不安で満たされていく。街の門はもうすぐそこに迫っていた。木々の間から街の西門が見える。門番の衛兵はこちらの姿を視認したようで、兜の面甲を上げた。悠長なことをしていられないセオドールは叫ぶ。



「私はセオドール・オルコット!!直ちに兵を集め門を開けよ!!」



 彼の声が林の中でこだまする。言葉の全てが聴こえたわけではないだろうが、セオドールの名前だけは届いたらしく、門番たちが慌て始めたのが見える。しかし門を開ける様子はない。代わりに一騎の騎兵がこちらへ駆けてくるのが見える。そしてセオドールの少し手前で止まり、声の主がセオドール本人であると確認すると、



「馬上から失礼します!セオドール様!お乗りください!」



 と兜を脱ぎその騎士は叫んだ。駆けてきた騎士はセオドールの良く知る騎士の一人だった。彼の名はセルバンデス。名家の出で剣の腕も立つ。今セオドールが最も頼りたい人物の一人である。



「セルバンデスか!ご苦労!だが私ではなくこの子を街の病院まで送ってほしい。そして市民の避難と兵の招集を!」


「先ほどの魔法と何か関係が?」


「そうだ!だが説明している時間はない!責任は全てこのセオドール・オルコットが持つ!一刻の猶予もない故ただちに実行せよ!」



 いつもなら挨拶から始めるところだが、今はそれどころではない。セルバンデスもいつものセオドールとは様子が違うことから、事態の深刻さを察する。



「承知しました!」



 短くそれだけ言うと、セルバンデスはセオドールから少女を受け取り、縄で自分の背に固定した。そして兜を被り馬の腹を軽く蹴る。



「ハッ!」



 彼が合図を出すと馬が駆け出す。走りながらその後を追うセオドールには、彼らがあっという間に門へ到着するのが見えた。


 門では兵が慌ただしく動いているのが見える。恐らくセルバンデスが伝令を伝えてくれたのだろう。怪我をした少女は別の兵に担がれて門の中へと運ばれていく。





 セオドールが門へ到着するころには街の監視塔から警鐘が鳴り響いていた。正面門は突破されていないようだし、最悪の事態は避けられるはずだ。だが一息つくにはまだ早い。一通りの指示を出し終えたセルバンデスがセオドールのところへ戻ってくる。



「セオドール様。兵の招集は完了しておりませんが、第一陣の騎兵隊はいつでも出発することが可能です。いかがされますか」



 既に準備が出来ているのなら、一刻も早く二人の救援に向かうべきだとセオドールは考えた。そうなると兵を二手に分けなければならない。適切な戦力配分を行わなければ各個撃破される危険性が増す。



「それは二手に分けることは可能か?」


「相手次第であります」



 相手次第と言われてしまうと、相手の戦力が未知数である以上、戦力の分散は現実的ではない。それどころか敵の規模が分かっていない今、兵を街の外へ出すべきではない。伏兵がいた場合、街の防御が手薄になってしまうからだ。


 二人には必ず戻ると約束したが、それはセオドールの私情だ。私情で市民を危険に晒していては領主失格だろう。だが友を見捨てる人間に領主が務まるのだろうか。


 セオドールは決断を迫られていた。そこに一人の男が息を切らせて駆け込んでくる。



「セオドール!!」



 それはクリスだった。多少の怪我はしているものの、命に別状はないようだ。セオドールは友人の無事に感情が沸き立つ。



「無事だったか!万が一のことがあったらどうしようかと……!」


「へっ、あるわけねえだろ!フゥラはまだか!?」



 先ほどは戦いに尻込みしていたというのにこれだ、おそらくあの化け物を倒したのだろう。ほんの少しの友人の成長にセオドールは笑みを零す。しかし喜ぶにはまだ早い。



「フゥラはまだだ。これから救援に向かう」



 クリスが戻ってきたのなら過剰に兵を分散させる必要がなくなる。私情を挟んでいるのは百も承知だが、やはりフゥラを見捨てるわけにはいかない。敵の所在が明らかなうちに、戦力を固めて先制攻撃を仕掛けることも、戦術上悪手ではない。



「そうか、ならセオドール、俺も連れて行ってくれ」


「は?そんな身体で何を言ってるんだ?」



 セオドールはもうクリスには戦いに参加して欲しくないというのが本音だった。本当に万が一のことがあったら、自分が立ち直れない気がしたのだ。



「俺だって少しは魔法が使える。それにあの化け物を倒した!これ以上ない戦力だろ!!」



 確かにクリスの言い分はもっともだ。人手が足らないのは事実だし、実際にあの魔獣を戦闘したのは彼とクリスしかいないのだ。



「それに……無事なのを早く確認したいんだよ。分かるだろ?」



 クリスが浮かない顔でそう言う。二人ともフゥラが心配という気持ちは同じだった。側にいたセルバンデスにもそれが伝わったのだろう。彼は自分の馬の後ろを差して言った。



「セオドール様、私の馬は二人乗り。後ろに一人乗せることは可能です。私が付いていれば問題はないかと」



 自身の強さを知る相手だからこその提案である。クリスには彼の姿が少し誇らしげにも見えた。彼の提案を却下することは、それすなわち彼の強さを疑問視しているということでもある。お前では力不足、とセオドールにはとても言えない。



「ああ……分かった。セルバンデス、彼をお前に預ける」


「命に代えましても」



 シルポートから出発した騎兵隊の総数は48。3個分隊に分かれて正面門へ向かう。右翼には外壁に取りついた魔獣がいないかの確認を、左翼には散開して周辺の偵察を命じた。クリス達は中央の分隊で、直接正面門前へ向かう。この分隊は戦闘が予想されたため、他の分隊の倍の数の騎兵が割り当てられた。


 その道中、クリスは妙な静けさに違和感を覚えるのだった。



 正門から少し離れた街道上には凄惨な戦いの跡が残されていた。均一に舗装されていたはずの道は地面からバラバラに引き裂かれ、どこからどこまでが道だったのか判別することは不可能だった。


 さらにその残骸のなかに点在する見たこともないような無数の怪物の死体。セルバンデスはこのような獣に遭遇したことがなかった。その光景を見れば誰でも驚くだろうが、今はそんな空気ではなかった。


 惨状の隅の方、抉れた地面が壁のようになっているところに尋常ではない量の血痕が残されていたのだ。セルバンデスはそれがてっきり怪物のものだと思っていたが、そうではないらしい。それを見たクリスとセオドールの顔から血の気が引いていくのが分かったからだ。セオドールは馬から降りると一目散にそこへ走っていく。そして何かを拾い上げ、がっくりと両膝を付く。



「セオドール……それは……」



 セオドールはクリスの問いかけに答えない。いや、それが答えだった。彼は一足の靴を手にしていた。それでもクリスはまだ信じていなかった。彼もおぼつかない足取りでトボトボとその現場へ近づく。



「違うと言ってくれ……セオドール……なぁ」



 空で鳥が鳴く。その鳴き声は彼の空虚な心の空洞に響き渡る。視界は妙に鮮やかに映り、眩しさを敏感に感じるようで――いや、むしろ全ての感覚が鋭敏になるような――彼は思わず目を細める。そのせいか、彼は平衡感覚が掴めないような、脚の存在が曖昧な感覚を覚える。


 セオドールは俯いたまま、無言で手にしていたものをクリスに突き出す。それは血で汚れた黒いローヒールのパンプスだった。二人はそれが誰の物か知っている。そう、二人のために敵を引き付けたフゥラの物だ。無理な動きをしたのか、その踵がおかしな角度で削れていた。



「俺のせいだ……無謀だと知っていて送り出した……俺の……せいだ…………」



 セオドールは地面に向かって呟く。彼女がそこにいるわけではないが、まるで彼女に謝罪するかのようだった。



「すまない……こんな……。苦しかっただろうに……」


「フゥラ……」



 お互いにかける言葉などなかった。二人の男は深い悲しみにただうなだれるしかなかった。


 ここには血だまりだけで遺体があったわけではない。肉片が飛び散っているわけでもなかったため、生存している可能性はゼロではない。しかしそんな考えは気休めに過ぎないと二人は思った。


 クリスは分かれる直前の彼女の顔を思い出していた。いつもと変わらぬ屈託のない笑顔。思えば彼女はよく笑う子だった。セオドールと別れた後、二体の魔獣と戦うことが出来たのは、彼女が冗談めかして元気づけてくれたからだ。もしあそこで何も言ってくれなかったら、自分は死んでいただろうと彼は思った。そう、彼女は自分のことをよく知っていてくれていた。


 自分をよく知る友を失った悲しみは、まずその事実を受け入れることに時間を掛けさせた。故に二人は泣き叫ぶこともなく、ただ茫然と血の跡を眺めるだけだった。そんな時、ふとクリスは思う。




「セオドール、まだいるんじゃないのか。フゥラをこんな目に遭わせたやつが、まだのうのうと生きているんじゃないのか」



 フゥラが殺されたのなら、殺した奴が生き残っているはずだ。自分たちだって害獣を殺すのだから、殺されることもあるということは彼も理解している。だがそんな理屈で片づけられるほど三人の過ごした時間は短くなかった。クリスの胸には静かな怒りの炎が灯り始めていた。それをフゥラが望まないことも分かっているつもりだ。だがそれもまた理屈でしかない。彼を支配する感情を抑えるには至らない。



「俺は許せねえよ。許すとかそういう問題じゃないかもしれないけどさ、ケジメつけなきゃいけないよな?お前もそう思うよな?」


「ああ……そうだな」



 セオドールはそれ以上何も言わなかった。だがその短い言葉の裏に隠された激情は誰の目にも明らかだった。彼の言葉の端々からもそれが汲み取れた。



「セルバンデス、周囲の状況確認は終わったか?残党狩りが必要みたいだ。街に残してきた防衛部隊も駆り出してくれ。今すぐに」

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